1.最中のこと
2.和菓子のこと(多分、駄文)
1.最中のこと
(04/07/19 up)
どうも、この頃、食い意地が張っているのか、それとも、貧しい食生活の反動
なのか、お菓子のことが気になってならない。過日は、懐かしいお菓子や昔を思
い起こさせる食べ物ということで、落雁を中心に綴ってみた。
今日は、最中(もなか)のことなど。しかし、「落雁のこと」を書いた時には、
最中のことは、全く、思いつかなかった。ということは、小生にとっては、最中
は懐かしいお菓子の部類には入っていないのか。
最中が嫌いということはない。今でも、しばしばというわけではないが、仕事
の最中(さいちゅう)などに、コンビニで弁当を買う際に、ちょっと最中(もな
か)を一個くらいは買い足したりすることがある。
ところで、「落雁のこと」を書き終えてから、小生は、自分らしくないミスを
犯していたことに気付いた。それは、肝腎の落雁の語源である。これについては、
まさにそのことに触れているサイトが見つかった:
「落 雁」
http://www1.cncm.ne.jp/~nagakasi/meika_021.htm
このサイトによると、「中国の「軟落甘」という菓子の軟を略したものもとい
う説、「落甘」といわず「落雁」となったのは、当時黒ごまをちらしていたらし
く、その様子が舞いおりる雁に似ているところから、近江八景の一つである「堅
田落雁」になぞらえ「落雁」になったというものなど説が」あるという。
そうそう、この「最中」だが、ただ、最中と書くと、「さいちゅう」なのか、
「さなか」なのか、それとも「もなか」なのかは、俄かには分からない。勿論、
文脈というものがあるのだから、前後の関係から「さいちゅう」あるいは「さな
か」なのか、それとも「もなか」なのかの区別は、大概、付く。
但し、「さいちゅう」と「さなか」は同義だとしての話だ。この両者は別物な
のだろうか。
しかし、文章を綴る立場からすると、文脈から読み方を読み取ってもらうよう
な手間を取らせるのは、恐縮してしまう。何か、ギクシャクした感じが否めなく
なってしまう。
だから、そんな文章を読み進める上でのコブは、避けられる限りは避ける。
何かしている最中(さいちゅう、あるいは、さなか)という表現が余儀なくな
ったら、最中という表記を使わず、何かしている間、などと、やや味気なくなる
ことを覚悟の上で、当り障りのない表現を使うなどして、さっさと通り過ぎてい
く(読み過ぎてもらう)よう、祈るばかりである。
ちなみに、手元には「広辞苑」がないのだが、ネット検索したところによると、
「最中」の説明として、「「さいちゅう」とよんで「物事のまっさかり、また動
作が進んでまだ終わっていないとき。もなか…」とあるらしい。
つまり、「さいちゅう」「さなか」の意味合いで、「もなか」と読んでも構わ
ないということなのかもしれない。少しばかり抵抗があるのだけれど。
この件は、これくらいにしておこう。
それより、大好きなお菓子の話に戻りたい。そう、最中(もなか)のことだ。
小生が、脈絡もなく、最中のことに触れたく思ったのは、そのお菓子が好きだ
ということもあるが、実は、「有明の月に寄せて」という雑文を書いた時に、最
中というのは、十五夜の月を現す名称だと知ったからなのである。
「有明の月に寄せて」の中で、月の名称について参照してもらうため、下記の注
釈を入れた:
[月の呼称については、下記のサイトを参照のこと:
http://www.runsten.info/almanac/moonex.htm ]
この中では、「満月・十五夜」の異名として、「望月、三五の夕べ」などが例
示されているだけである。
この中の、「三五の夕べ」とは、十五夜を洒落て表現していることは言うまで
もなかろう。この十五夜は、満月のことであり、欠けたるところもないところか
ら望月とも称される。十五夜の月のことをまた、「最中の月」とも称するという。
「最中の月」をキーワードにネット検索したら、下記サイトが見つかった:
http://www.sentaro.co.jp/main2_1.html
