真冬の月と物質的恍惚と/真冬の明け初めの小さな旅  

(04/08/22 up)
 



1.真冬の月と物質的恍惚と  

2.真冬の明け初めの小さな旅  





1.真冬の月と物質的恍惚と





 
 真冬の月というのは、何か凄まじいものを感じさせる。空気が澄んでいるせい か、地上の全てが輪郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。未明の頃に、人気も ない公園の脇に車を止めて、月の影を求める。月の大きさなど、いつもそれほど 変わらないはずなのに、目に痛いほどに輝いていて、大きさの感覚を微妙に狂わ せてしまう。
 真冬の、それも深更の月の影を愛でるようになったのは、東京に暮らし始めて からだと思う。郷里(富山)に居る時も陸奥(みちのく)に学生時代を過ごして いた時も、今ほどには冬の夜に月を眺め上げることはなかった。
 が、別に自分が若い頃より風流な人間になったというわけではない。まずは、 東京(太平洋側)に暮らしているので、ほぼ毎日のように快晴の夜空に恵まれる という条件がある。同時に、ほんの数年前は真冬だろうがいつだろうが、いつも 忙しかったので、真夜中であってもゆっくり休憩時間を取ることなど考えられな かったのである。
 東京に住んで働いているということ、そして不況が月への思い、あるいは月に 刺激されてのあれこれの想いが募るというわけである。皮肉な現実。でも、せっ かくだから、たっぷりじっくりゆっくり堪能させてもらうとしよう。
 北欧などでは、日中の陽光など弱々しくて、むしろ逆に夜の月のほうがはるか に人に鮮烈だと聞いたことがある。日中は、そこそこに明るくても、それは当た り前のこと。それが夜のはずなのに、地上世界が余すところなく照らし出され輪 郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。まるで、自分の密やかな思いさえもが曝 け出されているように想われて来る、のだろうか。はるか遠くの山並みの影さえ、 透明な闇の空を背景に妥協を一切、許さないとでも言うかのように形を示してい る。形を夜空に向って刻み込んでいるようにさえ思えてくる。
 漆黒の闇から、紺碧の青、そして月光の故の淡い青まで冬の空は夢幻に変幻し てやまない。

 いつだったか、夜毎に色鮮やかな夢を見つづけたことがある。文字通りの総天 然色の夢。その中でも青や紺色の、鮮烈というより毒々しいほどの凄みに驚いた ものだった。何故、そんなに色がその粒子の一粒一粒に至るまで命を持ち、燃え 立っているような夢を見てしまうのか、しばらくは分からなかった。
 が、やがて気が付く日が来た。それは或る日、思い立って、脱臭剤か洗浄剤の 類いをトイレに置いたことが原因だったのである。その何かの薬剤の臭いがトイ レから漏れ出し、部屋の中に充満し、寝ている自分の鼻を刺激したわけだ。
 就寝の時までは、トイレの換気扇を回しっ放しにする癖があるので、起きてい る間は、薬剤の臭いはトイレに入らない限り、気付かなかった。就寝する直前に トイレの換気扇のスイッチをオフにするので、やはりそれほど気にならない。
 が、寝入ってしばらくすると、強烈な臭いが部屋中に溢れ返り、鼻を刺激し、 神経を逆撫でし、夢を見させる中枢神経をも活性化させていたというわけである。
 喩えは妙かもしれないが、真冬の夜の光景は、さすがに臭いなどは漂わないも のの、色の鮮烈さという点では、その頃の印象に負けないものがあるのだ。
 湿度が低く、色の粒子の働きが活発になるということなのだろうか。地上世界 の光景を半透明にさせる湿気という膜が消え去ることで、もともと常に多彩だっ た色とりどりの様子が際立つということなのか。

 月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透 明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ること などないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにした なら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。
 こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。この世にあるのは、物質だけで あり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人が いる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ 育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れ かえっているのだ。
 けれど、そうした生命の一切も、いつかしらはその物語の時の終焉を迎えるに 違いない。何かの生物種が繁栄することはあっても、やがては他の何かの種に主 役の座を譲る時が来る。その目まぐるしい変化。そうした変化に目を奪われてし まうけれど、そのドラマの全てを以ってしても、地上世界の全てには到底、なり えない。
 真冬の夜の底、地上世界のグランブルーの海に深く身を沈めて、あの木々も、 あそこを走り抜けた猫も、高い木の上で安らぐカラスも、ポツポツと明かりを漏 らす団地の中の人も、そして我が身も、目には見えない微細な生物達も、いつか は姿を消し去ってしまう。
 残るのは、溜め息すら忘れ去った物質粒子の安らぐ光景。

