冬の海に思う 他(45−47)

 
 (04/09/17 up)




45.冬の海に思う

46.冬の案山子

47.真冬の夜の月




45.冬の海に思う





 冬の海というとどんな光景を思い浮かべるだろうか。澄み渡った空。穏やかな 海。そんな光景を思うなら、太平洋側の人、少なくとも日本海側の何処かの生れ の人ではないだろうと思われる。
 小生などは、北陸は富山の生まれなので、冬の海というと、波の荒い、肌を刺 す冷たい風の吹き荒ぶ海である。風がそんなに吹いていなくても、何故か波が荒 い。それに空が低く暗い。いつも分厚い雲が低く垂れている。
 どんよりしているのだ。
 さすがに近年は、豪雪地帯の北陸ではあるが、山間部はともかく平野部での大 雪というのは、少なくなった。
 小生が未だ田舎に住んでいた頃は、冬ともなると少なくとも一メートルの積雪 を見ていた。雪の正月ではなくても油断はできない。二月の声を聞く頃になると、 雪の日が続き、あっという間に降り積もり、道路は踏み固められた雪の下に埋も れる。時には家の出入りが二階からということもあったり。平野部でこうなのだ。
 18歳で田舎からは離れたが、盆暮れと帰省する。正月の帰省は、オートバイ を利用したことも三度ほどあったが、大概は列車を使う。
 越後湯沢(昔は長岡)での乗換えで、北陸本線を走り始めてしばらしくすると、 北陸の冬の海が夜の彼方に見えてくる。窓には小雪が心を叩くような勢いで吹き 飛んでいく様子が伺える。濃い藍色の闇を背景に無数の細かな白の塊が車窓から の灯りに一瞬照らされては消えていく。
 その彼方に憂鬱な灰色の雲と手前の真っ黒な北陸の海岸とに挟まれた北陸の海 が垣間見えるというわけである。
 明治の世から、数々のダムが上流に作られてきた。その結果、従来なら川の流 れと共に大量の土砂も海に流れ込んでいた。その土砂の流入がほとんど止まって しまった。
 その結果、浜辺はドンドン、貧相な姿に変貌していった。上流からの土砂の堆 積がないから、浜辺は海の荒波に削られる一方なのだから、こうなるのも無理は ないのだ。
 浜辺が侵食されると困るので、上流から川の流れに乗って下流へ、海に流れ込 む分に相当する量の土砂や岩石を計画的に浜辺に移動させればいいものを、そん なことは経費が嵩んで困るということか、並みで砂浜を削られないよう、浜辺に はテトラポットの山が幾つも作られたというわけである。
 白砂青松は叶わないとしても、テトラポットの小島を作らない算段くらいは考 えてもよかったものをと、小生ならずとも考えただろうに。
 グロテスクな浜辺となってしまった。その浜辺そのものはコンクリートによる 護岸工事などで一見すると整備されているようが、ちょっと海を見遣ると、テト ラポットなしでは浜辺が削られかねないという実情は、何も変わっていないこと が分かる。こうした上辺は整備されているが、実は寂れた、淋しい光景が田舎の 海岸には当たり前のように広がっている。
 そんな光景を見ると、田舎に帰ってきたという気分が昂揚するのとはちょっと 違うが、何か胸が締め付けられるような気分になってしまうのである。
