(03/10/11 up)
3月は別れの季節である。学生時代など、遠い昔のこととなった小生だが、ホー
ムページを開設し、メールマガジンを配信するようになって、様々な方たちとの出
会いと別れを経験するようになった。特にこの3月は、それぞれの読者や通信相手
の方たちの生活事情や環境が変化することが多く、便りの途絶えてしまった人も多
い。
中には、小生の不肖の故に離れていった人もいるに違いない。別に3月だから消
息が絶えたわけではないのかもしれないのだ。ただ、それでも、この環境の変化を
経験する時期に、気分一新だったり、新たな世界への旅立ちに際し、過去の軋轢を
一掃しようという気持ちにもなりがちなことは、感じざるを得ないのだ。
そこで、というわけでもないが、今回は、ちょっと趣向を変えて、卒業式のシー
ズンでもあるし、「蛍の光 窓の雪」ということで、雑談というのか、簡単なエッ
セイを提供したい。
人は、「蛍の光」という歌を御存知だろう。卒業式などで歌われる、あの歌で
ある。もしかしたら知らないよ、忘れたよという人もいないとは限らないので、念
のため、歌詞を示しておこう。
「蛍の光」
一
ほたるのひかりまどのゆき
書(ふみ)よむつきひかさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞ けさは わかれゆく
二
とまるもゆくも かぎりとて
かたみにおもう ちよろずの
こころのはしを ひとことに
さきくとばかり うたうなり
ところで第二節の「かたみにおもう」の「かたみ」って、分かるだろうか。もしか
したら昔、先生に説明されたのかもしれないが、今度、この歌を引用して、改めて
歌詞を読んでみて、小生は分からなかった。
あの、決して、「固めに」が訛って「かたみに」って、なったわけじゃないよ。
これは、「片身に」ということで、「互いに」という意味だそうである。広辞苑で
は源氏物語(若紫)から「あやしと思へど、かたみに言ひ合はすべきにあらねば」
が参照してあった。
「ちよろずの」は分かるだろう。これからもずっとということだろう。
「さきく」は、「幸く」で、無事にという意味でいいのだろう。
この歌が、もともとはスコットランド民謡に基づく文部省唱歌であることも、知
っておられる方は多いだろう。
事典によると、「文部省の音楽取調掛が編集した『小学唱歌集』初編に「蛍」の
題名で収められ、その後広く愛唱されるようになった」(NIPPONICA 2001よ
り引用)という。なお、日本語の作詞者は不祥とのことである。
別れの歌として我々は受け止めているが、どうやら実は、「旧友を偲(しの)ぶ
歌」というのが真相のようだ。
以下に示すサイトによると、「そもそも原題は "Auld Lang Syne"(スコットラ
ンド語)で 英訳すると"Old long ago"つまり 「遠い昔」という意味」になるのだ
そうだ。原詩も読める以下のサイトを関心のある方は、Auld Lang Syneを覗いてみたらいかがなもの
か。
これまた、小生の無知に過ぎないのだが、この文部省唱歌は、我々が歌うとき第
二節までしか、今は歌われることはない。
が、もともとは第四節まであったという。それも、「皆と別れて国を守るために
戦地へ旅立つという、多分に軍国主義的な内容であった」(引用は上掲の事典)と
いうのだ。
参考に第四節を紹介しておこう。できれば、この歌詞の二度と歌われることのな
いように願うばかりである。同時に、この歌詞を歌って戦地に赴いた方々がいたこ
とも、忘れてはならないと思う。
千島のおくも おきなわも
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく
[尚、この歌詞は右記のサイトで見つけたもの:「金口木舌」]
このサイトによると、” 収録される二年前には、琉球王国が沖縄県として日本
の国家に組み込まれている。この歌詞は大正時代には「台湾の果てもからふとも…」
に替えられたという ”とある。
ところで、先に作詞者は不祥と記したが、あるサイトを覗くと、作詞者は稲垣
千穎とあった。この辺りの真相は、小生はまだ突き止めていない。
このサイトによると、「歌詞のもとになった中国の話は『蛍雪の功【けいせつの
こう】』」だそうである(そういえば、昔、『蛍雪時代』なんて受験雑誌があった
なぁ)。以下、その話を同サイトより引用しておく。
“ 中国の東晋【とうしん】の時代に、昼も夜も勉強をしたがる学問好きの少年が
いました。
しかし、家が貧しくて明かりの為の灯油を、買えませんでした。
それで、蛍【ほたる】をつかまえて、その明かりで勉強しました。
少年は、のちに役所の高い官職につきました。
同じころ、別のところに、やはり学問好きの貧しい少年がいました。
やはり、貧しくて明かりの為の灯油を、買えませんでした。
夜、少年が本を読めない日が三日続きました。
頑張っている少年に天は味方しました。
四日目の朝から雪が降り始めました。
