(04/07/06 up)
あの頃のボクは近所にいる黒猫が大嫌いだった。とにかく、怖い! ただ、
そこにいるだけで、背筋がゾクッとしてしまう。
でも、ネコが嫌いってわけじゃない。お隣りの三毛猫ちゃんは大好きだし、
時々、背中を撫でさせてくれるから、出会うのが嬉しくてたまらない。
それが、あの黒猫というと、なんだか影の塊のようで、町中で不意に出くわ
したりしたら、もう、パニック。今日は何か良くないことが起きるんじゃない
かと、一日ずっと不安になってしまう。
暗くなってからは勿論だけど、昼日中、遊び呆けている最中に黒猫の姿を見
かけたりすると、ドキドキしてしまう。仲間がいる間は、そんな弱気なボクの
気持ちを隠しているけれど、一人だと、とにかく道を変えてしまう。後戻りし
て、遠回りになっても構わないから、黒猫がいた辺りを避ける。
でも、終いには、なんだってこんなにボクが卑屈にならなきゃいけないのか
って、頭に来たりする。で、勇気を振り絞って、猫のほうに立ち向かっていく
のだけど、黒猫は泰然自若というのか、それとも、ボクを数の内に入れていな
いのか、微動だにしない。
(なんだよ、ちょっとは動けよ)そう、言っても、尻尾をピクピク動かすだけ
で、知らん顔している。
(なんて、憎たらしい黒猫なんだろう!)
今から思うと、誰かに黒猫のイメージを吹き込まれたのだと思う。どう記憶
を辿ってみても、その黒猫を嫌いになるような切っ掛けが思い出せないのだし。
そんなボクだったけど、ある日、そう、曖昧な記憶を辿ると、梅雨の真っ最中だったかな…、とんでもない事件が起きた。
なんと我が家に黒猫がやってきたのだ!
ただし、あの、ボクを悩ましていた黒猫じゃなくて、その猫が産んだ子供の
黒猫。ボクの姉が、貰い手がなくて捨てられそうになっていた仔猫を一匹、可
哀想だからと貰って来たのだった。
「どうして猫なんて、勝手にもらって来るの」とお袋。
お袋は大の猫嫌い。ボクのように、黒猫だから嫌いとかじゃなく、猫を毛嫌
いしている。
一方、親父は黙っている。別にいいじゃないかという気持ちが顔や態度に表
れている。オレは、お袋次第だ、というのが親父のいつもの姿勢。
ボクは、親父とお袋の子だから、中途半端に猫は好きだけど、黒猫が嫌いっ
て風になったのだろうか。よく、分からない。
姉は、仔猫を胸に抱きかかえて、泣きべそを掻いている。
お姉ちゃんは、とにかく動物が大好き。生きものだったら、なんでも、拾っ
てくる。ボクのように、バッタやコオロギや蝶々とか、選りに選った昆虫を捕
まえるんじゃない。
ネズミを駆除しようと、親父がネコイラズを置いておくと、いつの間にか、
なくなっている。犯人は、一度も捉まっていないけれど、姉以外にない。昆虫
だけは、ボクの領分だけど、それ以外の動物、ヘビも、イモリも、ミミズだっ
て平気で手にする。それどころか庭木の枝を這う毛虫を退治しようとした親父
を涙目になって、虐めないでって訴えたりしていた。
猫や犬だったら分かるけど、姉の好みは弟のボクから見ても、変。おかしい!
ボクが物心付く前にも、捨て猫を拾ってきて、我が家が大騒ぎになったこと
があるらしい。叱られた姉は、とうとう、プチ家出まで仕出かしたとか。
そんな姉だから、お袋は、叱りながらも、半分、許している風もあったりす
る。また、猫と家出されたりしたら、今度は、蔵の中でニャーニャー泣く猫の
鳴き声で姉を発見するというわけにもいかないに違いないし…、そんな愚痴を
あとでお袋がこぼしていたっけ。
そう、飼う事に決まったのである。
問題はボクである。ボクは黒猫が怖い。そのボクの目の前に、三毛猫ちゃん
ならともかく、わざとのように黒猫が居る。なんたることだ!
でも、もっと、ボクを悩ませる事態が生じてしまった。なんと、その仔猫の
黒猫ったら、何故かボクになついてしまったのだ。
肝腎の姉ちゃんが、動物好きは間違いないのだけど、飽きっぽい。我武者羅になっ
て手に入れたら、しばらくは満足げに可愛がるけど、あとは、冷たい。忘れて
しまったわけじゃないのだろうけど、何かまた他の新しい動物を入手しようと、
気持ちが上の空になってしまう。
ただの動物好きというより、新しいモノが好きなのだ。ボクに言わせれば、
浮気者なのだ。気紛れなんだ。名前だって、何かの漫画を読んで、ネロって付けたの、姉ちゃんじゃないか、なのに、冷たいよ、ボクとは大違いだ!
