月 光 欲

                                         (03/07/013 up)






 さて、雨も止んだし、我輩の好きな屋根に登るかな。
 昼間は雨が降ったり止んだりで、我輩も気を揉んだものだが、さすがに、 夕刻になって、空に向ってフゥゥゥゥゥと吼えたのが効いたのか、一気に晴 れ上がったね。我輩の呪力もなかなかのものだ。
 我輩は雨が嫌いである。濡れたくはないのだ。隣のうちの次郎という名の 犬は、その点、我輩とは全く逆である。雨が降り出すと、妙にそわそわし始 める。うちの中でゴロンとしているご主人様に向って、吼えたがっているの が分かる。
 可哀想に吼えてはいけないと躾られているらしい。吼えない犬なんて、犬 の風上にもおけないと思うのだが、ま、浮世の習い、人間に媚を売ってしま った以上は、何事も我慢である。
 その代わり、我輩が雨の散歩と洒落てやりたい。なんなら、鎖に繋がれた 次郎の前を誇らしげに歩いていってもいんだけど、さすがに我輩もそこまで はしない。
 ちなみに、その次郎、どうして次郎という名が付いたかというと、なんで もご主人様がラーメンチェーンの二郎のファンだからという。だったら、二 郎にすればいいのに、どうして次郎にしたんだろうって?
 聞くところによると、そのご主人様曰く、芥川龍之介の小説が好きで、そ の中でも「鼠小僧次郎吉」というのがお気に入りなんだとか。、二郎そのま まというのもあからさま過ぎるし、次郎にしたと嘯いていたなぁ。

 しかし、我輩は知っている。そのご主人とやらの仕事が、実は盗人なのだ ということを。しかも身の程知らずにも密かに義賊を気取っていて、飼い犬 に次郎と付けたのだということも。
 奴が盗人だということは、近所の猫や犬やカラスは誰もが知っている。現 場に居合わせた猫だっているし、次郎が言うには、ご主人の臭いで、どの家 に入ってきたかが分かるそうである。誰かに言いつけてやりたいと思いつつ も、そこは飼われている身、餌を貰っている手前、黙っているしかないと嘆 いていたな。
 その点、我輩はご主人気取りの主殿に餌を貰うどころか、逆に運んでいる ほどである。ネズミにモグラに鈴虫に芋虫に。その度に主殿は狂喜乱舞する。 その様を見るのが何よりの喜びなんじゃ。
 そんなあれこれを知らないのは人間様ばかりである。
 ま、猫の高邁な観点からすると、そもそも何かのモノが誰かの所有だとか 何とか拘るのが、精神がちっぽけなのである。盗むというけれど、要するに ある場所から他の場所に移動するだけであって、モノが消えるわけでも何で もないのだ。
 うーん、さすがに我輩の哲学は深い。

 薀蓄はこれくらいにして、とにかく、雨の日は、内の中にいても湿っぽい し、軒下とか玄関とか物置とかを庇にして、居眠り三昧である。そのうち止 むだろう。猫は気が長いのだ。犬とはそこが違う。いや、出来が違うのだ。 人間に媚びなど売らない。悠然と構えている。止まなかったら止むまで待つ までのこと。
 それじゃ、どうしてグルルルルと鳴いたかって。お前は気が短いんじゃな いかって?
 失礼な。鳴いたんじゃない、吼えたんだってば。ハイトーンな声の透明な 音色が分からないとは情ない奴だ。
 我輩が鳴いた、もとい、吼えたのは、別に我輩が気が短いからではない。 今日が満月だと知っているからだ。この日を逃すと今月はもう満月を拝めな い。梅雨の合間の満月は、それはそれは素晴らしいんだから。
 湿気が高い? あーあ、それだから無知な奴は困るよ。梅雨の谷間の晴れ 間って、ホントは空気がグッと澄み渡るんだよ。それに今の時期じゃないと 見れない星座もあるしね。

 ポタポタと雫が垂れる。この音がまた実にいいじゃないか。雨上がりだ、 散歩だという気分にさせてくれるじゃないか。思わず舌を出して雨滴を舐め てみたくなるね。でも、そんなはしたない真似はしない。世間体ってものが あるからね。一度、あの猫は意地汚いという噂が立つと、もう、誰にも顔を 合わせられなくなる。この町には居られなくなる。
 猫はプライドが高いんだから。ほとんどプライドで生きているようなもの さ。この髭のピンと張っている見事さ。気高いだろう。だから、身体に触れ られるのは、たまには我慢してやってもいいけれど、髭は絶対に触らせない のさ。それにしても最近の雨は不味いね。

