(03/09/25 up)
あれはずっと昔のこと。もう、記憶の彼方になっている。
でも、忘れられない。
忘れられないけれど、一体、何があったのか、自分でも分からない。
分からないけれど、何かがあったんだと、疼く胸がハッキリと伝えてくる。
ボクは、あの日、一人で公園の滑り台で遊んでいた。その滑り台は、今にして
思うと、人研ぎ滑り台という形だったと思う。
当時は当たり前の形だったような気がするけれど、ま、そんなことはどうでも
いいや。
滑り台の上に登っては、滑る。登っては、滑り降りる。降りては、駆け上って
いって、天辺からまた、勢いよく滑り降りる…。
滑り台の下のほうは、傾斜がなくなっているので、降りていっても、ちゃんと
ブレーキがかかるようになっている。天辺から滑った勢いそのままに滑り台の先
の砂地の地面に、おっとっとという風にやっとのことで降り立つわけじゃない。
でも、何度も滑っていると、何だかつまらなくなって、その傾斜のなくなる直
前のところでわざとお尻を少し浮かし、ズックの踵がコンクリート製の滑る斜面
に擦れるようにして変化を加えていた。
すると、浮かしたお尻が宙に浮かぶし、それどころか体全体までもが宙に飛ぶ。
で、気持ちよくジャンプして地面に格好よく、そして勢いよく降り立つというわ
けだ。
と、そんな変化技を幾たびか繰り返すうちに、ついにボクは失敗してしまった。
踵が予想外に斜面に引っ掛かってしまって、宙に浮くだけじゃなく、体が宙返り
してしまったのだった。しかも、中途半端に。
ボクは、ほとんど頭から地面に叩きつけられてしまった。
多分、ハッキリとは分からないのだけど、ボクは、そのまま地面に突っ伏した
まま長いこと意識を失っていたらしい。
そこはらしいとしかボクには言えない。
あの日は、公園に誰も来なかったのだろうか。雨が降っていたわけじゃない。
快晴だったかどうかは覚えていないけれど、でも、青空は見えていたような気が
する。宙を舞った瞬間、青い空と白い雲が目に眩しかったのを覚えているし。
あの日は、日曜日だった? だったら尚更、近所の誰彼が公園にやってきたは
ずだと思う。いや、日曜日は、ボクは誰かに誘われてか、それとも一人で遊んで
いるのはつまらなくて、誰かのところに遊びに行ったに違いない。
じゃ、一体、いつのことだったのだろう。
平日の午前。ボクには、そうとしか考えられない。仲間のみんなは学校か保育
所かだろうし、大人たちは仕事に出かけたか、そうでなかったら掃除や洗濯とか
に忙殺されていたのだろう。
だから、公園にはボク一人だったのだ。
でも、じゃ、どうしてボクはそんな時に公園にいたのだろう。ボクだって、保
育所に行っているはずじゃないか。
ボクは、保育所へ行くのをサボったのだろうか。てことは、保育所へは一人で
通っていたってこと? そんなことさえ、まるで覚えていない。
ウチじゃ、農家だし、オヤジは働きに出ているし、お袋は家事に畑にと、ボク
など保育所に送っていく暇などなかったのかもしれない。
とにかく、ボクは恐らくは長い意識喪失の果てに、不意に気が付いた。
まだ明るかったけど、人の声が遠くから聞こえてきた気がする。というか、人
の声で意識が戻ったのかもしれない。ボクは、上半身を起こして周囲を見回した。
つもりだったけど、目がグルグル回っていて、辺りを見渡すどころの騒ぎじゃ
なかった。吐き気さえしていた。仕舞いには、四囲が竹とんぼみたいに物凄い速
さで回転し始めた。回転の中心は、ボクの中の何かだったらしいけれど、ボクに
は分からなかった。
吐く余裕さえなくなっていた。意識があるような気がするのだけれど、その意
識って奴がいつか近所の兄さんや姉さんらに連れて行ってもらった鳴門の海の渦
潮みたいに渦を巻いている。ボクはその渦の底に吸い込まれそうだった。
その渦が何だか、ボクの体の皮膚を捩って、引っ張って、引っ剥がして、そう
して何処までも引っ張り込もうとするのだった。ついには、体が裏返しになった。
腸とか心臓とかが日の下に晒されたようだった。胃の腑の中身が噴出した。
で、ボクはあまりの気持ちの悪さに、またまたぶっ倒れてしまった…、ような
気がする。
でも、倒れるといいながら、垂直の感覚も水平の感覚もないものだから、宙に
浮かぶベッドに体が埋まったままに、滅茶苦茶にあちこちと回転させられたり、
上下させられたり、あるいは何処かの壁にぶつかって不意に動きが止められたり
した。今思うと、無理矢理に立ち上がって、そのままフラフラと歩き出したもの
だから、何処かの壁か柱か鉄柵かにぶつかったんじゃないかと思う。
すると、ボクは、滑り台の斜面の尽きる直前で踵でブレーキを懸けたみたいに、
ボクの意識だけが何処かへスッポリと吹き飛ばされたみたいだった。
そう、体は鈍重なものだから、何処か公園の片隅に取り残されているってわけ
だった。意識だけが、体から抜け出して、何処か遠い遠い彼方へ飛び去り、消え
去っていったのだった。
それからのボクは、体はここにあるけれど、ボクの心って奴が見当たらないよ
うな気がする。ボクはここにいる。でも、もう一人のボクはボクをはるかに高い
空から見詰めている。ボクはここにいる。でも、いない。ボクは空にいる。あの
空で地上を眺め下す奴も、ボクなのだ。
で、ボクは、一体、本当は何処に居るんだろうか。
03/09/23 01:44
[注意!: 以下の文は、本作を読了の上、参考にしてください。当然のことながら、一つの読み方の可能性をS・Y氏が示してくれているものと思います。氏は、決して小生の小説のファンというわけではなく、あるサイトで目に付く全ての(虚構)作品に目を通し、且つコメントを寄せるという方なのです。その意味で一定の第三者的立場を確保された上での批評なのだと思っています。]
S・Y氏の評
無精庵さん、こん**わ。
「滑 り 台」拝読しました。
特有の面白さのある「ガキもの」。
第一印象は「なんだ、こりゃ」でした。なんというか、読み終わってから呆然。
ちょっと、どう感想を書いていいのか判らないような作品なのです。
まさに「滑り台」な感じで、取っかかりもないまま、スーッと流れてしまうのです。
本編宜しく、なんども読み返してみるのですが、この辺の流れの良さが、まさに滑り
台なのかもしれません。
ラストの、体と心が離ればなれになるというヤツは、小説としての体裁を整えている
印象、いわば「形作り」になるのでしょうか。引っかかるとすれば、保育園にいってい
るはずの時間に、なぜひとりで滑り台で遊んでいたのかという辺りになりますが、その
心の屈折と滑り台を結びつけて考えて良いものかどうかは、かなり難しい所です。
一応、保育所繋がり農業を営む親がいるという辺りで「空
白の頁」を関連作品としておきます。今回のエピソードで、入院したのだという繋がり
は、こじつけにはならないでしょうし。
S・Y
03/09/24 23:45

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