風呂、銭湯、温泉…

 



 自己レスです。
 風呂の話が出ていたので、気になっていたのだが、今朝未明、車中でラジオを 聴いていたら、ちょっとした雑学ということで風呂のことをある女性キャスター が話されていた。
 生憎、仕事中だったし途中から聴いたので、聞きかじったことを列挙してみる。
 風呂は日本では、昔は蒸気風呂だった。風呂の「風」は暑い蒸気を意味する。
「呂」は、(「せぼね」で)奥深い場所を意味する。入浴料を取るような本格的 な銭湯は江戸時代以降のこと。風呂敷という言葉は、文字通り風呂に由来する。 蒸気風呂(サウナ)では、蒸気を拡散したり足もとが暑くなりすぎないよう、火 傷しないよう、スノコや布を敷いた。その布が転じて風呂敷と呼ばれるようにな った。云々。
 念のため「広辞苑」の説明を紹介しておくと、風呂は「「ムロ」の転か。一説 に「風炉」から」となっている。
 さて、せっかくなのでネットで調べられる範囲を紹介してみる。

 一般庶民が蒸し風呂に入れたのかどうかは分からないが、以下のサイトでその 蒸し風呂の雰囲気が知れる:
 http://www.arainodendo.com/mailmag2/20020723.html
 風呂も修行の一環であり、修行僧にとっては「禅宗のお風呂は、食堂・禅堂と ならぶ 三黙堂の一つで無言の場」だったという。
 しかしだからといって風呂が禅宗と共に始まったというわけではないようだ。 有史以前のことは分からないが(温泉浴、蒸気浴は、古来よりあったらしい)、 538年の仏教伝来と共に風呂(といっても仏教のこととて、沐浴のようだが)の 「歴史」が始まるようだ:
 http://www.fujifilm.co.jp/sorsata/sorsata_vol23/special/indexp03.html
 このサイトによると、「日本最古で最大の浴場だったのが東大寺の「大湯屋」。 切妻造りで、中には円形の鉄製の浴槽が置かれ、湯をはって沐浴ができるように なってい」たという。この風呂には建立に関わる職人だけでなく、一般庶民も利 用したというが、その庶民というのはどの程度まで広げられるのだろうか。
 また別のサイトによると、「諸国の尼寺を統括する大和の国分尼寺(法華減罪 之寺)と呼ばれていた「法華寺」の境内には「カラ風呂」があ」ったという:
 http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/jyouki.html

 さて風呂敷は蒸気風呂を利用する際、床などに敷いて使ったと記したが、江戸 時代になり銭湯が一般的になると、先頭に通う際、手拭い、浴衣、垢すり、軽石 を包む布が発達した。お湯に必要な道具類を包む布ということで、今日我々も馴 染みであり、最近見直されつつある風呂敷包みとなったわけだ。
 つまり、江戸時代以前の風呂敷は、床に敷くという用途からしても、吸湿性と か丈夫さとかが肝要で麻素材の風呂敷だったらしい:
 http://www.miyai-net.co.jp/rekisi.html
 一方、蒸気のサイトによると、「将軍足利義満が室町の館に大湯殿(おおゆど の)を建てた折り、もてなしを行うに際し近習の大名を一緒に風呂に入れたとこ ろ、大名達は脱いだ衣服を家紋入りの絹布に包み、他の人の衣服とまぎれないよ うにし、風呂から揚がってからはこの絹布の上で身繕いをした、という記録が残 ってい」るという。
 ということは、床に敷く麻地の布が風呂敷と呼称されるに至ったという説は正 しいのだとしても、他方では、室町時代に入浴の際、衣服を包む布の使用という 文化があったわけで、これが後の風呂敷包みに繋がった可能性もある。

 仏教の伝来と共に風呂の「歴史」が始まったと書いた。そもそも風呂は仏教の 修行の意味合いが濃いわけである。しかし、仏教の施設を何処にでも簡単に作れ るわけもない。しかし、修行というものは日々、在所がどこであっても肝要なも のである。その修行の一環として入浴が必要だと言うなら、風呂も簡易でないと いけない。
 「行水」という言葉がある。「ぎょうずい」と読む。これは今日、一般的には 夏の暑い日に庭先などで盥に水か湯を注ぎ込んで、湯浴みをする意味に使う。
 しかし、広辞苑によると「潔斎のため清水で身体を洗い清めること」という意 味もあるという。恐らくは、こちらのほうが由緒正しいのだろう。そして古来よ り修行僧(も、きっと修行の目的とは縁のない庶民も)は行水の形で、山野の片 隅で修行(?)したのではなかろうか。

