秋に鳴く虫、他

                                          (04/01/18 up)

                                      

28. 夕べはベートーベンを聞きながら

29. 早生まれの意味、生きることのなつかしさ

30. 秋に鳴く虫




28. 夕べはベートーベンを聞きながら

 



 小生は仕事柄、一日中、車の中である。仕事の最中もそうだが、休憩もこの頃は、 何処かの食堂へ足を運ぶより、車中で済ますことが多い。
 それは、不況で食堂でちゃんとした食事を取る余裕がないからでもあるが、しか し、それ以上に、休憩がどうしても夜中になりがちなせいもあるが、ラジオに耳を 傾けたいという気持ちがあるからだ。
 我が家にいる時は、さすがにテレビを付ける。まさに付けるのであって、画面を 見ることは少なくなってしまった。今更、画面の中のバカ騒ぎについていく元気も ないのだ。
 だからといって、自宅にいる時、ラジオに聴き入るかというと、それも何か面倒 なのだ。もう、長年の習慣で、ただ、ダラダラとテレビをつけておくという習慣が 身に付いてしまっているのだ。
 一人暮らしだと、何かで部屋の中を埋めたくなる。テレビの軽さと無責任さが、 それには恰好のツールなわけである。誰も他に部屋の中にいない生活を何十年と続 けていると、たとえ空疎だと分かっていても、テレビに依存してしまう。部屋の中 で、誰かがなんていう贅沢は言わない、せめて光の影だけでも動いていて欲しいの だ。
 といって、テレビの画面に食い入るのも癪なのである。で、映像や音声を部屋の 中に垂れ流しつづけるというわけである。
 が、車中となると、テレビというわけにはいかない。一時期、出始めの頃、カー ナビなどを買って、早速、車内空間を豊かにしようと試みたことはある。
 が、何か違う。
 何かが奪われてしまうような気がしてならなかったのだ。
 せっかく、この狭苦しい空間の中でこそ得ていた、充実感というのとは、ちょっ と違う、密度の濃い時間、それが奪い去られるような気がしてきたのだ。
 で、仕事に役立てようと思えば役立つのだけれど、カーナビは自宅に持ち帰って しまった。
 幸いというのか、14型のテレビが昨年の5月頃、突然、プツンと何処かの線が 切れて、ウンともスンとも言わなくなった。壊れてしまった。
 まことに寂しい瞬間だった。でも、内心、待っていたような瞬間でもあった。こ れでいい、これでテレビに振り回されなくて済む…。
 そう思ったところへ、カーナビである。
 せっかくの空虚を自分の心の豊かさで埋めるチャンスだったのに、わざわざカー ナビを持ち込んで、また、テレビの画像や音響の洪水の再現だ。
 ところが、幸か不幸か、アンテナの調子が悪く、NHKは、まるで映らない。民 放は局によっては映るが、絶えず雨か霧が画像の中に降り、漂っている。
 これなら、どうしたって画像に食い入ることも出来ない相談である。しかも、経 済事情がテレビの購入を許さない。

