1.ヴィンセント・ギャロ展へ
2.『ドイツ・ロマン主義の風景素描』を巡って
1.ヴィンセント・ギャロ展へ
開催場所は原美術館:
http://www.haramuseum.or.jp/index1-j.htm
ヴィンセント・ギャロについては:
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/1876/essay/gallo.html
小生は彼に付いては、全く知らなかったと言っていい。朝日新聞の毎週木曜
夕刊に特集される美術館・博物館特集の中で、キュレーターの神谷幸江さんに
よる『ビンセント・ギャロ レトロスペクティブ』の紹介で(特に写真で紹介
されている作品「1Gray, 3 Grey Daisies」で)興味を持ち、本日、午後、
雨の心配もなさそうなので、愛車であるスクーター・シルバーウイングを駆っ
て、出かけてきたのだ。
映画「バッファロー'66」を観た方も多いのではないか。彼は、映画監督、
俳優、画家、写真家、ミュージシャン、さらにはバイク・レーサーやファッシ
ョンモデルをもこなす。
「アンダーグラウンド・アート全盛のニューヨークで彼は、後に画家として
名を馳せるジャン=ミシェル・バスキアとバンド“GRAY”を結成」したと
いう。
バスキアは、小生の好きな画家の一人:
http://www.city.kitakyushu.jp/~k5200020/j/artist/basquiat_j1.html
ちなみに、GRAYというバンド名を見て、小生は勝手に日本の人気若手グ
ループのグレイを思い浮かべた。しかし、彼らの名前の綴りはGLAYである。
けれど、もしかしたら彼らはGRAYが好きで、本家のGRAYに敬意を表
してRをLに変えたのではないか…。
あるサイトの情報によると、「白はポップス、黒はロックを意味する。白で
も黒でもない(ジャンルにとらわれない)オリジナルの好きな曲をやっていこ
う、というコンセプトからこのバンド名が生まれた。綴りがGLAYなのは、GRAY
とするのは当たり前すぎるから、TAKUROが"R"を"L"にワザと替えた」とのこと:
http://www4.plala.or.jp/band/03.html
つまり、小生の深読みだったというわけである。
残念ながら、原美術館(別名、arc en ciel と言う)は好きなサイトなんだ
けど、ここで行われる展覧会については図録を作らないので、今日見てきた作
品についても、自宅で改めて印象を確かめる…、なんてことはできない。
でも、ギャロの「街で手に入れたマンホールや鉄板をキャンバス代わりにし
て、反芸術、あるいはレディーメイドの流れを意識させる絵画を手掛けます。
無数の傷と錆びに覆われた鉄板には、意外なほど叙情的で繊細な小さな花や果
物、瓶などの静物が描かれて」いる作品群は、結構、刺激的だった。
図録はないが、ギャロの作品に基づくカード集があるということで(但し、
現在は在庫がない)、早速、注文してきた。
ギャロを観て思うことは、現代の刺激的なアートの多くが路上から生まれて
いるということだ(少なくともアメリカは)。
ちゃんとした美術学校で、きちんと美術の歴史や技術を学んで、その成果を
生みだすというのではなく、ストリートの上で、あまりに過敏な感性と街の刺
激との交錯に傷つきながらも、そして、大方は喧騒と雑踏の中に埋没していく
中で、めったにない僥倖に恵まれた数少ないアーティストが常識に安寧しきっ
た我々を撃つのである。
ギャロの遠い先駆にヴォルスやフォートリエや、フランシス・ベーコンや、
あるいはルーチョ・フォンタナを嗅ぎ取ることは無謀だろうか。
会場は、予想外に観客が多かった。特に若い男女のペアが目立った。どうも、
知名度としては若い層に人気があるようだ。まだ、現代の古典とはなっていな
いから、年配層には知られていないということか。
若い人は新しい才能に感応する。それはそれで自然なことで、常にそうだっ
たのだと理解することも不可能ではないかもしれない。
しかし、日本の若い観客達の小奇麗な、決して小遣いに恵まれているわけで
はないが、かといって貧困や病気(エイズなど)や薬物や、さらにはなんとい
っても自らの感性に押し潰されそうになっている…とはとても思えない、平穏
そうな外見を見ていると、ギャロとは無縁の世界に安寧の世界をガッチリ作り
上げているように感じられてならない。
ま、ギャロを映画を通じて知っているとして、それ以上を探っているとは思えず、ギャロの奥の院の入り口で後戻りするのも、仕方が無いのだ。
こんな感想は、中年男の偏見に他ならないのだろう。人種や文化の相克する谷間にいるギャロには、誰にしろ、辿り着くのは容易なことじゃないのも確か。
