秋茄子と言えば(付:戴いたコメントへの返事)

                                             
(03/09/03 up)






秋茄子と言えば







 例えば、中森明菜さんが、明菜’sなんていう自分のブランドを作ってみる とか(当然、シンボルはナスなんでしょうが)思うのは、可愛げ気があるけど、 かの中世の神学者・哲学者、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)などを思 い出す、なんて言うと、教養をひけらかすようで、ちょっと気が引ける。
 まあ、駄洒落はともかく、秋茄子と言うと、秋茄子は嫁に食わすなという昔 からの言い伝えというか、諺がある。
 意味合いは、一頃は、「秋茄子はとっても美味しいので嫁には食べさせるの はもったいない」とか、「秋茄子は種が無いので嫁に子供が出来ない事を気遣 う」などという意味なのだと、言い習わされたりもしたものだが、クイズなど によく採り上げられ、今では、「ナスは、体を冷やすので食べ過ぎるのは体に 良くない」ので特に嫁には食べさせないほうがいいのだという思いやり乃至は 知恵の含まれた諺だと理解されてきている。

 泉鏡花に『雁われの秋茄子は所帶の珍味』という極めて短い作品がある:
 http://web-box.jp/schutz/zuihitu/ganwaren_r_all.html
 この小品を読むと、「雁《がん》われの秋茄子《あきなす》は、鮎《あゆ》 の味《あぢ》がすると思《おも》へ、所帶持《しよたいもち》の珍味《ちんみ》 なり」とある。雁われの秋茄子は鮎の味がするというが、雁われの秋茄子とは、 どんなものか、小生はよく分からない。
 同じく、この作品を読むと、明治の頃には、「鰹《かつを》の鹽辛《しほか ら》、烏賊《いか》の鹽辛」とか、「納豆」売りの声が街中で聞こえたのだと 分かる。
 イカの塩辛は好物で、昔はよく食べたものだったが(塩分が濃いので、今は 控えている)、鰹の塩辛というのは、食べたことがないので、一度くらいは試 してみたいものである。
 それにしても、この頃は、金魚売りも風鈴売りの姿も見ない。
 せいぜい、「棹や、青竹」の声くらいのものか。そんな風情のある時代では ないと言うことか。

[「2004/04/30 (金)」掲示板にmichioさんによる以下の主旨の書き込みがあった。「棹や、青竹」とありましたが、「竿や〜、竿竹屋〜」ではないかと。しかも、michioさんらしく、「竿だけ売っている。竿だけしか売らない」という落ちまで付けて。
 もう、分かると思うけれど、老婆心ながら(といって、小生は老婆じゃないのだけど。まあ、のろ間なので、のろ馬心ながら、だったら近いかもしれない…)説明を加えておくと、「竿や〜、竿竹屋〜」というのは、竿竹屋というのが正解なんだろうけど、(耳で聴いている限りは、売っているのは)「竿だけや〜」という風に聞える、ということなのである。
 尚、先人がいるもので、「竿や〜、竿竹」をキーワードにしてネット検索してみたら、下記のサイトをヒットした。そのうちの、特に発言ナンバー16に注目:
 http://kaba.2ch.net/traf/kako/1011/10117/1011702154.html
(04/05/01 追記) ]



 さて、言い忘れたが、小生は、ナスが嫌いだった。食わず嫌いだった。しか も、嫌いなのはナスだけではない、小生のは度を越していて、ナスどころか、 凡そこの世に食べるものが何もないくらいにありとあらゆるものが嫌いだった。 食べられるものは、御飯と具のない味噌汁か御汁(おつゆ)くらいのもの。御 飯にマヨネーズか、それとも味塩を振りかけて食べることしかできないところ まで追い詰められた。
 ここまで来ると、偏食という生易しいものではない。ほとんど拒食症である。 小生が保育所の頃か、それとも小学校に上がった頃のことだ。そうそう、御飯 に醤油を掛けて食べることもよくあった。オカズなど一切、箸を付けない。
 野菜の類いが、牛蒡から大根からニンジンからフキから、何もかもが嫌いだ ったのだ。確か、小生はついに腎臓を壊して入院したことさえあった。
 それが少しずつ食べられるようになったが、それでも野菜はダメで、御飯に 卵とか、肉とかコロッケとかがせいぜいだった。小学校の終わり頃だったか、 永谷園だったかの振りかけなるものが売られ始め、小生は御飯に振りかけとい うパターンに凝ったことがある。何のことはない、マヨネーズや味塩や醤油が 振りかけに変わっただけなのだが、それでも、海苔も入っているし、多少は栄 養面で進歩したことになる…のかどうか。
 そういえば、ラーメンでも、ネギは残すし、シナチクも残す。たまにモヤシ の入っているラーメンもあったりするが、当然、もやしなど口にするはずもな い。

