(04/02/08 up)
歌うことと歌われるもの(1)
いつの頃からか分からないけれど、いつも何かを口ずさんでいた。といって、
和歌や詩の類いではない。大概がラジオから聞こえてくる、あるいはテレビの歌
番組で見ることのできる歌だった。
押さない頃に覚えているのは茶の間の棚の上だったかに鎮座している旧式のラ
ジオ。ラジオだけが室内での情報源で、そのラジオでニュースや演芸モノ、ある
いは歌なども聞いていたのだろう。
けれど、そのラジオで辛うじて覚えているのは、その古臭い、でも、今となっ
ては懐かしいラジオの姿だけである。
我が家にテレビがやってきたのはいつのことか覚えていない。小学校に上がっ
てすぐの頃、ケネディ大統領が暗殺された頃だったか、いずれにしても東京オリ
ンピックが開催される頃までにはあった。
我が家にラジオに代わって鎮座するようになったテレビ。小生は一気にテレビ
っ子になった。小さな頃は、誘われるままに外で遊ぶことは大好きだったけれど、
小学校の三年とか四年になると、近所の遊びの中心だったお兄さんたちは中学に
上がるとか、それぞれの道や関心事に忙しくなってしまって、小生も遊びの輪に
加わる機会も減ってしまった。
いつの頃からだったか分からないけど、漫画の本をお小遣いで買える範囲は買
い、友達と交換し、それでも足りないから貸し本屋さんで毎日のように借りてい
た。
そう、外で遊ぶ機会が減った分、漫画の本とテレビに関心が映っていったので
ある。漫画に関わることは、以前、書いたのでここでは触れないことにする。
テレビ。小生のテレビで一番、遠い記憶、あるいは印象深い映像は、ケネディ
のこともあるし、東京オリンピックで日本勢の大活躍に胸躍らせたこともあるし、
宇宙ロケットが引力圏を脱し、地球を外から眺めた青い地球の美しさもあるが、
長く見つづけたこととなると、歌番組であり、特にシャボン玉ホリデーというこ
とになる:
http://www.8107.net/cats/shabon_towa.html
このサイトにもあるように、シャボン玉ホリデーは1961年にスタートしている。
今、このサイトを見て驚いたことに、小生が大学に入った1972年まで続いていた
のだ!
小生は、子供の頃、欠かさず見ていたことは覚えているが、72年に至るまで見
ていたか記憶に明確ではない。とにかく白黒画面のシャボン玉ホリデーを子供の
頃に見ていたという記憶が鮮やかなのである。
歌がとくかく好きだった。歌うことも好きだった。テレビで歌われる歌は、そ
の気がなくても自然に覚え、何時でも何処でも歌った。授業中でもさすがに歌い
はしないが、不意に口ずさむ自分がいた。心の中に歌があった。というか、空っ
ぽな心を歌だけが満たしてくれた。
その頃、歌っていた歌は、つまりは流行歌手の歌であり、その範囲を越えるこ
とはなかった。その必要も感じなかった。洋楽が視野に入ったのはビートルズが
人気者になりテレビに登場するようになってから、つまり、テレビでの扱いの範
囲に入る限りの洋楽が、日本以外の音楽の全てだったのだ。レコードを買うとい
う発想法はまるでなかった。ステレオなんて縁遠いものだった。やがて高校に入
り、友人宅を邪魔した際、ステレオなるものがあることを知り、友人宅で時間を
潰す限りはステレオからクラシックを聞いていた。
が、我が家では自分に限らず、音楽にテレビで見る以上に夢中になる者は誰も
いなかった。まあ、芸術の香りの乏しい家だったから、音楽に限らず、美術もあ
りとあらゆる芸術・芸能からは縁遠かったのである。
歌というと、つまりはプロの歌手が歌うものであり、歌は、プロの作曲家と作
詞家が作るものだった。それは、文学に限らず、本を書く人間というのは、文学
に造詣が深いか学問に携わっている人間であって、そんな人間は我が家の近所に
は到底いないし、それどころか我が県内にもいない、そんな仰々しい、遠い存在
だった。
音楽も美術も漫画も学問も、全ては富山を囲繞するアルプス連峰の彼方にある
ものだった。何処か遠い都会に才能ある特別な人々がいて、そういう専門家が作
る特別なものだった。だから、歌はあくまでテレビから聞こえてくるものだった。
漫画に限らず、小説に限らず、創作などは何か特別な範疇の存在が山の彼方、つ
まりは天の上の何処かで行われているもので、その恩恵のほんの一部をテレビを
通して、(漫画の)本を通じて、押し頂くだけだった。
そもそも、歌が作られる、それも誰かの手によってということ自体が、自分に
は驚異だった。どうしてこんなものが人間の手によって生み出されるのか、想像
だに出来ないことだった。特に歌詞はともかく(当時は、詩作の凄さ・素晴らし
さなど分かるはずもなかった)曲、特にメロディを生み出すってどういうことな
のか、想像どころか、人間業とは到底思えなかったのだった。
だから、歌は、テレビの画面の彼方から流れてくるもの、出来上がったものを
戴くものだったのである。
ただ、戴くだけではなく歌った。所構わず歌った。やがて或る日、父が、「○
○は音痴じゃないんだな」と言われる日まで。小生はショックだった。ってこと
は、父は今までボクのこと、音痴だと思っていたの? ってことは、周りのみん
なもそう思っていたってこと? ってことは、ボクは自分だけが自分の愚かしさ
に気づいていない裸の王様だったってこと?