とは、思いつつも、しかし、日本の何処かにだって、音楽
世界や漫画の世界同様、アートのシーンにも新しい才能が芽吹いているに違い
ない。きっと、こんな展覧会に足を運ぶなど、夢にも思うことなく、まして、
オープンカフェでお茶を啜るゆとりなど論外の、渇望する魂の放浪者たちは、
闇の彼方を見つめて、日々神経を削っていることだろう…、ことを期待する。
02/09/08 記
2.『ドイツ・ロマン主義の風景素描』を巡って
用事があって、梅雨の戻りのような冷たい雨の中、東京・上野にある東京都美
術館に行ってきた。用件そのものはすぐに済んだ。父が篆刻(てんこく)作品で
入賞したので、図録を無料で貰う引換券を小生のもとに郵送してきた。小生はそ
の券で図録を受け取ったというわけである。
今回は体調が悪く、小生は展示された作品は一切、見なかった。
というより、実は、上野駅の公園口から東京都美術館へ向う途中、国立西洋美
術館の脇を通ることになり、その時、『ドイツ・ロマン主義の風景素描』展が今、
開かれている、しかも、会期は24日まで。展示されている作家の中にはカスパ
ー・ダヴィッド・フリードリッヒが含まれている。右目で、展覧会の案内を眺め
ながら、用事を済ませた帰りには、西洋美術館に寄ることが既に予定として組み
込まれてしまったのである。そそくさと東京都美術館を後にした次第である。
小生がフリードリッヒに惹かれ始めたのは、学生時代のことだった。このこと
は別の機会に書いたので省略する。ともかく、小生が上京した78年に、まさし
くこの国立西洋美術館において、『フリードリッヒとその周辺』展が開催されて
いたのだった。まるで東京にやってきた小生を歓迎するかのようだった。4月の
下旬だったと思われるが、確かその日も、シトシト雨いが降っていて、美術館の
休憩所で一休みし余韻を楽しみながら、雨の中庭の風景などを眺めていたことを
覚えている。
その後も、何かの企画展に扱われる画家の一人として、フリードリッヒの作品
に遭遇したことは二度ほどあったように記憶する。今度の展覧会も、副題は「ユ
リウス・シュノルの「風景画帳」、フリードリッヒ、コッホ、オリヴィエなど」
となっている。
しかし、とにかくフリードリッヒの作品に会える!
前述したように体調が悪く、しかも朝から食事もしないままに昼下がり、ヨー
グルトだけを飲んでやってきたので、狙いはフリードリッヒの作品だけに絞って
いた。
展示されている作品の主眼は、「ユリウス・シュノルをはじめとして、コッホ、
オリヴィエ、フリードリヒなどの19世紀ドイツ・ロマン主義の素描103点を紹介
します 」とあるように、ユリウス・シュノルの「風景画帳」にある:
http://www.bijutsukann.com/toku/seiyou_g/waribiki.html
実際、最初の展示室にあるのは、ユリウス・シュノルの「風景画帳」関連の作
品の数々だった。お盆休みではあるが、雨ということ、さらに、企画内容がロマ
ン派とはいえ、素描作品と、比較的地味なこともあり、館内の人の数は、寂しく
はない程度。人込みを押して見る体力のない小生には、ちょうどよい人の入りだ
ったと、勝手ながら感じていた。
3時過ぎで、場合によっては大入りを心配した小生は、なんのプレッシャーも
感じることなく、最初の数点をジックリ見ることが出来た。好ましい作品の数々。
この作家、この世界に寄り添っていくなら、それはそれで楽しめる世界。しかし、
そんな余力のない小生は、幾つかの作品をジックリ見た後は、展示室の真ん中辺
りから流し見る程度で、次のコーナーへ。
そして、19世紀ドイツ・ロマン主義の素描作品の数々が並び展示される中、遠
目にもフリードリッヒだと感じる。何が違うのか、小生には説明する能がない。
他の作家たちとは違う画風を感じる、で、近づく、するとやはり、フリードリッヒだった
という次第だ。
風景画を見るのは好きだ。水彩であれ、油絵であれ、エンピツ画であれ、眼前
の風景を愛惜するようにして眺めている作家の眼差しを感じる。
素描作品は、多く、必要以上に描き込まれていないだけ、その分、その時代の
森や町や建物などの雰囲気や描き手の人柄を髣髴とさせてくれる。
ところで、さて、ドイツ・ロマン派とはどういうものなのだろう。ロマンチッ
クという言葉を一頃はよく耳にも目にもしたものだった。グローバリズムの波の
激しさが、加速度を増している今日、ロマンチックというのは、死語に近い扱い
をされているのかもしれない。何か非現実的で、無駄が多く、まさに現実の舞台
から逃げているかのような。
