春 二 題

                                            
(04/03/15 up)






寄る年波に


春だね






寄る年波に






 この週末の連休は 我輩としてはなかなか歩いたほうである。最近は10分 以上を続けて歩いたことは久しくなかった。それが土日月と、三日間の間に、 15分以上の歩きを4回以上。
 なかなかのものである。
 ところで、歩くと、小生、何故かいつも以上に駄洒落が浮かぶ。別に殊更、 駄洒落を考えているわけではなく、看板の文字や店の名前とか、何かの活字や 数字を読んだりすると、勝手に頭が動いて何かしら駄洒落を捻り出す。
 やはり、体が動くと、普段は澱んだまま、流れる気があるのやらないのやら、 とんと分からない血の巡りが、多少はよくなるのだろうか。
 困るのは、たまに傑作が出来たりすると、つい、ほくそえんだりすることだ (後で振り返って、出てきた駄洒落を検討すると、ダサいものしかないので、 敢えて事例を挙げることはしない)。
 何処かのケッタイなおじさんが、歩きながら、不意に、ににやにやする…。 あまり、見られた光景ではない。自分でも見たくない。下手すると変人だし、 不気味と思われるかもしれない。用心しないと。最悪、警察に通報されること だって、ありえないわけじゃない。
 ところで、こんな性癖は、今に始まったものではない。記憶を辿ってもいつ から始まったのか思い出せない。ガキの頃からの我が頭の勝手な遊び、あるい は心の緩みのようだ。それとも、尊敬するご主人様と散歩するワンちゃんの尻 尾がバタバタと振れてしまうように、我が脳味噌も、歩くリズムに連れて、ゆ らゆらゆすぶられて、そのうちに神経も撓んで、日頃は哲学志向の人間だとば かりに、杓子定規にばかり考えようとする己を嘲笑うかのように、あられもな い言葉の戯れに耽ってしまうのだろうか。
 が、若い頃は、自制心もあり、顔の神経も筋肉もしっかりしているから、傑 作な駄洒落が浮かんで、笑みが零れそうになっても、世間体を考えて、その笑 みを辛うじて瀬戸際で自制することができていたのだと推察される。
 それが、寄る年波で、筋肉がすっかり緩んでしまい、笑みが浮かび始めると、 気が付いたら既ににやにやしている、というわけである。尿意を覚えたら、そ の時にはパンツが濡れていたり、屁がしたくなったら、我慢も何のその、即、 スカーとやってしまっているようなものなのであろうか。
 そのうちに、う○こがしたくなったら、トイレに駆け込む前に垂れている、 なんてことになるのだろうか。
 そうなったら、世も末…なのだろうか。それとも、この世は極楽ということ なのだろうか。
 ま、そんな日はあまり早く来て欲しくないような気がする…のだが、その実、 怖いもの見たさというのか、どんなものなのか確かめたいような気もしないで はない。
 人間の心理というのは、なかなか微妙なものである。


04/03/09記





春 だ ね






 昨日は仕事が暇だったので、駄洒落がつい、浮かぶ。

 雪や コンコン
 霰や コンコン
 キツネや コンコン
 風邪引いて コンコン
 ドア叩いて コンコン
 だーれも コンコン
 香港は ホンコン
 箪笥に ゴンゴン
 ついでに頭も ゴンゴンだ


 誰か、メロディをつけて見る気、ないかね。

   ところで、冬でもないのに、何故、この「雪やコンコン」なんて、唄が思い浮かんだのか、ちょっと分からなかったが、しばらく考えたら謎が氷解した。
 実は、先日も暇だったし、暖かかったこともあり、春の陽気に誘わ れてなのだろうか、「春が来た」という曲が浮かんできた。
 そう、「春が来た、春が来た、どこに来た♪」である。
その「来た」から「コンコン」を連想したらしいのである。語感の上での連想なのか、それとも、もしかしたら、「コンコン」を「来る来る」の意味合いに勘違いして受け止めている恐れもなしとしない。
 さて、「春が来た、春が来た、どこに来た♪」という曲が浮かんだのは、春の陽気のせいで、小生の分かりやすく床しい性格がまことに如実である。
 余談だが、「春が来た」の唄を唄っていたら、その時は、あまりに暖かく、 仕事が暇なので、「春が来た、春が来た、何処に来た♪」の後の、「山に来 た、里に来た、野にも来た♪」を替えて、「娑婆に来た、頭に来た、ノミも 来た♪」と唄っていた。
 春だね。


04/03/14記