マンホールとオートバイと、他

(01/05/27 up)(04/10/18 転)


1.久しぶりの<ツーリング>だけど  

2.マンホールとオートバイと  

3.トンネルと交通渋滞  



久しぶりの<ツーリング>だけど

 


 といっても、ほぼ一年ぶりに過ぎないのだから、久しぶりと言っていいかどうか 迷うところだ。いつもの年なら、少なくとも昨年の夏の帰省も、スクーターを利用 したはずなのが、諸般の事情があって、列車を使うことになり、とうとうロングツ ーリングが昨年の五月の連休以来となってしまったのである。
 それに、ツーリングと称してみても、それこそバイクというとオートバイしか乗 らなかった小生にとっては(76年度から78年の春頃まではダックスホンダに乗 っていた。50ccのバイクではあるが、ロータリー式とはいえ、ちゃんとクラッチ もあり、立派なオートバイということになるだろう)、スクーターでのロングラン というのは、やっぱりどこか物足りない。
 何故か。物足りなさの原因を、まず、細かなところから考えていく。
 スクーターにはちゃんと小さいながらもトランクがあり、その中にそこそこの荷 物が詰めてしまうことがある。すこぶる便利である。そのどこが悪いのか…。
 別に悪いわけじゃないし、まして困るわけじゃない。ただ、オートバイでのツー リングとなれば、荷物の積載に頭を悩まし、なとかリアの小さな台に荷物を載せ、 ゴムひもなどでしっかり括って、走行中も、荷物が崩れたり落ちたりしていないか をしばしば確認する、そういう細かな部分に結構、神経が奪われてしまうというこ とがある。これは、確かに面倒だし、スクーターを利用するようになって、リアシ ート下のトランクの存在に魅力を感じてしまったのも事実なのである。
 にもかかわらず、上記したように荷物の積み方や、何を積み、何を残したり諦め るかに頭を悩ますことも、オートバイでのツーリングの<楽しみ>の一つではあっ たのだと、振り返ってみると、分かってくるのである。 
 それでもトランクの存在はありがたいことは、間違いない。それは認める。
 今のトランクの有無にも多少は関係するのだが、バイクの形状も気分的に大きい。 近年は、素晴らしくスタイリッシュなスクーターが登場してきて、前後から見る限り は、オートバイなのか、スクーターなのか分からないものも多い。とにかく、格好 がいいのだ。
 しかし、それでもやはりスクーターはスクーターなのである。どうしても、従前 の、スクーターは、場合によってはスーツ姿そのままにすんなり乗れるし、その取 り合わせが別に不釣合いということもない。つまりは、ビジネス用のバイクだとい う印象が、どうしても拭えないのである。
 勿論、ビジネス用であって、何が悪いという考え方もある。ただ、ツーリングと いうことになると、やはり何処かビジネスシーンという日常性からの脱却が、難し いことは否めないのだ。
 それに、なんといっても、スクーターには女性が乗車する際、ことによったらス カートでシートを跨ぐことなく、シートとハンドルの間の空間をすんなり足を移動 させることが可能であるという面がある。この点も、だから何だということになる のだが、オートバイとは、異種の乗り物なのだなと思わせられるところなのである。
 さて、ちょっと話の筋が離れるようだが、80年代の初頭くらいから、オートバ イに風防(カウリング)が付着されるようになった。このカウリングの登場という のは、オートバイシーンを随分と変えたように思う。勿論、スタイルという点もあ るが、高速道路を走行する際に、カウリングの存在というのは、大きく走りを変え る。
 カウリングのないオートバイの場合、空気抵抗を避けるため、どうしても、前屈 みになりがちである。それが風防があることで、若干ながらでも、上体を起こした ままで、走ることが可能となったのである。
 但し、ハーレーダビッドソンに代表される、いわゆるアメリカンのバイクの場合 は、カウリングの装着を善しとせず、従来通りのオートバイの格好が剥き出しのま ま、走るのが好まれているようである。従って、アメリカンバイクに乗る連中は、 町中も高速道路も、前傾姿勢など邪道だとばかりに潔しとせず、上体を起こして、 イージーライダー風に走るのが常道のようである。最も、ハンドルトップやヘッド ライト部にミニカウル(大抵は何故か透明)を可愛く装着することは、ないわけで はない。
 その点、ヨーロピアンスタイルのオートバイは、はっきり2派に分かれていて、 剥き出しヨーロピアンで前傾になって走る連中と、カウリングを装着して、しかし それでも、前傾で走る連中とに分類されるようである。
 その主にヨーロピアンバイクに装着されてきたカウリングは、ついには部分的装 着に止まらず、車体に一体化しているものにまで洗練されてきたわけだが、90年 代の半ばになって、やや事情が変わってきた。
 車種名まで詳しく記すつもりはないが、上記したように洒落た格好のスクーター が続々登場してきたのである。ここにはスクーターの性能の向上と、大型化がある。 つまり、性能は勿論だが、従来はほとんど125cc止まりだった排気量が(例外は ある)、250cc、400cc、ついには、今年から500ccや600ccのものま で登場してきたのである。もう、大型のオートバイにスピードや乗り心地も含めて 遜色はなくなったといって過言ではないのである。
