田近伸和著『未来のアトム』を読了して

                                        (03/11/09 up)






 田近伸和著『未来のアトム』(アスキー刊)を今、読了した。合間に何冊も他の本 を読んだとはいえ、一月近くを要した。
 別に文章が読みづらいわけではない。むしろ、非常に明快な文章である。長年、マ スコミの世界で揉まれていて、明確な文章を書く修行を積んできたのだろう。
 というより、その以前に、明確に物事を理解しようとする姿勢の賜物なのかもしれ ない。
 この630頁という浩瀚な書物であるが、一気に読ませてくれる(小生が時間が相 当に掛かったのも、掛け持ちで幾冊も読んでいたからである)のも、ジャーナリスト として養われたのであろう、読ませる工夫が随所に為されているからと推察される。

 本書は、ヒュ―マノイドロボット作りの現場という第一線で活躍する科学者・技術 者へのインタヴューがかなりの部分を占めている。
 田近氏は、かなり広範囲に渡り、取材を重ねていて、少なくとも日本に限定する限 り、ほぼ網羅したといってもいいように思う。以下、若干、小生なりの読後の感想を 述べておこう。

   田近氏は、この本の中で幾度もロボット研究の上で、大切なキーワードとして「身 体」を挙げている。一昔前、華々しくその可能性が喧伝されながらも失敗に終わった AI(人工知能)の研究も、その失敗の原因は、凡そ知能というものを身体から離れ たものとして捉えていたからだと、指摘している。
 つまり、脳が、まるで身体から浮いた存在で、身体などなくても機能しうるもので、 AIについても、その前提から出発したが故に、研究が空中分解に終わったというの である(無論、当時は未だ、コンピューターの性能が十分でなかったことも大きく左 右していたこともある。また、AIの可能性を今も断固、追っている研究者の存在の あることを田近氏は指摘している)。
 が、近年、研究者の間でも「身体」の役割や存在が大きくクローズアップされてき たのである。認識や知覚も、まさに身体の営為として機能しているわけだし、認識と は行動(それが手足によるものであれ、実際に動いて回ることによるものであれ)に 相関する形で為されていることの重要性が理解されてきたのである。
 人間は脳で考える。が、現実には脳は身体と切っても切れない関係にある。だとし たらロボット作りを通じて、脳と身体の関係を実践的に探っていこうと考えるわけで ある。

 が、広範な取材を通じて、研究や実際のロボットの試作を通じて豊かな成果が上が っているものの、実際には未来のアトムの実現は遥かに遠いということが示される。
 研究すればするほど、身体、そして脳の複雑さが見えてくるというのが実情だとい うのである。
 それでも、研究やロボット制作の現場の熱気は伝わってくる。研究というものは一 歩一歩の積み重ね以外にないのだから、我々としても、その現場の雰囲気を感じ取る ことは、決して無意味ではないし、むしろ常に興味深いことなのである。
 特にここ数年はアイボやアシモなど、二足歩行ロボットやペットロボットの実用化 が一気に花開き始めている。
 それらの大半は、実際には作り込みタイプのロボットである。つまり、コンピュー ターに人間からの働きかけに応じる動き方のパターンが、予め、組み込まれているわ けなのだ。
 けれど、そうであっても、アイボと戯れる姿は、傍から見ていても、現実に新種の 生きるペットが生じたかのように、微笑ましかったり、時には異様に見えたりする。 それほどに、人間の感性を十分刺激しえるペット足りえているわけだ。
 考えてみれば、実際の犬や猫、蛇、鳥などではなく、ヌイグルミを人間は愛玩した りする。女性の一部には大人になってもヌイグルミに熱中したり、あるいは癒しを求 めたりしているくらいなのである。
 男にしても、さすがにヌイグルミに頬を摺り寄せる者は少ないが、盆栽や石に興じ る人は少なからずいる。
 つまり、人間は思い入れの動物なのだ。
 それゆえ、作り込みタイプのペットロボットであろうと、多くの人の関心を強く惹 くわけである。

