ヘッドライト、サイドミラー  

(01/04/14 up)(04/10/18 転)



1.ヘッドライトについての瑣末な考察  

2.サイドミラーについて思うこと  

3.『ヘッドライトに関する瑣末な考察』への意見に対し  



1.ヘッドライトについての瑣末な考察




 ヘッドライトは何のためにあるか。  答えは、車やオートバイなどが夜など視界が悪い中を移動する際に使用するものであ る。暗闇や霧や土埃の舞う時に前を照らすため、更には自らの存在を周囲や対向車(者 ) に知らしめるために使用する。
 権威に弱い小生としては『広辞苑』でヘッドライトの語意を説明しようと思ったのだ が、残念ながらヘッドライトの英訳しか載っていなかった。従って上記のように小生な りの常識的と思われる性格付けめいた定義を試みたわけである。
 ところでさて、では交差点などで停車している際、ヘッドライトは点灯し続けるべき か否か。
 ここはやや微妙なところだろう。第一、面倒がりやの方は一端点灯したなら、其のま まで放っておくという考え方もある。
 第一、交差点で止まったからといって消さなければならない理由などあるのか。
 あるいは杓子定規に闇の中、視界が良好出ない際に使用するものだとしたら、信号待 ちであれ、止まっているなら、つまり移動していないわけだから消すべきという考え方 で済ませてしまおうか。
 さて、あなたはどう考えるだろう。  何、無意味な問い掛けをするなって? この忙しい時に無駄な時間を費やすなって?  ああ、なるほど。全くその通り。小生もだから先手を打って、無用な考察と銘打って いるのである。
 ところで小生は東京に住んでいる。それが何だって? 今の話に関係があるかって?  まあ、まあ、そう、とんがらないで。
 東京は実は坂の街なのである。これは知る人ぞ知るの話だが、命名されている坂だけ でも四百あると何かのホームページにあった(ちなみにそのホームページは東京の坂だ けを扱うホームページであった)。
 中には同名の坂も方々にあったりして、そうした坂の数々を探訪するだけでも結構楽 しい。
 幽霊坂なんて坂に行ってみたいと思いませんか。権之助坂なんか楽しそうじゃないで すか。綱坂というのがあって、それは羅生門の鬼退治で有名な渡辺綱(わたなべのつな )
にちなんだ坂なのである。なんて、話が何処まで脱線するかわからないので、軌道修正 。
 つまり東京で車を走らせるというのは、一部湾岸の埋立地を除けば、ほとんど坂を登 ったり下ったりしているということなのである。勿論、更に東京は高速道路や立体交差 が結構多くて、それも又、坂と言えば坂であることは言うまでもない。
 東京が日本の文化や経済の最先端の街であることは否を唱える人は少ないだろう。そ の東京がコンクリートジャングルの街というイメージの割りに、探訪して面白いのは、 様々な新しい趣向の店がドンドン出来(ては壊れ)ているというだけに止まらず、実は 公園が多いこと、更には坂が多いことがかなり貢献していることは銘記しておいていい 。
 ほんの僅か以前には狸の山だった麻布などを切り拓いて町を次々無闇に作ったものだ から、山の手にしても住宅街の道はかなり入り組んでいるのである。
 また脱線しているって?
 そうヘッドライトの話だっけ。
 その坂の多い東京でヘッドライトを点灯して走るのは、移動の際には当然必要だとし ても、停車している際は、実はかなり有害極まりない武器になりかねないのである(や っと本題に入ってきた)。
 どういうことかというと、東京に限らないのだが、坂の多い街での道路の交差点では 、そのヘッドライトの光が眩しくて、所謂幽霊現象が頻発するのである。
 幽霊現象とは、多分、教習所などで習ったことと思うが、ヘッドライトの照射によっ て、その光の交差の只中にいる人(車)などが幽霊のように、いるけれども姿は見えな い、という状態になることである。
 坂の途中に止まった車のライトは対向車や交差点を曲がってくる車には、場合によっ てはハイビームの状態になっている。しかも交差点には何台も車が停車しているわけだ から、その光の洪水たるや壮観なものである。幽霊もたっぷり現れる(隠れる?)とい うわけだ。