   さて、またまた長くなった。纏めに入ろう。といっても別に仰々しい結論など、 もとよりあるはずもない。 
 ただ、戦後のある時期までは銭湯が当たり前だった。その銭湯の脱衣場で、あ るいは湯殿の中で近所の人たちの間で雑談に花が咲いたものだった。ガキの頃、 ついに男風呂に入ることを余儀なくされたある日、薄板一枚の向こう側から若妻 らしき方の呼びかける声が響いてくる。こちらで亭主らしき方がその声に答える。 小生はなんとなくドキドキしたものだった。
 銭湯通いが普通だった頃は小生も若かった。洗い場では、必ずというほど垢を 擦った。ボロボロと垢が出た。そうしないと風呂に入った気がしなかった。体が すっきりしないのだ。
 今は、垢すりなど論外である。肌が弱くなって、下手したら擦り傷になりそう だ。垢を擦る際、大切な真皮をも剥ぎ取ってしまうと聞いては、ビビルのみであ る。今昔の感を覚える。
 あるいは脱衣場で火照りを冷ましつつ、片手を何故か腰にあてがって、ビン入 りのコーヒー牛乳を一気にゴクゴクと飲み干してみたり。あるいは、番台でのお カネなどの遣り取りの際、仕切りの向こう側を盗み見てみたり。大概は、おばち ゃんかお婆ちゃんだった。
 銭湯を巡る思い出は尽きない。
 ま、それはともかく、洗い場や湯船での語らいや憩いの一時というのは、大切 な地域文化だったように思われる。
 やがて内風呂が当たり前になった今日、銭湯は疎遠なものとは言わないまでも、 贅沢なもの、非日常の体験をする世界となった。で、どうせ非日常の気分を味わ うなら、何処かの由緒ある温泉地で、となるのだろう。
 小生にしても、もっぱら内風呂である。しかもユニットバスで、湯船に小生の 両肩がぶつかる。小生は風呂場でも肩身の狭い思いをしているのだ。
 愚痴はともかく、内風呂と温泉との中間的形態である銭湯の値打ちを見直して みるのもいいのではないかと思う。銭湯での和気藹々の語り合い…、夢というほ どには難しくはないと思うのだが。

                                                02/11/26



サナトリウムと結核と…



 SYさん、こんにちは。
 エッセイにコメントをいただけるなんて、びっくり。そして嬉しい。
 以下は、サナトリウムという言葉を見て思いついた、自己レス風の小文です。

 サナトリウムというのは、(広辞苑によると)林間とか海辺とか高原といった、 いい空気と日当たりの恵まれた場所にある療養所。主として結核症など慢性疾患 を治療する施設、と説明されている。
 きっと誰もが思い浮かべるのは、トーマス・マン(1875‐1955)の『魔の山』 だろう。小生も学生時代にやっとの思いでこの長編を読了した記憶がある。但し、 一度きりである。ドストエフスキーの小説は全てどれも最低でも3回は読んでい るから、当時の小生はマンの世界に没入できなかったのだろう。
 主人公(語り手)ハンス・カストルプが平凡で、退屈した記憶しか残っていな い。カストルプはスイスのアルプス高原にあるサナトリウムで療養することにな る。彼はこの病気と死が日常である療養所で7年間も過ごすことになるのだ。
 マンは何故、主人公を平凡な人間に設定したのだろうか。

