04年武蔵小金井パレード  

                                           
[ 以下の文章は、8月2日未明に日記に書いた文章をそのまま生かしました。よって、サンバパレードとは無縁のことにも言及しているし、そもそも文章そのものがメモ風となっている。印象が強いうちに取り急ぎ、書き下ろした結果でもあるので、その点の不具合などは御理解願いたい。また、武蔵小金井([南一番街]=JR武蔵小金井駅南口)で7月31日から始まっていた、『ふれあいカーニバル』の一環としてこのサンバパレードは行われたものであることを注記しておきたい。本文の中では、その辺りには全く言及していないだけに、予め断っておきたいのである。また、サンバパレードにはICU(国際基督教大学)のチーム・ラムズも参加していた。このチームのパレードにも、もっと脚光を浴びさせたかったが、力、及ばなかった。ついでながら、このカーニバルでは、「がんばれ三宅島コーナー」もあった。ちなみに、味の素スタジアムが近いせいなのか、このカーニバルの協力者にFC東京の名前もあった。(04/08/02 up) ]




04年武蔵小金井パレード(1)  

04年武蔵小金井パレード(2)  







04年武蔵小金井パレード(1)  






 
ポルタ・バンディラ(サンバチームの象徴であるチーム旗を持つ。華麗な衣装と笑みの反面の、想像以上に負荷のある踊り)




 このところ、サンバパレードの前日、つまり土曜日はタクシーの仕事がある。 ということは、日曜日の朝まで仕事だということ。気持ち、そう、三十分ほど早 めに切り上げて帰庫した。売り上げ報告などを済ませて、さっさと帰宅。
 土曜日とか日曜日の朝は、環七も空いているので、環七を使って我が町近くの 通りへ(ウイークデーの朝は、裏道を主に使う。朝の七時前後には環七は込み始 めているのだ)。
 七時過ぎには帰宅できたのだが、やはり長くハンドルを握っていると、神経が 昂ぶっているのか、いつものことながら、すぐには眠れない。空きっ腹に、お腹 にもたれるようなものを食べてはいけないのだが(二か三時間以内には眠るのだ し)、ついつい、ワンタンスープなど啜ってしまった。
 ネット巡りなどし、新聞などホットのお茶を飲みながら、たらたらと眺め、テ レビ等を見(好きな、ところさんの「目がテン」を少しだけ見る事が出来た)、 さて、やっとベッドに入ろうかという気になる。結構、グズグズしないと、就寝 する気になれないのである。
 その時間、なんと九時を回っている。せっかく早めに帰宅したのに、馬鹿みた いなのだが、いつも通りなのである。
 いつもと違ったのは、大概は、就寝しても、日中ということもあり、夏は蒸し 暑かったりするし、近所は煩いし、せいぜい三時間も眠ると目が覚めるのだが、 八月一日は、珍しく一時半過ぎに目覚めた。つまり、四時間近く眠ったことにな る。
 これは久々の快挙である。このところ三時間が限度で、それから仕方なく起き、 読書したり洗濯したりネットしたり用事を済ませたりして、夕方近い五時過ぎに 二度目の仮眠を取る。起きるのは平均すると七時前後。この二度目の、多くはロ ッキングチェアーでの居眠りでやっと、とりあえずは体も動くようにはなる。何 か、書こうかなという意欲も湧く。外出(買い物)をしようかなという、ささや かな元気も出てくる、というわけである。
 が、当日、一日は、夕方の七時から武蔵小金井でサンバである。つまり、二度 目の仮眠から目覚める頃にサンバが始まるわけである。
 となると、小生としては非常に困る生活リズムを強いられることになるわけだ。