(但し、道路の整備状況の改善という背景も見逃せないだろう。なんといっても、 幾ら乗り心地が良くなったとはいえ、スクーターの小さなタイヤでは、凸凹の道で は辛い。道路のギャップをモロに拾いやすいのである。
 やはり、スクーターがこれほどに脚光を浴びるというのは、特に都会を中心に裏 道に至るまで舗装が整ってきたことが、盛況の前提にあるのだと思う。田舎の泥道 をスクーターで走るというのは、厳しいものがあるし、何といっても似合わないので ある。)
 しかも、トランクが装備され、ボディと一体化されたカウリング、その上、未来 的なデザインさえ施されている。
 ここで、実は、小さいけれど、ある種の逆転現象が生じている。それは90年代 の後半くらいから、依然として一定の人気は確保しているとはいえ、ボディ一体の カウリングとなったオートバイは、やや人気が衰えてきたのである。もう、大きな 風防は、スクーターに任せた。オートバイはやっぱり風防のない、剥き出しのスタ イルであってこそ、オートバイなのだと見直されてきたわけである。
 ここで、思いっきり単純化してしまうと、カウリング(風防)のないヨーロピア ンバイク、カウリングのないアメリカンバイク、そしてトランクから風防も含めて 何でもありのスクーターと、バイクの世界が三つの範疇に分かれてきつつあるのだ。
 そうはいっても、カウリングの装着されたヨーロピアンバイクの人気は既に根強 い人気を得ており、衰え消えていくことはないと思う。小生も、一番好きなのは、 未来的デザインのカウリングとボディが一体化された(できればリアシートの下に ミニトランクくらいはある)バイクなのだ。
 さて、ここまでで、実は、触れていない点が一つある。そして、実は、この点の 有無が、スクーターとオートバイ(アメリカンであれ、ヨーロピアンであれ)とを 截然と分けている。そして、ツーリングの際の楽しみの有無を、根底的に左右しい ているのである。
 そもそもスクーターとオートバイの一番、大きな違いは何か。
 スタイル? そんなものは、スクーターを見れば分かるように、どんな風にでも 変えられる。乗り方? つまりスクーターは、場合によってはスカートでもスーツ でも乗れる…。なるほど、それは関係ないとは言えない。しかし、違う。
 排気量? 日本で昨年、オートバイで1800ccという排気量の怪物が登場した。 スクーターは今年、やっと600ccが現れたばかりである…。これも、誰しも違う だろうと判断できるだろう。じゃ、125ccや50ccのオートバイは、どうしてく れる、ということになる。
 実は、端的に一点に絞られる。それはクラッチ操作の有無なのだ。車でいえば、 シフトレバーの有無に近いかもしれない。スクーターは、オートマなのである。だ から、ハイヒールを履いたスカート姿の女性も乗ることが可能なのだ。足は、ステ ップに置いておくだけでいい。信号待ちの際、道路に片足を出せれば、それでいい。
 原則として右手はブレーキレバーとアクセル操作を行い、左手は、ブレーキレバ ーを行うだけである(ということは、片手だけの操作で間に合う場合が多いという こと)。足は、基本的に操作上、必要ないのだ(例外的に、ステップ近くにバーキ ングブレーキ、あるいはリアブレーキペダルがある場合もあるが)。
 さて、では、オートバイはどうか。右手は、(フロント)ブレーキレバーとアク セル操作、左手はクラッチの操作、右足(爪先)は、(リア)ブレーキペダルの操 作、左足(爪先)は、シフトチェンジ操作と、両手両足をフルに使うのである。
 これはスクーターもオートバイ(も、車)も同じだが、両脇にはバックミラーが ある(車にはルームミラーもあるが)。
 つまり、一言で言って、オートバイというのは、頭から爪先まで身体も神経もフ ルに酷使する乗り物だということだ。
 そして、このことがオートバイをこの上なく魅力的なものにしている。スクータ ーがどんなりスタイリッシュになり、性能が向上し、排気量がアップし、積載能力 が増大しようと、上記したような、両手両足を使い切る、その使い切った満足感と いうのは、決して得られないのである。
 そして初めに戻るのだが、ロングツーリングという名称を使うのに、躊躇するの も、実は、その点にあるのだ。諸般の事情があり、オートバイを手放してしまった。 今はスクーターを通勤に使う毎日である。年にほんの数回(五月の連休時の帰省や お盆休みなど、たまに春休み)にスクーターを遠乗りに使うだけである。それも、 段々、ツーリングとはとても呼べない味気ないものと実感されて、列車を使うよう になった。
 こんな単調なだけなら、列車で十分じゃないかということである。そして、とう とう、スクーターでの帰省が一年ぶりになるほどに、間が空いてしまったのだ。
 今年の帰省時の天候は、過去最高だったように思う。東京も田舎も快晴だったし、 風はないし(当然、雨も霧にも見回れなかったし)、渋滞にも全く巻き込まれなか った。
 それでも、ああ、ただ、スクーターで移動しただけだったという、呆気なさに、 オートバイでのランの日々の快感を思うのである。

