1.富山と北海道と昆布と
2.富山とコロッケ
1.富山と北海道と昆布と
(04/10/03 up)
ネットの輪の中に、最近、北海道の方が増えているような気がする。それに、
北海道銀行(札幌市)と北陸銀行(富山市)との一層、深い交わりの動きが最近
あった。つまり、両者が経営統合し、この9月1日「ほくほくフィナンシャルグ
ループ(FG)」が発足したのである。
それにしても、素人の疑問だが、どうして、北海道銀行と北陸銀行なのだろう。
何か、もともと繋がりがあったのだろうか。下記サイトによると、「当行(北陸
銀行)の北海道事業は明治の開拓時代以来の歴史を持つ」のだとか:
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20040827c6b2702b27.html
昨年は、富山市出身の高橋はるみ氏が、北海道知事となられた。実際、彼女の
祖父は富山県知事を2期8年務めた高辻武邦氏なのである。それがどうして北海
道知事なのだろう:
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/furusatoyo/index6.shtml
小生自身、「富山とコロッケ」の中で、「富山は明治の頃、北海道開拓民とし
て多数が北海道へ渡った。北海道には今も富山出身者が多い」として、富山と北
海道の繋がりについて触れている:
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/toyama-croquette.htm
とにかく、富山と北海道の関わりを実感させる事柄が増えている。「富山とコ
ロッケ」では、ジャガイモに幾分、焦点を絞ったが、今回は、昆布に注目して、
富山と北海道の交流・関係の深さを探ってみたい。
上掲の一文では、「北海道への富山県民の移住には、沼田喜三郎の尽力に依る
ところが大きい」として、関連するサイトも紹介している:
http://mytown.asahi.com/toyama/news02.asp?c=11&kiji=79
小生の拙文のタイトルが「富山とコロッケ」なのも、北前船などにより、「北
海道で収穫された米のほかに、ジャガイモが富山へ送られたものらしい。そのジ
ャガイモを材料にコロッケを作られた」らしいことが背景にあるからだ。
そんな小生は、「犬とコロッケ」という掌編を書いたことがある。子どもの頃、
コロッケなどを学校帰りに買い食いするのが珍しくなかったという当時の背景が
あるからなのかもしれない:
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/dog-food.htm
「富山から北海道への移住」については、例えば、下記サイトが参考になる:
http://www.aimono.com/z_izyuu.htm
今でこそ、富山は米所として知られているし、そもそも富山湾は汽水の海とし
て、漁業には最適の海のはず。なのに、わざわざ風土のより厳しい北海道へ、何
故、渡っていったのか。それは、漁業については、「富山は海岸線の長さが漁民
一人に換算すると短く例え漁があっても大量貧乏に陥ることがあり、漁民は苦し
い生活を強いられていた」からだという。
[汽水:「海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水。内湾・河口部など
の海水」
下記サイトを参照のこと:
http://www.bunshun.co.jp/jicho/moriha/moriha01.htm ]
さらに、上記サイトによると、「越中衆は北海道でも一番端の根室、北方領土
の歯舞群島の多楽、志発、水晶島、色丹島、知床の羅臼、利尻の沓形(新湊)と
厳しいところを開拓していった。厳しいところだから、豊富な魚、良質の昆布が
あり、成功していった」のだとか。
さて、数年前の統計になるが、「富山の家庭は、昆布、ぶり、たら、いかの消
費額が日本一」だという:
http://www.pref.toyama.jp/sections/1015/ecm/back/2000jul/tokushu/index2.html
とにかく、富山は、「魚介類支出金額は常に全国トップレベル」にあるのだと
か。その中でも、富山における[昆 布]の年間支出金額が日本一であるだけでは