そういえば、名前でも、ひと悶着あったっけ。なんだって、姉ちゃんが勝手に決めるんだ、なんて、ボクはごねたものだ。
(あんた、黒猫、嫌いなんでしょ)の姉ちゃん一言で、ケリがついてしまった。
姉ちゃんは、ネロは黒を意味する言葉だなんて、名前の意味を説明してくれない。ネロの意味が分からなくて、ネコをもじったのかな、ネコとクロをくっ付けて、ネロにしたのかな、あの憎たらしい黒猫がモロって名前だから、ネコとモロをまぜこぜにして、決めたのかなと、あれこれ頭を悩ましたものだった。姉ちゃんに聞くのだけは癪だったし。
仔猫は、親父が在宅の時は(めったになかったけど)親父が構ってやってい
たけど、ボク以外には他に可愛がってくれる人がいない…、お袋は論外だし。
で、ボクが何処に行こうと、あとにくっ付いて来る。たどたどしい足取りで、
ボクを追い駆けてくる。ボクは逃げる。なんたって、ボクは幾らちっちゃいからって、黒猫は黒猫で、怖いものは怖いんだから、逃げの一手だ。さすがに、ボクはすぐに仔猫ちゃんを巻いてしまう。
はずだったけど、どうも、ボクの中途半端な性格が禍してか、逃げ切れない。
つい、仔猫ちゃんが可哀想になって、電信柱の陰なんかに隠れて様子を伺って
しまう。
すると、子猫ちゃんったら、ちゃんとやってくるじゃないか! で、追い付
かれると、すぐに、ボクは逃げるんだけど、また、郵便ポストの後ろなんかに隠れて、
ドキドキして待っている。
と、仔猫ちゃんは来るんだね、たどたどしい足取りで、でも、懸命になって。
猫って、耳がいいのだろうか。それとも、勘が鋭いのか。ボクの姿が相手か
らは見えないはずなのに、あちこち探すことなく、真っ直ぐにボクのほうにや
って来るんだ。
あとで知ったことだけど、猫って、犬ほどじゃないけど、嗅覚が鋭いのだね。
そういえば、猫だって、鼻の頭がいつも濡れている。嗅覚が発達しているって
証拠だ。
でも、ボクは、そんなことは分からないから、逆にその黒い仔猫ちゃんが、
ますます怖くなってしまった。何か神秘的な能力があって、悪霊が黒猫の姿に
なって、祟りのようにボクに取り憑いてしまったとさえ、感じていた。
(ボクが黒猫を毛嫌いしてるから、神様がボクに罰を与えている…)
そんなことさえ、思ったりした。
逃げても逃げても、やってくる。ボクはとうとう、諦めてしまった。奴から
は逃げ切れない。だって、夢の中にさえ、登場するんだもの。それも、巨大な、
そう、ボクの何倍もの大きさの猫となって。
要するに、ボクは、根性なしだから、逃げるのでさえ、中途半端に終わった
のだった。
(もう、降参だよ。許してくれよ)
そう、話し掛けると、仔猫は、ただ、ニャーニャーと言うだけ。
(なんて、言ってるの、ちゃんと話してくれよ)
そう、語りかけても、仔猫は
相変わらず、ニャーニャーと言って、体をボクに摺り寄せてくる。腰を下して
いるボクの膝によじ登り、とうとう、ボクの頬にすりすりし始めるのだった。
ネロの奴、仔猫なのに、髭がチクチクして痛い。
その時だった、ボクは、直感した。そうか、仔猫にはボクが親に思われてい
るんだ! と。
それからしばらくして、七夕の日がやってきた。梅雨の時期にしては珍しく
晴れ渡っていた。
ボクの家にも、七夕飾りがあった。笹とか竹とか短冊とかが、軒先にあった。
姉やお袋は何か願い事を熱心に書いていたのを覚えている。姉なんか、一体、
何枚、願い事を書き付けたろうか。
ボクは…。ボクはどうだったろうか。まさか、黒猫ちゃんと縁が切れますよ
うにとは、書かなかったはずだ。
そうだ、今、思い出したけど、姉は短冊に、それまで掴まえたり、可愛がっ
たりした動物達の絵を描いていたのだっけ。カエル、ヘビ、ネコ、イヌ、ネズ
ミ、ヤモリ、サカナ、タニシ…。生き別れた動物達の幸せを祈っていたのだろ
うか。それとも、まさか、もう一度、再会できますようにって、祈っていたの
だった?!