                                          02/05/03



マンホールとオートバイと

 
 小生は若い頃から今に至るまでオートバイに乗り続けている。
 若い頃は少々無茶なライディングもしたけれど、多分、大方のライダーよりは大人し い乗り方をしているほうかもしれない。もっとも比べようもないことで、ただ、街中で の他のライダーの走り方を見ていての印象を述べているに過ぎないけれど。 
 冒頭に乗り続けていると述べたが、実は上京した当初の4年間は、東京の交通の激し さや交通量の多さにビビッテしまい、戦線を離脱してしまった。至って臆病なライダー なのである。
 東京に暮らし始めて5年目になった時、もう、どうにも我慢が出来なくて再度、オー トバイとの生活を選んだのだ。以来、再度のオートバイ生活を送って今年で20年目を 迎えている(但し、数年前にリストラ遭ってしばらくしてからは、心ならずもスクーターとの生活を送っている)。
 ところで、小生がオートバイに乗り始めた仙台ではあまり気にならなかったのだが、 東京で走り始めて気が付いたことがある。
 それは路上に目立つマンホールである。別に東京に限ったことではないのかもしれな いが、実にマンホールが多い。
 しかも、車を運転している人、あるいは歩行者は必ずしも気づかないかもしれないが 、それらマンホールが実にランダムに点在していることだ。2輪で走る者にとっては、全く予想の付かない配置で散在している。
 小生の友人で車を運転している奴がいる。彼は小生に比べれば何事にも注意深いし思 慮深いほうなのだが、彼にマンホールが無作為的に点在していて危ないと言うと、
「そんなことないだろ。きっと、ちゃんと配慮してあるに決まってるさ」と答えた。
 マンホールの配置に関して下水道に携わる当局に何かの配慮なり、あるいは決まりな どがあるのだろうか。
 小生はきっとないと思う。マンホールの蓋のデザインに多少の拘りはあるにしても( マンホールの蓋の写真集があるくらいだ、きっとマンホールの蓋のマニアもいるに違い ない)。
 また、仮に何かの規則性なり配慮なりがあっても、それはオートバイを意識したもの ではないこと、それだけはライディングしていて確信を持って言える。 
 実際、ライダーとして走ってみるがいい。いかにマンホールが少なくともオートバイ など眼中になく散在しているかが分かるだろう。あくまで下水道管理当局の必要に応じ て設置されているに過ぎないのである。
 直進の場合はともかく、カーブの最中、コーナーにあるマンホールが特に厄介なので ある。言うまでもなくオートバイは2輪で走っている。二つのタイヤで走っているので ある。当然だろう。バイシクルとはサイクル(輪っか)が2つあるからバイ(2)サイ クル(輪っか)なのである。
 オートバイは駆動力が人力ではなくモーターだからオートないしモーターが冠される のである。
 そのタイヤ、オートバイにとって命を預けているといっていい部分の道路との接地の 表面積は名刺の大きさに過ぎない。
 実にそれだけの面でオートバイと大地(道路)と接しているわけだ。
 それだけに依存しているオートバイが、例えばコーナーに差し掛かって、突然マンホ ールに出くわしたら、ちょっとしたパニックになることがある。知らない町での初めて のコーナー、特にブラインドになっているコーナーでは、やや多目の余裕をもってコー ナリングに入るのだが、それでもいきなり眼前にマンホールが迫ると驚いてしまうので ある。