 帰ってきた…。そうはいっても、ただの帰省である。ほんの数日、滞在するだ けなのである。もう、三十年以上も郷里を離れてしまっている。陸奥(みちのく) の地に数年、そして東京に四半世紀、暮らしている。だけど、あの風景が車窓に 映ると、帰ってきたという感覚があるだけになるのだ。
 帰ってきた…。けれど、一体、何処へ帰ってきたというのか。皮肉に考えると、 そもそも帰ってきたのではない。実際、浦島太郎ほどではないにしろ、田舎の風 景は凄まじい勢いで変化している。郷里の地は、田圃など、林立するマンション やアパート、工場、そして駐車場などに囲まれて、肩身が狭そうである。
 我が家の先祖代代の田圃も人手に渡ってしまった。家の周りの砂利道も、とっ くの昔、舗装され、家の庭の前の33体の地蔵堂も、我が家に直面していたのが、 舗装された道路に面するようになった。初めてそんなふうに向きが変わった地蔵 堂を見たときは、そっぽを向かれたような気になったものだった。
 近くには産業道路も整備されている。商店街はとっくに寂れている。地元の人 たちさえ、買い物となると、車で新興の巨大スーパーのある区域へ向う。地元で 買い物をするのは、杖を手に、あるいはカートを杖代わりにしている、車には乗 れないお年寄りたちばかりである。若い人は数多くが出稼ぎなどで田舎にいない のだ。
 北陸の冬の海。昼間でもライトを点灯したくなるような薄暗さ。湿気。寒さ。 車はそこそこに走るが、住宅街を歩く人の影は疎ら。昔のようには近所でも気軽 には歩かないのだ。用事は車で済ますのだから、歩くというと隣近所へちょっと した用事がある時だけなのである。
 高速道路も走っている。未だこれからも整備されるようである。新幹線も政治 の力で来ることが決まったとか。
 でも、人は帰ってこない。交通の便がよくなったから、盆暮れの一時的な帰省 は容易くなったが、本気での帰郷は逆に遠のいてしまった。帰ろうと思えば便利 な交通の足を使えばいつでも帰れる。だったら、住むところが距離的に離れてい たって、不都合などないではないか、云々。
 遠距離恋愛という言葉があるが、家族こそが、遠距離での相思相愛、つまりは 引き裂かれた状態になっている。その状態が高速道路の整備や新幹線の開通で一 層、固まっていくというわけである。
 交通の便がいい。もっと、よくなる。そうなればなるほど、帰郷するか否かの 判断は、差し迫ったものとはならなくなり、先延ばしにされ、やがて考えるのも 億劫になっていく。交通の便がいい。つまりは、大概の地は、気持ちの上も含め て、素通りすればいいということになりかねないのだ。
 交通の便をよくするというのなら、都会と地方との交通の便をよくするよりも、 地元の中での人の交流も含め交通の利便性を高めるほうが先決のような気がする のだが。
 北陸の陰気な空。だからこそ、炬燵が恋しくなる。人肌が恋しくなる。お酒が 恋しくなる。縮こまって小さな夢をみたくなる。小さな夢のはずが、ちっぽけな 夢になってしまったりする。
 いや、そうであっては困るのだ。世界が変わる。変化の波はどんな田舎の町を も呑み込もうとしている。その勢いが凄まじすぎて、洪水のようでさえある。炬 燵に向い背を丸めている間に、炬燵ごと、世界の荒波に押し流されないことを祈 るばかりなのだが。

