(04/01/21 up)
電車に乗り、山間の村へ向った。初めて訪れる村だった。
電車を降り、小さな改札口を抜けたのは、ボクのほかには青いジャンパーを
着た中年の男が一人だけ。彼は、駅舎を出ると、後も振り返らずに何処かへ立
ち去ってしまった。
ボクは一人、ポツンと取り残されてしまった。駅舎には駅員の姿さえもない。
改札を済ますと、ホームへ行ってしまったのだ。
ボクは一人…。そのはずではなかった。改札口で待っていると告げたのは彼
女のほうだったのだ。なのに彼女の姿は何処にも見えない。改札口はもしかし
て二つあるのか…、そう思ってホームの向こう側を見遣ったけれど、反対側は
急峻な崖が迫っていて、とてもじゃないが、人の出入りできる余地などなさそ
うだった。
ボクは一人…。彼女にすっぽかされたのだ。そうでなかったら、時間を間違
えたのか。そんなはずはなかった。あれほど時間を確認したのだ。ちゃんと来
ないとダメよと念を押したのは彼女のほうだった。
もうすぐ冬がやってくる。山は雪も里よりずっと早く降り始める。その前に
彼女のお母さんの田舎を一緒に歩くという約束をしていたのだ。
ボクは一瞬だが、擦れ違った電車の人影が脳裏に浮かんだ。若い女性っぽい
影。まさか、あの小さな影があの人だったということはあるのだろうか…。
そうは思いたくなかった。でも、改めて思い浮かべているうちに、段々と、
そして終いには間違いなく彼女だとボクは確信してしまった。
ボクは彼女に振られたのだ。せっかくの祭日。秋も終わりを告げる青く澄み
渡った高い空。木造の駅舎の前で空を見上げていたら、あまりの空の高さと青
さに眩暈が起きそうな気がした。
これから何処へ行く。それとも帰る…。
時刻表を見ると、次の上りの電車が来るまでに三時間もある。このまま、つ
くねんと駅の周辺で待つのも辛いものがあった。ほんの一瞬だが、すぐに取っ
て返して彼女を追っ駆けよう、もしかしたら彼女の町の駅で会えるかもしれな
い…。そんなありえない夢を思った。
ありえない…、そう思うと一層、惨めさが募った。
ボクは、仕方なく駅を離れ当てもなく歩き始めた。
駅前に並ぶ数軒の店を除くと、人家は一気に疎らになった。資材置き場とか、
錆び切ったワンボックス車が一台放置されている空き地とかばかりが目立った。
陋屋があって、板材は腐って鼠色にまで褪せてしまっている。風は好き放題
に吹き込み、雨だって何処からでも漏れ込みそうに思えた。なのに、入り口ら
しきトタンのドアの近くに赤い郵便受けがあって、新聞が投函されたままにな
っている。
秋の日差しがその苫屋(とまや)を残酷なほどに炙り出しているようだった。
見ると、窓の桟もだらしなく傾いでいる。なのに、影の輪郭がカミソリの刃の
ように鋭い。ボクも、そんな風に鮮やか過ぎる影を砂利道に映しているのだろ
うか。
しばらく歩くと、小さな橋があった。橋の上から川を見下ろすと、澄み切っ
た山の水がかなりの速さで流れていた。この流れに乗っかったら、下流のあの
人の町へ着けるかも、などと他愛もない想いが浮かび、消えていった。
緩やかな上り坂をダラダラと歩き続けた。彼女のお母さんの故郷。というこ
とは、彼女が幼い頃から幾度となくお母さんの里帰りなどの際に一緒にやって
きたことがあるはずだった。そういえば、彼女はお婆さんっ子だといつだった
か言っていたのを思い出した。
ボクは、彼女とデートできなかったけれど、その代わり、幼い彼女がお母さ
んに連れられて歩いたり、あるいは地元の子らと駆け回ったりしただろう村の
道を、彼女の面影を探すようなつもりで歩いていた。地べたに彼女の汗が染み
込んでいる、その気になったら汗の臭いだって嗅げるかもしれない、そんなこ
とまで思ってしまうのだった。
どれほど歩いたろうか、気が着いたら、どことなく日が翳り始めているよう
な雰囲気が漂い始めた。そう、ボクは情ないことに、歩いているうちに何処か
らか彼女がやってきて、ごめんね、なんて言ってくれる場面を期待していたの
だ。なんて愚かな奴なんだろう。未練が断ち切れなくて、バカみたいに何時間
も歩き続けていただなんて。
すると、突然、やや薄暗くなった道のはるか先に真っ赤な火が燃え立った。
