1.ムスカリの花
2.海 辺 の 猫
1.ムスカリの花
(04/05/30 up)
或る日、突然、オレは庭いじりしたくなった。春四月のことだった。
小さな庭には、梅やハナミズキ、ツツジ、夾竹桃など、手に入る苗木を訳も
分からず植えた。トルコキキョウやかすみ草を、さらにはジギタリス、ベコニ
ア、マーガレットなどを月を追うようにして、種をまいたり、苗を植えたりし
ていった。
町で見かけて買ったチューリップの球根や、ムスカリの球根を土に埋め、ツ
ツジやペパーミントなどの苗を植えていった。
苗の多くは、植えたそばから枯れていった。冬の足音が聞える頃には、花や
草も、そのほとんどが呆気なく涸れていった。
残ったのは、昔からある柿の木だけだった。それも葉のすっかり落ち切った、
いつも通りの寂しい姿で。青空を背に、落ちきらずに残る柿の実が、一層、侘
しかった。
でも、チューリップやムスカリは、秋には葉っぱが育っていた。冬が去り、
春の盛りとなる頃には、咲くかもしれない。それだけが楽しみだった。
春四月の或る朝のことだった。いつものように出窓のカーテンを開けて、外
の光を浴びようとしたら、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
なんと、近所の猫の奴が庭を掘り起こしているではないか!
自分なりに猫退治のための工夫はしているつもりだった。猫の嫌いな臭いの
元を方々に配してあるし、猫よけ網やトレリスだって随所にかぶせてある。
猫は、露出したやわらかい土が好きだというので、ダミーというわけじゃな
いが、猫にやられても大丈夫な雑草をわざと刈らないままに放置しておいたの
だ。
折々、球根を植えた辺りを注意して観察はしていた。ずっと、何事もなく月
日は流れていった。いつの間にか、チューリップやムスカリの球根を植えた辺
りは、どうせ大丈夫だろうと高を括っていたのが拙かったのだ。
油断だった。葉っぱが根っ子から折られてしまって、見るも無慙な有り様だ
った。その上、憎たらしいことに、猫の奴、ムスカリを根っ子から引っこ抜い
て、口に銜えて何処かへ運んでいくではないか。
ああ、結局、ここまで来て、苦労が水の泡となるのか…。
がっかりした。やっぱり気まぐれに土いじりなんてするもんじゃない。
僅かに無事、残ったチューリップに望みを託するのみだった。
そんな或る日だった。近所の奥さんがやって来られた。猫の飼い主だ。もし
かしたら謝りに来たのか。でも、別にクレームを入れた覚えはないのだけど。
開口一番、ありがとう、と言って、奥さんは頭を下げた。
えっ、ありがとう? 何の話? 御免なさい、なら、少しは話が見えるのに。
ありがとうって、どういうことです?
オレには、そう問い返すしかなかった。
あのね、実は、うちの猫がお宅の庭を荒らしていたこと、分かっていたんで
す。でも、謝りそびれてしまって…。どうも、御免なさい。
えっ? まあ、気をつけて下さい。
でね、うちの猫ったら、あの日、ムスカリを銜えて、何処かへ持っていくじ
ゃないですか。わたし、途中まで追いかけたんです。でも、とうとう、追いき
れなくて。そのうち、なんだか、うやむやになってしまって。
オレには、何とも言いようがなかった。結局は、全てはうやむやってことか…。
すると、奥さんは、急に勢いづいて、話を続けた。
今日ね、わたし、お墓参りに行ってきたんです。主人の命日なもので。そし
たら、墓地に入った途端、何か、葡萄の房のような淡い紫の花が遠くに見える
じゃないですか。
もしかしたらと、ドキドキしながら近付いていったら、やっぱりそうなんで
す。ムスカリの花が主人のお墓の傍で咲いているじゃありませんか。
そういえば、墓地に入ろうとした時、猫の影がチラッと見えたような気がしたんです。それが、もしかしたらうちの猫じゃなかったかって…。いえ、確かじゃなんですけどね。
わたし、ムスカリの花が咲いているのを見て、主人がムスカリを好きだった
こと、思い出したんですよ。だから、ありがとう、なんです。
そうか、そうだったのか。やっぱり気まぐれでも土いじりするものだ…。でも、ありがとうはお宅の猫ちゃんに言えばいい…。
04/05/04 作
[ここにムスカリの花の画像があります]
2.海 辺 の 猫
(04/06/07 up)
あれは、大学を卒業し上京して、アパート暮らしを始めて三ヶ月にもならない頃だった。ボクはなんだかむしょうに寂しくなって、都会の風景が殺風景に見えてならなく
なった。
そうだ、海へ行こう! と思い立った。
思えば、アルバイトが忙しくて、久しく海を見ていないなかった。潮の香りを体
一杯に浴びよう、水平線を見よう、世界がとても広いってことを実感しよう
…。ボクはまるで恋人に会うみたいに、ワクワクする思いを胸に、電車に乗
り、湘南の海を目指した。
電車が駅に着いて、ドアが開いた瞬間、潮の香がボクを歓迎してくれた。
どこか魚の臭いの混じるような、生々しい感じが懐かしい。
有休を取っての休みなので、季節外れの海には人影がさすがに少なかった。
