いつか来た道

                                           (03/12/29 up)





 どこを歩いているのか分からないでいた。遠い昔、気が遠くなるほどに遠い昔、 一度だけ歩いたことのあるような道。薄闇にかすかに浮かぶ竹垣の家の曲がり角 が、なんとなく見たことがあるような気がする。

 そうだ、ガキの頃に、追いかけっこか鬼ごっこをしていて、必死になって逃げ る際に、あの角から出っ張っていた竹か、それとも竹垣から突き出ていた松の枝 だったかにセーターの袖が引っ掛かってしまって、一瞬だけど身動きできなくな って、懸命にもがいていたんだった。
 あの時、鬼に追いかけられていた。鬼ったって、近所の兄ちゃんだったはずだ けど、なんだかホントに鬼のように思えた。掴まったら食べられてしまう、お寺 かどこかで見た地獄に落ちた悪人のように魔物たちにパックリ呑み込まれてしま う、でなかったら閻魔様のところに引き摺られていって、お前はなんて悪い子な んだと、怖い顔で睨まれてしまう…。
 鬼ちゃんの、じゃない、兄ちゃんの足音が聞こえる。今、思えば、兄ちゃんは、 わざとゆっくりと追い掛けてくる。簡単には追いついたりしない。だから慌てる 必要なんてなかったんだけど、そんなことがあの時のボクに分かるはずもない。
 ボクは泣きそうな思いでセーターの袖口を引っ張った。裂けようが穴が開こう が、そんなことはどうでもよかった。だけど、焦れば焦るほど、毛糸が絡まって 毛玉みたいになって、しまいにはボクは本当にワーワー泣き出してしまった。
 どれほどの時間、泣いていたのだったろう。気がついたら、日が落ち始めてい た。周囲はシーンと静まり返っている。誰もいない。日中はともかく夜ともなる と、誰も通らない道。
 ふと、袖の辺りを見遣ると、裂け解れた毛糸が毛玉になってダラリとぶら下が っている。けれど、もう、何処にも絡まってなどいない。
 そうだ、ボクは無我夢中で力任せに逃げようとして、どうしても解れなくて、 とうとう気力が萎えて、ホントは何処へも逃げられるのに、へたり込んでしまっ ていたのだ。
 秋口で、寒くはないはずだけど、でも、背筋がゾクゾクし始めていた。
 鬼ちゃんは、じゃない、兄ちゃんは、どうしてボクを捕まえてくれなかったん だろう。他に獲物があったからなのか。
 薄闇の竹垣の道。街灯などあるはずもなく、ボクの大嫌いな小父さんの家の窓 から溶けたアイスクリームのような、だらしない灯りがそこらに垂れ零れている だけ。あの時、空に月とか星とか見えたっけ。

 オレは、何処とも知れない道を歩き続けていた。馴染みのあるような、でも、 よそよそしい道。あの時のオレはどうしてあんなにも必死に逃げたのか。今では 分かっている。そうだ、鬼ちゃんのあの性癖のせいなのだ。兄ちゃんは、獲物を 捕まえたら、何処かの藪に連れ込んで、なんだか訳の分からないことをする。ボ クは、その光景を何度となく見詰めてしまった。そうだ、ボクは逃げ足が速かっ たから、それに可愛いほうじゃなかったから、鬼ちゃんの餌食にはならなかった。
 でも、兄ちゃんに掴まってさんざんに可愛がられた女の子は何人もいる。女の 子がいないときは、可愛ければ男の子だって餌食になる。兄ちゃんの玩具になる。 真っ裸にされて、そして裸のお兄ちゃんの裸のどこかに潜り込まされる。
 オレは、そんな真似をさせられるのが嫌で嫌でたまらなくて逃げた…。そう思 っていた。ずっと、そう思ってきた。いや、そう思いたかったのだ!
 でも、もう、今じゃ、さすがにオレは分かっている。そうだ、オレはあの時、 兄ちゃんから逃げようとしたんじゃなかったんだ。オレは、お兄ちゃんのいるほ うへ急いで行きたかったんだ。そして、お兄ちゃんのやることを、玩具となった やつらの哀れな格好を、えげつない仕草を眺めたかったんだ。オレはあいつらみ んなが何故か憎かった。みんな可愛くて、無邪気で、親に大切にされていて…。
 だけど、そのときは、焦ってしまって、兄ちゃんの与えてくれる楽しみに間に 合わなかった。鬼ちゃんが餌を呑み込むさまを、いや、呑み込まさせる光景を一 緒になって、そう、自分も食っているような、食わさせているような気分になっ て楽しむ、その愉しみがフイになってしまうことが惜しくてならなかった。オレ はそのことを悔しがっていた…。

 オレは、何処とも知れない道を歩いていた。そうだ、今度はオレが鬼ちゃんに なるんだ。そのために、今、薄闇のいつか来た道を餌を求めて歩いているのだ…。


                               03/12/24 21:04



  [注意!: 以下の評は、本作を読了の上、参考にしてください。当然のことながら、一つの読み方の可能性をS・Y氏が示してくれているものと思います。氏は、決して小生の小説のファンというわけではなく、あるサイトで目に付く全ての(虚構)作品に目を通し、且つコメントを寄せるという方なのです。その意味で一定の第三者的立場を確保された上での批評なのだと思っています。]



S・Y氏の評





 無精庵さん、こん**わ。
「いつか来た道」拝読しました。

 無邪気な鬼ごっこのはずだった。なのに…

 なのに、相当な凶悪作品です。はっきり、シビレマシタ。タイトルからしてギャップ 激しすぎ。
 えっと、「未読」の方は、ある程度の覚悟が必要でしょう。作品的には、かなり(そ う、相当“かなり”)「上手い」のですが、それだけに、ある種の「憤り」を覚えるか もしれません。


  あくまでも
  創作ということでネタバレ改行


 兄ちゃんの正体がヒデェ。それに輪をかけてこの主人公の内心がヒドスギ。
 いえ、作品としてはスゲェ。あくまでも「ヒデェ」ではありません。「スゲェ」で す。
 イントロで見つめていた、竹藪の家の曲がり角。単なる回想で子供の頃、そこに引っ かかって鬼の兄ちゃんがやってくると思ってピーピー泣いていただけの話ではないわけ です。「獲物」を引っ張りこむのに都合が良さそうだと物色していたという凶悪すぎる 伏線が、タイトルまで関連づけての複合設定。もう、「思いっきり」です。
 タイトルにしても、兄ちゃんがたどった道を自らも辿ろうとしている、まさに「いつ か来た道」であり、しかも自分の不細工さ故に、兄ちゃんからさえも相手にされなかっ たという屈辱感と、俗に言う「良家のお子さま」がいいように嬲られるのを見たかった という屈折感情が、大人となった今となっても内奥に息づいている恐怖感がジワリと染 みてきます。
 しかも、主人公自身、そんなに良い環境に恵まれたわけでもなさそうで、子供の頃か らの嫉妬心や社会への不平等感、絶望感が後押ししている様子も陰に含まれています。 この辺の見えそうで見えない表現バランスもしっかりと作品の陰湿感を支えています。
 故に。
 俗に言う、「リアル過ぎる」作品です。冗談で済まされないよなぁと思わせる迫力が あります。タイトルが平静なだけに、なお一層、コントラストがキイテいるのです。

 コイツはヤラレマシタ。これだから無精庵作品はコワイ。
 斬れ味バツグンの諸刃の剣、その妖刀から発せられる毒気、悪気に当てられた作品で した。


                                 S・Y

                               03/12/28 23:59