夜、月の明かりと雪の反射で、本が読めるようになりました。
この少年も、のちに役所の高い官職につきました。”
今の時代、蛍の光で勉強することなど(少なくとも日本では)ありえないだろう。
特に若い人だと、想像もつかないかもしれない。あるいは、窓の雪と月の明かりで
勉強するっていうのも、何か冗談めいて受け止められるかもしれない。
尤も、小生自身、蛍雪の下でどころか、電気スタンドの下でだって勉強はしなか
ったのだから、人のことなど、とやかく言う資格もないが。
が、都会ではともかく、ちょっと田舎へ行くと、そこが街灯などなく、森や林の
中にポツンと一軒家風に建つ家だったりすると、月の明かりの強烈さがしみじみと
実感されることがある。まさに煌煌と照るという表現がピッタリする、何か魂の中
にまで月明かりで照らし出されたような、不思議な、胸騒ぎを覚えそうな感動だっ
て覚えるかもしれない。
闇の深さの底知れなさは、凄まじいものがある。だからこそ、夜の月や星は大切
で大切でならないものなのだ。
さすがに星の煌きでは書を読むことができないが、しかし、月となると、違うの
である。
そういえば、ヨーロッパ、特に北欧だと、名詞には男性、女性の区別が付く。で、
月は男性名詞であり、太陽が女性なのである。別に「元始、女性は太陽であった」
をもじったわけではなかろう。北欧は緯度が高く、従って太陽は夜遅くまで白々と
した、神経を逆撫でするような曖昧な明るさを贈る。
それに対し、夜の月は、時に天高くにあって、日本では想像も付かない強烈な明
るさを大地に恵むのだそうである。月に狼が吼えたり、あるいは眠れない魂を抱え
て、身も世もない人間には、月の光は罪深かったりするのも、なんとなく分かるよ
うな気がする。
その、ほんの雰囲気ばかりは、かのカスパール・ダヴィッド・フリードリッヒの絵画
に嗅ぎ取ることができるかもしれない。
[以上の絵は、このサイトを参照。]
尚、別のサイトでも、若干、フリードリッヒについては触れている。その中
に文献も多少、示してある。関心のある方は御覧願いたい。
ところで、頓馬な疑問を抱く人もいるかもしれない。何も夜にわざわざ勉強しな
くなって、昼間に頑張ればいいじゃない、とか。上記の話にもあるように昼もちゃ
んと勉強しているのだ。あるいは、日中は家の手伝いで働いてばかりなのだ。だか
ら、人より出世をするには、人が休む時にこそ、頑張るしかないわけである。
まあ、そんな堅苦しいことは抜きにして、窓の雪を見ていると、何か胸が締め付
けられるような、自分がここにいるべきじゃなくて、何処か他にもっと自分がいる
べき場所があり、そこで誰かが俺を呼んでいる…といったような、郷愁とも違う、
不思議な感傷に囚われるものである。
小生が未だ郷里である富山で暮らしていた頃は、まだ雪も毎年、たっぷり降った
ものだった。だから、3月になっても、さすがに降雪の日は少ないとしても、根雪
は深く固く大地を覆っていた。
特に民家の屋根などからの雪や、道を空けるために道端などに積み上げられた雪
は、3月の初めや半ばだと、当分溶けそうにないように感じられる季節だったよう
に思う。
夜、家族のものが寝静まった頃、こっそり家を抜け出して、銀色一色の世界へ踏
み出していくのが大好きだった。部屋の明かりを消しても、曇りガラスの窓だし、
カーテンだってされているのに、部屋の中が青白い光で満たされていて、とてもじ
ゃないが、眠る気にはなれなかったのだ。
雪の降り積もる頃となると、部屋に閉じ篭って、いつもより早く灯りを消したり
さえしたものだった。時には、学校から帰り、遊び友達ともはぐれた時、なんとな
く漫画を読む気にもなれなかった時、家の奥の座敷に篭ってみたりする。
4時頃には、薄暗くなり始める。が、その暗さの中に微妙な、曖昧としか言えな
い感覚が漂い始める。
何か光の微粒子らしきものが、薄暮の中に幽かにだが明滅し始めるのである。襖
の締め切らなかった透き間から、あるいは障子戸の白い紙を透かして、雪明りの洪
水が密やかに染み込んでくるのだ。
が、薄闇の中にいる自分には、まるで光が部屋の闇の中で生まれ、それが部屋か
ら溢れ出して、外の世界を蒼く溺れさせていくような錯覚を覚えてしまうのである。
自分の小さな心の中の、小さな、取るに足りない魂の光が、束の間、世界の主役
になり、世界を光で埋め尽くしてしまう…。
部屋が暗くなっていくのだけれど、しかし、にもかかわらず、光が命をひめやか
に萌し始め、床の間の掛け軸や襖の模様を浮かび上がらせる。この不思議な矛盾の
中に、何か神秘の萌芽を感じとっていたように、今にして思うのだ。
夏近い頃の蛍の乱舞、そして冬の日の窓の雪。そのどちらもが、今の自分にはあ
まりに遠い。
けれど、もしかしたら遠すぎて手が届かない世界になってしまったからこそ、懐
かしく切ないのかもしれない。
02/03/06 22:15

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