その中に、以下のような味わいのある逸話が紹介されていた。
「江戸の末頃、吉原の名妓高尾が四角の「最中」で客をもてなしたおり、「この
菓子の名は…」と問われ、即座に「…窓の月」と答えたと伝えられています。行
燈にかざして、白い四角な皮から丸い餡がうっすらと透けて見えることが<窓の月>
にふさわしい感じだったのでしょう」
さすがに、昔の遊女は機知に富んでいる。咄嗟に、「窓の月」と答えるなんて。
そう、和菓子の最中は、その丸い形から、十五夜にあやかって、名づけられた
らしいのである。今でこそ、最中は、丸いもの以外に、四角や長方形のものもあ
るが、昔は、最中というと丸い形が当たり前だったのだろう。
満月に由来する以上は、最中は、真ん丸でないと、風情がなくなってしまうの
も、無理はないわけだ。
ところで、下記サイトに、最中について、気になる記述を見つけた。つまり、
「最中は日本特有の菓子でその語源は古く、平安期の和歌の中に歌われています
月見の宴の際の菓子(丸い白餅)が「もなかの月」と称されたのが語源です。こ
のため、現在の最中はもとをたどるとせんべいということになります」というの
である:
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/buy/meika/kyorei.html
そうか、最中はもとは、せんべいだったのだ。そういえば、最初から餡が入っ
ているわけもないわけだ。
せっかくなので、最中という言葉の使われている歌など、挙げておきたい。歌
の中で、「秋の最中」とあるのは、仲秋の明月を指している:
水のおもにてる月なみをかぞふればこよひぞ秋のも中なりける 源順
源順(みなもとのしたごう 延喜十一〜永観元(911-983)):
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sitagou.html
この中に、上掲の歌の語釈などが載っている。
04/07/09 記
2.和菓子のこと(多分、駄文)(03/06/19 up)
今朝、車中で暇の徒然にラジオに聴き入っていたら、6月16日は「和菓子の
日」だったとか。
小生は和菓子の日があるとは全くの初耳だった。駄洒落の好きな小生も6月1
6日をどう語呂合わせしても和菓子とは結びつかない。
よく何々の日を決める時、日付と事柄を語呂合わせや駄洒落で多少窮屈でも繋
げることがある。有名というか、誰でも思いつくのは、2月9日だろう。「福の
日」「服の日」「肉の日」そして「風の日」である。
最後の「風の日」が何故、2月9日と結びつくか。良い子の皆さんは既に気付
かれただろう。そう、「風」が「吹く」ということで目出度くきっちり繋がるわ
けである。
3月3日というと、雛の節句と思うのは、早計である。本稿の趣旨をまるで理
解されておらない。語呂合わせによる記念日の例を挙げているのだ。そう、「耳
の日」である。
よって5月3日を憲法記念日(Constitution Memorial Day)と言うのは、これ
また愚の骨頂だ。謹厳実直頑迷固陋の輩(ともがら)と見なされても文句は言え
ないだろう。そう、「ゴミの日」が正解である。
まあ、「降参の日」でも良さそうなものだが。何に対して降参か。人生に対し
てでもいいし、カミサンに対してでもいいし、仕事がもう嫌だという意味でもい
いし、意味合いなどこの際、どうでもいいのである。
このようにまさに語呂合わせ風に日付が選ばれるものは、数多(あまた)あり
枚挙に遑がないので、暇な方はネットで探してみるのがいいだろう。但し、たく
さん見つけても何のメリットもないことは予め断っておく。その代わり、デメリ
ットも少ないと思うのだが。
この駄文を読まれる方は、小生同様、無精な方が多いと思うので、手間を省い
てさしあげる意味で、そのものズバリのサイトを示しておく:
「語呂合わせの日」
http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/goroawase.htm
違うタイプの、ほんの少しひねった語呂合わせで決められた日にちも結構ある。
