(04/08/07 up)
すっかり我が家の一員となってしまったネロ。でも、相変わらず母ちゃんは
ネコ嫌いが変わらない。家の中でネロを見つけても、見て見ぬふりを決め込ん
でいる。
ネロのほうは母ちゃんをどう思っているんだろう。それがボクには分からな
い。
姉ちゃんの珍しいもの好きは、もう度を越している。というか、そうそう目
新しい生き物が簡単に見つかるわけもない。
ボクが睨んだところでは、姉ちゃん、色気付いている。学校の誰かのことで
頭の中が一杯みたいなのだ。珍しいものが好きと思っていたけれど、段々、ボ
クが分かってきたことは、姉ちゃん、手が届かないようなものが好きだってこ
と。
誰かに恋しているみたいだけど、叶いそうにない。鏡なんか覗いて、切ない
わ、なんて、呟いていことをボクは知っている。本人、秘密にしているつもり
のようだけど、あんだけ、しょっちゅう、溜め息付いたら、誰だって気付くだ
ろうっての。
今は、悲劇のヒロインである自分に熱中している。だから、自分に纏わりつ
くものは、みんな邪魔なのだ。うざったいって思っているんだ。だから、ネロ
のこと、前より嫌っているみたい。
でも、そこはそれ、ネロは、そんなことはお構いなし。姉ちゃんのあとをく
っ付いて歩く。
姉ちゃんは手とか足で、しっ、しっ、なんてやっている。すると、ネロは、
新手のネコジャラシとでも思っているのか、ネコパンチなんて繰り出して、結
構、楽しんでいたりする。
ボクは、なんだかバカバカしくて、やってられない。
その代わり、ネロが姉ちゃんに付き纏っている間は、ボクは、のんびりでき
るのが嬉しい。
ボクだって姉ちゃんのことが、うざったいし、ネロだって、うざったい。た
だ、ネロのことは、ちょっぴり、尊敬もしてるけれど。
六月の終わり頃だったろうか。梅雨入り前の暑い日のことだった。ちょっと
した事件があって、ボクは赤っ恥を掻いてしまった。
保育所から帰ってきたら、母ちゃんが草むしりをしている。日本手拭いで頬
っ被りし、下はモンペだ。お八つをねだったら、手伝いなさい! と一
喝されてしまった。
「姉ちゃんに手伝わせないのー、不公平じゃん」なんて、愚痴った。
すると、母ちゃんは言う。
「姉ちゃんは塾に行ったの。だから、今は、あんたしかいないだから」
「姉ちゃん、塾? 何の塾?」
「習字と算盤だよ」
ボクはそれを聞いて、愕然としてしまった。あの色気づいた姉ちゃんが、勉
強だって。ボクは、差がつけられたような気がして、悔しかった。ボクはとい
うと、漫画にテレビにかくれんぼにネロの世話。
その上、今度は、草むしりと来たもんだ。あー、姉ちゃんとドンドン差がつ
いていく…。
もっとも、あとで分かったことだけど。塾へ行くと言い出したのは姉ちゃん
からだった。別に勉強熱心だからなんかじゃない。そう、当たり! 塾には、
姉ちゃんの憧れの君がいるんだ! やっぱりこんなもんなんだ。
ボヤーとして突っ立っているボクを、母ちゃんは、農機具のある小屋の裏手
へ連れて行った。そこは日陰になっている。でも、用心のためよとか言って、
保育所の黄色い帽子の代わりに、父ちゃんの被るでっかい麦藁帽子なんて、頭
に乗っけられたりした。
そんなボクは傍から見たら、帽子だけが動いている風に見えたかもしれない。
前に言ったかもしれないけど、ボクは、これで結構、草むしりが好き。家の
手伝いは嫌いだし、よっぽどでないとやらないけど、草むしりだけは、例外。
やってて、なんだか、楽しい。草茫々で土の色が見えず、緑一色の庭が、ボク
の手で次第に土の色に変わっていく。土の肌が見えた分だけ、ボクの領土が広
がる。そう、茶色の世界はボクの獲得した領地なのだ。
だったら、どうして、手伝いを命じられて文句を言ったかって? 分かって
ないね。ブーブー文句言うことで、それだけ、対価も高くなるって寸法さ。こ
の計算高いところは、姉ちゃんに似ている。
そのうち母ちゃんがやってきて、「お八つにしようね」と言った。
「手とか足とか、洗ってきなさい。」
洗うのは、台所の脇の井戸。井戸の水を汲み上げて、盥に満たして、それで
手足を洗う。ついでだから、頭っからザーと被ったりした。気持ちいい!!