 そんな小生に<革命>の時代が来たのは、大学生になってから。小生は下宿 暮らしとなった。同じ下宿には郷里を同じくする者もいるし、そうでなくても すぐにみんなと友達になってしまう。
 朝と夕食の二食の賄い付きの下宿。下宿して、すぐに驚くべきことに、八宝 菜なるものが出て、魂消てしまった。
 小生は偏食家ではあるが、見栄坊でもある。小生は御飯はともかく竹の子や ニンジン、木耳(きくらげ)などの具に関しては、噛むことを一切せず、ひた すら飲み込み作戦で乗り切ったものだった。
 カレーライスも、玉葱やニンジンがたっぷり入っている。入っているだけで はなく、我が家のように具の原型がなくなるまで煮込まれているわけではない。 そんなものでも残さず<食べた>。
 下宿生活は二年間を経験した。この二年間が小生の食の上での訓練の時期と なり、好き嫌いはほとんど変わらなかったのだが、食べられるか否かというこ とでは、ゲテモノ以外は基本的に何でも食べられるようになった。

 ただし、それでも、最後の最後まで、口に出来ないものが一つだけ残った。 それは松茸とか椎茸の類いである。これだけは食わず嫌いではなく、何度トラ イしても口に出来ない。無理して口に入れると吐き気がする。というか、吐い てしまったこともある。何かの虫を喉にしているようで、どうにも我慢がなら ない。八宝菜の時は、冗談じゃなく死ぬ思いだったのだ。他の具は嫌いだけれ ど噛まない限りは口に入れることもできるし、御飯で丸めて喉を潜らすことも できる。が、椎茸、松茸だけはどうにも。
 そして、そう、炒め物の茄子も大嫌いなのだ。これも、食わず嫌いではなく、 とにかく喉を通らない。通る以前に口に入らない。口が受け付けない。吐き気 との闘いとなる。

 そんな小生なのである。が、年を取るとは凄いことだと思う。今は、台所の ない狭い部屋に暮らしているので料理など論外だが、前の住居ではそれなりの 台所があったので、結構、料理をした。味噌汁も、味噌から適当に濃さ加減を 見ながらの本格的な味噌汁である。
 焼肉が大好きなので、週に二度三度と焼肉料理がオカズとなるのだが、ただ の焼肉ではなく、最低でも野菜ミックスを買ってきて、肉野菜にする。当然、 キャベツもニンジンもモヤシも木耳も、とにかく(見た目には栄養のなさそう な)野菜類がいろいろ入っているのを、肉と絡めて焼くのである。肉だけを食 べるのも美味しいが、野菜と絡めて食べるのもグッド。
 それが、もっと年を取ると、スーパーではほとんど手にしなかったというか、 眼中に入らなかった山菜なども買ってみて、食卓を賑わせてみたり。

 もう一度、茄子に戻ると、依然として、炒め物の松茸・椎茸と同様、炒め物 の茄子は嫌いである。が、浅漬けなど、漬物の茄子なら今では、わざわざスー パーで買ってきたりすることさえあるのだ。変われば変わるものである。

 そういえば、これはただの直感で、ちょっと怖いので試してはいないのだが、 松茸・椎茸も炒め物は嫌だが、焼いて食べるのなら、口に入るような気(予感) がする。
 まだ、確信は持てないので、買って、焼いてみて、それでもダメかもしれな いし、敢えて購入はしないでいる。誰か、松茸・椎茸の新鮮なものをプレゼン トしてくれないものか(饅頭、怖いかという落語の話をしているわけじゃない)。

 ところで、この駄文は、名エッセイスト・仲江太陽さんの「されど茄子」というエッ セイ(と、そのエッセイにコメントされる名コメンテーターの方との遣り取り) を契機に書いてみたものである。
 たかが茄子。されど茄子。
 実は、もう、夏も終わりだから、「さらば茄子」と駄洒落たタイトルを付け ようかと思った。しかし、これでは、名エッセイストの方の名文との比較対照 の果ての差があまりに歴然とする恐れがあること、同時に、年を取るごとに、 味覚というか食の好みが変わっていく自分を感じるので、さらば茄子というの は寂しい気がしたので、表題の如くにしたのである。何事も為すあたわざる自 分を感じる。敢えて他のタイトルを付けるなら、「為すば成る」とでもなるの だろうか。
 ま、そんなことをつらつら思った、夏の終わりの夜だった。


