『狩野探幽展』探訪記

 



 久しぶりの連休。そして当分、やってこない連休ということで、今日はお日柄 も宜しいのでスクーターを駆って上野へ。
 ちょいと風邪気味だったけれど、午後になって日差しもポカポカして暖かそう だし、余裕のある時に行っておくべきだと思ったのだ。
 やってきたのは、上野にある東京都美術館。この夏にも父の作品が展示されて いるということで、「読売書法展」の会場となっているこの美術館にやってきた ばかりだ。
 さて、ここで開催されているのは「日展」。しかし、小生はこれを観に来たわ けではない。別に招待状も貰っていないし。ただ、目当ての展覧会の行き返りに 日展に出品されている彫刻作品のコーナーだけは、遠望・一望することができた。 そう、小生が目指したのは、『狩野探幽展』:
 http://www.nikkei.co.jp/events/art/kano.html

 小生は絵は版画だろうと水彩画だろうと油絵だろうと、古典的なものだろうと 抽象絵画だろうと好きな作品は多いし、積極的に展覧会へも足を運ぶ。
 が、立体的な作品は、彫刻やインスタレーション的作品も含め、まるで感性が 反応してくれない。
 これは、小生の観る体験が稀薄だからだろうか。まだ、作品の良し悪しを自分 なりにでも感得する回路が脳味噌に出来ていないのだろうか。
 確かに、絵画など平面作品も一昔前は、ムンクやゴッホやダリ、ゴヤといった、 誰もが知る作品、教科書などで馴染みの作品になんとか、悪くはないじゃん程度 の印象を抱いた程度だった。
 それが、次第に必ずしも教科書には扱われないハンス・ベルメールやフリード リッヒ、レオノール・フィニ、ルドン、etc.と、描かれる世界も傾向もまるで違 うのだけれど、自分なりに絵画の世界を広げることが出来た。
 学生時代から社会人になり始めだった頃の絵画の導き手は、ほとんど坂崎乙郎 氏だったような気がする。彼の本は、『夜の画家たち』『イメージの狩人』『終 末と幻想』『反体制の芸術』『ロマン派芸術の世界』と、刊行される本のほとん どを買い求め読み漁った。
 ロマン派であり、神秘であり、幻想であり、夜でありと、なんとなく傾向が知 れる。エゴン・シーレの存在を教えられたのも坂崎氏からだったはずだ。
 が、知られているように坂崎氏は、画家・鴨居玲の死後、あとを追うようにし て85年に自殺されてしまった。27年生まれだし、旺盛な評論活動をされていただ けに、小生はショックを通り越して、何故???と、置き去りにされたような、 エアポケットに嵌ったような感覚を味わった。
 小生には、まだ自分で絵画世界を開拓できるほどの鑑識眼は勿論、己の本当の 好みも見出しきれていなかったのだ。

 ついで、小生の絵画世界の先導者となったのはは、奇しくも坂崎氏が自殺され た85年に『抽象絵画への招待』を刊行された大岡信氏だった。彼は詩人である。 また、日本文学を研究する学者でもある。
 小生は、朝日新聞の第一面左下の『折々のうた』の欄は欠かさず読んだし、大 岡氏の本を何冊かは読んだ。また、彼の講演会へも足を運んだことがある。
 しかし、小生にとっては『抽象絵画への招待』などの絵画世界の先生だった。
 きっと、自分の中の絵画的感覚のそれなりの成熟と、また、坂崎氏が示してく れたロマン派や幻想世界に幾分の飽き足らなさを覚え始めていたことなど、絶好 のタイミング、出会いだったのだと今にして思う。
 それまで全く縁がなかった、坂崎氏の諸著の中でもちゃんと扱われていた表現 主義や抽象表現主義の世界に大岡氏の書を契機に、一気に飛び込んでいったので ある。
 パウル・クレーの世界に馴染むのに、こんなにも時間が掛かるとは情ない話だ し、何故、今までこんな素晴らしい世界を見すごしていたんだろうと、今では理 解さえ及ばないのだが、やはり潮目が合ったとしか言いようがない。
 そしてジャクソン・ポロックは勿論、デュビュッフェ、フォンタナ、フォート リエ、タピエス、デ・クーニング、やがて小生にとっての極め付けであるヴォル スに至るわけである。
 無論、平行して日本の画家も沢山、発見していた。元永定正、堂本尚郎、加納 光於、難波田龍起、吉原治良、今井俊満、斎藤義重……。
 ひめやかに密やかには、鴨居玲、松本竣介、清宮質文、長谷川潔、田中恭吉…。  別格の存在として葛飾北斎や長谷川等伯…。

