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(03/03/29up)
ガキの頃のこと、近所の兄さんに連れられて翡翠の浜とやらに行ったことがあ る。無論、翡翠などとは書けるはずもない遥かな昔のことだ。 ヒスイという語に神秘な何かを感じていた。 「ねえ、ヒスイって何?」 兄さんに誘われて、ボクは尋ねた。 「翡翠ってのは…、そうだな、ま、石の一種で、新潟の糸魚川とかが有名だけど、 俺達の富山だって採れる貴重な鉱物なんだ」 コウブツ…。好物なら分かるけれど、コウブツって何だろう。何か違う宇宙か ら不意に舞い込んだような、さすがに飛行はしないみたいだから、とにかく未確 認の、謎の、不思議な石なのだ。 ボクは兄さんにそれ以上、訊くのはやめた。何となく説明に窮しているように 感じられたし、ボクなどには分からない凄いものだという雰囲気が漂ってきたか らだ。 次の日曜日に行くことに決まったので、ボクは学校の図書館でヒスイを調べた。 漢字で翡翠と書くのだということも知った。でも、すぐ忘れた。世の中には複雑 な漢字があるのだということは分かった。 図鑑には、翡翠どころか瑪瑙とか水晶とか、真珠とか、不思議な石がたくさん あることを知った。同時にボクは、図鑑を眺めながら、自分が石が好きなのだと いうことを自覚した。 それまでは学校帰りに蹴るためにあった石ころ、家から十分ほど歩いたG川の 水面に平たい石を投げて、跳ねる回数を数えるための石。家の脇を車が通るたび に家を揺らす砂利道。それが石の全てだった、はずだ。 でも本当は、何処から入手したのか覚えていないけれど、青い半透明の石をボ クは幼い頃から持っていたんだ。別に趣味といった自覚もなく、見たら欲しくな って、返すのが嫌で泣きじゃくったと、いつか姉貴に聞いたことがあったっけ。 そうだ、ボクの宝物は石ころだったんだ。青い表面の滑らかな石と…、後は化 石だ。 先生に聞いたら、「それは木の化石だよ」と教えてくれた。 木の化石! そんなものがありえる! ボクには衝撃だった。木が化石となる …。だったら人間も化石になるんだろうか。 でも、ボクは怖くて訊けなかった。本当だったらどうしようと思ったのだ。 本当だったら、ボクも死んだら化石になる? 化石になって、誰かに拾われて、 ボクがこうして木の化石を手の平に転がして弄んでいるように、誰かが玩具にし てしまうんだ。コロコロ転がされるボク! そんな恥ずかしい目に会いたくない! 図鑑の中で、偶然に黒曜石というものがあることも知った。それが一番の驚き だった。図鑑にはobsidianとも言うと書いてあったが、その用語の仰々しさもさ ることながら、ガラス質の火山岩という説明に自分でも訳が分からないほど、シ ョックを受けていた。あまりのショックで、自分でも何に衝撃を受けたのか覚え ていないくらいだ。 ああ、あの頃のボクは何に吃驚したんだろうか。それともただ、石炭と似たり 寄ったりで、つまらないと思った可能性もある? いや、違う! そうだ、思い出した、黒曜石を使った武器とか道具に驚いたのだ。でも、道具 だったら、何故、驚くのだろう。 ああ、それにしても、あの頃の自分。ガキの自分にとっても世界が決して単純 ではなかったけれど、まさか、いつか自分がこうなるとは想像だにしなかった…。 俺は今、会社をリストラされて、呆然としながら歩いている。こんな自分が将 来ありえるとは、誰一人、自分だって思いも寄らなかった。 道を歩きながら懸命に集中していた。こんなにも夢中になったのは久しぶりな ほどだった。 先の見通しがプッツリ、切られてしまった。いきなり穴蔵に押し込められたよ うな、それとも崖から突き落とされたような絶望感があった。俺は道の先が怖か ったのだ。一寸先には、何もないのだから。 だから、こうして今、夢中になれる何かを探しているのかもしれない。空白の 胸を埋めたいのかもしれない。 その頃の図鑑には書いてないが、近年は理化学的方法の開発で黒曜石は信州産 の黒曜石が関東で見つかったとか、北海道は十勝産のものが大陸で見つかったこ とくらいは知っている。そんな空間的広がりに思いを致したとは思えない。 不意に、あの頃、ボクは黒曜石を使った道具のうち、狩猟具とかスクレーパー とかに関心が奪われたことを思い出した。数千年の昔、縄文時代とかイラクやト ルコとかで遺跡の中から見つかった道具類に言葉にならない感激を覚えていたの だ。 あの頃のボクは黒曜石の磨き抜かれた漆黒の光沢にただ感激していた。石炭と 似ているだなんて、やっぱり思うはずがないんだ。人の手が握った黒曜石のナイ フや鏃(やじり)。 その黒曜石の黒光りする表面には、傷なのか模様なのか、微細な線条痕が幾筋 も走っていた。 傷…。ボクはそのナイフで鹿か熊か、それとも部落間での戦いがあって、敵の 体を引き裂いた痕なのかもしれない…と、勝手に想像していた。ジッと眺めたら 血飛沫の痕跡が浮かび上がるかとさえ思った。素手で握って、直に獲物を倒す。 黒曜石の道具を何か一つでも握れば、真っ白すぎて茫漠とした日常に何か芯を与 えることができるような気がした…、のかもしれない。 ボクたちは翡翠の海、朝日町にある宮崎海岸へやってきた。 「翡翠はな、上流のほうから流れてくるんだ。大雨とかの翌日だと、結構、浜辺 で見つかることがあるんだぞ。いい物だとカネにもなるし」 兄さんの話は素通りしていたように思う。そう、ボクは黒曜石の浜辺でないこ とに、少し失望していたのだ。翡翠を加工する困難さなど分かるはずもなかった のだし。 でも、今だったら、きっと、黒曜石も翡翠も人間の手の温もりがあることを感 じられるに違いない。 自由の身となった俺。そうだ、今こそ、黒曜石の山を旅しに行こう。 参考サイト: 「黒曜石の世界」 (特に黒曜石の宇宙が素晴らしい!) 「ヒスイ海岸」 03/03/25 22:12 |