 その時、余裕があれば、コーナリングのラインを変更してでも乗り切る、つまりマン ホールを避けるのだが、後輪は、しかし、避けきれない場合が多い。
 ライダーなら分かるが、前輪が滑ったら、運を天に任せるしかないが、後輪は多少滑 っても何とかなる。だから、可能な限り、前輪だけは滑らないように滑る可能性のある 箇所は、とにかく避けるのである。
 しかし、そうはいっても、避けるのには限界がある。片側2車線の道路で、自車の隣 にたまたま車などがいるとラインを途中で変更するなどは、ほとんど不可能に近い。
 ところで天候が晴れ、ないしは曇りの場合は、それでも大概はカーブの 途中でマンホールに出くわしても、無理してラインを変えることはしない。変えるリス クと、そのままマンホールを通過するリスクを比べると、変えることによって生じるリ スクのほうが大きいからである。
 が、困るのは何といっても雨の日である。雨の日は出きるだけ、というより絶対的に マンホール(や鉄板、白や黄色のペイント、あるいは砂や油の浮いた路面)は避ける。先に述べたように後輪 のスリップは犠牲にしても、とにかく前輪が濡れた路面にコーナリングの形で乗ること は何としてでも避けるべきなのである。
 にもかかわらず、そうはいっても知らない街での初めてのコーナーでは、突然眼に飛 び込むマンホールという事態を避けることは難しい。後ろに、あるいは隣に絶対車がい ないというなら、ともかく、天下の往来を占有しているわけではないのだから、コーナ リングのラインは限定されているのだ。
 さて、下水道当局(やボイラーの清掃・点検のためのマンホールもある)などマンホールを管理している当局の方はマンホールの設置に関して、ほんの少しでもオートバイのことを考えてもらいたい。
 ここではマンホールのことだけを特に話題に挙げたが、砂や油の浮いている路面は論 外として(でも雨の日、それも降り始めのうちは路面がペースト状になっていることが 多い)、鉄板の繋ぎめも、事情は同じである。
 否、マンホールは路面の一部に散在しているだけだから、多少はライン取りで対処が 可能なことも考えられないではないが、鉄板の繋ぎめというのは厄介至極なのである。 路面一杯を横断する形で設置されているわけだから、ライン取りでは対処しきれないわ けだし。
 そしてその鉄板の繋ぎめも、また多くはカーブになっている箇所に多いという困った 事情がある。ちなみに、ただでさえカーブのやたらと多く、且つ、道路幅自体が狭い首都高速にはカーブに鉄板の繋ぎめの多いこと(尚、鉄板の繋ぎめは、コンクリートないしアスファルトの道路が気温の変動に伴い伸縮するのを調整するためにあるようである)。
 コーナーでバイクがスピードを出し過ぎてガードレールに接触して事故に、という警 察の発表などがある時、小生は不図、そこにマンホールはなかったか、事故当時の天気 はどうだったか、路面状況に異常はなかったのかが気になる。あまり天気のことは述べられていないし、ましてそこにマンホールがあったか否か、路面の状況はどうだったのかは問題になっていないように思われる(よっぽど路面状況に異変があれば実況検分の対象になるかもしれないが)。
 けれど、実は、上記した事由によって自損事故の形に陥ったケースがあったのではな いだろうか。
 警察官の事故の調査・検分でも、オートバイに日頃乗りなれている人が立ち会えば、 原因の追求も違ってくることがないとはいえないのではないか。
 当局の方々の見解はどうなのだろうか、伺いたいものだ。