 こうしてみると、日本にしろ欧米にしろ、古典的な画風への嗜好があまりない ことに気付く。名著である芳賀徹著の『絵画の領分』などを通じて、近代の日本 絵画の黎明期における苦闘を知り、高橋由一、青木繁、などなどを知るのだが、 自分の感性に馴染むことはなかった。
 それにしては、小生の部屋にはアングルの『泉』やら山本芳翠らの画の複製が、 埃をかぶったまま何年も貼られているのだけれど。
 小生にとっての最も印象的な絵画展は、フリードリッヒのものと、あとは何と いっても世田谷美術館で開催された『パラレル・ヴィジョン』である。前者はと もかく、後者の展覧会で示された芸術の限界というのか、精神の狂気と縁を接し た、というより矩(のり)を踏み越えてしまった世界は、自分の中で一つの感覚 というか倫理というのか、その一種の基点になっている。
 決してまともな物差しではないので、この世には適用できない基点なのだけれ ど。
 このことについては以前、書いたのでこれ以上、踏み入らない。

   さて、ようやく本題に戻る。自分なりに絵画の世界、平面芸術の世界を彷徨っ てきて、やがて抽象表現主義の世界に至りついたと書いた。最後に小生の感性に ピッタリなのは、パウル・クレーは別格として、ポロックであり、フォートリエ であり、タピエスでありヴォルスなのだ、とも。
 一体、こうした芸術家は何を描いているのだろう。抽象表現のその先はどこに 至りつくのだろう。世間の大方の人には、抽象表現主義など絵画史などの一齣に 過ぎないのだろう。
 けれど、遅れて絵画世界にやってきた小生は、恐らく今も抽象表現主義の段階 で止まっている。
 小生は、ヴォルスやポロックやクレーやデュビュッフェらの作品(実際には、 展覧会で観た印象と、大半は購入してきた図録の中の写真)を前に、眺めるだけ ではなく、作品の印象を懸命になって言葉に置き換えていた。
 置き換えられるはずはないことは愚昧なる自分にも重々分かっている。少なく とも文学的嗜好に満ちた幻想派やロマン派絵画とは事情が違うことくらいは分か る。
 だからというわけではないが、言葉は宙を舞った。脈絡が付かなかった。イメ ージは無骨な塊として路上に置き去りになった。風雨に晒されるのを手を拱いて 見ているしかなかった。友人に書いた文章の幾つかを見せても、テニオハさえ、 なっていないと呆れ果てられた。
 腕と手と足と胴体と首と頭と心が、てんでにバラバラに、好き放題に、きっと 他人の目には無秩序に力技で雁字搦めにしただけだと映るのも、無理はないと分 かっていた。
 でも、小生は、残業で夜半前に帰る日々、しかもボランティアで夜半過ぎの時 間を費やす中で、睡眠時間を2時間にまで削って、未明に起きて自分でも分から ない作業を続けた。
 やがて、ほんの少し感じたことは、自分はある種の手応えを求めている。ザラ ザラした大地を求めている。稀薄を通り越して真空状態に陥ってしまった人間関 係の中で窒息しそうな自分を救おうとしているのだと悟った。 
 そして抽象絵画の自分なりの勝手な到着点は、壁であり土であり人の肌であり、 木の葉であり、青い空と白い雲だったりするのだと悟った。
 少しずつ、密室(会社と自室)以外の空間に目が向き始めた。路上の風景。巷 の人々。空。雲。空気。壁。アスファルト。枯葉。落ち葉。雨。風。涙。
 街角の壁には傷が付いている。誰もが見過ごす、気にも留めない擦過傷。雨水 の染み。ガキどもの落書き。勝手に貼り付けられたチラシ。剥がし切れない古い 広告。杖を突いて歩く老人。雲かスモッグに煙る遠くの山。コンクリートを掘削 する響き。車の騒音。人のざわめき。
 やがて、抽象芸術とはいいつつ、どこか小生は墨絵の世界が、そう、紙に水の 染み透るように、己の心に馴染みのある世界として萌し始めていることに気付い た。
 あまりに長い回り道だった。
 未知を散々迷った挙げ句、なんだ、こんな身近なところに近道があったじゃな いか、という感じだったろうか。
 『パラレル・ヴィジョン』の世界を契機に、それまでもそれなりに見ていた墨 絵の世界を積極的に自覚的に観るようになった。
 一体、墨絵は具象なのか抽象なのか。そんな問い掛け自体が意味がないのだろ うか。
 とにかくそこには世界がある。実在とか虚構とかを超えた世界が示されている。  いや、やっぱり世界があるのだ。