なく、全国平均の3倍も購入しているという。
実際、郷里富山の我が家は、贔屓にしている魚屋さんから、昆布巻き(コブマ
キ、コンブマキでもゴトウマキじゃない)を折に触れ注文しているが、使われる
昆布は北海道産の昆布と決まっている。
上掲のサイトでは、「(1)北前船による昆布ロードの形成」という項がある:
「昆布の採集は、徳川幕府が蝦夷地(現、北海道)経営に本格的に取り組んだ江
戸時代から盛んになった。収穫された昆布は北前船によって日本海の沿岸沿いの
各地に運ばれ、越中からは米、しょう油、むしろなどを北海道へ運んでいた」
さらに、「富山藩では、2代藩主前田正甫(1649〜1706)」の尽力もあり、「売
薬業が盛んになり、売薬商人が全国に出かけていた。こうしたなかで、昆布の運
搬と売薬業者のかかわりが生まれた」という。
そして、「昆布の運搬を手がけた業者には売薬業者が数多くおり、売薬業のか
たわら北前船で昆布を北海道から薩摩へ運び、薩摩藩は琉球王朝に運んだ。さら
に昆布は琉球から清国へ密輸され、清国からは漢方薬の原料が輸入された。それ
が薩摩藩を通じて当時製薬の中心であった越中の製薬業者に売られた。このルー
トを<昆布ロード>と名づけている」というのである。
昆布に関しても、日本海を跨ぐ、壮大な<昆布ロード>と呼ばれるルートがあ
ったわけである。
その上で、「富山は北前船の中継地だったことから北海道の食材が持ち込まれ、
そこに富山の先人の知恵が生かされ、にしん昆布巻きのように独特の昆布の食文
化を作り上げていった」というのである。
恥ずかしながら、昆布と売薬が深い関係にあったとは、小生は初めて知った。
以上は、江戸時代の話だが、さらに明治になっても、富山と北海道の関わりは
深まっていく。「明治時代になると、富山県民の北海道移住や漁業出稼ぎが始ま
り、北海道周辺漁場の昆布漁は彼らによって開拓されたといわれている」のだ。
その昆布だが、富山で全国平均を遥かに上回る消費をするには、別の理由があ
ったという:
「3 昆布を使った料理の普及 (1)真宗王国としての精進料理」
その冒頭に、「「真宗王国」と呼ばれる富山は浄土真宗の信仰が厚く、仏事で
は精進料理がもてなされる。精進料理では魚肉類をだしに使わない戒めがあり、
だしには昆布が用いられる」とある。
先に紹介した昆布巻きの他に、昆布かまぼこも、にしん昆布巻も、富山ではポ
ピュラーな料理なのである。
04/09/20 記
2.富山とコロッケ
(03/07/27 up)
夕方の5時前だったか、やっと目が覚めた。金曜日の夜には久しぶりに長距離
のお客さんが付いたりして、結構、忙しく、体力のない小生は少々疲れたようだ。
嬉しい悲鳴である。
常になく忙しいと、いつも以上に神経が高ぶっているようで、帰宅してからも
すぐには眠れず、ワイドショー番組でイラク特措法案を巡る未明の騒ぎについて
の識者のコメントを聞いていたりして、10時過ぎ、やっと眠ることができた。
というわけで、一眠りして目が覚めたら5時近かったというわけである。
で、なんとなくカーナビのテレビを見ていたら、画面の右上に富山という言葉
が。どうやら富山を特集しているらしいと見入ったら、富山とコロッケの関係が
深い、その両者を結びつけるのに、北海道が絡んでいるらしい。その理由を探る
番組だったようだ。タレントの風見慎吾が富山などをルポしていた。
念のため、富山市でのコロッケを含む食事の献立上での嗜好を見てみると:
http://www.pref.toyama.jp/sections/1015/lib/kakei/_rep11/report04.html
幾分、地位が低下しているようだが、それでも依然として献立の上位にあるこ
とが分かる。市民一人あたりの消費も高いようだ。
どうやらコロッケを作るメインの素材である男爵芋(ジャガイモ)にヒントが
あるらしいのである。富山は明治の頃、北海道開拓民として多数が北海道へ渡っ
た。北海道には今も富山出身者が多いのだ。そして長く富山は貧困に喘いでいた
のだ。
北海道への富山県民の移住には、沼田喜三郎の尽力に依るところが大きい:
http://mytown.asahi.com/toyama/news02.asp?c=11&kiji=79
「10万円の資本で、富山から入植を募った。渡航費や1年分の食糧を貸与し、