   さて、カーナビのなくなった車内空間は、また、青白い光のチラチラすることは なくなった。その代わり、事情が許せばラジオを聴く。
 音声だけが空間を満たす感覚というのは、何処か、遠い昔、ラジオだけが茶の間 に鎮座していた頃を思い起こさせる。家族が、みんな揃っていて、ラジオを押し頂 くようにして、そしてラジオを囲んで食事したり談笑したり、喧嘩したり、宿題を したり、漫画を読んだり。ラジオを中心に生活が回っているようだったけど、でも、 目は自由に何処をでも遊ばせることができたんだ。
 ちょうど、今、小生の車もラジオが癒しの中心となっている。
 そして夕べは、NHKラジオからはベートーベンの曲が流れてきた!
 久しぶりに小一時間、たっぷり、ベートーベンの音楽に浸ることができた。彼の 九つの交響曲の障りの部分とか、「エリーゼのために」とか「月光」というピアノ 曲を聴くことができた。四半世紀も昔、この中年太りし始めた小生も学生で、アル バイトをして月謝を稼いでピアノ教室に通ったものだった。
 バイエルのピアノのテキストの最後のページに「エリーゼのために」があり、志 半ばにして、月謝がどうしても稼ぎ出すことできずに教室は止めていたのだが、教 科書の最後のページまではやりとおすのだと、ムキになって、意地になって、そう して「エリーゼのために」にやっとのことで辿り着いたのだった。
 その曲を、ミスを犯すことなく弾きとおすことが出来た日、これでピアノともお 別れなんだなと、しみじみ思ったものだった。
 その「エリーゼのために」や「月光」が、今、流れている!
 ちょうど、その夜はほぼ満月だった。ピアノの音が、車の中に流れているという より、地上世界を慰撫するかのように、潤いが溢れ出し、満たしていくように感じ られた。空疎なんてものじゃない、豊かとは程遠い小生の心を、一時でも瑞々しく してくれていた。
 風に揺れる木の葉、道行く人の髪をなぶっている、命の風。音は、目には見えな い。きっと、確かに、道の向こう側の人にも、聞けるはずもない。
「ここに、こんなに素敵な音の世界があるよ」と叫んでも、素知らぬ顔をして通り 過ぎていくだけ。
 だから、せめて、蒼い光の洪水を心の中にたっぷりと注ぎ込んで、そうして目を 閉じる。音が、まるで心の泉から湧き出してくるようだ。至福の時。
 何故、こんな心からの感動を人は分かち持つことができないのだろう。
 それも、実は、理由は分かっている。ピアノの音は、小生の貧しく乾いた大地を 潤すにも、実際には足りなかったのだ。だから、小生は、ここにこうして一人、ポ ツンといるのじゃないか。
 やがて、音の神秘は、消え去る。ふと、我に返る。小生の心の貧しさも、そのま まであることに気付かないわけにはいかない。こうして小生の何十回目かの誕生日 も静かに静かに過ぎ去っていった。
 さて、走り出すとするか。


