黴と錆


   昔、学校の教科書で日本の文化は「侘(わび)と寂(さび)」に尽きると書いて あったように記憶する。
 この記憶そのものは怪しい。何しろ、自分の記憶なのだ。
 今、雨が降っている。この一週間は、雨の降らない日はなかったのではないか。
元気がある時なら、雨とか雨の音をモチーフに小説の一つもでっち上げるのだけど、 そんな気力は今はない。
 ただ、ダラダラと雨の音に聴き入っているだけ。ガラス戸を掌ほどの巾だけ開け てあるので、雨の音がまともに部屋になだれ込む。
 一人きりの部屋。今まで、ほんの一時だって二人になったことのない部屋。だか ら、尚のこと、雨音が喧しく聞こえるのかもしれない。
 やがて、雨音が一点に集中するような、そしてその一点とはあの人の雨傘だった りするような、そんなドラマの欠片もないのだ。
 それとも、屋根を叩いては弾け散る雨の音の御蔭で寂しさが紛れている…?、そ んな気もする。
 そんな自分でも、今とは違った理由で雨が好きだったこともある。
 別に、雨の御蔭で苦手な運動会が中止になって歓んだとか、どうせ一人っきりを 持て余すしかない遠足が雨のせいで皆(みんな)、屋根のある場所から離れられず、 自分の孤立が目立たなくなったとか、そんな理由なんかじゃない。
 ああ、そう、そう、台風に引き摺られた低気圧の前線にまともに覆われ、我が町 が、そして我が家の庭先までもが水浸しになり、気まぐれで作ったささやかな俺の 築山さえ姿を没しそうになる、その不思議な爽快感のせいでもない。
 きっと、そう、雨は全てを洗い流してくれるような、そんな幻想を与えてくれる から…。
 いや、それはウソだ。ガキの頃ならともかく、今の俺にそんな幻想の思い浮かぶ 余地などない。
 俺は、ただ、雨の音に聴き入っているだけなのだ。それ以外に何もないこと、そ う、むしろ、その侘しさが激しい雨のゆえに一層つのるから、だから雨が好きなの だ。
 誰か、心を、それとも体を許せる相手がいる奴等なら、今頃は寝床の中で果てな い温みと微睡(まどろみ)を貪っているのだろう。
 だが、この俺は、気の遠くなる程の遠い果てを見遣るばかりである。一月も、誰 からも架かることのない、架ける相手も思い浮かばない電話。東京という大都会に 居住して何十年となるのに、こんな状態をいかんともし難い人間が無数にいる。そ れも東京の凄いところだ。
 遠い昔、何処か風流な気持ちで「侘と寂」に思い入れをしていた。することがで きていた。
 でも、今は、ただ、それらはただの言葉であることを理解するだけ。
 肉体は、想像以上の速さで朽ち始めている。肺の中に黴がウヨウヨと蔓延ってい る。体の表面の方々にも、白い黴が拡がり、まるで斑模様の衣装を纏ったようだ。
 いつでも外から開けることのできるスライドドアの取っ手も、ベッドの留め金も 微かに錆び付いている。
 耐え難い苦しみ。肉体の苦痛は、精神の苦痛にはまるで比較にならないと、昔、 学校の先生が勇ましく言っていたな。でも、そんなのは嘘っぱちだ。神や仏だって、 ただの気休めだ。俺は苦しい! 痛い! きっと、悲しい!ナースコールのボタン にさえ、手が届かないぞ!
 俺の現実は、「黴と錆」なのだ。

                                               02/06/30