「あ、そうだ、井戸に浸けてあるスイカ、持ってきてね」
よっこらしょと二つの大きなスイカを台所に持っていった。
すると、表の方から姉ちゃんの「ただいま」の声が!
チクショー、あまりにタイミングが良すぎるじゃないか。勉強で草むしりを
サボったくせに、ちょうどお八つの時間に帰ってくるなんて!
そこが姉ちゃんの凄いところだ。勘の鋭さは天下一品だ。
鞄などを仏間の箪笥の上に置くと、母ちゃんの手伝いなど、さりげなくする。
要領がいい。ああしないとダメなんだろうな。でも、ボクには真似できないな、
なんて、思っていたら、「どうしたの、来なさい」という姉ちゃんの声。
分かってるよ。あんたに言われなくたって、行くよ。大物は、ゆっくりなん
だよ、なんて胸の中でブツブツ呟きながら、縁側へ。
いつの間にか、廊下などがツルツルに磨かれた縁側に新聞紙が広げられてい
る。スイカが、ザックリと切られ、真っ赤な身を晒している。甘い香りがプンプン漂っている。
素足の姉ちゃんと母ちゃんが並んでいる。二人は似ている…ような…似てい
ないような。でも、性格は似てる。マイペース。物事を自分の都合のいいよう
に考えるタイプ。その点、ボクは、物事を深刻に考えるほうかな、うん。
ボクも縁側の角に腰掛けて庭を眺めていた。松の幹が不思議に折れ曲がって
いる。椿やらアオキなどが植わっている。石作りの灯篭が苔むしている。枝葉
が密生しているので、晴れ渡った午後の光も、地面に光の小さない池を幾つか
浮かべているだけ。
気が付くと、ネロの奴が、いつの間にか縁側の隅っこに姿を現している。今
まで、まるで姿を見せなかったのに。ネロも性格は姉ちゃんタイプなのか。ネ
ロの無表情な目線は、でも、スイカを
向いているのか、それとも、姉ちゃんを見ているのか、今一つ、ボクには分か
らない。
そういえば、スイカは、今年初めて食べるのだ。ネロには、スイカは初めて
ってことなのか。もっとも、ネロは、好奇心旺盛だから、我が家じゃなくても、
何処かの家で口にしているかもしれない。
どうなのって、ネロに尋ねても、知らん顔である。
母ちゃんと姉ちゃんは、例によって、くだらないお喋りを始めている。なん
だって、ああ、喋ることがあるんだろう。次から次へと愚にも付かない話が出
てくる。まるで口から吐かれるスイカの種みたいだ。
ボクは、種をペッペッと飛ばしている。お喋りする暇など、ありゃしない。
なのに、姉ちゃんも母ちゃんも、スイカは食べるは、お喋りの口は止まらな
いわ、なのだ。ボクの目には神業としか思えない。
そうしたボクたちの様子をネロは、眺めているのかどうなのか。
見ると、ネロは鼻先をヒクヒクさせている。
「ネロ、食べたい?」そう、語りかけても、知らん顔である。
分からないけど、ネロにはスイカが物珍しいに違いない。
でも、ネロが一番、反応を示すのは、みんながスイカの種をペッペッと吐き
出す仕草だった。ネロには、人間様が種を吐き出すのが不思議でならないよう
だった。ネロの目が、忙しなく、みんなの口元から、種を捨てる洗面器へと行
ったり来たりしている。その様子が、なんだか可笑しい。
「母ちゃん、スイカの種、植えてもいい?」ボクはスイカを食べながら思いつ
いたアイデアを口にした。さっき、草むしりしたあとに種を蒔くんだ!
「いいけど、育つかどうか分からないわよ」
「そうよ、結構、育てるのって難しいんだから」と姉ちゃん。母ちゃんに追従
しちゃって、クソ!