ま、あれじゃ、何枚も短冊が必要だったわけだ! 姉ちゃん、出会った動物達のこと、忘れてなかったんだね。ま、あれで、姉ちゃんも、いいところがあるじゃん、なんて、思ったね。見直したよ。
ボクは、内気というのか、短冊に願い事を書くなんて、できなかったと思う。
気持ちを表に出すことが出来ないタイプだったのだ。男が、そんな女々しいこ
と、できるか、なんて、嘯いていたような気もするけれど、はっきりと覚えて
いない。
覚えているのは、そう、近所の家に遊びに行ったことだ。
ボクは、仔猫のネロちゃんを連れて、その家に遊びに行ったのだ。勇をこし
て。
どの家だって。分かり切っているじゃないか。ボクは、仔猫ちゃんの親元の
家に行ったのさ。そう、ボクは、七夕が、織姫と彦星との、一年に一度限りの
出会いの日だと聞かされていた。だから、ボクは、すぐに思い立った。
そうだ、仔猫のネロちゃんを親ネコに会わせてあげよう、と。
ボクは、でっかい黒猫の奴のいる家に向った。奴は、いた。家の縁側で日向
ぼっこしていた。軒先には、やはり七夕飾りがしてあった。ボクの家のとは、
大違いの、品のいい短冊が吊り下げられている。
ボクは猫の姿を見て、一瞬、立ち竦んだ。やっぱり怖い。大きすぎる。態度
がでかすぎる。
(でも、今日のボクは違うんだぞ)
そうさ、なんたって、仔猫ちゃんがついているんだし。
(さあ、行って来なさい。あれがお前の親なんだから、思いっきり甘えてくる
んだよ)ボクはそう、ネロちゃんに語りかけた。
なのに、仔猫のネロちゃんは、知らん顔している。黒猫の奴も、ソッポを向
いている。
(ああ、生まれてから、一度も挨拶していないから、仕方ないんだろうな)
たまらなくなって、ボクはネロちゃんの背中を押してあげた。何かの親子の
再会ドラマを見たのだったろうか、その真似をしてみたのだ。
それでも、仔猫のネロちゃんは、ボクの足元を離れない。
そのうち、不意にネロちゃんが走り出した。ああ、とうとう、あの黒猫が親
だと分かったんだな…。さあ、お行き、甘えて来るんだよ…。
でも、勘違いだった。たまたま近くに落ちていたボールにじゃれ付いてみせ
ただけだった。すぐに飽きてしまって、ボクのほうに戻ってきた。
その間も、黒猫は、鎮座したままだった。
ボクは、どうしたらいいのか分からなくなった。せっかくの再会の時だとい
うのに、お互いに知らん顔じゃ、どうしようもないじゃないか。そんなに気持
ちがひねくれてしまったの?
ボクは悲しくてたまらなくなった。ボクのせっかくの好意が報われなかった
ことに? そうではなく、親子が互いに冷たいままだったことに。ボクは、その夕方、がっかりして帰ったことを覚えている。
ボクは、その夜、悲しくて惨めで、訳もなく泣けてしまった。終いには、泣
きじゃくってしまった。
(七夕なんて、七夕なんて…、そんなもの…)
押入れに隠れて泣いていたはずなのに、とうとう、そんな泣きじゃくる姿をお袋に見られてしまった。
(どうしたの?)
そう、話し掛けるお袋の足元にネロがいる…。
ボクは、嗚咽を堪えながら、訳を話した。猫の気持ちが分からないって、訴えた。
お袋は、黙ってボクの話を聞いて、そして言った。
(あのね、織姫様と彦星との出会いはね、天の川という天にある大きな川の御
蔭なのよ。雨がタップリ降って、水がたくさんになって、そして川の対岸にい
て離れ離れになっているお互いが、水の溢れそうになった川を渡って、そして
出会うの)
(じゃ、あの黒猫とネロが挨拶しなかったのは、川の水が少なかったから?)
(そうよ、今年は、七夕に雨が降らなかったでしょ。だから、二人が出会いた
くても、できなかったのよ)
(じゃ、じゃ、来年になって、七夕に雨がザーって降ったら、川が溢れたら、そしたらちゃんと二人は抱き合えるの?)
(そうよ、来年は、きっとそうよ)
(来年だね、来年こそだね)
今、思えば、お袋の説明は出鱈目もいいところだ。ボクは、お袋にいいように言いくるめられたのだった。
ところで、ボクは、姉に泣きじゃくる姿を見られなくてよかったと、寝る前
になり、隣りでお星様の絵を描いている姉を見て、安堵の胸を撫で下ろしてい
たことを覚えている…。姉ちゃんにだけは、泣きじゃくるところを見られなくなかったし…。
その隣りでは、ネロちゃんが、スヤスヤと寝息を立てていたっけ。
(えっ? それで今はボクが黒猫のことを好きになったかって? それは、内緒さ)
04/07/06 記
胸のおくのおく・・丸まった毛玉のような
このかんじ。
あったかくて、なきたくなる
ナツカシイ・・?かんじ。
あの日アイツが 会わせてくれた。
近よりたかった。
けど、しらんぷりした。
おおきな くろねこ。
いつか、七夕のよるに天の川が見えたら
もういちど会いに行く。
きっと
会いに行く。
詩 by
なずな (文中の画も含め 07/08 up)
