蒼い三日月

                                         (04/01/31 up)






 夜空の三日月を眺めながら、「ねぇ、ちきゅうしょうって知ってる」と弘美。
「なんだよ、やぶからぼうに。ちきゅうショーだって?」
 祐介は、今夜をどう 過ごすかで、頭が一杯である。祐介は、昼間、会社に営業でやってきた女性の 面影が脳裏に浮かんでいて、弘美の話など上の空である。
「ちきゅうしょうなの、ちきゅう、しょう、ショーじゃないのよ。ま、天体シ ョーみたいなものだけど」
「なんだよ、しつこく言われると、ちくしょうって聞こえるぞ。地球で何かシ ョーでもやるのか」
「いやねぇ、ちくしょうだって。ちきゅうしょうって言っているでしょ」
 弘美は、冬の空を眺め上げている。二人の都合を合わせることができず、こ の頃は、会うとなると夜半近くになってしまうことが多い。知っている店は何 処も閉まっている。行く当ても、何処へ行こうという気持ちも萎えている祐介 の気持ちを弘美は感じていた。
「あのね、ちきゅうよ、地球。これは分かるわよね。あんたを乗っけてる地球 ね。で、その地球がね、月を照らすのよ。それで、地球が月を照らすで地球照、 なの。」
「へえ、地球が光ってるってことか。地球って自分で光ってるんだっけ。発光 体だったっけ。」
「そうじゃなくてね、あのね、夕方ね、ラジオで聞いたんだけど、ほら月光っ てあるじゃない。月光ね。ゲッコウ、月の光よ。」
「そんなにバカにしたもんじゃないぞ。オレだって月光くらい分かるさ。」
 祐介はますます機嫌が悪くなる。弘美は、ふと、前に月光浴のことで祐介の ご機嫌を損ねたことを思い出した。月光浴なんて、昔からある言葉だと祐介は 思い込んでいたけれど、実は、ある写真家の写真集のタイトルに附せられた造 語なのだと弘美に教えられて、無知を咎められたような気がしたのだ。祐介は そうは言わなかったけれど、弘美にはそう感じられた。
(また、同じ失敗、しちゃったかも…。もう、いいや続けちゃおう)
「月光は、太陽の光をお月さんが受けて光っているわけね。昼間もホントは光 ってるけど、日中は明るいから気付かない。夜になると、月の照り返しが眩し くなるってわけね。それが月光。」
「そんなことは分かってるって。」
「同じように地球も太陽の光を反射しているわけ。勿論、太陽に面した側の話 だけど。」
「そうか。じゃ、月光ならぬ地球光ってわけだ。どうも、語感が今一だけど。 わざわざ地球照なんて造語を作るってのも、気に食わないな。地球照もしっく り来ないな。」
「あのね、不思議でしょ、地球照って。」
「地球照のどこが不思議なんだ? 太陽があって、その光を地球が反射してピ カピカ、光るってんだろ。当たり前の理屈じゃないか。」
「だから、ほら、月光って私たちが見るから月光でしょ。当たり前よね。じゃ、 地球照は誰が見るのよ。私たちは地球に居るんだから、地球が照ってること、 見えないわけじゃん。」
 祐介は、しばし考える。
「火星人が宇宙の闇に浮かぶ地球を見て、おお、今日もキラキラ輝いてるな、 地球人は地球は青かった、なんて、ついこの間、感動してたみたいだけど、我 々は昔から地球が限りなく透明に近いブルーに煌いてるってことを堪能してき たんだぜ、なんて言ってる…わきゃねぇよな。そうか、宇宙衛星の乗っかった パイロットが地球を見て、地球が輝いているのを地球照って表現したのか!」
「ブー、ダメ。地球照ってのは、月の現象なのよ。」
「月? どうしてそんなところに月が出てくるんだ。」
「だから…」
「まてよ、オレにも考えさせろよ。うーん。」
 夜が深沈と更けていく。祐介は、弘美にこの頃の気まずい沈黙を破る恰好の 題材を与えられた気がして、ちょっと救われたような気になっていた。どうで もいいような話題だけど、そんなことはどうでもよかった。弘美に与えられた 餌だと分かっていたけど、わざと食いついてみせた。
「そうか、分かった! 太陽に地球が照らされて地球が光るんじゃ、当たり前 すぎるもんな。分かったよ。月光に地球が照らされて、ボーとかどうか分から ないけど、蒼白く光ることを地球照って言うんだろ。なるほど、ロマンチック な話だな。月が太陽に照らされて光るのも、理屈が平凡すぎて退屈だし、地球 が照るってのも月並みだし、うん、地球が月の光で照らされて蒼白く…。」
 そこまで言いかけて、自分の言っていることが理屈に合わないことに祐介は 気付いてしまった。地球が月の光で照らされることを、月光と言うのだし、だ ったら、わざわざ地球照なんて言葉を言い出す必要など、最初からありはしな いのだ。
 そして、依然として、月の光を浴びていることを祐介は月光浴という言葉で 表現されていると思いたい自分なのだった。
 祐介は、弘美の「月の現象なの」という一言がヒントなのであり、それを手 掛かりに地球照という言葉でどんな現象を指すのかを考えないといけないこと に思い至った。
 そもそも最初に弘美が「地球が月を照らす」と、これ以上にないヒントを呉れていたことに祐介はやっと思い至った。
 けれど、月のこと…、弘美の差し障り、せっかくの夜なのに、今日はお預け、 などと訳の分からない想念が浮かんでは消えていくばかりだった。
 世界が淡い青一色に染まっていた。弘美の巻き上げた短めの髪もチャコール グレーのコートの肩も、肩から下がるベージュ色のはずのショルダーも、ビル の壁面も、煉瓦で舗装された歩道も、遠くの歩道橋も、青く澄んだ海のように 清浄なる沈黙の海に沈んでいた。
 冬の夜の道は、果てしなく続いているようだった。遥かな先の公園の樹木の 影も目に痛いほど輪郭が鮮やかだった。
(冬の夜はものたちの本当の姿形を浮き上がらせるんだ。)
(俺たち二人の本当の姿って…)祐介は、二つの孤影だとは思いたくなかった。 きっとその想いは弘美も同じのはずだった。
(弘美もオレも、海の底にいる。俺たちはグランブルーのイルカなのだ。)答 が見出せないままに、祐介は何故か妙にセンチメンタルな気分に陥っていった。
(世界に俺たち二人なのだ…)
 ふいに祐介は弘美の唇を奪いたくなった。弘美の手を取り、名も知らぬビル の外階段の下へ連れて行った。
 唇を奪おうと、(分かるだろ)とでも言うように、弘美の目を覗き込んだ。 弘美はされるがままに任せていた。弘美の瞳には祐介が映っていた。映ってい るのは祐介だけなのだった。
(きっとそのようにオレの瞳にも弘美が映っていることを確認している…)
 弘美の肩越しに三日月が仄見えた。その三日月をじっと眺めると、決して三 日月などではなく、うっすらとだけれど、ちゃんと真ん丸なのだということに 気付いた。
 その瞬間、地球照ということばの意味が分かったような気がした。
(そうだ、地球照って、三日月の見えない部分、夜の部分が地球からの反射光 を浴びて、うっすらと見えるようになることなんだ!)
 祐介は、改めて弘美の瞳に見入った。愛の力で互いの見えない部分だって、 うっすらとでも見れるのかもしれない…。
(そうだろ、お前はそれを言いたかったんだろ)とでも言うように祐介は弘美を見た。
 弘美が頷いたような気がした。そして二つの影が重なった。





