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(03/03/22up)
立山に降りおける雪を常夏に見れども飽かず神柄ならし 万葉集 巻17 4001 大伴家持 この歌を教えてもらったのは先生からだったか、それとも彼女からだったのか、 覚えていない。俺達の受け持ちの先生は、富山のことをあれこれ喋るのが好きな 先生で、生徒にも授業の中身から脱線して、その薀蓄を傾けたものだった。だか ら、多分、先生の雑談の中でのことだったと思う。 当時は、自分たちの土地のことを生徒に自慢気に宣伝してどうなると、妙な反 発心も覚えたものだった。でも、今にして思えば、富山のことを富山の人間が語 らないと、他の土地の人たちが、まして東京の人間が話題に採り上げることなど ないのだとつくづく分かってきて、そうか、そんな寂しい気持ちとか、なんとか 少しでもこんないいところがあるんだと自慢したい気持ちになっても、不思議は ないのだと、俺自身さえそんな役回りを自ら買って出ることがある。そんな齢に なったのだ。 俺は、先生に反発しておきながら、彼女には知ったかぶりで富山について語っ たものだった。先生に聞いた家持の歌を密かに図書館で調べてきたなどと、彼女 に言うはずもない。 「なあ、家持の立山の賦という長歌を知ってるか」 「なあん、知らん」 「あのな、これって有名なんだぞ。だってよ、何年の何月何日に歌われたかちゃ んと分かってんだから。ええと、天平19年(747)4月27日ながんぜ。」 「へえ、そいがけ」と、彼女は気のない返事。 俺は自分を疑われているのか、それともそんなこと富山の人間ならとっくに知 っていることなのか、不安になってきて、あとは捲くし立てるようにして喋り続 けた。俺に彼女の気を惹きたい一心だったのだろうか。それとも虚栄心のなせる ワザに過ぎなかったのか。俺は、必死になって覚えてきた長歌を披露に及んだ気 がする…。 あまざかる 鄙に名懸かす 越の国 国内ことごと 山はしも 繁にあれども 川はしも 多に行けども 皇神の うしはき坐す 新川の その「多知夜麻」に 常夏に 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに 外のみも 振り放け見つつ 万代の 語らひ草と いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね (巻17・4000) でも、彼女からは何の反応も得られなかった。当てが外れた気がした。せめて、 凄いの一言くらい、あるものだと思っていたのだ。おれはますますド壺に嵌って いった。もう、あとは自棄だった。 「日本の三霊山って、知ってるか」 「なあん、知らんちゃ。恐山とか…」 「なあんだちゃ。駿河の富士山と、加賀の白山と、それと我が立山よ。これって 昔はタチヤマと呼んだらしいな。太刀山ってさ」 「ふうん、そいがけ」 彼女はふと、立山連峰を眺めた。眺めているように俺には思えた。夏の日差し が彼女の綺麗な額に照り映えた。項に汗が微かに浮かんでいる。後れ毛が、猫の 産毛のように感じられた。ああ、このまま何処かへ連れ去りたいと思った。その 実、彼女の気のない返事に焦っていた。 「みんな誤解してるけど、立山たって、立山なんて山はないんだぜ。立山は連峰 なんだ。三千メートル級の山の連なりなんだ。中でも剣岳が印象的ながやけどな。 で、その立山だけど、凄いのは、真夏でも山頂に雪を戴いてるのは、富士山とこ の立山だけなんだよ。しかも、連峰だろ。だから、純白に輝く巨大な屏風って、 よく表現されるんだけどな。やっぱり凄いんだよ」 俺は自分の言葉に実感が篭っていないような気がして、最後に凄いという言葉 を追加したのを覚えている。 「大伴家持って奴はさ、越中国守として富山にというか、越中くんだりまで来た んだけど、要するに当時としては越中なんて鄙の地だろ。体のいい島流しだよな。 5年もド田舎で燻ってたんだ。ま、大伴氏というのは、物部の流れで、名門だけ ど、落ち目の一族ってわけだ。でも、その御蔭で歌はたくさんできたってわけな がやな。その越中で、といっても、おらっちゃの富山市じゃなくて、高岡のほう だけどよ、奴が生涯に歌った480首だっけな、その半分近くをだよ、越中で歌 ったんだ。