(04/07/29 up)
(04/08/13 挿画up)
いつだったか、不思議な体験をしたことがあった。
それは、ボクの姉ちゃんが奇妙な柄の浴衣を着た時のことだった。奇妙な柄、
それはコウモリの柄の浴衣だった!
なんだって、傍(はた)から見たら可愛い盛りの姉ちゃんが、自分だって朝昼
晩と鏡を覗いてばかりの姉ちゃんが、あんな不思議な、ちょっと不気味でもあるような柄の着物を着ていたのだろ
う。
これは、ボクが高校生になった頃に、母ちゃんに聞いたのだけど、着物の柄で、
コウモリというのは、結構、古典的なもので、瓢箪に紋入りコウモリとか、柳に
ツバメとか、格子に流水と桜といった柄の浴衣が江戸時代などにはよく着られた
ものだったのだとか。
本当なのかどうか、ボクには分からない。白地に藍染めの小紋が好まれたのだ
とか、誰からの受け売りなのか知れない薀蓄を母は語ってくれた。
それにしても、小学校に上がって一年か二年だった姉ちゃんが着るには、ちょ
っと何か飛び過ぎているように感じた。ボクの記憶では、紺地に白抜きされたコ
ウモリの柄が生々しく描かれていたはずだった。
今でなら、バットマンのマークを連想するところだけど、ボクは、その浴衣を
着た姉ちゃんを見た瞬間、なんだか、他所(よそ)の人を見ているような気がし
たものだった。
でも、ボクが不思議に思ったのは、コウモリ柄の浴衣を着た姉ちゃんにではない。
話は、ここから始まるのだ。
姉ちゃんは、花火大会があるとかで、友達と一緒に出かけた。母が保護者とい
うことで付き添って行った。父ちゃんは例によって帰りが遅く(母ちゃんの話だ
と、その夜は早めに帰るはずだった…)、ボクが一人で留守番ということになっ
た。ボクが一人…。ボクがネロの面倒を見てやるしかなかったのだ。
でも、結果から見ると、ネロがボクの相手をしてくれたことになったけれど。
姉ちゃんは面倒なことは、全部、ボクに押し付ける。
それでいて、家を出るときに、ボクに向って、御免ね、なんて言ったけど、目
の焦点は、ボクには合っていなかった。チクショーと、ボクは思った。
でも、いいんだ。ボクは、花火大会なんて、どうでもいいんだ。
それより、ボクには秘密の楽しみがあった。秘密の場所を誰にも知られずに、
今夜は堪能することができる…。ボクは、そのことで頭の中が一杯だった。
その秘密の隠し場所は屋根裏部屋にあるのだった。部屋といっても、天井が低
いし、梁が出っ張っているので、人が暮らすには窮屈で、物置みたいに使われて
いた。掃除など、一年に一回、するかどうかで、クモの巣が張っていたりする。
そんな部屋だけど、ボクには興味津々の空間だった。余程、飛び上がらない限
り、ボクの頭が梁にぶつかる怖れはないし、使わなくなった机やら火鉢やら束ね
られた買い物袋やら、古い絵の数々(母ちゃんが結婚する前に描いたらしいけど、
ボクは未だ確かめていない)やら、透明なビニールの袋に詰められた座布団やら、
蛇腹の提灯やら、団扇や扇子、誰のものか分からない答案用紙などの詰められた
ダンボールなどがギッシリと収められていた。
とにかくその部屋は、掘り出したら何が出てくるか知れない、宝の山にボクに
は映っていた。何故か、小判か何かが隠されているに違いないと思い込んでいた
節がある。
そう、ボクは、その宝の山を探検するつもりでいたのだ。
普段、家の者達の目を盗んで、こっそり屋根裏部屋に潜んでみるけど、足音が
下の居間に聞えるらしいし、姿が見えなくなると、すぐにボクの名前が呼ばれた
りするので、心置きなく探究し尽くしたことがなかったのだ。
今日こそ、あの積み重ねられたダンボールの下から、何か面白いものを見つけ
出してやる、そう、ボクは密かに心に決めていた。
ボクの計算では、姉ちゃん達や父ちゃんが帰るまでには、二時間はたっぷりあ
るはずだった。
屋根裏部屋へ上る急な階段を登る時には、ネロの姿が見えなかった。きっと、
また、ネズミかバッタか、ヤモリか、近所の同じ年頃のメス猫ちゃんか、とにか
く恰好の遊び相手を探しに行ったのだろう。
ネロに邪魔されなくて、もっけの幸いだと思っていた。
屋根裏部屋の明かりのスイッチは、階段の上り口にある。でも、ボクは、気分