                                  02/02/28 01:01




29. 早生まれの意味、生きることのなつかしさ





 小生がガキの頃、お袋がよく近所の人とかに「この子は早生まれだから…」と言 うのを聞いた覚えがある。同時に、その言い方の中にかすかに言い訳がましいニュ アンスが含まれていることを、幼いながらに感じていた。 
 鈍感な小生は、思春期も大分過ぎてから、ようやく「早生まれ」の意味が理解で きるようになった。そして、何故にお袋が弁解口調で語っていたかの訳も。
 早生まれというのは、「1月1日から4月1日までに生まれた人のこと」である。 この4月1日というのには、微妙な意味合いがある。「法律上で1歳年をとるのは いつかという区切りについては、民法第143条の《暦による計算》がその根拠と なってい」るという。詳しくは下記のサイトを参照してほしい:
  http://www.asahi.com/edu/nie/sensei/b-point40.html
 さて、言うまでもなく特に子供の頃の半年や一年の差というのは成長の上で非常 に大きい。体格的にもそうだが、精神的(知的)な面でも、差は場合によっては圧 倒的だったりする。
 従って、4月になり小学校に入学すると、同じ学年であっても、最大でほぼ一年 の年齢の差があるわけである。
 ところで、かく言う小生は2月生まれである。ということは、早生まれに該当す るということである。
 で、理解のとろい小生は、ガキの頃、早生まれの意味が分からず、といって、ど ことなくお袋とか大人の誰彼に意味を聞くことも何故か憚られて、早く生まれたっ てことなんだから、つまり、早いってことだし、つまり、みんなより早い…。ン? 成長が早いってこと? でも、それにしては、お袋の言い方の中には一抹の悲しさ というか弁解口調というか、だから仕方ないんだよ、という色彩が滲み出ているこ とは、鈍感な小生にも感じられる。
 何か意味が矛盾する…。
 もう、さっぱり訳が分からないでいたのだ。
 そのうちに、多少は小生も成長して、ようやく早生まれの意味が分かった。上記 したように、同じ学年の中でも生まれた時が(早いのではなく)遅いということ、 (ここから先が大事なのだが)だから、多少、成長や勉学の上で人より見劣りがし ても、仕方ないんだというお袋の弁解というか擁護の口調に繋がっていくわけであ る。
 つまり、我輩は出来が悪かったのだ。というより、まるでやる気のない人間だっ たのである。それは勉学に限らない(体が小さかったことあるが)。そもそも遊び にしても何にしても意欲の類いが欠片も、他人様に、そして学校の先生にも親戚方 にも嗅ぎ取ることの叶わない生徒だったのである。
 他人様には窺い知ることはできなくても、せめて自分の胸中や、あるいはお袋の 贔屓目の見方にくらいは、何か意欲の片鱗だけでも染み出てくれればよかったのだ が、自分でも何も心中に熱いものがないことは分かりすぎるくらい分かっていた。
 考えてみれば、なるほど早生まれなのだから、4月の2日に近く生まれた連中よ りは成長の点で劣っていたことの理由に為しえなくもない。しかし、小生同様に早 生まれの連中だって周りに何人もいたわけだし、そうした連中が小生同様、出来が 悪いかというと、決してそうではないのである。
 それに、勉強はともかく遊びを含めた生気という点で、小生のように影が薄かっ たわけでは尚更ないのである。
 さて、この早生まれというのは、満年齢で年を数えるという方法が戦後、導入さ れてから生じた現象である。
 この満年齢というのは、一体、どういう意味を持つのだろうか。満年齢での年の 数え方というのは、産まれた時が0歳で1年が経過すれば、満1歳となる方法であ る。
 この方法が採用されるまでは、(年配の方なら御存知だろうが)数えの年での年 齢方法を使っていた。つまり、生まれたばかりの赤ちゃんでも、数えだと一歳なの である。
 このことの意味するところは非常に大きい。赤ちゃんがお母さんのお腹の中で妊 娠(受胎)し成長し出産するまでの年月をちゃんと数の中に入れているということ なのだ。言い換えれば胎児を人間として認めていたということでもある。この点が 重要なのだ。
 悲しい現実なのだが、日本は(日本に限らないかもしれないが)堕胎天国と呼ば れたりする。妊娠中絶は、相当数に上っている。堕胎は、決して若い女性が望まな い妊娠をしたために中絶するだけではなく、生活が成り立たないために二人目や三 人目は養えないという理由だったり、あるいは高齢での妊娠で世間体が悪いという ことだったり、他にも病気が絡んでいたりして、一概に悪いことだと責められるわ けでもない。
 ただ、この胎児が人間としてカウントされていないという現実だけは厳然として あるというだけである。
   同時に、堕胎という暗い営みの苦しみ(と社会的宗教的矛盾)を、その当人だけ が背負うという現実があるだけである。
 この中絶を公然と認めていることの裏返しとして(ということは胎児を殺したと いうこととは見なさないが故に)、妊娠中の女性を殺傷しても、女性を殺せば殺人 に当たるが、胎児を死に至らしめたとしても、その胎児に関しては殺人とは法的に 判断されないという現実とも相関してしまうわけである。
 小生のような野暮天には、現代の日本において妊娠中の女性の胎児への接し方が どのようなものであるか知る由もない。一体、胎教はどれほどの重みを持って考え られているのだろうか。もしかしたら胎教を軽んじる風潮はかすかにでもあるので はなかろうか。
 近年、お腹の中の胎児も、その妊娠中の周囲(母親だけではなく、大きく家庭環 境も含めての)人々の理解と思いやりが、胎児の成長に大きく左右することが科学 的にも実証されてきた。だから、胎教の重要さも、わざわざ小生如きが云々せずと も理解されているものと期待していいのかもしれない。
 どこかで聞いたことだが、「お産は胎教の総仕上げ」という先人の知恵というの は、大したものだ。同時に数え年という方法を採っていたのも、長い経験に裏付け られた深い知恵の賜物だったのではなかろうか。
 これは、また、昔は、子供が授かることの意味を今以上に大切に思っていたから ではないのかと推測させてくれる。
「授かる」という表現は、まるで受動的な受け止め方のように見えて、実は、全く 逆であり、子供が天からのまさに「授かりもの」だという感謝の念の現れなのでは ないかと思う。
 ところで、さて、日本では出生率が近年、激減している。何故なのだろうか。ど こかの大臣が、「これでは日本民族が絶滅する」と言ったとか言わなかったとか。 そんな問題だろうか。生まれる子供にとって、つまりはお母さんになるべき方たち にとって、日本の現実が子供を実は歓迎していないということの証左だったとした ら…。
 子供を産むと生活が大変だから、だから手当てを充実させて云々と考えたりする 向きもある。それも大切だろう。けれど、では、昔のお母さん達が、楽な子育てを 出来ていたのか。
 まさか、である。むしろ、はるかに厳しい現実の中で産み育てたのではなかった か。あるいは産めよ殖やせよという戦争(国力)のための奨励の面もあったのか。
 小生は、そんなことより、生きていることの大切さと素晴らしさを生活の中で感 じることが出来ていたからではないかと思う。生きている中で何が大切か。豊かさ、 便利さ、楽しさ、……。
 でも、一番大切で貴重なことは、家族の絆であり、その絆の焦点に合ったのが子 供だったのではないかと思う。
 つまり、現代の日本では家族が崩壊してしまったことが出生率の崩壊の元凶だと 考えるのだ。価値の基準軸が、これから生きてくるものたちではなく、将来の家族 を中心とした地域に根ざした絆ではなく、今、生きている自分が楽しいとか便利で あるとかに移行してしまったのだ。
 出生率の急減という現実は、われわれに生きることの意味を問い直すことを要求 しているのではないか。一体、何のために生きているのだろう。生きていくのだろ う。
 ああ、何だか、また、大きく脱線してしまった。生きることの懐かしさ、生きて いくことの豊かさ、それだけをとりあえず感じておこう。