   今なら、どうだろうか。そのうち挑戦してみたいな。
 ここで小生が『魔の山』について下手な感想を書くつもりはない。それなら、 「松岡正剛の千夜千冊」に任せるにしくはないだろう:
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0316.html
 結核は一昔前までは死の病だった。死にいたる業苦だったのである。日本でも 結核をテーマにしたり、背景になっている作品は沢山ある。
 堀辰雄、横光利一、島木健作、樋口一葉、正岡子規、石川啄木、宮沢賢治、作 家ではないが、画家の佐伯祐三、作曲家の滝廉太郎、歌人の吉野秀雄もう、枚挙 に遑のないほどだ。
 昔は、結核に縁の薄い作家・芸術家のほうが少ないのではないか(一般の方に も身近な病だったわけだし)。その希有(?)な例外が武者小路実篤に代表され る白樺派だったりして。
「サナトリウム文学」という言葉もあるほどだ。その終焉を飾った作家の一人に 福永武彦がいる:
 http://www.tky.3web.ne.jp/~toyokura/intro.htm
 逆に結核で死を覚悟しながらも、薬剤の登場にギリギリ間に合い生還し、長生 きされた埴谷雄高のような例もある:
 http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1105/haniya.html

 海外で結核に苦しんだ作家はあまりに多いので挙げるのも面倒だ。
 そもそもロマン主義文学とは病者の文学と呼ばれたりする。病的な感受性に止 まらず、自ら病に罹っていない文学者など肩身が狭かったりして。そのロマン主 義文学の背景に、産業革命があることは常識だろう。そして、その産業の隆盛と 人間の都会への密集が結核を蔓延させる土壌ともなっているわけである。
 結核と縁の深い外国の作家をいちいち挙げないが、ただ、小生が最高に傾倒し ている作家・カフカだけは挙げておきたい。
 但し、カフカは、これで仕事をしなくて済む、文学に打ち込めると歓んだよう だから、苦しんだ作家の事例からは外れるのかもしれないが。
 日本で最初にカフカを評価した作家と言われる中島敦も、結核に苦しんだ。今、 小生は中島敦の『南洋通信』を読んでいる。きっと転地療養を兼ねて南洋で働い たのだろうが、湿気と暑さに苦しめられ、任に堪えられず帰国し、帰郷したその 年に倒れている。
『南洋通信』には、日本を遠く離れた南洋の地から彼の妻や子供たちへ当てた手 紙や葉書の文章が集められているのだが、妻や子には良くなりつつあると空元気 を示しながらも、自身は死を強く予感している文面には胸を締め付けられてしま う。当然のことながら、中島敦は南洋の地にあっては回復を諦めていたわけでは 決してない。 
 ちなみに、中島敦はカフカのアフォリズムを訳している。一説には、中島敦の 『山月記』において、主人公が虎に変身してしまうのだが、もしかしたらカフカ の『変身』にヒントを得ているのかもと言われたりもする。
 勿論、『山月記』が中国の文献に基づいた創案小説であることは言うまでもな いことととして、なんとなく納得したりして。
 ああ! 中島敦! そしてカフカ!
 『変身』は幾度、読んだだろうか。とうとう原書でも読んだほどなのだ。

 忘れてならない(少なくとも小生は忘れない)作家に梶井基次郎がいる:
 http://www.alato.ne.jp/~tmatsu/kajii/nenpu.htm
 彼も結核に苦しみ倒れた作家なのだ。結核は時間との戦いを若者に意識させる。 人生は、まさに時間との戦い、砂時計の砂の落ちるよう、蝋燭の焔の風に揺れ燃 え尽きていくのを見守るようにして我が人生を凝視する若き作家。固く握ったは ずの手の平から砂が、時間が、命が、汗が、愛が、無情にも零れ落ちていく。
 息をすることは生きることのはずである。それが、息をすることが苦しみであ るとは。息とはプネウマであり、命であり、魂なのだ。その気息を取り込むこと が業苦とイコールであるとは、何という責め苦であろうか。

   結核は死の臭いの濃厚にする病だ。性病や癩と並ぶ人類最初の病なのかもしれ ない。医学の父と呼ばれるヒポクラテスの『古い医術について』(岩波文庫刊) は名著だ。小生の学生時代の愛読書でもあった。お医者さんたちにも愛読しても らいたい本でもある。記憶ではその中にも結核と思われる病気が記述されていた と思う(ちょっと自信がない)。
 ちなみにヒポクラテスの「金言集」の中の有名な言葉、「Vita brevis, ars vero longa」は「人生は短し、されど芸術は長し」と誤釈されている。医師であ るヒポクラテスは、医学の技能を学ぶには人生はあまりに短い=つまり、一所懸 命勉強しろ、と言っているのだ。
 そう、小生も馬齢を重ねて、人生の短さを、というより怠慢すぎた我が人生を つくづく今になって感じている(遅すぎるっちゅうねん!)。