 更には最近はヘッドライトの性能が向上して、昔のタングステンを使ったシールドビ ームから、バルブという光源を別に持つ形式のヘッドライトが主流になった。その光源 はハロゲン球と呼ばれるもので、その登場当時は眩く感じたものでした。
 それが今は御存知のように青白い光を放つ「HID」と呼ばれるものが見られるように なってきている。ディスチャージとかキセノンヘッドライトとも称します。
 その原理は略しますが、要するに蛍光灯の親分みたいなものです。電圧は約20,000 Vある。高電圧なわけです。明るさは従来のバルブの約3倍。消費電力は約半分と聞い ています。
 フィラメントもないので球切れの心配がなく耐久性もあって、しかも明るいときたら 言うことなしです。
 ただ、明らかな欠点があります。それは明るすぎること。値段のことはさておいても 、この明るさは無用なまでに明るいのです。普通のロービームの状態であっても、バル ブ球で言うハイビーム並みの光度を有しているのですね。
 そんな眩い光を放つ車が信号待ちをしながら、ただ漫然とヘッドライトを照射したま までいるというのは、上気したように交差点などを移動する車にはめくらましをされな がら走り抜けるようなものです。
 ところで今までは走る車にとっては停車している車のヘッドライトは、状況によって は車幅灯だけにしたほうが無難だという話でした。
 尚、坂でなくても、4駆やトラックなど座高の高い車はロービームでも対向車や歩行 者から見るとハイビームに等しくなりがちなので、やはりヘッドライトの照射の角度や 点灯/消灯の切り替えに神経を払ったほうがいいでしょう。
 同じく坂でなくても、交差点で曲がるタイミングを待つ車もヘッドライトを消したほ うがいいのかどうか、これは微妙な問題です。消したほうが直進する車には親切です。 何しろ、交差点内で直進車の走行の過ぎるのを待っている間、照らされているヘッドラ イトは直進車には光がドライバーを直撃する格好になります。
 けれど、交差点内で車幅灯だけでは心許ない気もする。
 従って小生は未だ、結論を出すに至っていません。
 次は、停車している車にとってのヘッドライトの消灯の意味を考えてみましょう。
 まず、先頭の車の場合、今、話したように消灯したほうが走行している車のためにも 宜しいのではないかという話になります。
 さて、その後部の車はどうなのか。先頭の車こそ、走行する車のためには消灯したほ うがいいのは理屈としては言えたとして、後部にいる車がライトを消す意味はあるので しょうか。
 それが実は結構あるのです。
 それは特に都会のように忙しい人の多い街、更に夜中でも信号待ちの際、何台も車が 列をなすことが多い街では特に言えることです。
 信号待ちでは結構皆さん、イライラしています。信号が変わったら、一秒でもどころ か一刻でも早く動き出したいのです。
 にもかかわらず、都会にはいろいろな人がいて、信号待ちの際、漫画や雑誌を読んで いたり、地図を開いたり、カーナビに見入ったり、隣りの彼女と談笑したり、ただ道端 の店に気を奪われたり、というわけでつい信号の変わったのにも気づかずに停車したま まというケースがありがちなのです。
 そこで前の車を動かそうとクラクションを鳴らすのは田舎者か未熟な若者のすること で、といってパッシングをするのも気が引けます。下手すると喧嘩の種になりかねませ ん。
 それが停車の際、ライトを消灯していたのを点灯しただけなら、別に音や光で前の車 を煽ったことにはなりません。何しろ、移動の際、車のライトを使用するのは当然な話 ですから。
 それでいて前の車にすれば、パッと急に周囲が明るくなったりして、状況が変わった ことが瞭然です。状況とは、この際は、信号が変わったということ以外の何を意味する わけもありません。
 つまり、さりげなくぼんやりしている前の車の運転手に発車を促しているわけです。  なおかつ、ヘッドライトが前の車のバンパーなどに反射して、運転席にいる人間には 無用の光が充満し、結構目が疲れるのです。特に長い間都内を運転する場合には。
 だから小生は先頭でなく信号待ちしている場合でもヘッドライトは消すのです。