 さて、本書は、実際には、関心の中心がそこにあるわけではない。ヒュ―マノイド (人間型ロボット)作りを通じて、つまり身体と脳との相関を探ることを通じて、人 間を理解すること、探求することにある。
 本書のタイトルが未来のアトムと題されている、所以の少なくとも半面はそこにあ る。
 本書によると、手塚治氏の漫画『鉄腕アトム』が、今、研究の一線で働いている多 くの科学者・技術者の少年の日の夢を育んだものだったようである。
 その漫画『鉄腕アトム』は、まさに人間型ロボットだったわけである。しかも、そ のロボット・アトムは、外見は人間だが、しかし、人間のように悩むことを許されな い存在として作られている。悩むのは人間の特権なのである。アトムは悩むことがな いゆえに、いつも溌剌と人間のために働くことができるわけだ。
 田近氏はまさにここにヒュ―マノイドの要諦を見ておられる。というより、手塚治 氏の思想が示されているというべきかもしれない。
 ロボットは悩むのか、成長しえるのか、あるいは人間のように経験を蓄積できるの か。鉄腕アトムは、このいずれも叶わない。肉体的にも精神的にも成長することのな いロボットなのだ。

   逆に言うと、人間は経験し成長し傷つき、性的な事柄に悩む。その全体が人間であ るということだ。そして、ロボットは、人間そのものであってはいけないが故に、人 間味からは遠くあるしかないという原理的限界が、ロボットにはあると田近氏は指摘 する。
 ロボットの「身体」は(少なくとも鉄腕アトムの場合)何らかの金属である。取り 替えや修理は可能だが、さて、人の体のように傷つくことも、成長することもない。  実はこの点は、手塚治氏の頃とは技術的背景や事情が違うかもしれない。今、人工 皮膚の研究が盛んに為されているし、身体的成長であれば、頭脳の部分を、成長(経 験的知識の蓄積)に合わせて、より大きな身体に換装すればいいわけで、それをもっ てロボットの成長と見なせば見なせられないこともない。
 顔という人間の表情の点でも、コミュニケーションの点でも一番大切な部分につい ても、研究が盛んに行われている。笑ったり怒ったりの表情を示すことのできるロボ ットも出来つつある。顔(人工皮膚)の表情に伴う起伏を微妙に操ることで人間味あ る表情を演出しているわけだ。
 手塚治氏の時代には想像できなかった形での解決が図られる可能性があるわけであ る。

 さらに、田近氏は身体の重要性を指摘している。が、それは脳(人工頭脳)と身体 との関わりの深さからである。当然でだろう。
 が、田近氏が本書の末尾で触れられているように、実際には、人間の身体は脳との 相関の点で、ロボット研究の現場では、未だ、まるで(ほとんど)度外視されている システムがある。
 脳は(田近氏は三木成夫氏の諸著を例に引いている)人間の体では神経系の延長で ある。つまり、移動を旨とする動物系の中枢であるわけだ。体の皮膚に触れるものは 勿論、目や耳や鼻から得た、身体から離れた場所の情報を脳という中枢に集め分析し、 情報を管理する。その管理も実際には個々の人間によって相当に違う遣り方で為され ている。前頭葉にこそ、人間味の現れの源泉があるという。
 が、人間にはその一方、内臓という大きなシステムがある。それは三木成夫氏の表 現を借りれば、植物系のシステムなのである。人が特に考えることなく、それらのシ ステムは、胃も腸も、心臓も、肝臓も働いている。口から入り、消化され栄養が吸収 されて、不要なものが肛門などから排泄される。
 そうしたシステムからの情報は、脳に全く伝わらないわけではないが、しかし、所 謂意識とか自覚という点では、不調の場合に憂鬱な気分といった朧な形で、あるいは チクチク・シクシク・ズキズキ痛むというった風に切な形で感じることができるくら いである。
 が、脳が腸の働きなどをコントロールしているわけではない。小脳や延髄でコント ロールしているが、通常、知能という意味合いを持たせられている脳(大脳)は、支 配という意味では無力に近い。
 小生は昨年だったか、マイケル・D・ガーション著の『セカンド・ブレイン』(吉 川奈々子訳、小学館刊)を読んだことがある。その書のコピーは「腸にも脳がある!」 なのだ。この本を読むと、腸がいかに複雑極まる働きをしているかが分かる。とても じゃないが、脳(大脳)は、コントロールしきれるものではないのだ。
 さらに人間の体には、免疫系という複雑怪奇なシステムがある。これも、遠い感触 や身体の不調の結果としての情報は得られるが、脳が決してコントロールしているわ けではない。数年前にベストセラーになった多田富雄氏著の『免疫の意味論』(青土 社刊)を読まれた方も多いことだろう。
 ちなみに、三木成夫氏は、こうした植物系の働きを含めた全体を人間は心と呼んで いるのではと指摘している[『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院刊)や『胎児の記憶』(中公新書刊)、『生命形態学序説』(うぶすな書院刊)などを参照のこと]。
 宗教などで座禅を組み、瞑想に耽るというのも、人間の我の部分を越えた身体(と 宇宙との関わり)を我に囚われずに想像しようという試みを為しているのではと、小 生は思っている。
 こうした植物系(腸などの内臓)のシステムも、免疫系という複雑なシステムも人 間(動物)の生存のための根幹を為す身体(の働き)なのだが、ロボット研究の現場 では、ほとんど語られることのない領域なのである。