 それが、昨日は、最初の睡眠が四時間も確保できた。ありがたい! せっかく なので、ネットめぐりをしたり軽く読書したりして、文章を書く気力があること を感じ取ったこともあり、この数日、掲示板などで話題になっていた、ツバメの 巣を巡るあれこれの感想などを纏めてみた。タイトルは、「燕雀の思い」である。
 言うまでもなく、「燕雀 (えんじゃく) いずくんぞ 鴻鵠 (こうこく) の志を 知らんや」に絡めたタイトルである。これまでに既に書き終えていて未アップの エッセイが幾つもあるのだが、この雑文「燕雀の思い」は、できるだけ早くアッ プしたい(多分、メルマガにて)。
 書き終えたのは、四時半頃だったろうか。サンバパレードは、武蔵小金井で七 時から。ということは五時半には家を出たい。
 で、雑文を書き終えた後、ネットを軽く巡って、軽食を摂ったりなど、あれこ れしていたら、これまた気が付くと五時をとっくに回っている。出発間際になる といろんな用件を思い出してしまう悪い癖が出てしまう。カメラの充電は済ませ てある。デジカメのメモリーカードに保存されているデータをパソコンに移し、 メモリーカードのメモリーを目一杯、空けてある。
 本日のパレードが夕方の七時ということで、デジカメだと何かと不都合の恐れ があるので、以前、買っていて、使っていないリサイクルカメラも持参する。
 何がデジカメだと不都合かというと、暗いとシャッターを押しても、シャッタ ーが実際に切れるのに、若干のタイムラグがあったりするのだ。サンバでは、主 に被写体は、パシスタ(ダンサー)の方たちである。動きは激しい。たまにカメ ラに向ってポーズを決めてくれたりするのだが、日中はともかく、夜だと、その 決めの時間の間でさえもデジカメには短すぎて、ダンサーの方も焦れてしまって、 動かれてしまう。で、ソッポを向かれた頃にシャッターが下りる。

 そんなわけで、せっかくのシャッターチャンスを随分と逃してきたのである。 仮にこれがダンサーの立場であってみれば、せっかく、ポーズを決めてあげてい るのに、何、グズグズやってんの、だろうし、そもそも、ダンサーは、路上の観 客全ての方にできるだけ公平に踊りを披露しようと心掛けている。カメラ小僧だ けのために踊っているわけではないのだ。
 しかも、シャッターが下りない。ってことは、ポーズを決めた自分を撮りたく ないのかな、他のダンサーが目当てなのかなと思われかねないのである。
 とにかく、シャッターチャンスを逃したくない。恰好いいところを写真に残し たい。
 さて、デジカメとリサイクルカメラなどを持ち、スクーターで武蔵小金井へ。 出発は、とうとう5時40分になってしまった。あーあ、これじゃ、スタートに 間に合わないかもと思いつつ、逸る心を抑えながら現地へ走る。ルートは、今回 は極めてオーソドックスなルートを使った。
 環七と甲州街道、そして(新)小金井街道である。これがお客さんを乗せてタ クシーで向うなら、許されない、ド素人のルート選択だが、スクーターでプライ ベートなのだから、ま、いっか、である。
 案の定、甲州街道は込んでいた。特に味の素スタジアム近辺が。そう、「レア ルマドリード・ジャパンツアー2004」ということで、「東京ヴェルディ1969 vsレアルマドリードCF」の試合が本日、行われるのだ。しかも、18:55 キックオフと来たもんだ。最悪のタイミング。
 こうした試合が行われることは、小生も知っていたが、味の素スタジアムだっ たとは、知らなかった。迂闊である。ああ、これまたタクシードライバーとして の営業だったら、失格だ。馬鹿だ。煩いお客さんだったら、罵倒されるかもしれ ない(実際、そんな客も居る)。
 でも、本日はスクーター。渋滞の車たちの間を、いつも以上に無理をしてすり 抜けていく。もう、ここまで来たら意地である。

