十三夜の月見

 
 10月18日は、今年の十三夜に当たる日だった。
 小生は、17日の夜、まだ雨が降り出す前のこと、公園の脇に車を止め、仕事 の手を休めて、一日早い十三夜の月を一人、愛でていた。
[十三夜については、以下のサイトを参照:
      http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm ] 
 一説には宇多天皇の御代に始まったともされる十三夜の月見は、日本独特の風 習のようだ。しかしながら、上掲のサイトにもあるように、小生も、十三夜の月 見の風習というのは、宇多天皇の御世より古くから続いてきたものだと思ってい る。
 十五夜という満月の時に団子などを添えて、月見をするというのも風流だが、 やはり日本人というのは、どこか遠慮がちというのか、すこし半端で曖昧な風情 が好きな習性があるのだろう。
 物事を真っ直ぐに捉える、あるいは何かをそれについて自分が正しいと思われ る知識をもっていてさえ、さりげなく、それとなく指し示そうとする。
 煮え切らないといえば、確かにそうなのだけれど、波風を殊更に立てたくない という気質というのは、必ずしも悪いものではない。
 きっと、東の果ての島国に、大陸などから流れ着いた様々な出自を持つ人々が、 なんとか共存・共生するために生み出した知恵なのだろうと思ったりもする。

 ネットで十三夜を検索してみたら、以下のようなサイトが見つかった:
 http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/others/jusanya.htm#ku

 そのサイトによると、宇多天皇の御世から始まったとされるのは、以下のよう な記述があるからだという(藤原宗忠の日記『中右記』の九月十三日):

  今夜雲浄く月明らかなり。ここに寛平天皇今夜無双の由仰せ出だされ、
  ……よりて我が朝には九月十三日夜を以て名月の夜となすなり

 同サイトには、十三夜にちなむ芭蕉の一文が引用されている。再引用させても らう。

  木曽の痩せもまだなほらぬに後の月

 仲秋の月は、更科の里、姨捨山になぐさめかねて、なほあはれさの目にも
 離れずながら、長月十三夜になりぬ。今宵は、宇多の帝のはじめて詔をも
 て、世に名月と見はやし、後の月、あるは二夜の月などいふめる。これ、
 才士・文人の風雅を加ふるなるや。閑人のもてあそぶべきものといひ、且
 つは山野の旅寝も忘れがたうて、人々を招き、瓢をたたき、峰の笹栗を白
 鴉と誇る。隣の家の素翁、丈山老人の「一輪いまだ満たず二分かけたり」
 といふ唐歌はこの夜折にふれたりと、たづさへ来たれるを、壁の上に掛け
 て草の庵のもてなしとす。狂客なにがし、「白良・吹上」と語りいでけれ
 ば、月もひときははえあるやうにて、なかなかゆかしき遊びなりけらし。

   この芭蕉の一文についての解説は同サイトを参照願いたい。

 九月十三夜については、別のサイトも見ておきたい:
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/orihure4.html
 このサイトによると、菅原道真や農耕儀礼との関係も指摘されているとか。

 「十三夜」というと、思い出すのは樋口一葉であろう。下記のサイトを読むと、 一葉の小説「十三夜」の紹介に始まり、小説やSFに現れる月を考証すると、出 鱈目が多いと書いてある。
 なるほど、月のイメージが強烈なので、結構、安易に使いやすい面もあるのだ ろう:
 http://www.tatebayashi.ne.jp/~science/hoshizora/juusanya/juusanya.htm
 月というと、十三夜とか十五夜には関係ないのだが、『万葉集』の中の柿本人 麻呂の歌を思い出す。

 東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ

 他にも月に因む有名な歌は多いのに、何故、この歌かというと、過日、読んで いた本の中に、この歌が歌われている情景から、いつのことが歌われているかが 正確に分かったという記述を見出したばかりだからだ。
 その時間というのは、持統六年、西暦六九二年十二月三十一日の午前五時五十 分頃だそうである。
 こんなに詳細に時間が指定されると、なんとなく万葉集に改めて親近感を覚え てしまう。一瞬にして、柿本人麻呂が歌ったその現場に自分が立ち会っているか のような気分になってしまったのである。

                                              02/10/19未明