 そう、きっと物質を物質だと思っているのは人間の勝手な決め付けに過ぎない のかもしれない。命の輝きだって、物質の変幻の賜物なのであり、命が絶えると は、刹那の目覚めから永遠の安らぎの時への帰郷なのかもしれない。
 それとも、命とは、物質の輝きそのものなのか。
 遠い昔、この世に何があるかを問うてみたことがある。何かを分かりたくてな らなかったから。
 今はそんなことはしない。あること自体が秘蹟と感じるから。この世が幻であ っても、その幻が幻として変幻すること自体が不可思議だと感じる。感じるだけ で十分。命とは物質の刹那の戯れなのかもしれない。物質は命よりも豊かな夢を 見る可能性を孕んでいるに違いないと思う。
 自分という掛け替えのない存在という発想を持ったこともないわけではない。 せめて、世界の全ての人がオンリーワンであるという意味合いの程度には自分も そうであってほしいと願っても見たことがある。
 けれど、それも傲慢なのだと感じている。己がオンリーワンなのだとしたら、 同じ権利を以って、地上世界の物質粒子の一粒一粒の全てがオンリーワンのはず なのだ。虫けらも踏み躙られる雑草も、摘み取られる花も、路上の吸殻も、壁の 悪戯書きも、公園に忘れ去られた三輪車も、ゴミ箱に捨てられた雑誌も、天頂の 月も星も、その全てがこの世の星であり光なのであり、つまりは物質の変容なの だ。
 自分が消え去った後には、きっと自分などには想像も付かない豊かな世界が生 まれるのだろう。いや、もしかしたら既にこの世界があるということそのことの 中に可能性の限りが胚胎している、ただ、自分の想像力では追いつけないだけの ことなのだ。
 そんな瞬間、虚構でもいいから世界の可能性のほんの一旦でもいいから我が手 で実現させてみたいと思ってしまう。虚構とは物質的恍惚世界に至る一つの道な のだろうと感じるから。音のない音楽、色のない絵画、紙面のない詩文、肉体の ないダンス、形のない彫刻、酒のない酒宴、ドラッグに依らない夢、その全てが 虚構の世界では可能のはずなのだ。
 そんな夢をさえ見させる真冬の月は、なんて罪な奴なのだろう。  