2.サイドミラーについて思うこと

 


 何年か前、規制緩和がされて、輸入車だけに許されていたドアのサイドに付すサイド ミラーが国内販売される国産車についても設置可能になった。
 すると、一気にという感じでほとんどの国産車がサイドミラー一辺倒になってしまっ た。その際、ヨーロッパもアメリカも道路の幅が日本に比べて広い等の事情は鑑みるこ とはなかったのである。
 小生も最初はちょっと格好がいいと感じはした。しかし、それはあくまで外見の話で あって、ではサイドミラーがフロント式の従来型のミラーに比べて安全かというと、決 してそうではないという感じを当初から持っていたし、今もやはり思っている。
 実際、商業用のバンやタクシーなど、ほとんどがフロント式である。
 なんといっても、バックミラーなのだから、後ろを見るためにある機能が合理的にな せるかがポイントになる。
 つまり、見やすいかである。フロント式の場合、視線を動かすべき範囲が狭くて済む 。
車というのは、あくまで基本は前方への注意が主である。その上で、左右や後ろなどへ 配慮を払うわけだ。
 その際、フロント式の場合、ほとんど(サイドミラーに比べて)首を動かさずにフロ ントにあるフェンダーミラーで左右後方を確認することができるのである。
 また、ミラーが車のほぼ最前部にあることで車幅を確認しやすく、従って狭い道や建 て込んだ場所を走行する際、両脇を現認しやすいのである。
 所詮は馴れの問題だといってしまえばそれまでだが、しかし、安全とは詰まるところ 安全性の高さの問題なのだ。だとしたら、少しでも安全の度合いの高いほうを選ぶべき ではないのか。



3.『ヘッドライトに関する瑣末な考察』への意見に対し

 


Mさん、こんにちは。 レスをありがとう。
 小生はオートバイの免許を取得して四半世紀を超えました。上京後数年して一時、中 断していたオートバイに1982年4月より再度乗り始めました。
 その時に雑誌などで知ったのですが、北九州から始まった運動としてバイクに関して は"昼間でも点灯を"が展開されていました。
 当初、小生はその運動には懐疑的だったし、それ以上に気恥ずかしい思いがありまし た。
 何故なら、少なくとも未だ関東ではその運動は広がってはいませんでしたし、昼間バ イクのヘッドライトが点灯していると、車の運転手はもとよりオートバイのライダーか らさえも、あいつはヘッドライトを消し忘れている、馬鹿な奴だという視線は痛いほど 感じられたからです。
 小生は車の間をすり抜ける時など、折に触れて点灯するという具合でした。
 やがて、その運動が関東に止まらず、日本全体に広がり、一つのメーカーによる自主 規制的な形でスクーターなどは昼・夜問わない点灯が組み込まれるようになったのです 。
 法律による義務付けが(昼に関して)なされているのかどうかは知りませんが、スク ーターなどは選択の余地なくヘッドライトが点きっ放しです。坂の関係でライトをオフ にしたくても出来ません。
 夜や昼でも交差点で止まっている時は消しておき、スタートの時、オンにすることで 周囲にスクーターの存在を示すとか、注意を喚起するとかいう工夫の余地は全くないわ けです。
 さて、小生が取り留めのない形で考察しているのは、あくまで実際上の有効性です。 あるいは交通の妨げなど、実際上の走行の工夫のあり方に過ぎません。
 多少、飛躍した話で恐縮なのですが、いつかはヘッドライトにもオート点滅機構が組 み込まれ、対向車などの通行に妨げにならない、しかし自車の走行の利便性に的確であ るような照度や照射の角度を自動的に選ぶようになるのではないかと夢見ております。
 道路運送法で一律に規制するのはそれから後にというのは無理な注文でしょうか。