独活と竹の子/夏ばてだ

(04/10/10 up)




1.独活と竹の子  

2.夏ばてだ  



1.独活と竹の子






 ことわざというのは、語感的に勘違いしそうな言葉だったりする。
 雨後と独活(うど)をつい、使い間違えて、雨後の大木とか、独活の竹の子、 なんて、一瞬、口走っても、それほど違和感がない(小生の場合だが)。チラッ と、「ウ…」と言いかけて、慌てて、脳裏を巡らせて正しい言葉の連なりを口に する。
 独活とか雨後なんて言葉を思い出したというのも、梅雨という季節のなせるわ ざなのだろうか。そこで、ちょっとだけ、独活とか雨後(の竹の子)について調 べてみることにした。

 例によって、話の糸口に、下記の辞典を使わせてもらう:
「食べ物ことわざ辞典」
 http://www.pcgate.jp/vitamin/kotowaza/index.html

「独活(うど)の大木」
 身体ばかり大きくて、役に立たないこと。うどは高さ2mほどになる多年草。 茎は太くて大きくなるけれど、食用にも木材にもならないことから。

 何はともあれ、独活の画像を見てもらおう:
 http://www.hana300.com/udo000.html
 このサイトによると、「独活」という言葉の由来は、「風のないのに動くよう に見えるので「うごく」と呼ばれ、しだいに「うど」になった。漢字の「独活」 の字もそこから」という。
 但し、「本来は「生土」の意味で、土から芽が持ち上がるように出てくること を表わした名前」なのだという。
 別のサイトによると、「和名が埋(ウズ)から転じ、土の中の芽を食べること に由来することは、案外知られていません」というのだが…。
 更に別のサイトによると、「うど(独活)の名前の由来は、茎が生育すると中 空になるので宇登呂(うどろ)と呼び、それからウドとなったと言われています」 とあり、諸説紛紛のようである。
「春に若芽や茎の部分を食用にする」というが、小生は食べた記憶がない。「烏 賊」と共に、独活の木の芽味噌」、あるいは「豆腐と独活のサラダ」などの料理 があるようだ。はて、どんな味、食感なのだろうか。
 また、独活の根茎は、薬湯などの素材として使われるようだ。ちなみに、下記 サイトによると、「シシウドの学名はアンゲリカといい、ギリシャ語のアンゲリ スコやラテン語のアンゲルスに相当し、「天使」の意味を持つ。やはり、その薬 効が著しいので、天使に例えられて、名付けられた」という。
 天使とは恐れ入った:
「ネイチャーウオッチング 「夜空の花火のように咲くシシウド」」
 http://www.mynara.co.jp/1FPic/f-44.html

 では、問題の太く大きくなると言う茎の部分はどうなのかというと、そのよう に育つことのないよう、工夫されているようだ。
 例えば、下記のサイトにもあるように、「市場で扱われるのは栽培ものがほと んどで、軟化うど(軟白うど)と山うど(緑化うど)があ」り、「軟化うどは1年 目に畑で根を育て、次に真っ暗な地下室などにその根株を植え付け軟白栽培され る。平均1ヶ月、約80cm位で収穫される。全体が真っ白。根株は冷蔵保存され、 ほぼ1年中栽培されている。
 山うどは、盛り土をしたりすることで一部を軟白して出荷される。先の方が緑 色になるところから、軟化うどに対して緑化うどとも呼ばれる。約30-40cmで、 軟化うどより香りが強い」という:
 http://www.tsuji.ac.jp/hp/zai/dt/250.htm

 ウドというと、誰しも、お笑いコンビのキャイ〜ンのウド鈴木を思い浮かべて しまうだろう(それとも小生だけ?)。コンビ名のキャイ〜ンは、決して、キャ イーンではないのだとか。ナミセンの「〜」にこだわりがあるらしい。
 ところで、キャイ〜ンというのは、漫画などに使われる「ギャフン」同様、擬 音なのだという。小生は、勝手に、「可愛い」→「キャワイイ」→「キャイーン」 なのだと思っていたのだが、見当違いだったようだ。
 肝腎のウド鈴木のウドが独活(の大木)を意味的に借用しているのかどうか、 確認することができなかった。

 さて、上掲の「食べ物ことわざ辞典」にて、「雨後の竹の子」を調べると、以 下のようである:

