梅は咲いたか数日前の真夜中過ぎだったと思う。小生は、とある公園の脇に車を止めた。用を 済ませたけれど、小雨のそぼ降る冷たい夜で、月や星を眺めて心を静めることもで きない。 それでも、雨が小降りなのをいいことに、公園の奥に足を運んでみた。 すると、何か赤っぽいものが枝に見える。梅だ! 驚いたことに、もう、梅が咲 いているではないか。 でも、すぐに、驚く自分が迂闊なのかと、思い直した。梅の開花は早いのだ。今 頃、すでに固くその身を閉ざしているはずの蕾が開き始めたって不思議はないのか もしれない。無粋な自分が気付いていなかっただけなのかもしれない…。 それにしても、冬本番は、まだまだこれからのはずじゃないのか。 なんて、思っていたら、公園の端を縁取るように植えられている椿も咲き始めて いる! 花たちは冬の最中にも春を予感し始めているのか。 東風吹かばにほひ起こせよ梅の花、と昔、誰かが詠った。 絹の糸のような雨が夜の底に降り続いている。深い夜の果ては、まだまだのよう だ。けれど、凍えそうな体を何か、ほんのりとしたものが暖めてくれたような気が して、また、車に乗り込んだ。 02/01/19 23:56 天神様信仰と梅の花小生の郷里、富山は、天神様信仰が古来より盛んでした。 信仰と書くと大袈裟ですが、でも、旧家などでは座敷に天神様の掛け軸が、正月 などには掛けられることが結構、今でも見られます。 実際、小生の家でもそうです。尤も、子供の頃は何故、こんな掛け軸が仰々しく 鎮座しているのか、分からないままにボンヤリ眺めているだけでした。 恐らくは、幾度となく父からその天神様の掛け軸の由来などを説明されたと思う のですが、生来のボンクラ者で、左の耳から右の耳へ通り抜けるばかりだったよう です。 その天神様のことについて、改めて関心を持ったのは、今年、大河ドラマで放映 されることが決まった「利家とまつ」の御蔭です。 小生の家は、富山といっても富山市なのですが、県の西部である高岡市は加賀の 領地でした。まさに加賀百万石の文化や歴史の香りを高岡市近辺までは、たっぷり と享受してきたのです。 その加賀つまり、前田家は、菅原道真の末裔と自称しています。江戸時代の初期 に、徳川家から、徳川家同様源氏の末裔を称するか、あるいは平家の末裔を称する かを迫られた時、前田家は、深謀遠慮だったのでしょうが、菅家の裔を選択したの です。その前は源氏を名乗ったことも平氏を名乗ったこともあったのですが。 これは、源氏にしても平氏にしても武家の棟梁なのですが、菅原の裔を自称する ということは、我が前田家は武よりも文を重視するという宣言のようなものだった のでしょう。つまり、決して徳川家には背かないという意思表示だったわけですね。 そうはいっても、前田家はその文化重視の政策を採りながらも、いざ鎌倉の精神 は決して忘れなかったようです。 例えば、高岡の銅器にしても、戦のための武器を作る技術の研磨を何処か意図し ていたようですし、城などの材料に鉛を使用し、いざ、戦争となったら、鉛を鋳直 して玉にすることができるようにという心構えがあったといいます。 ところで、前田家が菅原道真の後裔を系図上、選んだのは、別の理由がありまし た。 それは、前田家の祖先が、菅原道真の子孫が移り住んだという伝説の残る荒子に 居住したという、これまた伝説があったことです。 だから、菅家の後裔を自称したとしても、一応は、もっともらしくはあるわけで す。 そういうわけで、富山、特に県の西部を中心に、天神信仰が、前田家の支 配と重なるようにして、広まったわけですね。 さて、小生の生まれた富山市は、加賀藩の支藩であり、実際には、徹底して年貢 などを絞られ、貧窮を極めたと聞きます。当然、文化的土壌など育つ余裕などない わけです。当然の如くして、富山市(富山の東部)は、実利一辺倒になりがちなの でした。 この点からすると、富山の東部の人間は、加賀の地の経済や文化の繁栄を遠いも のとしてみてきたわけですし、小生も、素直には前田家を(県の西部の人間ほどに は)眩しくは見ることが出来ないのです。 これは、万葉集の編者である大伴家持が、都から遠ざけられた時、数多くの歌を 詠ったのが、これまた県の西部である高岡の地であることとも、重なって、一層、 富山の東部の人間は西部を妬ましいような羨望の念で見ざるを得ないことに繋がっ てるのです。 それでも、富山の東部のわれわれも天神様信仰に染まっているというのは、それ だけ、文化に飢えていて、藁をも掴む思いで、富山市だって大きく見たら加賀の領 地だったのだ(これは間違いではないのだが)、文化の遠い影響くらいはあるのだ と思いたい気持ちの現れのように、小生は感じます。 富山市など東部の人間は、文化に関しては鬱屈しているのですね。 小生の生まれた時、学問の神様である天神様にあやかるべく、大枚をはたいて天 神様の掛け軸を、専門の業者に依頼して作ってもらっていたわけです。その霊験あ らたかだったかどうかは聞かないで戴くとして、このところチラホラと咲き綻びか けてきた白や桃色の梅の花を見かけると、東京に在する小生は、郷里を、そして郷 土の者の屈折した心情を思い出したりするのです。 今も郷里からはお袋の手作りである梅の漬物を送ってくれます。その梅は我が家 の庭で取れたものと聞いています。だからでしょうか、酸っぱい梅を御飯と共に食 べる時、一層、心に酸っぱさが沁みるのです。 [前田氏と菅原道真については以下のサイトを参照: http://www2.harimaya.com/sengoku/html/maeda.html 前田家については、酒井美意子著『加賀百万石物語』を参照] 02/01/26 21:16 |