03/12/25 記





46.冬の案山子





 昨夜、車中でラジオを聞いていたら、案山子という言葉が耳に。
 耳に飛び込んできたというわけではないが、何故か耳に引っ掛かってしまって、 そういえばラジオで明日から寒気がやってきて、今までの暖かさが嘘のような寒 さに見舞われるとか言っていたなとも思い出し、ふと、冬の案山子という言葉の 繋がりができた。
 冬の案山子。とてもいい言葉、あるいはイメージを喚起させる表現だ。間違い なくいい味わいの掌編を書けると直感した。そういえば、昨年だったか、「冬の スズメ」というタイトルを見出して、同名の作品を生み出したものだった。
 ま、掌編のほうは、タイトルが出来た段階で、大船にのったような気分になっ ているし、後日、ゆっくり虚構作りを楽しむことにしよう。
 掌編を書く前にイメージを膨らませてみる。そもそも、どうして冬の案山子と いう言葉に敏感に反応するのだろう。どうしてこのそれぞれに単純な言葉なのに、 その繋がりが自分には刺激的なのだろう。
 冬。今は冬。それはそうだ。案山子。案山子は多くは夏のものだ。稲穂などが スズメの被害に合わないよう、田圃に立てかけられている。しかし、今時、案山 子など、使われているのっだろうか。効果があるのだろうか。
 あったとして、年の瀬の今ごろまで立っているのだとしたら、それは立てかけ たご主人にも忘れ去られ、無用の長物として所在なげにポツンと立っているって ことだろう。
 寂しげに…、それとも、ここにいるのに気づかれないことに反ってホッとして、 のんびり独り身の自由を満喫しているのだろうか。
 田圃や畑の隅っこで寒さに縮こまっている、可哀想と思うのは、何も事情を知 らない世間知らずの人間の勝手な思い入れに過ぎないのだろうか。
 確か、さだまさしだったかの歌に、案山子の歌があったはずだ。郷里を離れた 息子が異郷にあって手元不如意だろうにちゃんと暮らしているのか、たまにはカ ネ送れの便りでもしろという、お袋が息子を思う歌だった。冬、案山子。

 お前も都会の雪景色の中で
 丁度 あの案山子の様に
 寂しい思いしてはいないか
 体をこわしてはいないか

      (「案山子」さだまさし)

 息子が親から離れて世間の風に当って、寒い思いをしているのではないか、案 山子のように手も足も出ない不自由を味わっているのではないか。
 しかし、手も足も出ないのは、無論、実は親のほうであって、都会へ出た息子 達にしてみれば若いうちは家の事、親のことなど忘れて学業に仕事に恋に金策に 無我夢中だったりして、親のことを思い出す余裕など、ついぞなかったりする。
 そう、親こそが冬の案山子なのだ。田舎の町の外れの猫の額のような田圃の端 っこに世間に(息子に)忘れ去れたように(そのように感じられてならないのだ よ)寒風に吹きっ晒しになっている冬の案山子なのだ。
 たまに思い出されることがあっても、年々、罅割れ朽ち果てていく一方の自分 が使ってもらえる望みも薄れるばかり。少なくとも、若い日のように、誰彼にち やほやされることだけは決してない。
 親は子離れしないといけない、そうでないと脛が細り、心も寒くなるばかり。 自分の世界を見出し、子どものことは大きな目と心で見守るしかないのだ…。
 万感の思いの募る年の暮れ。そんな熱い思いが誰の胸にも込み上げてくる。誰 かが誰かを愛し恋しいとおしいと思う。そうした思いが寒風の中で飛び交ってい る。行き交っている。
 親と子のような縁があるわけではないのに、男と女も不思議な縁(えにし)に 翻弄されてしまう。
 小生としても、誰かに思われることはなくても、せめて、遠くで誰かを思うこ とくらいはできる、そんな切なさを改めて感じさせた今年の夏だった。

