(04/08/20 up)
尻尾を巻くネロ(前編)
ある日のこと、ボクは姉ちゃんのとんでもない秘密を知ってしまった。
それは秋の終わりのある日の午後のことだった。晩秋特有の冴え渡った空が
印象的だった。
その日、姉ちゃんが、こっそりと奥の座敷を抜けていくのに気付いたのであ
る。足音を立てないよう、抜き足差し足って奴だった。実に分かりやすい歩き
方をする。姉ちゃんには秘密を持つ才覚はないんだね。あれじゃ、私、秘密の
行動してます、なんて宣伝しているようなものじゃないか。
ボクは、茶の間をさりげなく抜け出して、姉ちゃんのあとをつけた。すると、
姉ちゃんは屋根裏部屋へ上っていったのだった。手には、何かノートのような
ものを持っている。そのあとを追う小さな黒い影はネロに決まっている。
ボクは、ハテナマークが二十個も付いてしまった。屋根裏なんかに行って、
何するんだろう。ノートを手にしていたってことは、屋根裏で絵でも描くのか
な。でも、それだったら、こっそり行動する必要などない。日記を書く? そ
れだって、何もわざわざ屋根裏なんかに上らなくたって、何処だってできる。
そもそも、姉ちゃんは、ボクなんかには絶対に日記を覗かせたりはしない。
表情や行動ではボクを誤魔化せない姉ちゃんだけど、書いたものについては、
頑なに秘密を守る。ボクは未だに一頁たりとも姉ちゃんの日記を読んだことが
ないのだ。何処かに日記をうまく隠しているらしい。姉ちゃんがいない時に、
あちこち探したけれど、とうとう見つからないでいる。
秘密を共有できないで、これでも、ボク達は姉弟なんだろうか?
ボクは、姉ちゃんの不審な振る舞いを見て、日記だと直感した。
実際、案の定だった。姉ちゃんは、屋根裏から降りて、出かけてきまーす、
と一言、喚いて、外へ出ていった時、手ぶらだったのだ。間違いない!
ボクはドキドキしてきた。日記の隠し場所が分かったのだ。とうとう、姉ち
ゃんの心の秘密を知る日がやってきたのだ。
ま、別に姉ちゃんが大した秘密を持っているとは思えないし、姉ちゃんの隠し事
なんかに興味はないんだけど、隠されると知りたくなるのが人情ってものさ。
昂ぶる胸に苦しくなっていたら、ネロが居間にやってきた。姉ちゃんのあと
を追ったけど、追い返され、すごすごと戻ってきたのである。
きっと、彼氏の追っ駆けに行くのだろう。ネロがいては、邪魔なのだ。
どうせ、振られるか相手にされないんだろうし、そしたらいつものようにネ
ロに慰めてもらうくせに、そんなに邪険にしていいのかな、なんて、妙に心配
になったりして。
ボクは、どうしようかと迷った。姉ちゃんの日記を読むべきか、それとも、
読まざるべきか。
ああ、でも、答えは最初から決まっている。ボクが我慢できるはずもない。
ねっ、ネロ!
ボクは、縁側に向うふりをして居間を出た。座敷を通り抜け、屋根裏部屋へ。
出かけたら、夕方までは帰ってこないはずの姉ちゃんだけど、こんな時に限っ
て、予想外に早く戻ってくるかもしれない。
すると、珍しく、ネロの奴もボクのあとにくっ付いて来るのだった。
なんだい、姉ちゃんの腰巾着のくせして、どうしてボクの後を追うんだい?!
屋根裏部屋へ登る階段は、とても急である。それにミシミシと軋む音が出る。
屋根裏部屋に上ることについては、今では別に両親に禁止されているわけじゃ
ないし、堂々と登ったっていんだけど、何故か、足音を潜めて登ってしまうの
だった。
悪さをするという意識があったのだろうか。
今では禁止されていない…。そう、前は階段が急なので、ダメだったに過ぎ
なかったのだ。それを秘密の部屋だと思い込んでいただなんて、恥ずかしい!
不思議なのは、何故、ネロが付いてくるかだった。姉ちゃんか、雌猫の後を
追うのが習い性なのに。
夏場のコウモリ騒動の後、屋根裏部屋は秋口までに大概の場所は探索済みな
ので、目新しいものはないと、この一二ヶ月は、登っていなかった。そこが盲
点だったのだ。ネロが告げ口しない限り、姉ちゃんがボクのコウモリ騒動を知
るはずもないが、ボクが屋根裏に興味を示さなくなっていたことは、姉ちゃん
は気付いていたらしい。
ボクが姉ちゃんが日記を書いていることは気付いている、しかも、日記に興
味津々だってことも、分かっている。日記の隠し場所に苦慮していた。そして、
屋根裏という恰好の場所を見出したってわけである。テキも然る者である。
ところで、ボクに姉ちゃんの書いた日記が読めるかって?