 今日、狩野探幽の作品を観て回って、自分が見たいと感じたもの、気がついた ら魅入られていたのは、すべて墨絵の作品だった。桃山時代の豪奢な世界の名残 を示す作品もあるけれど、それは探幽の世界ではなかったのかもしれない:
 http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/021026.htm
 もう、生々しい世界とは若干の距離をおき始めている。もっと、着実に繊細に、 そして体系的に組織的になっている:
 http://www.tokyo-np.co.jp/tokyo-art/20021005.html
 探幽の本領は、しかし、上記のサイトでも見られるように本当は墨絵にこそあ ったのではないか。屏風絵でも、墨絵で描かれた『風神雷神図』は豪快で素晴ら しかった。俵屋宗達の『風神雷神図』しか知らなかった小生には探幽の『風神雷 神図』には意表を突かれたようで、その絵の迫力に圧倒された。これは発見だっ た。
 そして筆を一気に走らせて描いただろう竹や小枝の筆運びの繊細さ。小鳥を見 ると垂涎ものだ。意外と気性は繊細で内気で凝り性だったのではないかと思った り。

 墨絵の世界を語るのは難しい。
 まして、探幽については毀誉褒貶が激しいのだ。最高に評価されたり、劣悪な 作品ばかりだと酷評されたり。
 きっと幕府の御用絵師として嫉妬されたりしたこともあったのだろう。表立っ て批判できない以上、批判は鬱屈したものにならざるをえない。
 では、自分はどうか。実は両方である。素人の目で何が分かるというものでは ないが、細部で実に雑なような描写が目立つような気がしたり、同時に細部にお いて神経が髪の毛一本に至るまで通っているように感じる部分があったり、一つ の(墨絵の)作品で同居しているようなのである。
 狩野派のリーダーとなった探幽は、京都の狩野派に対抗して江戸狩野派を興し た。一方、ライバル集団であった土佐派の「やまと絵」をも常に意識せざるを得 なかった。
 だからといって狩野探幽はライバルを蹴落とすわけでもなく、逆に有力なライ バル達の絵の技法を真面目に真剣に習得していく。彼が達成した代表的な成果が、 『牛若丸図』だろう。そのことは探幽を必ずしも評価しない向きも認めるのでは ないか。ちなみに会場で購入した図録の表紙にも、この絵が使われている。
 小生が特に面白いと思ったのは、《臨画帖》と呼ばれる画冊だった。  これは探幽が古画の学習の成果を纏めた、まさに小冊子である。後進らの財産 にもなったものだ。彼は目新しい果物や花を貰うと、几帳面に観察し絵に残して いった。拝見する機会のあった中国名画の数々も例外ではなかったわけである。

   空腹と風邪の予後の疲れのせいか、最後は駆け足の観覧となった。
 それでも売店でポストカードやら栞やら図録を買うのは小生の習慣になってい る。画集にしても、小生が所蔵している百五十冊あまりの大半は図録である。一 般の書店で買える画集は、ほとんど買わない。
 展覧会の印象を大事にしたいのだ。かといってせっかく購入した図録なのだが、 あまり頁を捲ることなく、図録の背文字などを眺めて見てきた数々の作品の印象 を反芻するのが好きなのである。

 さて、小生の探幽に対する評価を下す時がきた。売店には探幽の栞や絵葉書や 便箋、書籍、置物など、沢山売っていた。
 栞を集めるのが小生の数少ない趣味なので一つだけ購入。ポストカードも売店 の女性が素敵だったので、彼女から買いたくて購入。
 そして最後に購入したのは、商売根性で売られているのか、何故か宮本武蔵の 掛け軸が展示してある、それである。それも、かねてより小生の垂涎の的であっ た、『枯木鳴鵙図』である。
 どうしてこんなところに宮本武蔵の掛け軸が…と思った時は遅かった。予約注 文してしまった。借金苦に喘ぐ小生なのに。
 そう、隣りに並ぶ探幽らの掛け軸には、全く目が行かなかったのだ。

[桃山時代の墨絵については、下記のサイトを参照。小生は、その中でも長谷川 等伯筆の『松林図』が、断固好きである:
 http://www.kyohaku.go.jp/tokuten/sanka/sanka2j.htm 
 宮本武蔵の『枯木鳴鵙図』については、下記のサイトを参照:
 http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/011117.htm  ]

                                              02/11/10