                                  02/05/24 22:25




30. 秋に鳴く虫





 15日付の朝日新聞夕刊に「虫の音をめでる日本人」と題された、同志社大学教 授笠井昌昭氏による小文が載っていた(但し、氏のトークを内藤好之氏が纏めた もののようである)。
 「平安時代から培った感覚」と副題がつくこの小文の内容は、コオロギやマツ ムシといった秋の鳴く虫に、日本人は独特の感懐を抱いてきたが、このように虫 の音をしみじみと聴き、もの思うようになったのは、いつごろからなのか、とい う疑問に答えようとするものである。
 文化史研究者の笠井昌昭氏には、『虫と日本文化』という著書がある。
[笠井氏の別の文章については、前回の「青松虫のことなど」の中でも紹介済み である。]
 彼によると、「秋の虫を詠んだ歌は、万葉集には意外とすくないのです。それ もただ鳴いているという歌。ところが、古今集になると非常に目立つようになり、 しかも、わびしい、さみしいという感情を伴ってくる」
 では、虫の音に心を動かされるようになったのはなぜか。「奈良時代は中国文 化の影響が濃かったが、平安時代には、梅より桜を好み、中国の詩文にはほとん どない、鳴く虫をめでるといった独特の国風文化が興りました。背景には貴族た ちの世界観の変化がある。奈良時代には、律令制が絶対と思われたが、平安時代 になると、それが崩れ、加えて仏教思想の無常観が浸透した」
 笠井氏によると、生活様式の変化も影響しているという。奈良時代は自然と一 体の生活だったが、平安時代になると都市的な生活が広まって、自然との間に距 離を置くようになり、虫の音が観賞の対象になった、という。
 世界で虫の音をめでるのは一部らしい、という(但し、一部らしいというのは、 小文の文章が曖昧なので笠井氏の意見なのか、一般的な見解となっているのかハ ッキリしない)。
 笠井氏はラフカディオ・ハーンの話を持ち出す。ハーンは、日本人を「単純な」 虫の音から「優美繊細な空想を起こすことの出来る国民」とたたえたという。
 笠井氏によると、「虫の声というように、日本人は、虫の声を言葉のように聞 きとります。虫の名を細かく知っているのも、関心が深い証拠」という。
 最後に笠井氏の談話は、「最近は、西欧人のように虫の音を一種の環境騒音と 受け取る若者が増えてきたようです。日本人が、子や孫へと伝え、せっかく長い 間培ってきた繊細な感覚なのに、実に惜しい」と纏められている。

 まず、万葉集の中の虫、とくにコオロギに関わる歌を挙げておこう:

 暮月夜心もしのに白露の
     置くこの庭に蟋蟀鳴くも
 (作者は湯原王、天智天皇の第七皇子志貴皇子の子)