03/12/26 記





47.真冬の夜の月





 仕事柄の賜物というべきか、夜の空とたっぷり付き合えるのが嬉しい。古来 より美しいものとして和歌にも歌われてきた雪月花。その三つを味わえるのが 1月の中旬頃から今ごろなのではなかろうか。
 月は別に満月である必要はない。が、満月の凄みは格別なものがある。まし て、冬の月となると、何か徒事ではないような気分にさせてしまう。一月の満 月は月初めの頃で(八日だったと思う)、まだ、その頃は梅も蕾だったはずで ある。
 というより、公園の脇で休憩していても、梅の木の傍にいることさえも全く 気付いていなかった。
 それが、今月に入ると、紅梅白梅も咲きほころび、五日頃には満月かなと思 わせるようになり、本当の満月になるのは六日らしいが、七日くらいまでは満 月に近い状態の月を愛でることができる。
 さすがに、東京では雪月花のうちの雪には恵まれない。別に東京のような都 会にあっては雪など厄介なばかりなので、降り積もることなど期待されてはい ないのだが、単に風物として眺めたいというエゴイズムからしたら、ちと寂し いかもしれない。
 せめて、ちらほらでも降ってくれたら、などと未練がましく書き連ねていた ら、雪が降る…、空が曇っている…、月の姿が見られないかも…、梅だって雪 を被って白い衣の下で凍えているだけかもしれないし…、などと思われ、とな ると、雪の降った後の晴れ上がった満月の夜という状況を待ち望むしかなくな る。
 ここまで来ると、東京では年に一度どころか、数年に一度、そんな僥倖に会 することがあるだけとなってしまう。まあ、梅がダメなら雪椿でもいいのだけ れど。
 それでも満月と梅の花とが揃えば、もう、言うことはない。
 誰しも感じることだろうけど、冬の真夜中過ぎの月は空気の冷たさと湿気の なさが相俟って、凄まじいものをさえ覚えさせる。その上、風でも吹いていよ うものなら、厚着をしていても、立ってのんびり月を眺め上げるなんて、呑気 な真似はできるはずもない。
 幸いにして、五日の夜中も、七日の未明にしても、肌を刺す風に妨げられる ことなく、冬の月の光を浴びる梅の花という光景を堪能することができた。
 堪能ということが、心の寂しさとか貧しさの自覚を排除しないのだと思いた い。

 太祇(たいぎ)の有名な句がある。

   寒月や我ひとり行く橋の音

 小生如きに太祇の句境など知れるはずもない。以下のサイトを参照願おう:
 http://www.komazawa.com/hagi/kobu2000keiyogo-taio.html
「冬の月が冴(サ)えわたっている。その光に照らされて霜の置いた橋の上を一人 行く。下駄(ゲタ)の音もまた冴えて耳に響いてくる。《季語》 寒月(冬)。《参考》 橋は長い板橋、履物は恐らく下駄であろう。」という。
 どういう状況で生まれた句なのだろうか。用事があって外に出て橋に差し掛 かったら下駄の音が冬の月明かりの中、耳に響いた、胸中に何か秘めた思いが あったのだろうか。酔い覚ましの散策なのか。それとも、これといった思いな どなくても、冬の月は誰にもひとり行くという感を抱かせてしまうのだろうか。
 この句は、「橋の音」が効いている。板の橋を下駄で歩くからこその句境な のだろう。
 小生が休憩する公園は、すぐ傍に高速道路があって、車の音が喧しい。タイ ヤの鳴る音で下駄のカランコロンという音を代用させるのは、興醒めかもしれ ない。
 それでも、未明の街中を窓をほんの少し開けて走ると、タイヤが道路と擦れ る音が夏とは違うことを感じさせる。タイヤも冬は縮こまっている…、なんて 感じるのである。
 だからだろうか、真冬に凍えた道路をグリップしようと頑張っているタイヤ に共感するような妙な気分に襲われたりして、タイヤに向って、「頑張れよ!」 とでも、声を掛けてみたくなったり、それはそれで楽しかったりする。

「冬の月」をキーワードにネット検索したら、久しぶりに「徒然草」の一節に 出会うことができた。当該の箇所を挙げてみよう:

 唐土(モロコシ)に許由(キヨイウ)といひける人は、さらに、身にしたがへる貯(タクハ)へもなくて、水をも手して捧(ササ)げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝(エダ)に懸(カ)けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬(ムス) びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(ソンシン)は、 冬の月に衾(フスマ)なくて、藁一束(ワラヒトツカ)ありけるを、夕べにはこれに臥(フ)し、朝(アシタ)には 収(ヲサ)めけり。
                           (徒然草  第十八段)
 http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~eguchi/pdd/turedure.html より