03/08/30 21:59





秋茄子と言えば…ノーラさんへの返事







 ノーラさん、こんにちは。
 小生も、ノーラさんの日記、読ませて戴いてます。
 年を取って…というのは、思い出の時期が5から7歳で、それから40年以上の 歳月が経過しているという意味です。まあ、若いといえば若いし、衰えがあると いえば否定もできない。ただ、頑張る気力はあると思ってますので、その意味で は若いです。
 「茄子のステーキ」…。
 そうですね。人間、切羽詰れば、贅沢など言っていられない。
 飢餓状況にあった時、木の根っこや皮や泥や、無論、雑草も、とにかく口に入 るものは何でも食べたと言いますし。
 まあ、茄子が嫌いだとかなんとか言えるのは恵まれているということなのでし ょう。時代が昭和35年頃ですし。
 でも、嫌いなものは嫌いです。少なくとも今は、飢餓の状況にはないので。
 さて、松茸でも椎茸でもいいですから、誰か、ま、一キロ程度でいいですから、 プレゼントしてくれないものか。
 そしたら、食べられるかどうか、どんな調理なら食べられるのか、じっくり実 験し、その成果を発表することを約束します、なんて。

   読んでくれて、しかもコメントを寄せてくれて、ありがとう。嬉しかったです。


03/09/01 08:28





秋茄子と言えば…仲江太陽さんへの返事







 仲江太陽さん、こんにちは。
 名エッセイストの仲江太陽さんにコメントをもらうと、とても嬉しいです。
 小生の場合、文章だけで読ませる力や魅力に自信がないので、仮に読んでく れる方がいたら、多少なりとも読んだ甲斐があるように、有益と思われる情報 を加味しようとしているのです。自分にとっても勉強になるし。

 下宿生活は、自分にとってとても大きな体験でした。とにかく大概のものは 食べられるようになったのは、その御蔭だと思っています。
 ただ、では、嫌いだったものが好きになったかというと、やはり好きなもの は好き、嫌いなものは嫌いで、嗜好そのものはあまり変化がなかったように思 います。
 好みに変化が生じたのは、難行苦行の結果ではなく、加齢の結果のほうが大 きい。山菜をおいしく食べる自分など、十年前であっても、想像できなかった ように思います。

 まあ、自分のことはともかく、仲江太陽さんのエッセイは必ず読ませてもら ってます。GAJINに掲載されているものも。
 お互い、刺激を与え合える関係だったらいいのですが。
 では、また。


03/09/01 08:37





秋茄子と言えば…白河 夜舟さんへの返事







 白河 夜舟さん、こんにちは。

 看護婦(ナース)と解く。その心は? 
 悲しいことに、ナースかしい昔の夢です。
 何故って、今じゃ、男も女の方も、看護士。
 ナースというだけじゃ、看護師なのか看護婦なのか看護士なのか、さっぱり 分からナースです。
 頭の奥深くでは、ナースというとナースキャップを被った、我輩を熱い目で 見守ってくれた、あの素敵なナースの面々を思い浮かべるのです。
 ああ、あのボクの、ナース井出さんは何処へ行ったの?
 でも、それも昔のこと。今じゃ、ナース! と呼んでも、来るのは脛毛の深 い、筋骨逞しい方かもしれない。まあ、困った時は、選ぶ余裕もないけど。
 今更、おたんこナースとか、ボケナースとか、ダイナース(カード)とか、 東北弁の牧師さんが、教会に居並ぶ信者に向って、ナース(汝)らは…と説教 するとか、ねえ、何か他にナース? とか、愛のないキューティ長島が、褒め る時には、ナースですね、と言うとか、やっぱり東北弁の友人が、我輩に訪ね る時は、ナースてや? と聞くとか、小島ナース子(奈津子)は何処へ行った んだ? とか、あんまりナースのことばっかり考えるものだから、カレーライ スをカレーナースと言い間違えるとか、脱線し始めると、終わりがない。

   松茸と椎茸について…。
 正直言って、小生には、松茸と椎茸の区別が分かりません。なめたけと木耳 は分かります。
 だからこそ、松茸と椎茸をそれぞれ1`程度、送って戴いて、あれこれ研究 したいと切に願っているのです。どうぞ、遠慮しないで、新鮮な奴で結構です ので、送ってください。

 それじゃ、また。

(フライパンでバター焼きにするのが…。我輩としては、何もつけないで、た だ軽く焼くだけにして、少々、醤油か塩を振るだけで食べてみたい。)


03/09/02 01:11