 雨の後、竹の子が一斉に生え出すように、相次いで物事が発生すること。また、 数が少なければ値打ちがあるが、たくさんになっては価値がさがる意にも用いる。

 本当に、一雨降るごとに(春の)竹の子は急に成長するのだろうか。確かに竹 の子の成長というのは、時に怖いほどだったりする。
 小生が幼い頃、近所に竹薮があって、時折、それこそ竹の子の頭が土の表面に チラッと姿を見せている場面に遭遇することがあったりした。その竹の子、ガキ の小生があれこれと遊び呆けていて、ふと、或る日、あの竹の子、どうなったの かなと見遣ると、昔日の(といっても、子供の時間感覚で昔日と表現しているの であって、実際には数日も経っていないはずなのだが)面影など見る影もなかっ たりするのだった。  この前、見たのは何だったんだ?!

 竹の画像を探していたら、下記のサイトを見つけた:
「高間新治(たかま しんじ) 竹写」
 http://www.takenoyado.com/takamashinji.htm
 どの写真も素晴らしい。最後のほうの、「筍の精」もいいし、そのものズバリ の「竹」も、並みの水墨画を凌駕するような風情がある。

 ところで、竹の子と筍とは同じモノなのだろうか。単に表記が違うだけなのだ ろうか。
 ま、その前に竹の薀蓄などを見てみたい。ということで、「江戸東京重ね地図」 の「第15回 旬の筍(竹の子)」を読んでみた:
 http://www.sbpnet.jp/yutori-to/rensai/map/art.asp?newsid=64
「品川区の小山一丁目、長応寺の裏に筍の碑がある」というが、何故、「筍の碑」 などがあるのだろうか。「もともと孟宗竹は中国江南地方のもので、日本には全 くなかったものだが、これが琉球を経て、薩摩に渡来したのが元文元年(1736)。 この孟宗竹が江戸に伝来したのが約五十年後の寛政元年(1789)」という。
 調べると、碑とは、「孟宗筍栽培記念碑」と呼ぶらしい。
 そういえば、「安政二年の大地震の際に、孟宗竹の竹薮が地割れもなく安全で あったことが一層これの栽培に拍車をかけた」というのは、何かの番組でだった かで、仄聞したことがある。
 かといって、何処にでも竹を植えるわけにはいかないだろうが。

 下記のサイトを見ると、筍(竹の子)にも、いろいろあると分かる:
「鹿児島の竹」
 http://www.minc.ne.jp/~hotei/takenoko.html
 孟宗竹は、「琉球を経て、薩摩に渡来したのが元文元年」というが、竹という ことになると、「日本書紀」にも既に記載されているようだ。鹿児島の鹿児は、 籠であり、「山幸は失った釣り針を求め無目籠{竹製}の船に乗って出かけ」た ことに通じているとか。
 竹の歴史はさらに遡り、縄文式土器に既に竹を押し当てたような文様が見出さ れるという:
 http://www.tabiken.com/history/doc/J/J021L100.HTM
 http://www.ne.jp/asahi/landscape/jomon/doki.fol/6ki.fol/6ki.html
 つまり、縄文式土器と呼称されるけれど、「縄文土器もはじめは縄文を持たず 無文、粘土紐を貼付した隆線文、爪や竹などの施文具を用いてハ字やC字形に刺 突した爪型文などの紋様であった」という。

 それにしても、竹の子と筍の区別、あるいは区別などないのかが、分からない。 「竹の子」でネット検索すると、「竹の子族のホームページ」をヒットしたりす るが、彼等に尋ねるのも、筋違いだろう:
 http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Green/1308/

 と思っていたら、やっとヒントとなるサイトが見つかった:
「きもね亭」
 http://www.sgm.co.jp/conts/club/tei/garage/0304/0304.htm
 ここに、「漢字で書くと「竹の子」「筍」。字のごとく、竹の子供だから「竹の子」。 「筍」と書くのは、成長が早く、地上に顔を出してから1筍(10日)で竹になることか ら」という説明があった!
 ここにもあるが、竹の子は時に一日に「1m以上も伸びるものもある」とか。 「昼間の生長は特に早くて、1時間に8〜10cmも伸びちゃう」とか。
 これじゃ、ガキの小生がビックリするのも無理はない。
 このサイトによると、竹の地下茎は数メートルにもなるとか。
 となると、竹の子は、雨後でなくても、ドンドン成長するのだろうし、雨が降 ると、地味が豊かになって、一層、成長が促進されるということなのだろう。