 何が意地かというと、当初、決めたルートを断固、守るということだ。頑固に 既定路線を進むということだ。ここが融通の利かない小生の悪いところなのだな。  さて、渋滞の道をすり抜けながら突っ走り、(新)小金井街道に入ると、道は 空いている。つまり、味の素スタジアム近辺を越えたら、あとは、スイスイだっ たということだ。そこさえ、避けていればもっとスムーズだったろうということ だ。
 時計を見ると、6時三十分過ぎ。ってことはだよ。スタート時間に間に合うっ てことではないか! 小生、嬉しくなった。実際、会場の近くには40分過ぎに たどり着き、交通規制されているゾーンを掠めて、スクーターを止める場所を探 す。50分近くに連雀通り(噂のスズメだ!)から脇道に入った辺りに止める。  テクテクと会場へ向おうとすると、通りの反対側にダンサーの方が男性のダン サーの方と一緒に会場へ急ぎ足で向われている。ギリギリに凝られた方なのだろ う。リベルダージの練習スタジオでも、ライブ会場でも、勿論、パレードでも幾 度となくダンスを楽しませてくれてきた<れ>さんだ。
 後ろから声をかけたら、振り返って、にこっとしてくれたが、先方にしたら、 そんな余裕などないのだった。
 パレードは未だ始まっていないのだが、スタンバイというのか、車で言えば、 アイドリングというのか、バテリア(打楽器隊)の演奏も始まっているし、ダン サーの方たちの、ステップワークも始まっている。ウオーミングアップが始まっ ているわけだ。
 嬉しい。パレードを見るのは嬉しいのだが、いよいよパレードが始まるという 昂揚感を味わうのも、パレードのおいしいところなのだ。前にも書いたけれど、 ダンサーの方たちの、弓の弦を目一杯に引かれていて、今にも勢いよくスタート する直前の緊張感とワクワク感、期待感の入り交じった雰囲気を共感するという のは、逃してしまうと、とても惜しく感じてしまうのである。
 いるいる、小生の勝手にファンになっているダンサーの方たちが。<し>さん、 <ちょ>さん、<み…ち>さん、<さ>さん、<きょ>さん、<きしゅ>さん、 <か…姐>さん、バテリアの後ろには、ダンサー等の世話をされる<よ>さんと、 遅れてやってきた<れ>さん、リベルダージの旗を持つ<み>さんも、いるいる。


 
パシスタ! この笑みを見よ!



 
パシスタ! その笑みをこちらにも!


 
パシスタ! ああ、俯かないで!


 
パシスタ! 蛾のアーラだって?! 妖精のアーラじゃないか!


 
パシスタ! アップで見せてあげたい!


 
パシスタ! アップで見せてあげたい! 衣装が手作り!


 
パシスタ! アップで見せてあげたい!


 
パシスタ! 一緒に踊ろうよ!


 但し、旗を持つペアは二組いるのだが、もう一組のほうの白い衣装に身を包ん だダンサーの方の名前(愛称)が分からない。
 何人かには声をかける。でも、小生の声は通らないので、ダンサーの方がこち らを向いた瞬間に手を振って合図する。スタート前のこんな時に余計な真似なの かなと思いつつも、手を振って挨拶したくてたまらないのである。
 いよいよ七時。バテリア(打楽器隊)の打楽器の音も、胸の昂揚感をさらに掻 き立てるように鳴り響いている。サンバの音楽は、カバキーニョなどの弦楽器も あるが(小生がいつか挑戦したいと思っている楽器だ)、メインは打楽器である。 手で叩くもの、棒で叩くもの、金属製のもの、木製のものと、楽器の形態は様々 だとしても、とにかく、大地に振動を与える、あるいは、大地から心臓の鼓動へ 呼応する天地の揺るぎを求めるかのように、打楽器が時に激しく、時にリズミカ ルに、連打される。
 サンバは、ブラジルの音楽なのだろうが、もとは、楽器と称するようなもの等 ない中、ありあわせの日用品、農機具とか、生活雑貨を楽器に見立てて、何かの 祭りの折、何かの記念すべきとき、何かの思いを表現したい時に、誰かが歌い、 誰かが踊り、誰もが演奏することで、そこにいる全員が音楽と踊りの饗宴に参加 するところに特徴があると思う(小生の印象である。専門的には別の説明がある のだろう)。
 踊りにしても、ブラジルなどで生まれたのだろうが(これも推測)、楽器共々、 アフリカの臭いがプンプンする。アフリカの舞踏というと、伴奏は、やはり打楽 器系のはずである。木の幹を枝を折り取って、叩くとか、棍棒で大地を叩く、あ るいは踊り手が足を踏み鳴らすとか、とにかく全身を使い、できるだけ大地の根 源に迫る形、天地の始原から遠くない形での音と体の饗宴を、できるだけ洗練さ れない形で現実化する。