例えば、1月9日は「とんちの日」だそうである。これも、1と9でイッキュ
ウなので一休さんにお出まし願ったというわけである。
とんだところで呼び出されて一休さんも、名前どおりに一休さんというわけに
はいかないのだ。天国に召された際に、改名しておけばゆっくり休めたのかもし
れない。例えば永久さんとか。全休さんもいい。有休さんもいいかな。
6月13日は何の日だか、分かるだろうか。FMの日だと言う。アルファベッ
トのFはAから数えて6番目であり、Mは13番目だから、という。6月13日
からすぐさまFMを連想するのはちと苦しい。
でも、言われてみれば、極めて単純な発想で、その素直さは好ましいとも言え
るかもしれない。小生なら、「無意味な日」にするんだけど。
6月3日は、ムーミンの日というが、まあ、こじつけだが、結びつかなくはな
い。しかし、そもそも何故、「ムーミンの日」を決めなければならないのか自体
が、小生には分からない。ムーミンファンの心理というしかないのだろうか。
小生は日頃、睡眠、惰眠、仮眠、居眠り、爆睡などを好む者だが、この6月3
日ばかりは、たまには気合を自分に入れるつもりで、「無眠の日」にしようかと
思ったが、できもしないことは考えるだけでも体に悪いと思い、提案しないでお
く。無眠というのはあまり味気なくつまらなそうで、無味な日になりそうでもあ
る。あるいは、いっそのこと「無残な日」とか。段々、憂鬱になるので、この日
の事は考えないでおこう。
[この日が誕生日の方、御免なさい。お詫びに下記のサイトを熟読して、近頃、
やや陰の薄いムーミンワールドに思いを寄せてみたいと思います:
http://www.finland.or.jp/moomin.html ]
関係ないが、「ナンパの日」があるとは初めて知った。勿論、7月8日なのだ
が、その日はナンパしなさいというのだろうか。それとも、軟派な奴が日の目を
見る日だとでも。あるいは人生に難破した小生のための日だとか。考えすぎだろ
うか。被害妄想の気が強すぎるのだろうか。
ついでながら、この日は、「質屋の日」でもある。これも心惹かれる小憎ら
しい記念日だ。
面白いのは、末広がりの数字8が並ぶ、8月8日である。さすがに多くの日と
して選ばれ、人気が集中している。
「パチパチ→そろばんの日」、「(形から)ヒゲの日」、「(形から)瓦の日」、
「(形から)ひょうたんの日」「パパイヤの日」「ハハ→笑いの日」。
うっかり流してしまったが、「(形から)瓦の日」というのが、小生は理解で
きない。「瓦の日」というと、歴史好きの方は、フランス革命を連想されるかも
しれない。広くは「屋根瓦の日」と呼称されるべきかもしれないが。
http://plaza2.mbn.or.jp/~kobata/france/index3.htm
ちなみに、語呂合わせに関係なく8月8日は何の日かというと、あるわあるわ
で枚挙するのが嫌になるくらいある:
http://www.nobi.or.jp/calendar/aug/0808.html
このサイトでも何ゆえ、8月8日が「瓦の日」なのか分からなかった。無精庵
たる小生としては、意地でも理解したい。あれこれ当たってみて、やっと分かっ
た。やはり「瓦の日」を決めた当事者である、全国陶器瓦工業組合連合会に伺う
ものである。
つまり、屋根が8の字、というかハの字に似ているからというのだ。恐れ入っ
た。さすが職人だけに筋金入りの根性で決めたのだろう。八月八日と漢字表記す
ればあるいは小生も気付いたかもしれない(後で考えたけど、やっぱり無理かな)。
ついでなので、一言触れておくと、8月8日は、親孝行の日である。何故か。
「は(8)は(8)」、「パ(8)パ(8)」と読めることと、 「ハチハチ」を並びかえる
と「ハハ(母)チチ(父)」となることから」だって。こうまでして親は子どもに孝
行されたいのだ。悲しいような哀れなような。お子様達よ、一年に一度くらいは
親に孝行しなさいよ。でも、夏の真っ盛りじゃ、ね、ちょっと、っていう声が聞
こえてきそう。
と、ここまで来て、なんで、こんなことを書いているのか分からなくなった。
語呂合わせによる記念日を調べていた?