04/01/23 記




2.真冬の明け初めの小さな旅





 正確な年限などは覚えていないけれど、小生が子供の頃、雪明りの外を歩い て回るのが好きで、よく未明の朝などにこっそり家を抜け出したものだった。 その頃はまだ雪がタップリ降っていた。平野(田圃)の片隅に位置する我が家だ ったけれど、ともすると一階の窓からは降り積もる雪に視界が遮られて何も見え なかったりする。
 降る雪だけではなかった。屋根から落ちる雪、雪降ろしで堆積した雪などが積 み重なって、しかも、建物に面する雪の山は凍っていて、粗目(ざらめ)のよう な、それでいてツルツルに磨きたてられたような、形容の難しい様相を呈してい た。
 不思議なのは、視界が完全に塞がれているにも関わらず、夜になり部屋の明か りが消されると、外がボンヤリとだけれど、明るく輝いているように見えること だ。分厚い雪の堆積を透かして外部の光が漏れ込む? だけど、真夜中だったり 明け方だったりするのだから、外は暗いはずなのだ。
 なのに妙に明るい。雪が白いから、なんてのは子供にも納得できる説明ではな かった。雪の欠片の中に光が閉じ込められている。昼間とか、家の中が明るい時 は、そうした真綿で包まれたような雪の光は大人しくしている。だけど、一旦、 夜ともなり家々の明かりが疎らになり、やがてポツンポツンと凍えるように灯る 電柱の蒼白な光しかないようになると、雪の中の蛍は命を燃やし始めるのだ。
 とっくに玄関の鍵は閉められている。両親も姉達も寝入っている。自分は眠れ なかったわけではなく、早々と寝入っていた筈なのだけど、何故かはしゃぐよう な気持ちの昂ぶりがあって、起きるはずのない時間に目覚めてしまう。障子越し に蒼白い光が部屋の中に漏れ込んでいることに気付く。最初は暗闇だったのが、 次第に薄明に変わって行く。まるで光の洪水だ。
 光の洪水。だけど、決して騒々しいものではない。むしろ静か過ぎるほどであ る。外の世界に漲っていた光が、窓のほんの僅かの隙間を通して足音を忍ばせて 流れ込んできたのだ。そして部屋の中が青い光で溢れかえっているのだ。
 とてもじゃないけれど、眠ってなどいられなかった。ムックリと起き上がって、 アノラックなどで身支度を整え、長靴を履いて、ついでにスキー板をも手にして、 玄関の鍵を息を殺して静かに開ける。誰も気がつきませんように。
 外に出ると、世界は雪の白と空の紺碧との二色の世界。印象の中では空は晴れ 上がっていた。きっと、そんな時だから尚のこと、外の世界への憧れ、遠い世界 への郷愁の念が強まったのだろう。
 北陸の空は、冬は常にといっていいくらい雲が重く垂れ込めている。どんより とした陰鬱な空。浜辺などに立つと、波も猛々しくて、荒涼の感をひしひしと覚 えてしまう。平野部にあっても、そんな北の空が感じられて、思わず人恋しくな ってしまう。でも、はるかな世界への誘いは魅惑に満ちている。
 そうだ、その時は、北陸の冬にはめったに恵まれない星の瞬く空だったのだ。 何かそんな空が自分を待っているような予感があって、それで不意に目覚めてし まったのかもしれない。
 満天の星。悲しいかな、月が照っていたかどうか、まるで覚えていない。冬な らではの無数の星たちの煌きばかりが印象に残っている。そしてそれで十分な僥 倖なのだ。
 田舎の家の周りは田圃や畑が広がっていた。それが今ではマンションや工場や 駐車場となってしまって、ほんの僅か残った田圃が肩身の狭い思いをしているだ け。我が家にしても猫の額ほどの田圃さえなくなってしまった…、そんな日が来 るなど、夢にも思わなかった。
 前の晩に降ったのだろうか、一面が新雪の原になっている。銀世界という言葉 が決してただの絵空事の表現ではないことを実感する。
 子供だった自分には茫漠すぎるほどの世界が見渡す限り広がっていた。スキー 板を履いて、表面が凍り始めている雪面を歩く、滑る、走ってもみる。かすかに 畦道らしき起伏があるだけの、眩しいほどに白く輝く世界。夜空が地上世界の強 烈な光のシャワーに圧倒されてしまうのではと思えるほどだ。
 けれど、冬の空は、何処までも青い闇が深い。星の瞬きが闇の凄さのゆえに目 どころか心の中をも射抜くほど強烈に感じられる。淋しい! だけど、まるで我 が故郷を捨て去ったかのように、我が家を背にして遠くへ遠くへと滑っていく。
 音のない世界。音が生まれようとしても、雪の中に吸い込まれていく。耳が痛 いほどの沈黙の世界。そんな中、スキー板が凍て付く雪面を削る音だけが、響い ている。生きる証しは、そのガリガリという音だけのようにさえ、錯覚されてし まったり。
 だから、走ることを止めることはできないのだ。この世界に明かりの灯る家は、 ほんの数えるほど。ホントはもっとあるのかもしれないが、雪に埋もれて外には 洩れてこないのだ。
 それでも、走っているうちに橙色の灯りを遠くに見つけることがある。あれが 目的地だ! なんとなくそんな気になってしまう。当てどなく走っていたのが、 そこに筋道が出来たような気がする。はるかに遠いあの弱々しげな蝋燭の焔に会 いに行くのだ。蛍の光にも似た命のささやかな慄きに触れに行くのだ。そのため に生きているような、そんな気さえしてくる。
 でも、所詮は臆病で引っ込み思案の自分だった。スキーの板の描くシュプール は、円を描いて、思わず知らずの内に我が家へと向っている。
 空が白みかけている。もう、帰らないといけない。誰にも気付かれないうちに 家に入って、蒲団の中に潜り込むのだ。そうそう、鍵を閉め忘れちゃダメだぞ。 そうして、朝になりお袋に起こされるまでの残り少ない眠りの中で、勇気がなく て実際には行けなかった、はるかな彼方へ、それとも限りなく透明な青い空へと 旅する夢を貪るのだ。


04/02/02 記