余程、何か富山にというか、高岡にというか、伏木というか、雨晴の 海というか、気に入ったんだろうな。平野部の何処に居たって、立山連峰が見え るんだからな」 そこまで喋ってきて、ふと我に帰った俺は彼女の表情を伺ってみた。さすがに 俺の駄弁にうんざりしてるんじゃないか、あまりにつまらない知識を見せびらか し過ぎたんじゃないかと心配になっていたのだ。 「立山、いいね、行ってみたいね」 よかった、彼女も少しは興味を持っててくれたんだと安堵した。 「そうだよな、俺も実は行ったことがないんだ。宇奈月の近くまでは行ったがや けどな」 「あのね、私の田舎ね、立山じゃないけど、その麓のほうにあるが」 「へえ、そっちで生れたがけ」 「なあん、そうじゃないが。お母さんの田舎があっちながやちゃ」 そうだ、ここから彼女との小旅行の話が持ち上がってきたのだった。 「私ね、実はね立山のことは、ちょっと詳しいがんぜ。立山って、誰が拓いたか 知ってる」 俺は焦った。頭の中がグルグル回った。立山を開いた?! 何の話だ? そう いえば、魚津の海底水族館とかに遠足に行った時、バスガイドが立山のことを何 か説明していたような。でも、記憶がスッカリ飛んでいる。 「佐伯有頼という人なの。私のうち、というか、お母さんの田舎がね、片貝川の 上流にあって、有頼柳と称する老木なんて、近所にあるってお母さんに聞いたこ とがある。まだ、みたことないけど。お母さん、近くにある大徳寺の境内で子供 の頃、よく遊んだんだって。私も遊んだことがあるらしいけど、境内にある歌碑 か何かに、私ったら悪戯したらしくて、住職さんか誰かにお母さんが叱られたが やて」 俺は佐伯有頼という名前が自分から思い出せなくて悔しい気持ちで一杯だった。 すると、 「立山曼陀羅って、知ってる? 私ね、多分、その時らしいがやけど、悪戯した ら、こんな地獄に落とされるがよって、お母さんに立山曼陀羅の絵を見せられて、 ビービー泣いたらしい」 俺は、彼女の思い出話を聞くことができて嬉しかった。幼い彼女が泣きじゃく っている! ああ、抱きしめたい! 彼女が俺に近くなったような気がした。し かし、同時に、立山曼陀羅という言葉に敏感に反応していた。 そうだ、俺も立山曼陀羅をよく、ガキの頃に見せられたんだ。あまりに印象が 強かったのか、ガキの頃、曼荼羅に描かれるような地獄を夜毎、夢に見たのだっ た。そうだ、俺のガキの頃は地獄だった。大概の奴は、幼い頃は繭に包まれたよ うな世界に居心地よく暮らしている、それが年を経るごとに、少しずつ責任とか 課題とかが加わって大変になっていくと聞く。 でも、俺の場合は全く逆だった。俺にとっては、齢を重ねるとは、日々、地獄 から遠ざかっていくことだった。 立山曼陀羅! 俺が忘れていた、忘れようとしていた世界が、よりによって彼 女の口から出てくるとは。その言葉を彼女の口から聞いた時、何かが俺の心中に 兆し始めたのだった。 目の前には雪の原が広がっていた。十六の冬の未明の空は、次第に明けていく ようだった。紺碧の空の底に透明な原石が輝き出していた。雪原のゆるやかな曲 線が、濃い青色の空と溶け始めていた。遠い空に一際鮮やかに星が瞬いていた。 彼女の家の方角の空に浮かぶ星。あそこにあの人がいる。俺を待っている。 雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛(は)しき児(こ)もがも 万葉集 巻18 4134 大伴家持 立山の万葉歌碑: http://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/magazine/kai0189/0189tate.html 立山曼陀羅: http://www.city.uozu.toyama.jp/kouhou/year_14/12/wagamati-mandara.htm 02/12/26 21:01 (続きを書くどころか、本題に入る前に冬が去ってしまった。年明けに入って、「憶の海」連作に取り掛かったり、アメリカによるイラク侵略戦争にカッカしたり、創作に専心するのが難しくなってしまった…。ま、言い訳はともかく、いつか来る冬には続きを書きたいものである。03/03/22記) |