 竹というのは不思議な…と書こうとして、はたと手が止まってしまった。植物 なのはいいとして、草なのか木なのかが分からない。下記サイトによると、「竹 は,草からも木からも大きく違っていますので,竹は草でも木でもなく「竹であ る」ということになりますが,いずれかのグループに入れようとすれば,年ごと に成長して伸びてゆくので,木のグループとみるのが当を得ていましょう」だと か:
「竹文化〈竹の生態/竹は草か木か〉」
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/35/3502.htm
 とにかく竹の生命力というのは、凄いの一言である。だからこそ、古来より、 竹は神秘的で縁起の良い植物として珍重されてきたのだろう。松竹梅の一つにも なるわけだ。
 尤も、竹の生長する力も、時には厄介物だったりする。万が一、家屋の床下な どに竹の子が芽吹きでもしようものなら、大変な事態がやってくることになる。 気がつかないまま、数日間でも家を開けて、さて、帰宅してみたら、竹が床を破 り、天井をも突き抜ける、なんて悲惨な光景を目の当たりにすることになりかね ないのだ。
 独活も生長は、なかなかのものだが、ただ、せっかく育っても、茎の使い道が ない。その点、やはり竹には敵わないようだ。語呂からしても、松竹梅はいいが、 松独活梅では、納まりが悪い。
 でも、どちらも、工夫次第で食べられるし、役にも立つし、やや見落とししそ うな独活も、名前からして、は、西欧では「天使」の意味を含むし、独活も竹も 甲乙付け難いということで、本稿を閉じる。