1反ごとに開墾料を支給。年貢を3年間免除し、成墾地の8割に永小作権を与
える契約だった。破格の条件に、凶作で土地を追われた農民ら18戸が応じた。
94年4月、全国でも珍しい開墾委託会社の始まりだった。」
今でこそ、持ち家率の高い富山だが、明治の頃は子沢山の中、荒れた地が多く、
土地を子どもに分け与えるには足りず、長男以外は家を出るしかなかったのだ。
その北海道で収穫された米のほかに、ジャガイモが富山へ送られたものらしい。
そのジャガイモを材料にコロッケを作られたというのだ。
運搬には、北前船が使われたという:
http://www.fitweb.or.jp/canal/koekizu.html
このサイトによると、「東岩瀬は江戸時代加賀藩のお蔵がおかれ、米の積み出
し港として栄え、さらに、北海道交易を中心に廻船問屋(北前船主)が成長し、
活況を呈するようになりました。また、神通丸は、東岩瀬米田家の持ち船として
明治から昭和にかけて活躍しました」とある。
その船で、お土産としてジャガイモが富山へ送られたのか、それとも米などと
並ぶ交易品だったのかは、小生は分からない。
コロッケというメニューが選ばれたのには富山の(女性の)風土性が背景にあ
るとも、番組の中で説明されていた。富山は男も女も働く。共働きは当たり前の
風土だった。家事は勿論、田圃や畑その他でも女性は大きな戦力である。
従って女性は忙しい。料理に凝ったものを作る余裕が少ない。その点、コロッ
ケは作りやすいし、カロリーも含め食べ応えがあるし、なんといっても美味しい。
云々。
[我が家の食卓にも、魚や野菜などと並んで、しばしばコロッケが出たものだった。魚は、トラックの荷台に魚を積んだ魚屋さんが毎日(? 毎日だったか、日に二度だったか、単にしばしばだったか覚えていない)、売って回っていた。小生がガキの頃は、我が家には田圃がそこそこにあり、畑もあり、家事もこなさなければならない、などとお袋に限らず農家の主婦は買い物も侭にならなかった。だから魚屋さんが新鮮な魚を売りに回ってくることが重宝だったのだと、後になってからやっと気が付いた次第である。(03/07/27 追記)]
小生は小学校や中学校の帰り道、何処かの惣菜屋さんに立ち寄り、コロッケな
どを買い食いするのが楽しみだった。美味しかったし、育ち盛りで、帰宅して食
事の時間を待つことができかったし。
そういえば、小生は以前、「犬とコロッケ」という掌編を書いたことがある。
なるほど、作品の背景には、コロッケを買い食いするのが珍しくない昔の富山
特有の風景があったのだと、なんとなく納得した。
03/07/26 記
[この雑文をアップするに当たり、コロッケを英語でどう表記するのか調べてみた。すると、Croquette だとある。いかにも綴りがフランス風だなと思いつつ、英和辞典での説明を読むと「Croquette コロッケ。フランス語から(croquer 砕く。つぶす)」と記してある。その前後に似たような綴りの単語が並んでいる。例えば、「Crockett クロケット(1786−1836)米国の西部開拓者・政治家。Alamoで戦死。伝説的英雄ともなっている。通称Davy Crockett」とか、「Croquet クローケー(芝生の上で鉄の門を通し、相手のボールを追いのけながらごールのポールにあてるゲーム)」だとか。
ところで、この小文を書き上げてすぐに、富山というと蒲鉾だなと思い出した。というか、上掲の富山市の献立などの事情を書いたサイトで蒲鉾という名前を見て、ああ、そうだったと思い出したわけである。
これまた、蒲鉾の美味しさには後年になって気が付いたものだった。ラーメンの上にチャーシューではなく薄く切られた昆布巻きの蒲鉾などが乗せられるのが富山の、それとも近所のラーメン屋の特徴だったのだ。
のちに学生時代を仙台で過ごしたが、その仙台には「笹かま」がある。美味しいと評判だったりするらしいのだが、富山の蒲鉾を食べなれた人間には、今一つだった。
蒲鉾というのは、魚の身を擂り潰したものが材料なのだが、その擂り潰す具合が、富山に比べ幾分、雑なように感じられたのである。それが仙台の笹かまの特徴なのかもしれないが、最後まで違和感が拭えなかったものだ。 (03/07/27 記)]

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