雪掻きあれこれ、ほか

 



1.雪掻きあれこれ

2.田舎で感じたこと




1.雪掻きあれこれ



 今年もいつも通り帰省した。いつもと違うのは、年を取って自由席で 立って帰ることが苦しくなり、昨年辺りから指定席を年末になる二週間 も前から予め取るようになったことである。
 つまり、指定席の切符を手にしての帰省としては二年目になるのであ る。12月の10日頃に近くの駅まで買いに行ったのだが、思い通りの 日時というわけにはいかなかった。31日に帰郷し6日の上京と相成っ てしまったのである。
 こんなに長く正月を田舎で過ごすのは学生時代以来だ。
 このことが、今日の雪掻きに繋がった。例年通り、4日頃には帰京し ていれば、5日の一気の積雪を見ることはなかったのである。4日の午 後までは市街地には全くといっていいほど雪はなかった。年末に二度ほ ど30センチほど積もったらしいが、その名残が日中でも日の当たらな い、屋根から落ちた雪が溜まったままの場所に、少々垣間見られるだけ なのだった。
 降り出したのは、昨日の昼ごろからである。が、積もりだしたのは、 午後の3時過ぎからだった。積もりだすと、あっという間である。夜に は10センチほどになった。しかし、それも夜半には一旦、雪も止み、 予報が言うほどには降らなかったなと思いつつ夜半過ぎに寝入った。
 起きたのは午前の11時だったか。正月はトーマス・マンの『魔の山』 を四半世紀ぶりに読み返すつもりで、雑用の合間合間に読み進めていて、 前夜も3時を回ってまで読んでいたのだ。それで起きるのも遅くなった のだ。
 起きると、外が明るい。あれ? 予報の大雪とは話が違う、晴れてる じゃないかと窓を開けると、びっくりである。一面の銀世界、しかも、 積雪が50センチ近くになっている。
 ほんの一晩で、こんなにも世界が変わるなんて。
 こんな経験は、田舎に暮らしていた頃は当たり前のように経験してい た。そう、昭和の40年代の後半くらいまではピーク時には最低でも1 メートルは積もるのが当たり前だった。
 それも毎日、少しずつというのではなく、日を置いてドカッという感 じで降るのだ。降るときは容赦なくなのだ。午前中に一度、雪掻きをし、 日中のまだ明るいうちにやり、どっぷりと暮れた頃にやり、寝る前にも う一度、念のためにとやる。
 それでも、雪は降り続く。昼行灯の自分だが、何故か雪掻きだけは好 きだった。屋根の雪(といっても、屋根の上に登っての雪掻きは、父の 手伝いの形でしか許してくれなかった。だから庇から食み出る部分を竹 竿で叩き落すのみ)、杉や椰子などの木立に積もった雪、生垣に巨大な 綿帽子のようにしてスッポリ被さっている雪、無論、庭の表の道へ通じ るための道や裏の納屋へ玄関口から向かうルートの確保など、最低の課 題である。