人魂が浮かんでいる? 思わず足が竦んでしまった。
後戻りする勇気も無く、ゆっくり歩いていくと、その正体は一むらの曼珠沙
華だと分かった。木立を抜けて秋の陽が紅の曼珠沙華を際立たせていたのだ。
見ると、曼珠沙華の咲く向こう側に田圃が見えた。小さな田圃が段々になっ
ている。狭い土地に苦労して作り上げた田圃のようだった。
でも、最初に気付いたのは田圃ではなくて、実は案山子だった。御用済みと
なり、放置されているのだ。髪の毛がバサバサで、まるで頭が禿げているよう
に見える。胴体というより骨の上にしわくちゃでみすぼらしい衣服が申し訳程
度に被せてあるだけなので、落ち武者のなれの果てを思わせた。
曼珠沙華越しに寒々しい案山子をぼんやり見ているうちに、彼女とのいつか
の遣り取りが思い出されてきた。
花って素敵ね、わたしね、道端で花を見つけたら、摘み取って持ち帰りたく
なるの。この手にしないと気が済まないのよね…。その時だったろうか、ボク
は、言った。花って、そこに咲いているから素敵なんだよ、その咲いている花
をそのままにしておいたほうが愛情が深いんじゃないかな…。
殊勝な物言いだった。ボクは自分の賢しらな考えがバカらしくなった。曼珠
沙華なんて、何だ、こんなもの!
ボクは曼珠沙華が憎らしくなった。彼女の代わりに曼珠沙華を手折りたくな
った。茎を折り、無慙に摘み取って、森の奥にでも放置したくなった。
お前なんて、落ち武者の案山子と並んでいるのがお似合いだぜ! なんだっ
てボクをこんな目に遭わせるんだ! ボクを誘っておいて、置き去りだなんて、
あまりにひどいじゃないか!
我慢していた感情が噴き出してしまった。
むしゃくしゃするばかりだった。余計なことをしたばっかりに、今のボクは、
手折られた見捨てられた曼珠沙華と案山子のペアほどにも幸せじゃないだなん
て、思い知らされたのだから。
04/01/12 07:32
[注意!: 以下の評は、本作を読了の上、参考にしてください。当然のことながら、一つの読み方の可能性をS・Y氏が示してくれているものと思います。氏は、決して小生の小説のファンというわけではなく、あるサイトで目に付く全ての(虚構)作品に目を通し、且つコメントを寄せるという方なのです。その意味で一定の第三者的立場を確保された上での批評なのだと思っています。]
S・Y氏の評
無精庵さん、こん**わ。
「曼珠沙華と案山子」拝読しました。
彼女の故郷を一緒に歩くはず、だったのに。フラレタ男はあてどなくさびれた村を彷
徨い歩く…
地味な作品ではありますが、それだけに細かい背景描写や心理描写がきっちりとキイ
テいます。まさに主人公と共に名も知らない寂れた村を歩いていく事ができるのです。
こんな村でも、きっと彼女と一緒に歩いていれば、さぞや楽しいに違いない。しか
し、てっきり先に到着して、主人公を駅で待っているはずのその姿は見当たらない。休
日にこんな所に呼び出してすっぽかすだなんて、男を振るにしてもあまりに酷すぎる俺
が一体何をした、なので、主人公の勘違いの可能性が高く、単に彼女がデートの日取り
を忘れていたか、主人公が地名を勘違いしただとは思えるのですが。
頭に血が登っている主人公、そこまで考えが回らない。そりゃそうだよな気持ちは判
らないでもない。携帯電話か、持っていなくても駅前の数軒の店先のどれかにピンクか
赤の公衆電話位あるでしょうから彼女に連絡を取ってみるという発想も浮かばないよう
ですので。(だって知らない土地で、しかも交通手段が不便な所で待ち合わせなんだ
し)
それはともかく。
彼女と歩くはずだったこの村。描写が美しい。時間潰しにテクテクと歩く視線の先々
に映る風景は、まさに日本の農村であり、人ッ気の感じられない中を孤独に歩く身の寂
しさがなお一層募ってきます。
ラストの、タイトルにある曼珠沙華と案山子が、まさに主人公を象徴しており、抑え
ていた感情が子供のように噴き上げてくる様は、作品の地味さをしっかりと補う盛り上
がりでもあるのです。
全体に気配り抑えの利いた、ネタバレ改行も必要ないほど地味だけど、レベルはかな
り高い作品でした。
S・Y
04/01/12 20:59

|