 身に帯びるものは何一つなく暮らす許由。水も手で掬って飲む。
 多くの公園には水場があって、水道の蛇口を捻るとちゃんと水が出る。飲ん でも大丈夫なのだろうけれど、鈍った体と心しかない小生は手を洗ったり口を 漱ぐくらいのものである。
 それでも、時に水を手に掬うだけのことはする。食事の後、歯を磨いたりし て、歯ブラシも洗う必要が生じる。一分にも満たない間に手がかじかんでくる。
 ふと、公園の隅を眺めたりすると、植え込みには蝙蝠傘などが幾つか散見さ れる。公園が木立に身を潜めるカラスたちや折々に姿を見せる猫たちだけの住 処ではないことを思い知る。
 冬の月に衾(念のために「広辞苑」を使って説明すると、ふすま=布などで 作り、寝るときに身体をおおう寝具)も、藁一束の代わりもあるのだろうけれ ど、夜目にも色の褪せた黒い傘の咲く植え込みをわき目に見ると、水の冷たさ を嘆く贅沢が恥ずかしくなってしまう。

 冬の月の光景を歌った歌は数多くある。公園の片隅で夜を過ごす人にちなむ わけじゃないけれど、せっかくなので、よみ人しらずの歌から一つだけ。

 大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける  (古今316)
「中古 よみ人しらず歌」
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sirazu.html
 このサイトの評釈によると、「影見し水 さっき月影を映しているのを見た 水。月光が冴え冴えとしているため、そこが真っ先に氷ったとした」
 なるほどと思うしかない着眼点である。

 古(いにしえ)の世、月にはうさぎさんが居て、杵で御餅を搗いているのだ と言われていたとかいないとか。月にちなむ伝説やタブーの類いは数多い。
 真冬の月は、冴え冴えとしていて、真っ白に輝いているというより、時には 酷薄なほどに蒼白だったりする。まさに磨き立てられた、裸の心と体を映す鏡 だと思われたりする。
 真ん丸の、曇りのない鏡は、魂の底の底まで、隅の隅まで射抜くような強烈 な光を放つ。月は地上世界の誰をも、どんなものをも照らし出しているはずな のに、一人、真夜中過ぎの人気のない公園に立つと、まるで自分一人のために 照っているような錯覚を覚える。
 不思議なのは、太陽だって、例えば、地平線の見えるような荒野に立てば、 そうした己のみを焼き焦がす、というような錯覚を覚えてもよさそうなのに、 そうはいかない。全く、別の感懐を抱いてしまう。
 何故なのかと考えていくと、そこには夜の闇という衣装というか衣裳のせい だと気付かされる。夜の帳(とばり)が地上世界の全てを覆ってしまう。限り なく漆黒に近い、だけれど、何処までいっても暗黒には至ることはないのだろ うと予感させる、不思議な衾をこの世のあらゆる風物と共に我が身も羽織って しまうのである。
 藍色の世界、凍て付いた紺色の闇の海の底の沈黙のざわめき。世界が一色に 染まって、そうして月と己とのみが対峙しているような、眩暈に似た感覚。己 が何処へ立ち去ろうと、そこには月の光が待ち受けていて、魂の鏡に我が身と 心を晒すように促されてしまう。闇に雑念も光景も沈み込んでしまって、浮か び上がるものというと我が身と心しかないのだから、詮方ないのだろう。
 真冬の夜の月は、照っているのは、月ではなく、赤裸の己なのだと悟らせる。 だからこそ、凄みを帯びて見えてしまうのだろう。
 未明の公園でしばしの休憩を終えて、もう一仕事する。気がつくと、あれほ どの闇は次第に透明度を増し、やがて星も月も消し去ってしまう。
 もう、月も姿を消した、仕事も終わりだと思っていたら、眩くなり始めた低 い空にポッカリ月が。有明の月! それとも残月? もしかしたら名残の月と 呼ぶべきなのか。どうしてこの期に及んでまで月が…。何か見詰め足りないも のがあったというのだろうか。そんな後ろ髪の引かれる思いのままに都会の路 上という我が仕事場を去っていくのだ。

04/02/08 記