を出したくて、敢えて明りは灯さず、暗い階段を登り、ギシギシ言う引き戸を開
けて、真っ暗な部屋に入った。
すぐに手の届くような場所は、大体、調べがついている。後は、手前の積み重
ねられた引出しをどかしたり、埃だらけの七輪を移動させたりしないと、探りよ
うがないのだった。
屋根裏部屋は真っ暗だったけれど、すぐに暗闇に目が慣れた。というのも、部
屋の窓にはカーテンがしてないので、月明かりが漏れ込むのである。但し、窓は、
右側の一部を残して、大半が荷物で塞がっているので、月の青白い光が細い折れ
曲がった帯のようになって部屋の中をやっとのことで這っているのだった。
それだけで、十分だった。懐中電灯一つあれば、必要なところは照らせるわけ
で、明りを灯す必要はなかったのだ。
第一、気分が違う。探検は暗いところでないと、面白くない。
ボクは、懐中電灯を手に、探検を開始した。引き戸を開けた途端、モアーとす
るような熱気がボクを襲った。でも、それは、覚悟したほどではなかった。つい
一週間前に覗いた時は、熱の洪水がボクを飲み込むような気がしたのだから、そ
の時のことを思うと、呆気ないと言えた。
思えば、その点を不思議に思うべきだったのだが。
懐中電灯で足元などを照らしながら、ボクがこれは、と思っている辺りへ近づ
いた。
その瞬間だった。カサカサ、という紙が擦れるような音がした。が、すぐに窓
の外から聞えてくる、カエルの鳴き声だけに戻った。後は、全くの無音だった。
一瞬、得体の知れない音にビビッテしまったが、静寂しかない闇の空間に、気
を落ち着かせるしかなかった。
(今のは、何?)
ボクは、小さく、問い掛けてみた。黙っては居られなかった。
無論、誰も返事などするはずがない。あったら、反って、おかしい。
気を取り直して、もう一度、狙いを付けている小さな箪笥に懐中電灯の光を投
げかけた。すると、また、何か、乾いたような音がする。
間違いない。何かが居る!
何か…。ネロ? そんなはずはなかった。ネロはボクの後を大人しく付いてく
るような奴じゃない。それどころか、ボクを先導しかねない奴なのだ。居たら、
懐中電灯が壁などに当る光の揺らめきにじゃれついてくるはずなのだ。
では、一体、誰? 一体、何?
(そこに居るのは、だれなの?)
誰も返事しなかった。家の前の田圃から聞えるカエルの合唱だけが煩く響いて
いた。
ボクは、恐々、懐中電灯の光で天井を浮かび上がらせて見た。その瞬間だった。
黒っぽいものが、天井の低い狭苦しい部屋の中を飛び回った。懐中電灯や、やっ
とのことで漏れ込む月明かりが僅かな光の池を描いているだけの、そんな空間を
敏速に動き回るなど、信じられない思いだった。
ボクは、黒い小さな塊が、バタバタという音を立てながら俊敏に移動している
ことに圧倒されて、喉がカラカラになってしまった。臆病なボクが、もっと臆病
になり、せめて声を張り上げて、怖さを誤魔化そうにも、声が掠れて、ヒーヒー
言うのがやっとだった。
そのうち、懐中電灯の光の先を小さな魔物の姿が掠めたことに気付いた。
(コウモリ!)
ボクは、心のうちで、そう叫んだ。
正体が分かってからも、ボクは怯え続けていた。図鑑か何かで見たことはある
し、もしかしたら、夕方とかに、外で高い空にその影を垣間見たことがあったか
もしれない。
けれど、そんなに身近で存在を感じたことなどなかった。
ボクには、得体の知れない魔物であることに変わりはないのだった。ボクは、
頭を抱え背中を丸めて、どうか、ボクを襲わないように、と祈るしかなかった。
一体、どれほどの時間が流れたことだろう。怪物は、時々、息を潜めるボクを
嘲笑うかのように、飛び回るかと思うと、不意に何処かに身を隠したのか、静寂
が辺りを支配したりするのだった。
ボクは身動きが取れなくなった。
(ああ、ボクって、こんなに臆病だったのだろうか…)
なんだか、ガッカリだった。
しかし、カッカリしている場合ではなかった。とにかく、なんとかしなくては
ならない。
けれど、ボクがちょっとでも身動きしたら、怪物の奴がボクを襲ってくるに違
いないのだ。ボクがじっとしているから、奴も、直接攻撃はしないけれど、ボク
が体を移動させたりしようものなら、一気に襲い掛かってくる! 血が吸われる!
