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小生が未だ高校生だった70年代の初め頃(恐らく70年と思う)、小生の母校である富山高校へ西谷啓治氏(1900‐1 990)が講演に来られたことがある。 氏は石川県の生まれで西田幾多郎を慕って京都帝国大学に入学したと広辞苑を見ると 説明してある。 彼は宗教哲学の問題、特にニヒリズムの問題を追及された方である。 その方が何故、小生の田舎である富山の高校へやってこられたかというと、当時、高 校の教頭先生か副校長(小生が卒業後には校長にもなられた)で、英語の担任も受け持 っておられたT先生と同窓だったからである(と当時、学友に聞いた記憶がある)。 西谷氏は我が高校の体育館に集まった全生徒の前で「水の哲学」ということで講演さ れたと記憶している。 但し、内容についてはすっかり忘れてしまった。 けれど、氏の話は淡々としている中に深みがあって、知らず知らずのうちに小生は氏 の世界に引き込まれていった。ほんの一瞬だが、電流のようなものが背中を走ったのを 覚えている。 氏のどんな話にビビッと来たのか、残念ながら語りようがないのだが、ただ、世界の 根源が水であるというタレスの哲学に引き付けながら氏の世界へ誘(いざな)ってくれ たように記憶する。 タレス(前624‐前546ころ)というのは、古代ギリシャのイオニア学派の哲学 者である。ミレトス派の始祖で最初の哲学者とも言われ人物である。広辞苑によると「 万物の元のもの(アルケー)は水であり、大地は水の上に浮かんでいると考え」、「あ らゆるもの(宇宙世界)は神々(ダイモーン)に満ちていると考えた」とも言うが、「 詳細は不明」とのこと。 『ソクラテス以前哲学者断片集 第一分冊』(岩波書店刊)の解説に拠れば、「天文 学研究をおこなった最初の人」であり、また、「魂は不死である」と最初に語ったのも 彼である(と幾人もの人が言っている)という。 アリストテレスの説明を読んでみよう。 「最初に哲学にたずさわった人たちの大部分は、もっぱら素材のかたちでのものだけを 、万物の元のもの(始源)として考えた。すなわち、すべての存在する事物がそれから 成り立っており、最初にそれから生じ、また最後にそれへと消滅していくところのもの 、(略)その当のものを、存在する諸事物の基本要素であり、元のものである、と彼ら は言っている」 「彼らは、いかなるものも生成もしなければ消滅することもないと考える」 「こうした元のものの数と種類について、彼らすべての言うところはけっして同一では なく」 「このような哲学の創始者たるタレスは、水がそれであると言っている(大地が水の上 に浮かんでいると主張したのも、そのためである)」(上掲書の中に引用してあるアリ ストテレスの『形而上学』の説明) この水というのが抽象的に捉えられた水なのか、そこにある水そのものなのか、イメ ージとしての水なのか、なかなか厄介な問題で、ここでは追究しないでおく。 それはともかく、宇宙なり世界なり、あるいは自然なりは、その根源に至るまで考え 抜き、統一的な原理で説明し抜こうとする姿勢は、あるいは、そうした意志を持って生 きる人がいるということは当時の小生に非常に大きな影響を与えた。 多感な少年でもあった小生は、恐らく西谷啓治氏の講演を聞いた翌年には、彼の講演が直接の契機になったかどうかは別にして、哲学を志すことになったのである。 若気の至りで汗顔の極みでもあるけれど、小生は決して後悔はしていない。 人生も半ばを過ぎ、それなりの紆余曲折も経て、今、時代の変貌の最中にあって、小 生は改めて若き日に覚えたであろう哲学する魅力と衝迫とを想起しているのである。 |