 但し、繰り返すが、ここに書いてあることは、あくまで小生の印象である。専 門家の方、まして実際に踊りや楽器の演奏に携わっている方は、違う考え、もっ と深い理解と情熱に基づいてやっておれらることと思う。機会があったら、是非、 その気持ちや理解を伺いたいものだ。
 むろん、そんな理屈より、サンバは踊る阿呆なのよ、自分が参加して楽しむに 限るのよと、一笑に付されるに違いないのだろうが。
 さて、スタートだ。バテリアの演奏の手も力が入る。心臓を直撃するかのよう な打楽器の響きが高まる。ダンサー達の笑顔が一層の輝きを増す。アンプの脇で 歌う方たちの声も響く。サンバでは一般に陰が薄いと思われがちな弦楽器(カバ キーニョ)の演奏も、アンプで増幅されている。
 これまた、前に書いたことだが、小生は、サンバの音楽は打楽器がメインと言いつつ も、最初にリベルダージのパレードに行った 時の耳での印象は、まさにカバキーニョの音なのだった。というのも、アンプで 増幅された形で、カバキーニョの弦を掻き鳴らす音が、遠くまで鳴り響いてきた からだし、最初に耳にしたのである。
 そう、最初は、打楽器の響きと、カバキーニョの音でサンバの洗礼を受けたの である。但し、打楽器のほうは、最初は分からなかった。大地の鼓動を感じてい ても、その正体が打楽器隊の演奏なのだということは、その重要性を含め、気付 くのに時間を要した。
 カバキーニョについても、そうだった。音の正体は何処にあるのかと、耳を傍 立ててみたりした。でも、カバキーニョの音はすれども、形は見えない。そりゃ そうだ。アンプで増幅されているのだし、音の震源地がアンプの脇の弦楽器にあ ると気付くには、小生は、あまりに音楽音痴、頓珍漢な奴なのである。
 打楽器についても、スタジオへ行って、ほんの申し訳程度だが、実際にやって みて、初めて、その演奏されている方たちの凄さ、練習への熱意、ダンサーとの 饗宴を楽しみたいという欲求、あるいはダンサーの方たちの踊りを盛り上げよう とする思い、翻っては、サンバパレードを見物する観客達を魅了しようという情 熱というか、魂胆という言葉を使いたくなるほどの熱い血の滾りを感じることが できたのだ。

 さて、スタートした七時には、まだ、日が落ちているとはいえ、名残の御蔭で 薄暮という表現も可能だったのが、スタートして十分も過ぎないうちに、明りと いうと、武蔵小金井の商店街の方たちが用意した強烈な照明、商店街の店の明り ばかりが頼りとなっていた。
 デジカメも、小生が心配した通りの状況である。シャッターチャンスは何度も あったのに、いざ、シャッターを押してみたら、すぐには下りず、下りた頃には ダンサーの方たちはそっぽを向いている。背中や肩や体の半分や、下半身やら、 腕先だけ、あるいはダンサーの方たちが背負っている豪華な羽根しか写っていな い写真のオンパレードである。時には、パレードやダンサー等を補助するスタッ フの背中などが写っていたりして、ガッカリする。
 そうした写真だけを集めたら、結構、乙なというか、悪趣味な写真集が出来上 がるに違いない。間違っても、ダンサーの方たちに、そんな写真を見せるわけに はいかない。
 そこはデジカメである。合間合間に慌てて削除する。早めに削除しておかない と、何十枚(百枚以上)も撮るので、メモリーが一杯になってしまう。
 そこで、持参してきた、リサイクルカメラの登場である。半年前に買ったが使 うチャンスを逃していたのだが、ようやく日の目を見るというわけである。暗い 中だと、デジカメよりもこうした安直なカメラのほうが遥かに役に立つ(デジカ メの、ちゃんとした使い方を知らない小生に問題があるのだろうが)。
 やはり、早い。何が早いって、シャッターを押してから、実際にシャッターが 下りるまでが、デジカメの比ではない。但し、こうしたリサイクルカメラの困る のは、実際にどのように写っているかどうか、現像してみないと分からない点で ある。
 あと、デジカメだと、カメラに実際に撮られるだろう構図の見える窓口がある。 その小窓は、手を高く翳していても見えるので、観客の頭越しでもその窓の像を 確認しておけば、撮ることが可能である。それが、リサイクルだと、ちゃんとカ メラの覗き口を覗きながらでないと、どういう角度で写っているか、さっぱり分 からない。