   思うに現代、「身体」がキーワードとして強く唱えられるのも、脳への過剰な評価 (養老孟司氏の言う「唯脳化現象」)へのリアクションなのではないかと推測してい いのではなかろうか。
 こうした領域は知覚にも、さらに認識の対象にも、現実にはまるで馴染まない。が、 人間(動物)の根幹を為す重要なシステムであり、まさに身体的現実なのである。
 精神とか、心という言葉の示す意味は、不分明極まる。きっと、それらは未だ相当 の未来に渡って研究の対象にも、ましてロボット制作上の技術の対象にもならないだ ろう。
 が、それは物質(人間の身体)の延長上にないからではなく、従って、唯物論の否 定に繋がるといった筋合いのものではなく、今のところ、全く研究の俎上には登って いないということなのである。
 但し、遠い未来に渡って研究の対象にならないだろうという断定は、できない。仮 に、原理的に知覚も認識もできない感覚であっても、臓器や免疫のシステムの研究は、 近年、相当に進んでいるわけで、そのことの脳への影響の在り方、いつかしら光が当 たらないとは限らないからである。
 ただ、ロボット研究の今の段階では視野に未だ、入っていない。今、言えるのはそ れくらいなのかもしれない。
 尚、本書の中で田近氏は、ベルグソンの哲学に言及されている。小生は、その点に 関し、今のところ、保留にさせてもらう。
 ベルグソンの哲学に向かう前に、研究の現場で、違う領域、つまり臓器や免疫の研 究から何が成果として生じてくるか想像も付かないからである。
 いずれにしても精神(心)というのは、人間の身体丸ごとの営みなのだろうとは思 っている。
 ところで最後に想像力の問題について少し触れておきたい。ロボット研究でも認識 というのは、あくまでロボットの周辺の必要なる情報探索である。人間の行っている 知覚が想像力の一端を為していることは十分ありえる。
 ところが、人間は脳裏に遠い世界のことについて、地球の裏側のことについて想像 を巡らす。あるいは人間の愛憎も含めて、そうした情動的動き(当面の認識にはまる で不要な情の動き)が生じるのは、一体何故なのだろう。そもそも凡そ、情動が生じ る源泉は何処にあるのだろうか。
 本書には関係のない感懐で、場違いな感想と思いつつ、思い惑いは果てしないのだ。


                                01/09/30 01:47




[ 鉄腕アトムについては新しい話題が次々と生れている。そうした情報を得るには、関連するサイトを訪ねるのが一番である。
 まずは、 「ASTROBOY」というサイト。「鉄腕アトムのオフィシャルサイト。2003年4月より放送中の「アストロボーイ・鉄腕アトム」の紹介はもちろん、このサイトでしか楽しめないオリジナルコンテンツも盛りだくさん。「鉄腕アトム」のことなら、まずここ」である。
 もっと、オリジナルな鉄腕アトムを知りたいという方には、「Tezuka Osamu @World -鉄腕アトム[少年版]- 」が楽しいかも。( 03/11/09 )]