トンネルと交通渋滞

 
 さて、今年も恒例となった民族の大移動が始まる。お盆休みに伴う旅行やら帰省やら が一斉に開始されるのである。
 当然のようにして、高速道路は要所要所にて渋滞である。
 さすがに連休が大型化したり、あるいは休みの日をずらすことなどによって、多少は 渋滞の規模は縮小しているようではある。もっとも、ここ数年は不況によって帰省した くても出来ない人も少なからずいるようで、その故に走行する車が減っているせいも無 きにしも非ずと思えるが。
 さて、そうしたお盆や正月など、大規模な移動があるが故の渋滞ではなく、それほど 交通量の多くない、通常の際にも生じる渋滞がある。
 例えば東名の曲がりくねった道やら、あるいは緩やかな上り下りが要因になっている 場合がある。上りであることに気づかず、同じアクセルの踏み具合だと、自然、スピー ドが落ちてきて、結果として車間距離が縮まり、一気に渋滞になってしまうわけである 。
 小生などオートバイで帰省することが多いので、渋滞をすり抜けて、車の集団の先頭 に来てみても、何故、渋滞しているのか、一向に理解がいかないことが多かったものだ が、そうした事情があったりするのかなと、ようやくにして納得が行った次第である。
 さて、交通量がそれほどでもないのに渋滞を生じせしめる原因には、他に代表的なも のとして、トンネルの入り口がある。
 結構、スムーズな車の流れだったのに、トンネルの入り口で、全てではないが、一部 の車が思わずスピードを落としてしまうことが結構あるのだ。
 それは目の錯覚に過ぎないのだろうが、道が不意に狭くなってしまうかのような圧迫 感を覚えるからであろう。
 が、同時にトンネルに入った途端、一瞬ではあるが、日の光の下に比べて暗くなった ような感じに襲われることである。多分、それは錯覚ではなく、トンネルの外に比べ、 中は照明があるとはいっても、実際に多少なりとも暗い(暗いと感じてしまう)のであ ろうと思われる。
 だから目が慣れるまでの数秒の間、どうしてもアクセルが緩みがちになるのである。  これは理解できなくもあるが、しかし、トンネルの入り口付近で、そうした現象があ る毎に、やはり渋滞の原因になってしまうとしたら、困りものであることは間違いない だろう。
 小生が思うに、トンネル内部の照明は必要十分な照度を確保していることは否定しよ うとは思わない。ただ、渋滞が(つまり渋滞を惹起する入り口付近の眼が慣れないため の暗さという脅威が)入り口付近の暗さにあるのなら、せめて、入り口付近の、暗さに 慣れるまでの数秒に相当する距離分は、照度を高めることが望ましいのではないかと思 う。
 ある程度トンネル内を走れば通常の照度で十分である。今よりも明るくすべきゾーン は、あくまで入り口付近の数十メートルだけでいいのだ(無論、入り口から出口が見通 せる短いトンネルは不要だ。また、ここでの議論は日中の話をしている。夜も、従って 話の埒外である)。
 素人考えではあるが検討してみる値打ちはあるのでは。

                                 01/08/09