「とにかく、植えるよ!」
そんな遣り取りをしていたら、台所の入り口に近所の三毛猫の姿が見えた。
赤茶と黒と白との模様が斑(まだら)になっている。鼻の頭が白い。ネロより
ちょっと年上のメスネコのミーヤだ。やっぱり鼻をヒクヒクさせている。
「スイカ、欲しいの?」とボクは聞いたけど、返事もしないで、じっとスイカ
を見ている。欲しいなら、欲しいって言えばいいのに! 気の優しいボクは、
我慢できない。
「はい、これ」と、スイカの実を少しだけ千切って、ミーヤに差し出した。け
れど、ミーヤったら、ソッポを向いている。
(なんだい、せっかく、親切にもあげたのに、無視かよ)ボクは、腹が立って、
床に零れたスイカの種を手で寄せ集めてミーヤにあてがって、あとは、ひたす
らスイカを食べつづけた。お腹が、甘ったるいスイカの実と汁で、タプタプに
なっている。歩くと、タップン、タップンと音を立てて揺れそうである。
スイカを食べ終わり、母ちゃんに言われてスイカの残飯を家の裏の残飯捨て
場に捨ててきた。戻ってきてみると、ネロは、姉ちゃんの脛を舐めている。や
っぱりネロはHだ! それとも、脛に零れたスイカの汁を舐めているだろうか。
それだったら、種を捨てた洗面器には、汁だって一杯のはずなのに。
と思って、床の新聞紙の上を見たら、ボクが掻き集めたはずの種が随分と少
なくなっている?!
「あれっ、種、捨てた?」
「うん、それも、裏に捨ててきてね」と、母ちゃんのピントのずれた答えが台
所から聞える。
ボクは種が減っていることが不思議でならなかった。もしかして、スイカの
種を植えるというアイデアを姉ちゃんが邪魔しようとしている?!
廊下を拭くため雑巾を持ってきた姉ちゃんの顔を伺ってみたけれど、ボクの
邪推に過ぎないようだ。だったら、どうして減っている?
答えは、すぐに分かった。ミーヤなのだ。ボクが呆然としているのを他所に、
廊下のあちこちに零れている種を飲み込んでいるではないか! ああ、ミーヤ
ったら、それ、スイカの種だよ、柿の種なんかじゃないんだよ!
スイカの種を食べたりしたら、盲腸になるよ! ボクは慌てて、ミーヤを追
い払った。ミーヤは恨めしそうな顔をして、ボクのほうを見ている。が、その
うち、諦めたのか、立ち去っていった。
「可哀想だけど、ミーヤのためだよ」
ネロは、というと、またまた姉ちゃんのあとを追いかけるばかりかと思いき
や、ガッカリして去っていくミーヤのあとを追っていった。ネロも今度ばかり
は気を利かして、がっかりしているミーヤを慰めてやろうというのだろうか。
ボクは、ミーヤのことが心配でならなかった。もし、盲腸にでもなったら、
どうするんだ!
姉ちゃんは、そもそも洗面器の種が減っていることにも気付かない。ミーヤ
のことは、とっくに顔馴染なので、心ここにあらずの姉ちゃんは特に構いもし
ない。せっせと廊下を拭いたり新聞紙を片付けたりしている。
ボクは、ミーヤのことが気掛かりだったけれど、とにかく、残った種を庭の
地肌の見えている辺りに蒔いた。
ミーヤは幸い、その日もその後も、病気したという話も聞かなかった。随分、
お腹に収めたはずなのに、よくも、盲腸にならなかったものだと感心したりし
た。
やがて、秋になった。ボクは、誰にも相談しないで、種を蒔いた辺りに、水
だけはコマメにやっていた。その努力が実ったようだった。或る日、ついに緑
色の見慣れない草が芽吹いて来たのだから。
やった! スイカだ。ボクのスイカだ。ボクは小躍りして喜んだ。父ちゃん
や母ちゃん、そして勿論姉ちゃんにも、ボクのスイカが育ったよと触れて回っ
た。どうだい、すごいだろ!
どれどれ、というわけで、みんながボクのあとに付いてきて、スイカの園へ。
すると、姉ちゃんが笑い出し、ついで母ちゃんも笑い始め、しまいには父ち
ゃんも、ニヤニヤし始めた。
ネロも、姉ちゃんの足元で、胡散臭そうにボクを眺めている。
「ばーか、それ、雑草よ、雑草!」
と、無神経な姉ちゃんは、残酷な宣言を。
あとのことは、何も覚えていない。覚えているのは、ただ一つ。怒りに任せて、
その草を毟り取ったことだけ。ボクは、スイカ作りに失敗したことより何より、
姉ちゃんに馬鹿にされたことが悔しくてならなかった。
ああ、でも、ボクが赤っ恥を掻いたのは、それだけじゃなかった!