失礼だね。ボクも保育所に通っているし、第一、ボクに文字を教えたのは、
姉ちゃんなのである。母ちゃんは、忙しすぎてボクの相手をする暇がないし、
第一、母ちゃんは、体育会系というのか、絵本の類いを読んで聞かせるのが苦
手というより、面倒でならないようだった。
その点、姉ちゃんは、父ちゃんに似たのか、父ちゃんの真似をしているだけ
なのか、本が好きである。といっても、読むのが好きなのか、読んでいる格好
が好きなのか、今一つ、はっきりしない。
姉ちゃんが<読書>している時だけは、ボクが傍に来るのを許す。というか、
ボクも姉ちゃんが好ましく感じられる。許せる姉ちゃんに感じられるってわけ
だった。
ネロも、そんなときは、ボク達の傍で、のんびり毛づくろいしている。本を
捲る姉ちゃんを邪魔すると、大変な目に合うことをネロは知り尽くしているの
である。
昼間だけれど、明りを灯す。すると、久しぶりの屋根裏は、別に様変わりも
していなかった。探検をし終えた頃のままだった。
が、さすがに二三ヶ月分の埃を被っている。ボクが歩き回ったり、すり足し
たり、這い回った辺りは埃がうっすらとつもるだけだが、埃が堪っていること
には変わりはない。
が、一箇所だけ、埃がまるで溜まっていない場所があった。今は使わなくな
った炬燵を詰めたダンボールの箱の角が、なんだか妙に綺麗なのである。ちょ
っと調べてみた。
案の定だった。箱の折り目に突っ込むようにして、ノートが隠されている。
あれが、隠されていると言えるならば、ではあるが。
それとも慌てていて、ちゃんと隠す余裕がなかったのだろうか。
ボクは、日記を抜き出した。可愛いクマさんの絵が表紙に描いてある。姉ち
ゃんが自分で描いたのだ。姉ちゃんの下手くそな絵は、さんざん見せられてき
たから、ひと目で姉ちゃんが描いたとボクには分かるのだ。
可哀想なネロ。一度も、ネロは絵のモデルになったことがないのだ。身近な
相手ほど、冷たいというか関心が持てない姉ちゃんだもの、仕方ないよ、ネロ。
ボクは、いざ、日記を手にした瞬間から、身動きが取れなくなっていた。開
く勇気が湧かなかったのだ(もしかしたら読めないかもしれない…、そんな自
信のなさもあったのかもしれない…)。
このことが知られたら、姉ちゃんにどんな目に合わされることか。まだ、体
力的に姉ちゃんには叶わない。かといって、口喧嘩となると、てんで話しにな
らない。機関銃と豆鉄砲の戦いなのだ。さんざん、煮え湯を呑まされてきたの
だ。勝ち誇る姉ちゃん。しょげ返るボク。そんな光景が目に見えるようだ…。
すると、突然、ネロが動き始めた。炬燵の箱の上に登って、自分の尾っぽを
追っ駆けるようにして、グルグル回り始めたのだ。姉ちゃんが、ミント色だと
か、トバーズ色だとか、その時の気分次第で気紛れに評している目玉が、真ん
丸になっている。白熱灯の光が瞳に映って、どこかセピア色にも見えたりする。
とにかく必死なのだった。
何があったんだ。姉ちゃんの襟巻きになったりする尻尾に何か異常があった
のか。
04/08/18 記
尻尾を巻くネロ(後篇)
ネロがグルグル回転したわけは、後になって分かった。
でも、その時は、ボクは訳が分からなくて、ただオロオロするばかりだった。
セピア色になったり、ライムグリーンになったりする真ん丸目玉が尾っぽを追っ
駆けて猛烈な勢いで回っている。
尻尾の先を見ても、何があるわけでもないのに。
ネロが動き回るものだから、埃が舞って、屋根裏部屋がしまいに薄暗いほど
になった。濛々たる煙で目は開けていられない、埃で息が苦しくなる、箪笥の
上の、透明なビニール袋に収められた古い電気スタンドがガタガタ揺れて、今
にも落っこちそう。
そのうち、騒ぎを聞きつけた母ちゃん辺りがやってくる怖れもある。
ボクは、日記をとにかくダンボールの角に戻して、退却することにした。
ボクが日記を見れなくてガッカリしたかって。そんなことはないさ。場所は
分かったんだし。たまたまネロの奇妙な動きで読むのは阻まれたけど、チャン
スはまたあるはずだ…。
でも、不思議と胸を撫で下ろしている自分がいたことも事実だった。これで、
姉ちゃんの秘密を知ることは叶わなかったけど、読まなかったんだから、姉ち
ゃんに悪さしたわけでもない。未遂って奴さ。
すんでのところで思い止まった形になったんだし。内緒だけど、不甲斐ない
ことに、このボクも秘密を持ってしまうと顔に出てしまって、おどおどしてし
まう。そんな怯えた表情もしないでいられる(はずだ)。
階下に行ってみると、お袋はこんな時間なのに洗濯していて、上での騒動に
は気付いていないようだった。
よかった。安心したのか、ボクは腹が減ってきた感じがあって、母ちゃん、
お八つ、なんて、言ってみたりした。
母ちゃんは、こちらを振り向きもせず、戸棚に何かあるから、勝手に食べな
さいと言う。ボクは、戸棚のほうへ向かいながら、今はそんなに食べたくはな
いんだと気付いてきた。
でも、ボクは一瞬、青褪めた。なんと、居間で姉ちゃんと鉢合わせしたのだ。
いつの間に帰ってきたんだ?!