04/06/13 記





2.夏ばてだ






 なんだか夏ばて気味である。今年の暑さは異常というしかない。真夏日が連続 して三十数日も続くなんて。
 寄る年波か、といっても、人に自慢できるほどに年を取っているわけじゃない のだけれど、それでも、若い人よりは年を取っているので、それに若い頃の自分 よりは齢を重ねてしまったので、とにかく何をするわけじゃないのに、体がかっ たるい。疲れやすい。
 月に十回以上の徹夜勤務は体に堪える。
 幸い、勤務中の仕事の遣り繰りは多少は融通が利くので、疲れがお客さんに影 響しては申し訳ないという口実もあることだし、日中は日陰を見つけて、真夜中 過ぎはお客さんを探し疲れたという言い訳をしつつ、何処かの公園の脇などで、 たっぷり休憩を取る。休憩というより、熟睡しているといったほうがいいかもし れない。
 なんだか、自宅で寝るより眠りの度合いが深いような気がする。目覚めの時の 気分がいいのである。もしかしたら、仕事中に休めるという特権を存分に行使で きているという満足感があるのかもしれない、タクシードライバーの醍醐味か、 なんて思ったりするが、勿論、悔し紛れで言っている。仕事がないのだ、お客さ んが夜中過ぎともなると、見つからないのだ。
 仕事が明けた、その日は、とにかく終日、ダラダラしている。
 暑いせいもあって、朝方に帰宅して、一時間か二時間ほどグズグズした挙げ句、 なんとか寝入るのだが、寝汗など掻いたりして、三時間もしないうちに目覚めて しまう。
 体の芯に頑固に残る疲れが取れたわけではないので、そのまま、また寝入りた いが、眠気の感覚も寄る年波でぼやけてしまうのか、眠る気になれず、起き上が り、洗濯したり、テレビを眺めたり、新聞を捲ってみたり、本を手にしてみたり、 あれこれ悪足掻きして、そのうち夕方近くになると、それでも眠気がやってくる ので、というか、気が付いたらロッキングチェアーで目覚める自分を発見するわ けで、宵闇が迫る頃、あるいはすっかり暮れた頃になって、やっととにかく買い 物など外出する元気も出てくる。
 が、用事を済ますと、やっぱりグッタリしてしまい、夜もダラダラと過ごすば かりである。なんともシマリがない。我ながら情ないこと、この上ない。が、こ ういう自分になってしまっているのだから、下手に身心の状態に逆らうことはし ない。
 読書も進まない、執筆は尚更である。せいぜい、ネットを覗いて、あちこち巡 って、何かやっているような気分になって時を誤魔化しているだけなのだ。
 というわけで、やっぱり夏ばてなのだと思うしかないのである。
 夏ばて。
 うん? 夏ばてという言葉、意味合いは分かるが、さて、語源はどうなのか。 そんなつまらぬことが気になってしまう。政治問題、原発の問題、原爆の問題、 年金の問題、イラクの問題、憲法改正問題、あれこれ考えることは多々あるのに、 そちらに関わるほうが有意義だと思うのに、しかし、今は、夏ばてという言葉が 気になってならない。
 決して暇の徒然などではないことは、これでもう、十分以上に、ウンザリする ほどに分かってもらえたと思う。書いている本人が、なんだってこんなことする のかな、なんて思いながら、訳もなく書き綴っているのだし。
 万が一、こんな文章を読まれる方がいたら、いないとは思うけれど、しかし、 絶対、いないなどとは断言もしかねるし、そんな奇特な方には、御愁傷様です、 お気を落とすことのないようにと、心ない慰めの言葉を漏らすのみである。
 で、夏ばてに戻ろう。
 この言葉、なんとなく語源を辿るのは簡単そうな気がする。バテル。つまりは、 果てるである。夏に果てる。夏の暑さ、蒸す事、エアコンの効きすぎ(小生の場 合はタクシーの車内だ!)、冷たいものの呑みすぎ(悲しいかな、今年に関して は、これはない。何故なら、過日、冷蔵庫が壊れ、既に書いた事情で部屋の片隅 に置く小さな冷蔵庫を買ったはいいが、アイスクリームなどは冷凍庫に入れて数 時間もしないうちに、トロトロになるわけで、氷アイスもアイスクリームも今年 は、恵まれない。また、冷蔵庫が小さいので、麦茶のペットボトルを入れるスペ ースもないから、つまりは冷たいものは、大概は、自宅の外にある自動販売機で 買ってくるしかない、つまり、一言で言うと、冷たいものはなかなか口に出来な い、よって、冷たいものの呑みすぎという事例は小生には当て嵌まらない)、食 欲不足による栄養不足か栄養の偏り、そもそもの運動不足や、牢固たる体力・気 力不足、そういったもろもろの原因があって、夏の困難に身も心も疲れ果ててい る。
 この夏に疲れ果てているを略して、夏果て、夏ばてになったのだろうと、容易 に想定できるわけである。
 これだと、語源探索の興味も失せる。
 なので、夏ばてとはどんな現象なのかを、少し医学的な見地から考えてみたい のである。といっても、夏ばての権化となっている小生に考える気力も能力もあ るはずがない。例によって、小生が為す労力というと、ネット探索する。まあ、 言ってみれば、キーボードをお障りしたり軽く叩いてみたりするだけのことであ る。
 これくらいだったら小生にも出来る。考えたり、説明したりするのは、各サイ トに任せることにする。そのほうが信憑性が格段に高いだろうし。
 こんなサイトが見つかった。
「発掘!あるある大事典 第36回「夏バテ」」
 http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arunatu/natubate1.htm
 このサイトを筆頭に選んだのは、訳がある。これまで誰にも喋っては来なかっ たが、小生、菊間千乃さんのファンである。なので、このサイトを冒頭に挙げる ことにしたのだ。