一体、どれほどの時が流れたことだろう。バサバサという音が鳴ったり、沈黙
に凍り付いたり、その繰り返しに気が遠くなりそうだった。
ボクは、目を閉じていて、ふと、コウモリ…、姉ちゃんの浴衣…、コウモリの
柄…、姉ちゃんの恨みか復讐…、そんな連想をしてしまった。日頃、姉ちゃんに、
つい、当ってしまうから、その仕返しを今、このコウモリが果たしている…、そ
んな思いが脳裏を駆け巡っていた。
(ボクのほうが、虐められいるのに…)
(ああ、でも、ボクが悪かったよ。今度からは、ボク、姉ちゃんの悪口、言わな
いし、虐められても仕返し、しないよー)
すると、突然、今度は、例の魔物より、もっと大きな黒い影が蠢き始めた。闇
の中で黒光りする、でも何処か馴染みのあるような丸っこい形。
(ネロだ!)
ネロは、その光沢のある黒毛の背中や尻尾という勇姿のままに、狭っ苦しい屋
根裏部屋の中を存分に疾駆し始めた。
そう、ネロは、コウモリを追いかけているのだ! 何処に居たのか知らないが、獲物がいるという気配を感じて、やってきたのだ! コウモリの奴を、小さな悪
魔を恐れることなく追い掛け回しているのだ! 棚や箪笥、提灯、ラジオ、ビニ
ールの袋…、とにかくありとあらゆるモノの密集する薄暗がりの空間を、なんら
困難を覚えることなく駆け巡っているのだった。
なんて、頼り甲斐のある奴何だろう!
ボクは、その時、初めて、ネロを尊敬した。あんな正体の知れない奴を全く怖
れることなく、しかも、追い掛け回している!
そのうち、部屋の中が静かになった。ネロが奴を仕留めたのか?!
が、窓辺に目をやると、心持ち開いた窓に首を突っ込んで、夜の彼方を眺める
ネロの姿があった。
どうやら、開いていた窓からコウモリの奴が逃げ去ったらしい。
窓が開いている…。
その瞬間、ボクは、思い出した。窓が開いているのは、ボクのせいなのだ。そ
う、先週、家の者達の目を盗んで屋根裏部屋に忍び込んだ。その時、その部屋が
あまりに暑いので、つい、窓を開けてしまった。
が、すぐにボクの名前が母ちゃんに呼ばれたので、急いで部屋を抜け出した。
その際、慌てていたので、窓を閉めるのを忘れていたのだ。
コウモリの奴は、その透き間を縫ってか、それとも、間違ってか分からないけ
れど、部屋の中に入り込んでしまい、そのまま、居着いてしまったらしい。
餌はどうしていたのだろう。屋根裏部屋にも、何か昆虫とか、住んでいるのだ
ろうか。それとも、餌がないので、じっと天井に張り付いていたのだろうか。
ネロは、相変わらず窓の外を眺めていた。青い月光を浴びる横顔を見ても、悔
しがっているのか、それとも、コウモリがまた、舞い戻ると思っているのか、ボ
クには見当がつかなかった。
ネロの淡く透明な緑の瞳は、南の島の夜の海の色のようで、乏しい光を瞳の奥
で結晶させているばかりだった。
そのうち、ネロは窓を首でこじ開けて、外に出て行って、それっきり何処かへ
行ってしまった。ボクは、探検する意欲など、すっかり萎えていて、今夜の冒険
は、中止することにした。
さて、この話には、後日談がある。
いや、後日談ではなく、その夜のことだった。ボクが、茶の間に戻って、テレ
ビを見ながら漫画を読んでいたら、母ちゃんや姉ちゃんが帰ってきた。ボクは、
姉ちゃんの浴衣を見て驚いた。コウモリの柄じゃない! 今から思えば、中原淳
一か誰かがデザインしたような、当時としては垢抜けた柄の浴衣だったのだ。
(姉ちゃんが出かけたときは、間違いなく、コウモリ柄の浴衣だった!)
その夜の出来事は、全てが謎に満ちていた。ボクが高校生になって、お袋に、
浴衣の柄のことでいろいろ聞いた時も、かの花火大会の夜に姉が着ていた浴衣の
柄が、どうだったのかは、聞けず終いだった。
今となっては、ボクの臆病ぶりをネロが黙ってくれていたことだけが、救いだ
ったと思っている。目を閉じると、姉ちゃんの傍には、例によってネロの奴が、
ちゃっかり居座っていた光景が浮かぶ。何事もなかったかのように、のほほんと。
「こうもりのページ」
http://www.nara-edu.ac.jp/ECNE/bat/
「中原淳一のホームページ」
http://www.junichi-nakahara.com/
「個性的な浴衣 こうもり」
http://kimono-bito.com/z-31030tp/iv.cgi?id=000362
04/07/26 記

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