 帰京する日が一日ずれたばっかりに、昔の豪雪の日の記憶が蘇るよう な体験をすることができたのだ。蘇らないのは父母の積み重ねた年齢で あり、怠けきった自分の体と心だ。あの、豪雪が当たり前だった日々、 遠い将来の自分がこんな情けない人間になるとは、到底思わなかった。 いくらなんでも、これじゃひどすぎると思う。
 が、これが現実なのだ。歳月の堆積にただ安易に流された当然の結果 なのである。
 一日、上京がずれることが、このような体験となったのなら、きっと 天の配剤、報いなのだろうと思ったり。
 昨年の正月も幾度か雪掻きをしたが、その翌日、晴れてしまって、雪 が呆気ないほどにペシャッと溶けてしまったものだった。前日の汗びっ しょりの苦労は何だったのかと思わせられるのだ。でも、これが雪国に 住むものの定めなのだ。
 一日、待てば、もしかして晴れ上がり、屋根の雪も、道路の雪も一気 に溶かし去ってくれるかもしれない。でも、そうでないかもしれないの だし、仮に明日、予報で晴れるのだと分かっていても、今、とりあえず 人が通るための道を確保する必要がある限りは、せっせと雪を掻き、汗 を掻き、湯気を吹いて、黙々と労苦を重ねる以外にないのだ。
 晴れれば消え去る意味のない労苦。なんとか頑張っても、降り止むこ とのない空。
 好きな小説の一つに川端康成の『雪国』がある。若い頃、幾度、読み 直したかしれない。あの夢のような、象徴の海の底の真珠のような小説。
 今、読み直したならどんな感想を持つだろうか。あの遠い日の自分は 雪をものともしない若さがあった。東京への憧れがあった。田舎を去り たいと願っていた。そして都会へ出るという最初の志だけは果たした。 あの頃は、自分には『雪国』は、主人公の島村に共感しつつ読めていた。
 たまさかに雪国に赴き、その地の芸者に出会う。それは『伊豆の踊り 子』と同じ設定だ。あくまで主人公は(語り手は)旅人なのだ。当時の 自分も旅人として芸者や芸人を想い、一抹の夢を追うことが出来た。
 雪は美しい。遠くで眺めている限りは。芸者も芸人も、たまに遊ぶに は楽しい。遊び相手として恥の掻き捨てをするだけなら。
 でも、根雪の中で暮らす人は違う感覚を持っている。雪が嫌だからと、 芸者であることが辛いからと逃げ去るわけにはいかない。旅人が去った ガランとした部屋。人気のない部屋のなんと寂しく冷たいことか。芯ま で冷える。そして雪は降り続くのだ。
 こんな感懐を抱く自分も明日は上京する。都会では名の知れない片隅 で人知れず日々を送り、田舎では馴染む人もいなくなって根無し草。も う、旅人でさえない。共に歩く人も、ただの一人も居ない。明日は茫漠 たる闇である。深い雪の山の道なき道を歩く。
 闇の道は、雪の道より始末に終えない。そもそも道も雪もないのだ。 掻こうにも掻きようがないのだ。空無の細い筋を辿るがごとく、しかし 辿りようもなく歩き続けるのである。
 さて、こんな感懐を抱くことが出来るというのも、雪のお蔭だし、正 月のお蔭なのである。その意味では雪に感謝しないといけないのかもし れない。