 このサイトでは、青山光子氏(名古屋市立大学名誉教授)が、夏ばてについて、 下記のように説明している。「温度の入れ換わりにうまく対応できなくなってし まってきていて、皮膚の血管が広がりっ放しになったり、縮みっ放しになったり というような事で、自律神経の失調が起きている」
 なるほど。これだけの説明に、何も名誉教授にお出ましを願うこともないと思 うのだけど、まあ、説明に箔が付いていることは間違いない。
 丁寧にも、「自律神経は血管、心臓、汗腺を自動的に調節するもの」とも付記 してある。
 さらに、「炎天下とクーラーの効いた室内を行き来することで、この自律神経 がうまく働かなくなり、体温調節などができなくなってしまう」は、タクシーで 冷房をガンガン効かせていて(あくまでお客様のため)、自宅ではできるだけ扇 風機のみに頼ろうとする小生に、まさにピッタリの状況説明だと感じてしまう。
 これでは、夏ばてになるわけである。
 このサイト(番組)では、例によって、夏バテ解消料理などを紹介しているが、 どうせ、小生の場合、指をくわえてみているだけで、実行などしないのだから、 この項は、眼の毒になるだけだし、興味のある方は、勝手に覗いてみてもらいた い。
 但し、以下の説明だけは、見逃せないので、ここに転記させてもらう。
「クーラーがまだ普及していなかった昭和30年代、夏バテとは単純に猛暑による 体力消耗や食欲不振を意味し、いわゆる夏痩せという結果をもたらした。一方現 代の夏バテは、温度差ストレスによる自律神経の不調によるもので症状も複雑。 よって、弱った胃腸では焼肉やうなぎなどの脂分を消化できない」
 なるほど、小生、たいした栄養分は摂っていないのだが、夏痩せはしない。少 しは痩せたいのだが…。といって、胃腸が弱っているという自覚もない。
 ま、やはり自律神経の不調という、分かったようで、まるで分からない説明に 頼るしかないようである。
 さて、多少は、実のある説明など紹介したところで、この文章の本来の目的に 戻ろう。夏ばての語源は? である。
 そこで、「夏ばて 語源」をキーワードにネット検索したら、下記のサイトを ヒットした。これも小生の好きなテレビ番組である、「ためしてガッテン」であ る。といっても、この数年、見ていないのだが。
 http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2004q3/20040728.html
 さすがにタイムリーというか、放送日が7月28日となっている。
 この中に、オープニングクイズとして、「江戸のことわざで「猫が肥えれば○ ○が痩せる」と言うと、一方が得をすれば一方が損するという意味です。さて、 ○○にあてはまるものは、犬、ネズミ、かつお節、武士のどれ?」などと並んで、 「「夏ばて」の「ばてる」という言葉の語源となった「ある動物の様子」とは、 次のどれ? 疲れて舌を出す犬、長い距離をわたる白鳥、走り疲れた馬、暑さが 苦手な白クマ?」などというクエスチョンが出されている。
 ン? これでは、小生の、夏に果てるが夏ばての語源ではないかという推測が 間違っていることだけは確かだということになる。
 夏ばてで、気長に答えを待っていられないので、すぐに答えを覗くと、「疲れ て舌を出す犬」という絵柄が正しそうだという予想に反して、なんと、「走り疲 れたウマ」が語源なのだそうである。「競馬用語で走っていた馬が疲れて足がも つれることを「ばたばたになる」と言います。それが縮まり「バテる」になりま した」とさ。
 多分、バテるの「バ」は、漢字で表記すると、「馬」なのだろう。
 ところで、小生を安堵させるかのように、「他には「疲れ果てる」の「果てる」 が「バテる」に変わったという説もあります」とも。
 ということは、夏ばての語源は、このどちらかなのであり(他にも説があるの かもしれない)、小生の読みも、場合によっては満更でもないという可能性もあ るわけだ。小生も捨てたものじゃない。
 ちなみに、余談になるが、オープニングクイズには、「ある化粧品会社が女性 に「普段から気にしている身体の部分」のアンケート調査を行いました。15歳か ら18歳では、第3位がふくらはぎ、第2位がウエスト、第1位が太ももでした」と した上で、「では、15歳から64歳までの全世代の女性で、第1位になった身体の 部分はどこ?」という質問も掲げられてある。
 その答えは、下腹部なのだとか。
 男性の立場から言うと、女性の体は全身くまなく、隅々まで気になるのだが、 それにしても、「普段から気にしている身体の部分」に顔が入らないのだろうか。 ちょっと気になる。化粧品会社の一番のターゲットではないか。
 さて、夏ばてもあって、論旨がいつも以上にヨロヨロしている。また、夏ばて の語源の話に戻りたい。
 小生、夏ばての語源として、まあ、誰しもが(?)思うように、夏果てるを思 い浮かべたとは、既に書いたところである。が、同時に、恐らくは違うだろうけ れど、夏ばての語源として、他の可能性も考えた。
 それは、夏という言葉とバッテリーとの組み合わせなのだった。
 そう、夏、体がへたる、体に蓄積されたエネルギーが漏出するか、そもそも蓄 積されなくて、バッテリーがへたった状態になる、ということで、夏バテ、では ないかと思ったのである。
 バッテリーがバテになったというのも、バッテリーが損耗してのことだろうし。
 とまあ、こんなわけで、夏ばて論議は、尽きることはないのだが、取りあえず はこれまでにしておきたい。
 なんだか、なけなしのエネルギーを余計なことで消耗してしまったような気が する。もう、何する気がない。もっと、ましなことで頑張ればいいのに、なんて 思うけれど、やってしまったこと、書いてしまったものは、仕方ない。
 この、自制心のなさ、何か肝腎なことに労力を割こうと思いつつ、訳の分から ないことにとめどなく惹かれていくのも、水は低きに流れるの喩えであり、夏ば ての証拠なのだろうと思いつつ、稿を終えたい。


04/08/10 記