そのドイツ・ロマン主義の鍵を握る人物というと、やはりゲーテということに
なりそうである。無論、ホフマンやノヴァーリスを想う人も多いだろうし、シュ
ーマンやワーグナーらの音楽を真っ先に思い浮かべる人も多いだろう。
この展覧会の図録の中に、国立西洋美術館主任研究官である佐藤直樹氏による、
「ロマン主義におけるディレッタントの役割――ゲーテ、フリードリッヒ、メン
デルスゾーンの素描をめぐって」という小論が載っている。なかなか啓発に富ん
だ一文だった。
「イタリア・ルネサンスにおいて、素描は重要な技術であると認められていた」
このことは、美術家にのみ認められていたわけではない。貴族に相応しい営みと
されていたという。
さて、名士の家に生まれたゲーテは教育に一家言を持つ父の手により、英才教
育を受けている。自分の子ども達に必要と思われる何科目かを自宅で教育した。
家内で実行された教育は、「書き取り、ラテン語、ピアノ、フェンシングそして
素描」だったのである。
ゲーテは単に父の教育の影響以上に素描そして美術に傾倒する。『詩と真実』
にもあるように、最後の最後まで迷った挙げ句美術家になることを断念する。
だからといって、素描をやめたわけではない。ゲーテには2580点もの素描を遺
しているほどなのである。が、文学者として大成しても、捨てた美術家の夢は苦
く残りつづけたのである。
さて、ゲーテはディレッタントの概念を次のように定義している。「ディレッ
タントとは芸術愛好家のことだが、作品を鑑賞し楽しむだけではなく、作品制作
を実行する人のことである」
ディレッタントとは芸術を職業とすることなしに、自身が芸術家であろうと努
める人物のことを指す。職業的な成果を求めることなく、ただ芸術活動の顧問に
おいて芸術家であろうと望む人のことなのだ。ゲーテは、この意味でディレッタ
ントたることを自認したのである。そのように佐藤氏は説明する。
そのゲーテは、かのフリードリッヒとの交流もある。自宅に招いたこともある。
フリードリッヒにどのような影響を及ぼしたのか、はっきりはしないが、及ぼさ
なかったとはいえない。幼い頃からの素描家であり、ゲーテ自身の作品も実に見
事な出来である。そしてゲーテの美術への思い入れ、文学思想、そうした何某か
がフリードリッヒに、どのような影響を与えたのかどうか、自分の目で確かめる
しかないのだろう。筆者である佐藤氏は、「石塚」というテーマでは、フリード
リッヒがゲーテから想を得たのではと考えているようだ。
ゲーテ自身もフリードリッヒの作品から想を得た素描を描いていると佐藤氏は
指摘している。
かのメンデルスゾーン(彼のヴァイオリン協奏曲こそが、小生にクラシック音楽の世界へ導いてくれたのだった。開眼させてくれたのだ)も、既に老大家となっていたゲーテとの交流の深い音楽
家である。ゲーテの家でピアノの即興を何時間も弾いてみせたという。ゲーテは
後に『ファウスト』の原稿をメンデルスゾーンに贈呈している。
さて、そのメンデルスゾーン自身もまた、素描家だったというのは、小生は初
めて知った。彼の場合、音楽家としての才能があまりに秀でていたため、音楽家
になるか美術家になるかという迷いの生じる余地はなかっただけのことなのだ。
メンデルスゾーンのスケッチの腕前は同時代の風景画家と比べても遜色はなかっ
たという。
実際、図録のこの佐藤氏の手になる「ロマン主義におけるディレッタントの役
割」には、ゲーテやメンデルスゾーンの素描がそれぞれ数点、載っていて、どれ
も素晴らしい。
佐藤氏の小論の中にも書いてあるように、素描が美術家に止まらず貴族の嗜み
だったし、自身が美術家になれなかったゲーテは、生涯を通じてのディレッタン
トとしての素描の営みを、文学の面で昇華させたわけだし、メンデルスゾーンも
素描家としてはディレッタントたるしかなかったが、その風景を眺めやることで
鍛えられ育まれた眼差しの幾分かを音楽の世界で花開かせたとも言えるのかもし
れない。
尚、佐藤氏の論考では触れられていない、フリードリッヒの別の一面も含め、
彼の生涯を見てもいいかもしれない:
http://www2.neweb.ne.jp/wd/tomoworld/friedrich3/hislife.htm
他にも幾つかフリードリッヒの絵を:
http://www.ne.jp/asahi/mizugamehp/mizugame/kaisetu02.html
とにかくフリードリッヒの絵は(彼の絵に限らないが)、とにかく眺め入るし
かないのである。
03/08/15 記

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