                                               03/01/05



2.田舎で感じたこと



 田舎には父母が健在である。体に故障を抱え、あるいは老いを訴えつ つも、自分には両親があることをありがたく思っている。
 東京では、一人の社会人として仕事をしているにも関わらず、ほとん ど社会的なつながりがない。全くないわけではないが、二十年以上もこ の地で暮らしてきた割には、横のつながりが広まりもしなければ深まり もしなかった。
 これは偏に自分の閉じこもりがちな性分の故だと思っている。せっか くあったはずの貴重な人々との縁も、断ち切ったとか、あるいは断ち切 られたといった大袈裟な理由もなく、ただ、なんとなく薄れていった、 薄れ行くがままに任せていたのである。
 自分の気持ちの中には、それこそ小学校時代の同級生や近所の遊び仲 間を初め、中学校や高校の同窓生たちに対しても、旧交を暖めたいよう な、昔の懐かしいあれこれを語り合いたい気持ちがある。その後、フリ ーター生活を送ったり、サラリーマン生活を送った時に知り合った方た ちとも、機会があれば、格別な話題などなくていいから雑談交じりに語 り合いたいのだ。そういう気持ちを熱く持っている。
 が、では、同窓会などの集まりに出かけるかというと、そうした機会 は高校のものしかないし、そうした珍しい貴重な機会があってさえ、出 向くことはない。
 実は怖いのである。人と会うのが怖いのではない。こっちは相手を懐 かしく思っていても、相手が自分のことを覚えていないのではないかと 思われてしまうのだ。
 要するに存在感が薄いのだ。そこに居るのに気付かれないタイプの人 間が居るらしい、その典型が自分なのである。正直、一度でも同時期を 過ごしたり、お喋りしたり、それこそ一度も話などしたことがなく、教 室が一緒だったというそれだけの相手であってさえも、懐かしい。
 その頃、何を思っていたのか、その後、どんな人生を送ったのか、ど んな夢を叶え、逆にどのような失望という苦い思いをしたのかを、忌憚 なく語り合いたいのである。
 語り合いたい、ただ、それだけなのだ。こちらは心底、そう願ってい る。
 でも、先方はそんな気持ちは露ほども持っていない可能性がある。仮 に、似たような気持ちを持っていても、記憶の片隅に自分が引っかかっ ていない可能性が大なのだ。
 そんな失望は、中学の三年の時に既に経験している。
 ある中学になってから親しくなった友人宅が、小火(ボヤ)という災 難に見舞われたことがある。自分は一番の友人だったこともあり、火事 の見舞金の集金係りになって、あちこちの友人に声を掛けて回った。冬 だったように記憶する。あるいは既に冬休みに入っていたか。
 声を掛けた一人に小学校時代の同窓生がいた。彼とは小学校の3年か ら6年まで一緒のクラスだったのだ。親しいとは言えなかったが、でも お喋りの類はしばしばしたわけで、時には運動(ジャンプだったと思う) の張り合いを二人でしたこともある。
 その彼に電話して、事情を話そうと思ったのだが、先方はこちらの名 前を伝えても、小学校時代、4年も一緒のクラスだったと告げても、一 向に思い出してくれなかったのだ。
 確かに影の薄い人間だと、小学校時代から自分のことを感じ始めてい たが、そこまで印象の薄い人間だったのかと、ショックだったのである。
 そんな経験を幾度もしてくると、影の薄い人間というのは、単に自分 でそう思っているだけではなく、周りのみんなにそう思われている。否、 つまりはそもそもこちらのことを誰もなんとも思っていないのだと、客 観的事実として痛感してくるわけで、いよいよ自分に自信がなくなって くるしかなくなるのである。
 そんなつまらないことはどうでもいいのだろう。そうした自信のなさ が交際の薄さに直結したのだと思う。せっかく知り合った、こちらから は相手を素晴らしい人だと思う人でさえも、付き合うのは相手に失礼な のかなと勝手に思われて、相手から声を掛けてこない限りは、それで付 き合いが消滅ということになるのである。
 東京での自分の社会というのは、そんなものだった。
 さて、それが田舎となると。といっても、自分ではなくて父母や縁者 を中心にしての交際の話なのだが、土地柄というのか、また、両親の年 代からしても、付き合いが濃いのだ。あるいは中身は薄いのであっても、 葬式、結婚式、病気のお見舞い、何かの会の義理というか付き合いでの 買い物、歳暮、中元、お盆、正月、お祭り、とにかく地縁・血縁の付き 合いが際限なく、湧いて出るように続くのだ。
 そして、地方では(あるいは都会でもかもしれないが)、実に死亡の 話が多い。毎月のように縁者か知り合いの誰彼の死去の通知が舞い込む。 あるいは、死なないまでも、脳卒中で風呂場かトイレで倒れたとか、台 所の段差に引っかかって倒れて骨折したとか、ガンでまた入院したとか、 逆に知り合いの誰かの伊息子か娘が結婚したとか、子供が生まれたとか、 とにかく人の生死(生老病死)に関わる情報が飛び交うのである。
 なんと濃密な世界よ、と、つくづく田舎では感じるのだ。
 淡白というのか、ふわふわと浮遊しているような自分の都会暮らしか らすると、濃密過ぎて域が苦しいほどだ。そんな世界で今更、生きられ るか心配である。
 地方には若者も居るに違いない。同時に、やたらと老人方が元気であ る。また、病んだり動きの取れない老人たちも多い。介護とか福祉とか、 ひしひしと実感させられるのも、田舎ならではのような気がする(都会 では、街の賑わいに掻き消されているだけなのかもしれないが)。
 とにもかくにも感じることの多い、田舎での一週間の滞在だった。

                                               03/01/06