 青白い光が満ちてきたね。夜空に星が無数にあることで、人間たちがどれ ほど救われてきたか、我輩は知っている。でも、それ以上に夜空の月の存在 が普段は目先のことしか考えられない人間の心をほんの少しは豊かにしたっ てこと、案外、気付かれていないんじゃないかね。人間が猫ほどの精神の高 みに追いつくのは、まだまだ相当に先の話だね。
 月は素敵だとか美しいとか、人間どもは言うけれど、そう高尚ぶるのは一 時だけのこと、すぐ団子だ、織姫と彦星との恋愛沙汰だ、月見て一杯だとか、 そんな卑近なことばっかりに関心が向う。宇宙の深遠に向き合うのが辛いん だろうね。まだまだ地を徘徊するのがお似合いだよ。
 それとも、夜空に心が洗われると、すぐに心が空っぽになってしまう……、 ってことかな。底が浅いんだなぁ、人間の心って。
 その点、我輩たちは違うよ。もう、ずっと、飽きることなく空を眺めてい られる。月の光を浴びて、そりゃぁもう、神秘の海に漂っている気分さ。ひ んやりした瓦屋根の上での月光浴は最高だね。これほどの御馳走はないね。 人間なんて、温泉だろう。あったかいお湯に浸かって、お猪口で酒でも飲ん で、そのうち頭がのぼせてさ。悲しいほど、下世話だね。人間のは月光浴じ ゃなくて、月光欲がせいぜいだね。
 どうして、こう、下司なんだろ。我輩みたく、月の光の高貴さに浸りきれ ないものかね。これでマタタビの臭いでも嗅げたらいいんだけど……。

 月がぽっかり空に浮かんでいるよ。我輩のチャーミングな手を伸ばしても 届きそうなほど、身近に見えてならないね。見詰めていると、月の光って太 陽の光より眩しいと思われてくる。それだけじゃない、優しいとさえ思われ てくるんだ。何故って、太陽の光は直視できないけど、月光は許してくれる んだね。
 なんだか、我輩のためだけに白い絹の衣を脱ぐ美女って感じだね。肌がま たもっと白いし。憂いに満ちているような、そんな心の翳りが、月の顔の翳 りになっているというのに、人間どもには、ウサギが杵で餅を搗いている風 に見えるってんだから、笑っちゃうというか、哀れに感じちゃうね。
 我輩は段々、眠たくなってきた。一眠りするかな。
 その前に、ちょっと顔をぽりぽり。





 
                               ぽりぽり   by kei





 ん? 昼間、さんざん眠ったのに、まだ寝るのかって。
 んもう、分かってないな。精神活動って、凄い疲れるものなんだよ。我々 が昼間、神経をどんなに摩り減らしているか、まるで分かってないんだね。 それに、光り輝く月を眺めながら、どんなに深い瞑想に耽ったか、想像も付 かないんだろうな。それこそ太陽に迫ったイカルスだよ。登ってばっかりだ と墜落するじゃないか。ちっとやそっと寝たくらいじゃ、寝足りないんだよ。
 我輩たちは、目覚めている短い時間の中で神経を思いっきり張り巡らせて 生きているんだからね。ダラダラしているのが嫌いなんだよ。性分に合わな いんだな。
 のんびり、ゴロゴロしてばっかりじゃなかって?! ああ、もう、いいよ。 君らには分からないんだ!
 ところで、君らは我輩の述懐に落ちを期待してるんだろう。そうは問屋が 卸さないよ。今日はすやすやと猫寝入りするだけだよ。Zzzzzzzz……。
 コロコロコロ! ガリガリガリ! 
 おっと、あやうくおっこちるところだった……。







   文中に引用した「鼠小僧次郎吉」 (作・芥川龍之介)はネットで読むことが出来ます。

                                            03/07/12 00:08作



[本作品中の挿画「ぽりぽり」は、 kei さんから拝借したものです。いつもながらkeiさんの絵は暖かい。この絵を見た人が少しでも幸せになってほしいという彼女の真心が伝わってくるようだ。告白すると小生は、彼女のHPにアップされているこの絵「ぽりぽり」を見て、挿画として使いたい一心でこの掌編を書き上げたのです。猫君、気持ちよさそうですね。尚、「ぽりぽり」の原画(写真)は、砂原しろ/青梗菜物語館の中の猫写真にあります。 ( up 時、一部加筆 03/07/13 記)]