小生は、その日から、少なくとも自宅であっても、人前で、つまり家族の前で
さえ、歌うことは止めた。だから、冒頭にいつも何か歌を口ずさんでいたと表現
したのである。
子どもだった小生は、父の言う「音痴ではない」というのは、結構、シビアー
なレベルでのことだということは理解できていなかった。ただ普通に歌う程度に
は聴けるだけじゃなく、もう少し聞く耳を持つものの耳で聴いても聴けるという
意味合いなのだということに気づくはずもなかったのである。
そして、歌うことを止めた、人前では。
でも、先述したように、口ずさむこと、これは止めるわけにはいかなかった。
歌は、心貧しい自分にとっての命のようなものだった。何処からか、テレビで、
あるいは町中の何かの店から歌謡曲などが流れてくると、もう、その世界が全て
だった。思春期などとっくに過ぎた大学や社会人になってからも、車などに乗っ
ていて、好きな曲が流れてくると、会話など掻き消えてしまい、歌の世界が全て
となった。
絶えず絶えず歌を歌うこと、口ずさむこと、脳裏に歌が歌われていること、そ
のことが辛うじて自分を救っている部分があった。自分の何を、あるいは自分を
何から救ってくれ守ってくれたのかは分からないが、ともかく歌の世界があるか
ぎりは、世界は満たされていた。世界は空虚そのものではなかった。歌謡曲や演
歌。ポップス。洋楽、クラシック、ジャズと、音楽の世界は広がっていった。自
分という人間の生活や関心の広まりと相俟ってのようにして、世界はそれなりに
豊かになった。広くなった。多様にもなった。
だからといって、心が豊かになったわけではなかった。なぜなら、歌が、曲が、
メロディが、リズムが途絶えると途端に、世界は、自分の心の世界は廃墟に戻る
のだったから。死より冷たい沈黙があるだけだった。小学校に上がる前に閉ざさ
れてしまった心。心のほんの萌しのうちに、眩しい世界に圧倒され、踏みつけに
されたようで、勝手に独り善がりに心を閉ざしてしまった。大地の中に閉じ篭っ
てしまった。以来、頭は大地に突っ込まれたままとなった。尻までは隠せなかっ
たけれど。
歌を歌う、あるいは歌を聞いている間だけ、そう、漕いでいる間だけ自転車が
動いているように、歌っている間だけ、メロディが流れている間だけ、心は世界
に開かれているようだった。自分にも感情があり、世界と共感する心があり、人
と共感する心がある、かのようだった。
その、決して口ずさむことを止めなかった歌も、ついに完全に心に鳴らなくな
る日がやってきた。その間の事情は、前に書いたので、その詳細は省略する。
ただ、その日から、80年の末から、口ずさむことさえなくなってしまった。そ
の翌年の春、サラリーマンになったのだった。
それでも、歌がテレビでラジオでラジカセで車で流れ来る限りは、その歌の世
界に溶け込めなくもない。情の豊かさを感じないこともない。けれど、決して口
ずさむに至ることはなかった。歌は、自分の心の外界に、山の彼方に退いてしま
ったのだ。というか、退いたのは、自分のほうなのだけれど。
03/12/11作
歌うことと歌われるもの(2)
不思議なのは、歌うってことが当たり前すぎる営為で、その意味はともかく、
一体、歌っているってどういうことなのか、そのこと自体だ。その前に発声する
ということ、話すという営為から話を始めるべきなのかもしれない。
が、それは気楽な歌の散策には、やや迂遠過ぎる。ただ、声を出すことの前に
息を吸ったり吐いたりという呼吸が前提にあることは間違いないのだろう。喉が
発達して、そのことが微妙な音の変化を可能にさせてくれた。
それとも、いつの時点からか、意志を伝えるために身振り手振り以外にもっと
直截で多様な表現をしたいと思うことが、さらに繊細で多彩な表現を可能にさせ
たということか。
が、話すということと歌うということとは無縁ではないが、そこには歴然たる
違いもある。話すことと同様、歌うことも目の前の誰かに向って語りかける、歌
いかけるということもあるが、歌はもっと原始的というのか素朴というのか、そ
こに人が居ようが居まいが、とにかく内から湧いてくる感情を表現したい。吐き
出したい。この世界に自分の情を投げかけたい。いっそのこと、世界を自分の情
の色に染め上げたいという切なる思いに駆られているように感じる。
そこに仲間がいれば、そして恐らくは歌の始まりにおいては、まさに仲間の輪
の中で、誰かが霊感なり天の、あるいは地の霊の囁きに感応してか、地なり天な
り大気からのエネルギーの通り道に自分がなっている、まさに自分が選ばれて歌
う役目を担わされていると感じて、祈りのように、あるいは歓喜の叫びのように、
あるいは悲しみを腸を抉り出すようにして投げ出すように歌ったのではないかと
思う。