「地球照」については、下記のサイトを参照:

「月世界への招待」の中の「地球照」
 http://mo.atz.jp/chisiki/tikyuushou.htm

                                  04/01/23



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  [注意!: 以下の評は、本作を読了の上、参考にしてください。当然のことながら、一つの読み方の可能性をS・Y氏が示してくれているものと思います。氏は、決して小生の小説のファンというわけではなく、あるサイトで目に付く全ての(虚構)作品に目を通し、且つコメントを寄せるという方なのです。その意味で一定の第三者的立場を確保された上での批評なのだと思っています。]



S・Y氏の評





  地球照。確かに耳慣れない言葉であり、祐介と共に謎解きしてしまうという縦軸を元に。
 弘美との微妙な関係、男と女の付き合いかたの距離感が横糸で、妖しくもあり、ほの ぼのでもあり。イントロの「昼間、営業にやってきた女性が気になる」とのたまう辺 り、祐介も中々の浮気性というか、気が多いというか。
 そんな彼の浮ついた心を中々掴む事が出来ないでいる弘美が繰り出すマニアックな問 い掛けに対して、祐介も承知していながら罠に嵌まってやろうかという男心がさらにな んとも言えない雰囲気をつくっているわけです。
 彼女の瞳に映し出された「正解」。正しい答えなんて、案外身近にあるものなのかも しれません。
 にしても、地球照の正解。まさに月の光に照らしだされた彼女の本当の心のように、 絶妙な陰影を放って美しく照り輝いておりました。


                                     S・Y



                                04/01/24