スイカが芽吹くはずの頃、例のあのミーヤのお腹が膨らんできたのだ。もし
や、あのスイカの種を食べたことが、今ごろになってミーヤのお腹の病気とい
う症状になって現れたのか。怖れていた日がやってきたのだ…。
それにしては、家の奴等もそうだけど、ミーヤの飼い主も全然、心配してい
ないのが不思議だった。その家のユーちゃんはボクと同じ年のダチなのだ。そのユ
ーちゃんも心配しているどころか、なんだかそわそわしているだけ。
「ねえ、ミーヤ、大丈夫なの?」
「大丈夫さ。大丈夫だと思うよ。かっちゃんも、そう言ってるし」
ユーちゃんは、ユーちゃんの母ちゃんのことを、ボクと違って、かっちゃんと言う。
日にちが経つに連れて、ますますミーヤのお腹が膨らんでいく。もう、パン
パン。動きもなんとなく、とろい感じがある。
ボクは、ミーヤのことが心配で心配でならなかった。ボクだけがミーヤの病
気の原因を知っているのだ。ああ、あの日、もっと早く気付いて、ミーヤがス
イカの種を食べるのを止めてやればよかった…。
内気のボクだったけど、或る日、我慢がならず、とうとう、母ちゃんに悩み
を打ち明けることにした。
「かあちゃん、ミーヤのことだけど」
「えっ、ミーヤ? ああ、そろそろかもしれないね」
(えっ、そろそろだって!)
母ちゃんのその一言で、ボクは相談どころではなくなった。
ボクはいよいよ胸が苦しくなってきた。ミーヤの運命も尽きてしまう。しか
も、ミーヤの寿命を縮めることにボクが加担してしまった…。自責の念という
ものをボクは初めて覚えた。誰にも悩みを打ち明けることは、最早考えられな
くなった。
スイカの種が、ボクのうちの庭に根付かないで、よりによってミーヤのお腹
の中で咲き、今にもミーヤのお腹を破裂させようとしている…。いくら、ボク
がスイカが育ったらいいな、スイカが庭で採れたらいいなと思ったからといっ
て、それがこんな形で実現しようとは!
とうとうボクは泣きじゃくってしまった。そして、あの日の秘密を打ち明けた。ボクが悪かったんだ…。ちゃんとミーヤを見張っていて、種なんか食べさせなきゃよかったんだ…。
その時、母ちゃんはどうやってボクを慰めたのか、覚えていない。それとも、ボクは泣きじゃくるだけで、泣いている理由を話さなかったのだろうか。
そして、ついに或る日、その運命の日がやってきた。ボクが縁側でぼんやり
庭の松を眺めていたら、お地蔵さんが三十三体も収められている地蔵堂の前の
道を、ユーちゃんが息せき切ってやってきたのだった。
「生まれたよー」
(えっ、生まれた?!)
「生まれたって、何のこと?」
「何、言ってんだい、ミーヤのことに決まってるじゃん。四匹だよ。一遍に四
匹の仔猫の親になったんだよ!」
ボクは訳が分からなかったけれど、ユーちゃんが誇らしげだったし、あまり
に嬉しそうだったので、つい、「おめでとう」と言った。でも、なんだか、腑
に落ちない気分だった。
スイカの種で子どもが生まれたの…? そんなはずがなかった。じゃ、どう
して子どもが生まれたの?
そして、閃いた!
もしかして、ネロの奴、あの日、ミーヤを慰めついでに…。
分からなかった。姉ちゃんは、例によって塾に行っているので、ネロも、今
はただ、縁側にできた日溜りに浸かって居眠りしている。
ツヤツヤの黒毛を虫干ししているのだろうか。自慢の髭を日光浴させている
のだろうか。何か楽しい夢でも見ているの
だろうか。楽しかった遊びの思い出を夢見心地になって、なぞっているのだろ
うか。
ボクには何も分からなかった。女の子の手も握ったことのないボクには、ボ
クの目の届かないところで何があったのか、さっぱり分かるはずもなかった。
ねえ、ネロ、教えて、あの日、何があったの?
04/08/05 記

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