 例えば、この歌を詠ってみて、「ただ鳴いているという歌」に思えるだろうか。 コオロギの鳴く声に、月の出ている白露の夕方の切なさがしみじみと伝わってこ ないだろうか。ま、観賞の仕方の違いといえば、それまでなのだが。
 ただし、平安時代になって虫について貴族が語り合うことが多くなり、例えば、 『源氏物語』の中で、マツムシとスズムシのどちらがいいかなどと論戦したりす るシーンがあったりする。
 後京極摂政前太政大臣である藤原良経が詠んだ句 『きりぎりす鳴くや霜夜の さ筵(むしろ)に 衣(ころも)片敷きひとりかも寝む』も、知る人が多いだろ う。
[ここでは詳述しないが、万葉集では秋に鳴く虫を総称してコオロギと呼んでい た。一方、平安時代では、キリギリスと称されたのは、実は、(総称としてのコ オロギではなく、まさに)コオロギだったという。また、マツムシとスズムシも 逆転して称されていたらしい]
 いずれにしても、平安時代になって、虫について語ったり虫の鳴き声に耳を傾 けるようになる文化が醸成されたことは事実のようだ。
 ただし、では、そうした平安時代の虫文化というのは、何故、少なくとも奈良 時代よりは豊かになったのか。もしかしたら、万葉集の時代、あるいは万葉集よ りも以前の時代の文化が奈良時代の律令制の抑制が緩むことで復活したのだとは 考えられないのだろうか。
 つまり、貴族の世界にまで虫をめでる庶民の間の文化が遠慮なく語られる生き るには、一定の時間を要したのであり、実は、弥生か縄文かの時代の文化が蘇っ たと考える余地がないのかということだ。
 というのは、少なくとも中国においては、かなり古い時代から宮廷などで籠に 虫を入れて鳴き声を愛でるという文化があったことを思うのである。
[この項は、「飼育今昔」というサイトの中の「虫の飼育は昔から」という段を 参照のこと:
 http://www.asahi-net.or.jp/~zt6h-akys/001.index.htm ]
 上記の「飼育今昔」によると、日本における虫を飼う習慣は、大陸渡来であり、 中国文化の影響だと考えられるのである。
 問題は、一体いつ頃、文化が伝播したのか。笠井氏によると奈良時代は中国文 化の影響が強かったと述べられているが、だとしたら、まさに奈良時代に日本に おいて生まれつつあった貴族の間に次第に中国文化が浸透し始め、それが平安時 代になって花開いたとも考えられるわけである。
 いずれにしても、もう一度、上記のサイトによると、「結構昔から人は虫を色 々な目的で飼育しており、ヨーロッパ、南米、中国から日本と世界各地でコオロ ギ等の鳴く虫を飼う習慣があった。更に古いギリシャ時代にも鳴く虫を飼育して いた記録があると云う」のだから、必ずしも殊更に日本独特の文化と考える必要 もないわけである。
 ところで、ヨーロッパといっても広いし(ギリシャだってヨーロッパ?)、ア メリカに渡ったラフカディオ・ハーンが、アメリカでは虫は、ただの虫であり、 鳴き声は雑音に過ぎない文化の中で苦労を重ね、そのあと、日本に渡ってきて、 虫を愛でる文化を日本人も持つことを知って感激したことは、想像に難くない。
 ギリシャにも虫を愛でる文化、虫の鳴き声に耳を傾ける文化があったという。
 たとえば、擬音(オノマトペ)の豊富さの度合いの違いに、それを典型的に見 ることができる。そもそもオノマトペという言葉が生まれたのはギリシャである。 その擬音(雨が降る時のシトシトとか、犬の吼え声のワンワンといった音のこと) の豊富さにおいて、日本語は英語を圧倒している:
 http://www.biwa.ne.jp/~ohtani/tankajin/199704/onomatope-suwabe.html
 無論、ギリシャ語においても擬音は豊かのようだ。その擬音の豊富さは、言語 観あるいはもっと広く自然観・生命観と無関係ではありえない。虫の鳴き声とい うのも、そうした自然観・生命観・宇宙観の一貫であるわけだ。
 ギリシャ生まれのイギリス人だったラフカディオ・ハーンの遺品の中に虫篭が あったという。彼は、若い頃に片方の目が弱視になったこともあり、もともと耳 の人だったこともあって、一層、虫の鳴き声には敏感で繊細になったのだろうと 思う。
 最後に、東京医科歯科大学(当時)の角田忠信氏の脳に関する研究過程で得ら れ、紹介された「日本語で育った人は虫の音は左脳優位、機械的な騒音は右脳優 位だが、そうでない人は虫の音は機械的な騒音と同じように右脳が優位である」 という説は有名だ。もう二十年の昔、盛んに言及された説である。
 この説が正しいとしても、では、日本人がアメリカ語などで育ったら虫を愛で る文化とは縁のない人間になってしまうのか。言葉そして風土が、こうした文化 を醸成するのかどうかは、はっきりしないようだ。
 笠井氏が語るように、「最近は、西欧人のように虫の音を一種の環境騒音と受 け取る若者が増えてきた」というのは、日本の原語事情において、英語文化の浸 透が相当に進んでいるという証左なのだろうか。
 若い人の発音(特に歌)を聞いても、小生はうまく聞き取れないことが希でな い。
 日本に生まれ育つ日本人も変貌していくということなのだろうか。淋しいよう な、仕方ないような複雑な気持ちである。


                                  02/10/17 00:49