 リサイクルカメラは、また、写る枚数も限られている。失敗したからといって、 取り直しするわけにもいかない。実際、27枚の制限はあっさり超えてしまった。 小生、慌てて近くのカメラ屋さんに入り、新たに購入したものである。
 さて、肝腎のパレードの様子を少しも書いていない。
 パレードの先頭には、(これは小生の推測なのだが)新人らしい方たちが数人 (三人)、踊っておられる。名前(愛称)がまるで分からない。顔馴染ではない ので、なかなかシャッターチャンスを拾えない。
 それでも、少ないチャンスを生かして撮ったことは言うまでもない。その三人 に続く形で、我が、<し>さん、<ちょ>さん、<こ>さんらがいる。もう、デ ジカメなどのフル活動である。手を振ると、気付いてくれて、シャッターチャン スをくれる…けれども、撮れたかどうかは怪しい…のが悲しい。
 今回は、<ちょ>さんの傑作が撮れた。 ギャラリーは、どのパレードでも多 い。が、武蔵小金井の商店街の嬉しいとこ ろは、歩道が広いことだろうか。なので、観客の移動も、比較的困難が少ない。 肩を擦り合う形だけれど、移動したい場所へは、断念の気持ちが先にたつことも なく、その気になれば移動することが出来た。
 これは嬉しいのである。被写体を撮りたくとも、照明がダンサーらに当ってい ないと、デジカメでは移りが悪いし、ダンサーの笑顔も映えない。やはり、照明 が強めに当っている絶好の場所で撮りたいのだ。
 何度も繰り返すがダンサーの踊りで一番アピールするのは、踊りであることは間違いない。衣装の豪華さ、も見逃せない。けれど、詰まるところ、笑顔なのではないかと思う。絶品の笑顔をいかに振り撒けるかなのだと思う。人の心を和ませ、心を開かせてくれるのは笑顔に敵うものはない。
 そうした笑顔を浮かべられるのは、心底からの踊る喜び、生きる喜びを感じているかどうかにも関わる。時に小生のようなカメラ小僧(中年)のターゲットになりがちなのだが、そんなフラッシュの嵐にも負けない、思い切りと、気風と意気と志。こうした見解は小生の思い込みに過ぎないかもしれないが、断言していいのは、結局は、小生は、その気風という古風な言葉を使うしかない彼女等の姿勢に惚れているのだという点である。

 さて、今年のハイニーニャ(時にはハイーニャと表記される。バテリアの女王)となった<きしゅ>さんの姿も 見える。この役目を果たす方は、基本的に単独で踊る。踊りの見事さ、観客への アピールの度合い、バテリアや他のダンサーを盛り上げさせるその意気や技術、 恐らくは人間性というか華の有無が問われる。
 結構、厳しいポジションだと思う。


 
ハイーニャ! 愛くるしい笑顔だ!



 昨年のパレードでは、そんな役目を果たされているとは知らずに、ハイニーニ ャの役割を果たされていた<か…姐>さんの頑張りを呆気に取られる思いで見詰 めていた。感嘆していた。観客にサービスし、拍手し、笑顔を振り撒き、観客を、 パレードを守り立てよう、盛り上げようと懸命だったのだ。


 
ハイーニャ! 観客を巻き込もうとする気迫!



 その頑張りはさすがに小生も気づいていたが、そうした役割というかポジショ ンがちゃんとあるのだということは、何度かのパレードを経て、いろいろ聞いた り調べたりして、やっと知ったのだった。


04/08/02 記



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