さて、これは後で分かったことだけど、どうやらネロの奴、いつの間にやら、
洗濯機が回り始めると、その音というか振動に釣られて、グルグル回る習癖を
身に付けたらしいのである。
もしかしたら、偶然にでも洗濯槽の渦巻きか、それとも、脱水層の回る様子
かを垣間見たのだろう。
目がグルグル回って、頭がおかしくなりそうになって、それで、洗濯機のグ
ルグルに合わせて自分も回転したら、眩暈が弱まるような気がしたのか、それ
とも、ネロのことだから、一緒になってグルグル回れば、回転の快感が一層強
まることを発見してしまったのかもしれない。
ただ、それでも分からないことがあった。回転するのはともかく、どう見て
も、ネロの奴のあの様を見ると、自分の尻尾を追って回っているとしか思えな
いことである。
何故?
その理由も、後日、分かった。犯人は、姉ちゃんだった。
ネロは姉ちゃんの取り巻きというか、濡れ落ち葉というか、とにかく、くっ
付いて離れない奴だったけど、終いには、煩(うるさ)がる姉ちゃんの奴隷み
たいになってしまった。
普段は姉ちゃんはネロを邪険に扱う。ただ、姉ちゃんがよっぽど機嫌がいい
時、ネロを勝手に侍らせておく。傍にいるのが、うざい、なんて言っている姉
ちゃんがそのうちに、ネロのうまい活用法を見つけたのだ。
それは、前にも書いたけど、ネロの尾っぽを襟巻き代わりにすることだった。
テレビか雑誌かは分からないけど、ヨーロッパの貴族がテンか何かっていう動
物の毛皮を襟巻きにしているのを見て、これだ、と発見したらしいのである。
さすがにファーの襟巻きなど買ってもらえるはずがない、でも、ここに、目の前に格
好の天然の毛のふさふさした襟巻きがあるじゃないか、というわけである。
それからというもの、姉ちゃんが雑誌などを読んだりする際には、ネロは哀
れにも、ずっと襟巻きとして仕えることになったのである。それも、嬉々とし
て。あーあ、ネロったら、あいつは男の端くれにも置けない奴だ。
それどころじゃなかった。姉ちゃんは、ボク以上に、というか、ボクとは比
べものにならないほど、悪知恵の働く人なのだ。相手の立場が弱いとなると、
とことん使い切る。油断も隙も見せられない。その姉ちゃんの傍にいられるな
ら、ネロはどんな命令にも従うことを知ってしまっている。
しめしめ、である。
姉ちゃんは、ある日のこと、戯れに、ネロの尻尾をネロの首に巻いてみた。
ネロは、されるがままである。
きっと、ネロの奴、それで自分の尻尾を襟巻きにしたら、気持ちいい
ことを覚えてしまったのに違いない。しかも、姉ちゃんの真似をしていること
になるのだし。
というわけで、ボクが姉ちゃんが隠したはずの日記を探しに屋根裏部屋に上
がった時、たまたま階下で母ちゃんが洗濯機を回したものだから、ネロが自分
の首に巻きたくて尾っぽを追うわ、でも、洗濯機に釣られてつい体が回転してしま
うし、そうすると尾っぽの逃げ足が速いので、尾っぽを追って懸命に回転する
しかないわで、てんやわんやになったというわけだった。
ボクは食べる気がなかったので、お菓子は食べなかったけど、姉ちゃんは、
居間で母ちゃんのお八つは戸棚にあるからという声を聞きつけ、居間でジュー
スとお菓子で一服した。それから座敷のほうへ向っていった。
つまり、いずれにしても、屋根裏部屋へ上がっていったに違いないのである。
母ちゃんが洗濯機を回さなかったら、ネロが尾っぽを追ってのグルグルダン
スをしなかったら、一体、あの時、あれからどんな修羅場が待っていたことか。
ああ、でも、あの日から、姉ちゃんのボクを見る目が何処か冷たい。猜疑心
に満ちている。姉ちゃん、ボクが日記を覗いてしまったのではと疑っているら
しい。
違うよ、ボクは一頁だって覗いてない。日記を開いてさえいないんだから。
でも、そんな言い訳をするわけにもいかない。それだと、ボクが日記を見つ
けてしまったことを言わなくちゃならないし。
ボクと姉ちゃんの間に隙間風の吹き始めた最初だったかもしれない。
ところで、今だから不審に思うのだけど、母ちゃん、あの時、たまたま洗濯
したのだったろうか?
04/08/19 記

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