そうじゃない。そもそも何故、6月16日が和菓子の日なのか、それを語呂合
わせや駄洒落から探求しようと試みたのだった。
が、上掲の「語呂合わせの日」のサイトでも分かるように、6月16日は「無
重力の日」であって、「和菓子の日」はリストアップされていない。
ということは、駄洒落や語呂合わせで決められたわけではないということだ。
なんてこった。最初から見当違いをしていたんだ。
ここに至って、ようやく腰の重い小生も、「和菓子の日」でネット検索してみ
た。すると、ドンピシャである。
ああ、その前に、6月16日が「無重力の日」だということは説明しなくても
分かるだろうね。ただの駄洒落だから説明は要らないだろう。では、何故この日
に合わせてやや苦しい語呂合わせをしなければならなかったか。
実は、1963年のこの日、ボストーク6号が打ち上げられ、初の女性宇宙飛行士
あの「私はカモメ」で有名なテレシコワさんが宇宙飛行された日だから。由緒あ
る日なのである:
http://space.nasda.go.jp/db/kaihatu/astronauts/astronauts_j/valentina_j.html
では、7月8日は語呂合わせで「ナンパの日」となるのはいいとして、何故、
誰が決めたのか。調べてみたら、マガジンハウス発行の雑誌『ポパイ』で提唱さ
れた記念日だそうで、この日は見知らぬ異性を誘っても良い日だそうである。誘
っても、ついてくるかまでは保証の限りではないようだが。
と、また脱線している。
やっと本題に入れる。我が待望の「和菓子の日」をネット検索してみると、全
国和菓子協会の「和菓子の日」というサイトが真っ先にヒットされる:
http://www.wagashi.or.jp/kinen.htm
最初から、この言葉で検索すればよかった。
そのサイトの説明を流用すると、「和菓子の日(6月16日) は1979年(昭和5
4年)に設定され」たことが分かる。結構、歴史がある。
では何故、この日なのか。長いが引用する価値があると思う:
この日の由来は、平安時代848年頃、当時国内に疫病が蔓延(まんえん)した
ことから仁明天皇が元号を「嘉祥」とあらため6月16日に16の数に因んだ菓子、
餅を神に供えて疫病除け、健康招福を祈った古例に始ると言われています。
以下、「和菓子の歴史」を初め、和菓子に関連するあれこれが分かりやすく説
明してある。読み物として面白いサイトだと和菓子好き、甘党の小生は感服した。
ここらでお茶とお菓子で一服したいものだが、生憎、お茶しかないので一口、
ゴクリと行く。
そういえば、夕べ、車中で饅頭をたべたなと思ったら、このサイトに「ご存知
ですか和菓子の由来」という項があり、その中に「饅頭(まんじゅう)」もある
ではないか。
早速、読んでみると、まず、「まんじゅうは中国から伝来したもので名前も蛮
頭、蔓頭、包子などの文字を用いて呼ばれていました」とある。
ここまでは、フムフムである。
次に、「中国の三国志で知られています諸葛孔明が南蛮を征した時に濾川とい
う川のほとりで激しい風浪にあい、これをしずめるために人を殺してその人頭を
川の神に捧げる風習があると聞き、人の頭のかわりに小麦粉に羊や豚の肉を包ん
で祭壇に供えるようにしたという伝説にはじまると言われています」だって。
ゲゲ。こんな凄まじいい歴史が饅頭に潜んでいたなんて。饅頭はそもそも甘い
ものではなかったのだ。「その後、日本に渡って肉を食べない風習の中で現在の
まんじゅうが生まれてきたと思われます」元はニクマンで、それがアンマンに変
貌したわけだ。
よかった。平和ボケの現代日本に生まれて(最近、ややきな臭いが)。
昔、京都へは、何度となくゆえあって出向いた。時には一月近くも滞在するこ
とも希ではなかった。それゆえ京都の食べ物に全く無知というわけではない。京
都の和菓子を食べる機会に恵まれたものである。でも、それもほんの氷山の一角
を撫でたに過ぎないと今になって感じている。
上掲のサイトにもあるように、「和菓子は五感の芸術」だと、ひしひしと感じ
る。
それに、「和菓子には自然のめぐみがいっぱい。太陽をいっぱいに浴びて育て
られた小豆やいんげん、手亡(てぼう)などの豆類、餅米や米粉、小麦粉などの
穀類、いも類やごま、寒天、砂糖など、どれをとっても自然の中で育てられたも
のばかり」ということで、和菓子は健康的でもあるのだ。
植物性のたん白も多いし、植物繊維も豊富だし、それでいて、他のお菓子に比
べてカロリーは控えめと来ている。
あーあ、ここまで持ち上げたんだから、誰か関係者の方、和菓子を恵んでくれ
ないかなー。
ところで富山出身の小生は、当然、富山のお菓子もいろいろ食べている。まず、
「月世界」という品のいいお菓子。お茶請けに最高!:
http://www.hokurikumeihin.com/tsukisekaihonpo/
あるいは、最近は食べる機会に恵まれないが、昔、よく食べた「とこなつ」:
http://www.hokurikumeihin.com/oonoya/01.html#01
近年、定番になった「雪ぼたん」。
そして小生の大好きな和菓子というと、「ぎゅうひ(求 肥)」に止めを刺す:
http://cat-hand.cool.ne.jp/food/ume_sakura/ume.htm
それにしても、6月16日が「和菓子の日」だったことを知らなかったとは、
和菓子党の風上にも置けないと自分の至らなさを感じ、我ながら反省頻りであ
る。
細川たかしの唄「心のこり」の曲に乗って、「 わがし、バカよね〜♪ おバ
カさんよね〜♪」と唄いつつ、この稿を閉めよう。
03/06/17 記

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