夢の中…


   無から有は生じない。
 ある日、そんな言葉を持て余していた。
 誰が言った戯言なのか、私は知らない。
 正しいかどうかとなると、検証もできないことだし、では、生命という のは、いつか生まれたものじゃないか。地球上でか、それとも宇宙空間の 何処かでかは、別にして、何処かである日、生まれたもののはずではない か。
 少なくとも原初の昔からあったわけではあるまい。
 きっと、無から有は生じないというのは、観点が短すぎるか近すぎるか、 それとも頭が固すぎるかのいずれかの結果の謂いなのだろう。
 遠い昔は、生命というものは、原初からあるものであり、だからこそ、 無から有として生じたものではなく、その成り行きとして、命が現にある 以上、形を変え所を変えても永遠にあり続けるものだと考えたのだろう。
 けれど、そんな発想は砂漠の思想ではないかと思えてならない。雨も降 らなければ何処かの遥かな源流からの湧き水が、ここかしこにあるわけで もない以上、命は自然には生まれようはずもなかったのだろう。
 そしてある物から命が失われたなら、その命は昇天し流浪し、やがて別 のモノに取り憑くのだ。
 日本のようなジメジメとした侘びと寂びの国、私の表現を借りれば、黴 と錆の国では、命というのは、自然に湧いて出るものであり、たとえ、何 かの個体が死んでも、そこここに新しい生き物がうんざりするほど蔓延っ ていて、死も生もケジメも切りもあったものではない。

   そんな取り留めのないことに思いを巡らせているうちに、私は寝入った らしい。
 いつ、眠りの世界に落ちていったのか、いつもさっぱり分からない。目 覚めてみると、狐に抓まれたような気で、辺りをキョロキョロするばかり だ。
 覚醒の世界と睡眠の世界の間には深い亀裂がある。その亀裂はあまりに 急峻なる崖、あまりに深甚なる谷。
 アキレスと亀のたとえではないが、眠りに落ちていくギリギリのところ までは意識を覚醒させておくことができる。でも、永遠に眠りの領野へは、 覚醒の領野から流れ入ることはできない。
 眠気に耐えて歯軋りする思いで睡魔の正体を見届けようとするのが、睡 魔は私をあざ笑うかのように、あっけなく私を滑り落とす。あと一歩とい うところで、ガーンと後頭部をぶっ叩かれて、一気に奈落の底に落ち込み、 朦朧たる意識のままに闇の大海を漂う。
 そして気がつくと、何処かの、しかし、見慣れた日常世界へ復帰してい ることに気づく。

 そんな取り留めのないことに思いを巡らせているうちに、私は再度、寝 入ったらしい。
 無から有は生じない。なら、有から無が生じることもないのだろう。一 旦、この世に生れ落ちたものは、決して消え去ることはないのだ。形が潰 え去ることはあるとしても、形を成さしめた命が消え果ることはない。
 この世の光を見ずに命を奪われた水子の霊も、決して無に還ることはな いのだ。母体から取り出された水子は、首を捻られ、あるいは首をナイフ でカットされ、体をバラバラに解体されて、ゴミとして廃棄される。
 それは生ゴミなのか、燃えるゴミなのか、燃えないゴミなのか、燃やし てはならないゴミなのか、一刻も早く焼き尽くしてこの世から痕跡を消し 去るべきゴミなのか、それともやっぱり丁重に火葬すべき何かなのか。
 それで一巻の終わり。
 でも、やっぱり終わりではないのだ。母体への肉体的な精神的な傷とし て、一生、消えることはない。きっと水子の執念なのだろう。
 そうだ、執念という情が涸れ果てることはないのである。
 私の種も、幾つもの情念の焔となって、この世を漂っていることだろう。
 そう、思うと、この世が懐かしく思われてきた。この世は、この世の光 を見ずに消し去られた我が子で一杯なのだ。
 そんな取り留めのない夢と戯れているうちに、ふと、私は目覚めた。

                                                02/08/17