|
天皇陵の学術的研究を 小生は古代史や考古学(必ずしも日本に限りませんが)に興味があり、いろいろ文献に 当たったり、近年新聞などマスコミ上を賑わす縄文時代や弥生、更には飛鳥などの発掘 情報に耳を傾けています。 特に縄文時代が従来の想像や先入見をあざ笑うかの如き、文化においても各地の交流 においても活発な時代であったことがドンドン明らかになってきている。逆にいうと、 決して戦争や身分制度や病気などのなかった時代では決してなかったことも次第に見え てくるだろうけれど。 ところで「卑弥呼の謎 年輪の証言」(倉橋秀夫著、講談社)など、ここ数年など、 年輪年代法の確立により新しい知見が現れていて、弥生時代についても小生は興味津々 です。 その上で、上記の成果により従来から言われていた箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないか 、しかし、それにしては年代が合わないという難点があったのが、年代的にも符号して きたという。その結果、年代区分も変更を余儀なくされてきたし、同時に古墳時代の始 まりも、もしかしたら卑弥呼の墓を持ってということになるのかもしれない。 それはともかく、古代史学者や考古学者ならずとも、箸墓古墳に限らず、天皇陵とし て宮内庁の管理の下、実質的には風雨と月日に荒れるままになっている現状を憂えてい る人は多いだろう。 何故、宮内庁は、天皇陵の学術的研究を許さないのだろう。一部では天皇陵は正に墓 であって、神聖な場所であるからとか、あるいは又、天皇陵を研究されることで天皇の 出自が明らかになるのが困るからとか、憶測は尽きない。 しかし、天皇陵は日本人の宝ではないか。我々はエジプトの王の墓であろうピラミッ ドだって研究している。それは墓を暴くこと、単なる好奇心のなせる業ではないはずだ 。正に世界の財産・至宝であるからこそ、きちんとした研究をしたいのではないか。 このフォーラムの参加者の方々はそうした事情などに詳しいと思われるので、是非意 見を聞きたいものです。 邪馬台国をヤマトの国と読みたいK [この発言は某フォーラムへの投稿文(昨年3月21日付け)をそのまま掲載しました。最後のKは投稿時の小生のハンドルネームの頭文字です] 天皇陵の学術的調査・研究・保存を(続) 小生の単純な思考癖から、ついて結論を急いでしまった。前回、年輪年代法などハイテ ク考古学の発達により、箸墓が卑弥呼の墓である可能性、まさに場合によっては生存中 に卑弥呼の世界観・宇宙観、あるいは呪術的思考から来る政治情勢認識から、先進地域 である朝鮮半島の文化や政治制度の一端としてあの古墳の形式を取り入れたのだろう。 それとも卑弥呼没後、邪馬台国を圧伏した勢力が旧来の文化を否定し、新規勢力の文 化を移入し、卑弥呼をさえもその墓に封じ込めたのだろうか。古墳時代が騎馬民族文化 なのかどうか分からないが、大陸文化の匂いはプンプンする。 ところで、結論を急いだと述べたのは、確かに、あるいは仮に卑弥呼の晩年時におい て彼女がヤマトの地にいたとしても、あるいは埋葬だけかの地で行われたのかもしれな いし、邪馬台国までもがヤマトの地にあったとするのは早計なような気がするからだ。 邪馬台国が実質的には九州にあって、卑弥呼が長年の大乱を治める象徴的地位につい た時、東の倭の地へ遷ったとは考えられないだろうか。中国の史書にもあるように日本 と倭とは別物であることだけは確かなのだから。 いずれにしても、箸墓古墳などを学術的研究・調査してみなければ、分からないこと が多いが、ただ、仮に箸墓古墳が卑弥呼の墓であったとしても、だからといってヤマト の地、畿内が邪馬台国の所在地だとするのは別のことかもしれないということだ。 さて件の天皇陵の学術的研究・調査である。日本と韓国が新しい時代を迎えようとし ている。その時にあたって、少なくともある時代までは切っても切れない関係にあった 日本と韓国との(大きくは朝鮮との)歴史的文化的背景を探ることは意義少なしとしな いはずである。 何といっても日本は多分、弥生どころか縄文の昔から大陸(中国)を常に意識してき た。そして、最近、縄文時代の日本が想像以上の文化程度を達成していたとしても、しか し大陸が先進地域であったことは間違いない。 その上で、日本は直接、中国などの大陸文化人に接するより、飛鳥や奈良時代などを 見れば明らかなように朝鮮半島の文化人(政治・経済を含めて)を介して移入していた のだ。 あるいは弥生時代が大陸からの渡来人の影響で始まったように、あるいは古墳時代以 降は、単に朝鮮の人々が文化の指導者であっただけではなく、実際に政治的指導者でも あったのかもしれない。天皇の血筋が土着(どこからが土着なのかも不明だし、言い換えるとその前に土着という言葉の定義も曖昧なのだが)のもの だけとは誰しも断言できないはずだから。 日本の人々(特に王権に拘る人々)は長年、朝鮮にコンプレックスを持ってきたよう だ。かなりの程度において彼らが指導者であり先進文化の担い手であったことを、なん とか否定はできないものの、その程度を極力少なく考えたいのだろう。 こと、有史に限れば成り上がり者の国家である日本は、それだけ朝鮮(そして中国) に拘ってきたのだろうと小生は考える。だからこそ、靴底で甚振るような真似を犯して しまったのではないだろうか。 日本の歴史を遡れば、北海道であればオホーツク文化圏として場合によってはロシア の一部との繋がりが古くからあったわけだし、南に目をやれば東南アジアとの文化的そ して血縁的関係が深い。九州から北陸などは朝鮮半島や大陸との交流が縄文の昔から( 恐らくは石器時代から?)あったと考えるのが妥当だろう。 その交流が文化に止まるはずもなく、血縁の上でも混血したことは想像に難くない。 日本人とは日本の文化・風土・伝統を愛しつつ日本国籍を有しているもののことであ って、血筋において遠い(あるいは近い)過去において朝鮮人だったとか、中国人だっ たとか、東南アジアからの渡来者だったか、ブラジルなどからの移民だったかには関係 ないはずだと小生は考える。 日本と韓国(朝鮮)や中国との絆を再確認する一貫として天皇陵墓を国民の財産とし て冷静な目で研究・調査・保存を望みたい。多分、日韓の文化交流の象徴になりうるのでは なかろうか。 越の国よりの流れ者K [この発言は某フォーラムへの前回の投稿(昨年3月21日付け)の続編です。日付も同じです] |