サーフィンをしている連中がいる。ボクは海が好きだけど、でも、海が怖い。
とてもじゃないけど、ボートに乗っかってだろうと、沖合いになど乗り出せ
ない。
なのに、沖合いというほど遠くはない波間では、若い男女がそれぞれにサ
ーフボードに腹這いになって、並んで波に戯れている。彼等の声など聞こえ
るはずはないのだけれど、弾むような歓声が上がっているのが分かる。
海の只中で、海を感じ、波を操り、恋を演じている。見ているうちに、波
飛沫を浴びたカメラで捉えた光景みたいに視界が揺れ崩れ溶けてきてしまっ
た。ボクには遠い世界。
いいんだ。ボクは海の傍にいられたらそれでいいんだ。浜辺で波に戯れて
いたら、それでせいせいする。浜風に髪を撫でられたら、それで気分が一新
する。海と陸との狭間に立っている、その不思議な感覚が好きなんだ。
さて、今日は、烏帽子の洛陽を求めようか。それとも、稲村が崎から富士
に沈む夕日を眺めようか。それとも、ただたた砂に描かれる風紋を心に写し
てみようか…。
でも、日が落ちるまでには、気の遠くなるような時の河を渡らなければい
けない。今のボクに谷間を越える気力があるのだろうか。大河小説を末尾の
一節に至るまで読みきることができるだろうか。暮れなずむ前に、里心が付
いてしまって、さっさと海辺を立ち去り、また、アスファルトジャングルと
いう都会へ舞戻ってしまうのじゃなかろうか…。
ボクは、真っ青な空と白い雲と海を目の前にしながら、悄然たる心が一向
に晴れることがないことにガッカリし始めていた。
ダメだ。気力を喪失した人間に元気になれと励まされるようなもので、逆
効果だ。一層、打ちひしがれそうだ。
正午にさえ間があるというのに、これからますます日が高くなろうという
のに、ボクは途方に暮れていた。
ボクはどうしたらいい?
ボクは、なんとなく波間のサーファーを視界に入れたくなくて、近くの砂
場に目を向けた。すると、何か小さなモノがポツンと見える。
猫?! それも仔猫だ。生まれて数ヶ月も経ったかどうかという可愛い猫
が浜辺に寝そべっている。
親猫は? 見当たらない。だったら、飼い主は? 人影もない。
仔猫が一匹だけで、大丈夫なのか。それとも捨て猫?
ボクは、仔猫のことが気になってならなくなった。ゆっくりと近づいて行
った。猫は微動だにしない。グッスリと寝込んでいる。いや、スヤスヤと、
という表現のほうがふさわしいのかもしれない。
ボクは、もっと近づいていった。すると、ボクの目の前で急に仔猫の耳に
トンボが止まったではないか!
仔猫は耳をピクピクさせる。すると、トンボは飛び立つけれど、耳の動き
が止まると、すぐに舞い戻るのだった。幾度か、そんな繰り返しがあった。
トンボには、よほど猫の耳が居心地がいいのに違いない…。
猫ちゃんは、夢見ているに違いない。一番、愉しい瞬間を生きている。小
さな体の中に、宇宙より大きな夢が今、息衝いている。世界が猫ちゃんと、
寸分の狂いもなく重なり合っている。
その猫ちゃんの耳に止まって息うトンボ。柔らかな海の風。
ああ、ここにボクがいることを知ってもらいたい。ボクも、仔猫やトンボ
と仲間なのだってことを分かってもらいたい。豊かで温かな世界に溶け込ん
でいきたい。生きている、その懐かしさを共に愛でたい。
このボクだって、寂しがりやで、甘えん坊で、だけど、仲間に逸れてしま
っていることを分かって欲しい。
違う。そうじゃない。そんなことなど、どうでもいいのだ。
ああ、仔猫の耳に触れて、危うく、猫ちゃんたちの邪魔をするところだった。
ボクは、その場で浜辺に倒れ臥してみた。仔猫の真似をしたくなったのだ。
丸っこい小さな背中を何を心配することなく、世界に晒す、そんな無邪気な
世界と重なってみたかったのだ。
すると、砂地の驚くほどの暖かさが身に沁みた。太陽の光が地上世界に満
ち溢れている。海にも、陸にも、仔猫にも、トンボにも、そしてこのボクに
も光が注がれている。
ボクはちっぽけな人間に過ぎないけど、思えば、海だって空だって、ホン
トはちっぽけなのだ。巨大な、際限のない宇宙に浮き漂っている仲間達なの
だ。
ボクは何もできないろくでなしだし、目の前の海に飛び込んでサーフィン
するなど思いも寄らない臆病者だけど、でも、海も空も仔猫もトンボも、そ
してこのボクだって、一緒に宇宙空間を漂っているのだ。宇宙を砂浜というボードに乗って、みんなしてサーフィン
している。ボクの心があの人を思って、さすらうのも、宇宙を漂い戯れてい
るからこそなのだ。
心は満ち足りている。一日、何もしないでいられる。何もしないでもいら
れるその豊かさがボクを宵闇の時まで、そう、大河の向こう岸にまで、ボク
を送り届けてくれるに違いない。
夕日の時という、明日があるさと感じさせてくれる暁の予感の時までここ
にいることができる。
ボクは、海辺で、今日一日、寝そべっていることに決めた。
04/06/05 作

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