祈り、呪い、歓び、嘆き…、そうした抑えがたい情の発露として、それともも
っと清澄な情のゆるやかな流れのままに、歌が生れ歌で自分に仲間に命が吹き込
まれ、逆に自分が命の担い手であることを体一杯に感じる。
小生が、人前では勿論、一人の時でさえ、歌を歌わなくなったのは何故なのだ
ろうか。そのとき、一体、何が失われたのだったろうか。生命とでも呼ぶしかな
い根源的な何か、なのだおろうか。
でも、それだったら、ほとんど死んだも同然なのではないか。
それとも、何か根源的な世界との通路を見失ってしまったということなのか。
自分の心身の何処かには一応は歌うことへのエネルギーの噴出口はあるが、そし
て、目には見えないどこかにエネルギーの吸い込み口、乃至は行き場があるのだ
が、その連絡通路が塞がっているということなのか。
鬱々とした情が行き場を失ってトグロを巻いているのだろうか。汗や涙や情と
なるべきものが、腐って膿んでしまっているのだろうか。
それとも、やはり単純に生命力の枯渇だと見なすしかないのだろうか。
けれど、生命力の枯渇ということなら、遠い昔に散々自覚させられたことでは
なかったか。涸れた心とか、乾いた心とかと、どれほど嘆いていたことか。日記
にはそんな言葉が無数に羅列するばかりではなかったか。
でも、それでも、歌はあった。歌う心があった。命の無い紙飛行機か風船に懸
命に息を吹きかけ、あるいは息を注入して、それでかろうじて飛行したり空を漂
ったりするさまに似ているのだとしても、それでも、歌は次々に内から湧いてき
た。その歌の全てが歌謡曲やポップスなどであっても、それらが自分に元気をく
れていたのではなかったか。歌っている間だけ、曲が耳に届いている間だけ、と
にかく情の念の名残なのだとしても、何かしらの情と潤いのある世界に自分も生
きているかのようだったではないか。
その歌さえもが湧いてこなくなった。現に聞いているその都度の瞬間だけは、
息を吹きかけられた紙切れが漂うように宙を舞うが、音楽が途切れると、即座に
紙切れは只の紙切れとなって舞い落ちるばかり。聞いたりした曲を歌うことで、
もう一度、立ち上がり舞い上がることはない。乾いた大地で萎びてしまって、息
も絶え絶えとなって、ただただひたすらにいつの日か雨が降ることを、また、曲
が流れてくる僥倖を待つばかりなのである。
それにしても、小生が聞く音楽はそれなりに広まりはしてきた。テレビで見聞
きする歌謡曲だけではなく、友人等との付き合いでクラシックもジャズもロック
も楽しめるようにはなった。家庭にはテレビ以外に音楽の源泉はなかったのが、
自分でステレオも購入し、レコードだって手に入れて、時にはラジカセで曲をテ
ープに録音したりして、とにかく音楽の世界を広げた。現代音楽も分からないな
がらに聞いていて、後になってその時に聞いた楽曲を元に小説に仕立てたりもし
た。
が、自分の音楽の基本は、端緒がテレビだけに歌謡曲にあるようだ。歌謡曲が
体に染み込んでいる。その歌謡曲なり演歌なりの世界が、まるで物心付いた時か
ら我が身に染み込んでいるかのように、それほどに体に馴染んでいる。
その歌謡曲は、メロディもそうなのだろうが、歌詞も多くは、端的に根無し草
の感覚を根底に持っているように感じる。だから、曲によって、つまりは作曲家
や作詞家の心性によって、北へ、北へという感情を歌う場合もあるし、南へ、南
へと歌う曲もあったりするが、こころざし破れ、あるいは恋に敗れ、時には衰え
を自覚したりとか、そんな時は、ここでない何処かへの漂白の念を歌いたくなっ
てしまう。そんな歌を選ぶ。そんな歌が自然と湧いてくる。
大陸の果て、その先は大海という地にあって、掃き溜めの島国に住む我々は、
所詮は流れ者であり、今は澄ました顔をしていてさえも、一皮剥けば何処の馬の
骨かもしれないことを自覚している。自覚しないまでも、そんな流れ者、この地
にあっては余所者なのだという感情がとことん身に染み込んでいる。
これ以上、行く宛てもないし、たまたま今居る土地に住み着いてしまったが、
それもつい昨日からのことであり、明日は何処へ流れていくか分からない、そん
な(もしかしたら今では薄らいだかもしれない)情念を覚えないでは居られない
のかもしれない。
そうした大地との深いつながりを基本的には持てない、せいぜい、殊更にこち
らから物語を作ってでも土地との馴染みの関係を築かないと、今にもつながりが
潰えそうな歌謡曲の、つまり流れ者の心性とは根底から違う音楽もあるのかもし
れない。
まあ、機会があったら、何処行く当てもなく、ダラダラと気侭に歌の旅を続け
てみたい。
03/12/22作

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