   ところで、結核は忌まわしい病ではあったが、同時に多くの文学・芸術作品を 残した。
 その一方、癌も業病なのに結核ほどには豊穣な文学世界を恵んではくれなかっ た(小生の印象に過ぎないのだろうか?)。
 それは癌は一般的に、一旦、発病すると死の訪れが早く、ペンを執る遑も与え てはくれない場合が多いからだろう。つまり、癌は作家らが描いてさえも、ドキ ュメント的な作品になりがちなのである(ドキュメントも文学だというなら、癌 は癌で芸術の母体にもなったと言うべきなのかも知れないが)。
 が、結核は真綿で首を締めるようである。じわじわと責め立てる。明日がある ようなないような。息が出来るような出来ないような。愛に生きられるような叶 わないような。絶えざる微熱に頬が火照り、心が火照り、咽が渇いていく。結核 に倒れて辛抱と養生を強いられ、長く横たわってからだの形が煎餅布団に残るよ うに、きっと結核の微熱が人生への渇望をも駆り立ててやまないのだろう。
 ある意味で昔は、結核は人生そのものだったのだろう。あるいは病は人生であ り宿命であり、命と不可分の、死ぬまで降ろすことの出来ない荷物だったのだ。 人に、家に、木立に、森羅万象に影の伴うように、人は病と一生を添い遂げるも のだったのだ。
 現代において病気とは治療の対象であり、本来、全快可能な偶発的なものであ り、なければなしで済むエピソードに過ぎないのとは大違いなのである。
 だからこそ、『魔の山』が生まれる由縁、というわけだ。
 結核が文学や芸術において生みの母でありえてきたのは、往々にして結核は若 くして罹る病だという点も大きいのだろう。若く多感で、愛や恋や人生に悩む時 期に結核に罹患して、誰よりも人生を深く生きることを強いられるのだ。周りの 同年配の連中が活発に愛に生き、社会に参加して生きているのを尻目に、薄暗い 奥の離れで人との(異性との)深い熱い交流も侭ならない生を(性を)強いられ る。若い人間にとって、こんな現実はあまりに辛い。
 癌が、多くは晩年に罹る病であり、既に人生の終焉を覚悟したり、老衰その他 の形で身近な人の死を多く見守ってきた人間が発症する病であることが、従来は 癌が文学の形に結晶し辛かった理由なのだろう。

 一方、では、癩は如何。
 実は、ここに文学の世界でさえマイナーとならざるを得なかった問題がある。 癩は文学の世界にあっても異端であり、日陰の存在なのである。そこに重苦しい 問題があることは誰しも予感するが、関係者以外は目を背けて通り過ぎる世界な のである。容貌、外貌が崩れることへの嫌悪と恐怖は文学者(あるいは文学愛好 者)にとってさえ、鬼門なのである。

 ところで、近年、結核が流行の兆しを見せていることは周知のことだろう。今、 何故、征服されたはずの結核が?! その経緯は別の機会に譲るとして、さて、 現代における結核は文学に、あるいは我々に新たな豊穣なる世界を恵んでくれる のだろうか?
 エイズが、不十分ながら恵んでくれたように…。
 それとも、病は徹底して偶発的なもの、人間にとっての他者、単なる異物であ り、肉体的条件に左右されない、何か抽象的な文学世界が現出してくるのだろう か。
 だとしたら、それは肉体の条件に縛られる我々には想像も及ばない世界である のだろう。その抽象の高みに耐えられないからこそ、薬物やゲームやスポットラ イトに依存し、殊更に物質的事象の次元に自らを引き落とそうとするのだろうか。
 いずれにしても、肉体がデジタル情報の加工物に過ぎないという現実に慣れる には、まだまだ相当の時間を要しそうである。 
 ま、気長にやっていくしかないようだ。それだったら、ひとっ風呂浴びて考え ることにしようかね。

                                                02/11/28