ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』(雑感1)フリーマン・ダイソンの『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝』(鎮目恭夫 訳、ダイヤモンド社刊)をほぼ20年ぶりに読み直している。昭和57年発行と なっているので、その頃に読んでいるはずなのだ。 ところが、昨年だったか、どなたかにこの本の存在を教えてもらったとき、小 生、読んだことがあるようなないようなで、すぐにはピンと来なかったのだ。せ っかく推薦してくれているし、でも、読んだことがあったような…と、頭の片隅 では気になりつつも、そのまま放っておいた。 するとこの正月、田舎の古い書棚を何気なく久しぶりに開けてみたら、びっく り、いきなりその本が鎮座ましているのである。あー、やっぱり読んでたんだ…。 このことは、小生には少々ショックである。読んでも中身をすっかり忘れてし まうってことは、記憶力に自信のない小生のこと、今までだってないわけじゃな い。でも、読んだことがあるってこと自体を忘れるなんてことは、なかったはず なのだ。 なんて、思っていたら、数年前、実はもっとショックな「事件」があったこと を思い出した。90年代の初め頃に買って読んだ本を、そのほんの数年後に改め て買ってしまったのである。買って、さて読もうかなと思い始めていたら、ちょ っと玄関に立つ用事があって、廊下にある書棚に目が行った。すると…、なんと、 買ったばかりの本と同じ本が、ちゃんとそこにやはり鎮座しているじゃないか。 しかも、書棚の本の奥付けを見ると、版が同じ…。 我輩も、そんな年配になってしまったのかね。 さて、余談はともかく、本題に入ろう。 上掲の書は、なかなかいい本である。某氏が推薦するだけのことはある。20 年前に刊行された本とはいえ、中身は古びてはいない。といっても、まだ再読し て半分ほども読み進んではいないのだが、それでも、今、読んでも今日的な示唆 と啓発される指摘に富んでいる本だと実感している。 天才的な物理学者、工学者、数学者の例に洩れないのかもしれないが(ダイソ ンは、結構、取り組む課題を次々と変更している。彼は自分では、創造的に課題 を見つけ出すより、与えられた課題の数学的技術的分析と、具体的な解決を図る のが得意だと自己分析している)、彼の両親は共に才能豊かな方々なのである。 彼、ダイソンが若い頃、ご多分に漏れずガロアやアインシュタインに惹かれ、 やがて身近に相対性理論を理解するための適当な教材が見つからず、クリスマス の休暇を使って、独力でやっと見つけた数学の参考書で学んでいるうちに数学に 目覚め、一日に14時間も数学の計算に没頭する日々が続いたことある。 そのあまりの傾倒ぶりに見かねたお袋さんは、ダイソンにゲーテの『ファウス ト』のストーリーを詳しく話しながら、人間は他人との付き合いが大事だと教え 諭す。その際、どうやらお袋さんは御自身で多少の脚色をしながらダイソンを人 間世界への関心を呼び起こそうとしたらしいのだ。そんな芸当を極自然にやって のける素養が、弁護士であるお袋さんにはあったわけである。 ダイソンの父親も音楽の才能に恵まれていた。作曲家であり、また指揮の依頼 も多かったという。その父親は単なる音楽家ではなかった。それは第二次世界大 戦の初め頃にイギリスの二大音楽学院の一つであるロイヤル・カレッジ・オブ・ ミュージックの学長になっていたからだけではない。 大戦に突入し、「ロンドン爆撃が始まると、政府とカレッジの理事会はカレッ ジを早く地方の安全な場所へ疎開させるようにと彼をせきたてた」が、彼は移転 を拒否したのである。ダイソンの父は「この学院はロンドンのおもだったオーケ ストラ奏者とその他の音楽演奏家の少なくとも半数の生計をささえている。これ らの人々の大部分は、週に二日か三日この学院に来ており、演奏会だけでは食っ てゆけまい。もし学院が疎開してしまったら、次の二通りの結果のどちらか一つ が起こるだろう。すなわち、学院が最良の教師たちを失うか、または戦争の終り まではロンドンの音楽活動がほとんど消滅してしまうだろう。そしてどちらの場 合でも、一世代のすべての音楽家の前途が破滅してしまうだろう」と理事たちに 指摘した。 父親は「学院の事務室の一つを寝室に変え、自分の頭上に屋根が少しでも残っ ている限り、自分はここに踏みとどまって活動を続けてゆくつもりだと宣言した」 のである。 結果、「理事会は父の決意を受け入れて、学院はロンドンにとどまった」もう 一つの大きな音楽院も、予定を変えロンドンで開校を続けた。ダイソンの父親は、 戦時下にあって、夜は屋根の火を消すのを手伝い、昼は学生オーケストラの指揮 をしたのである。 そうした「チョーサーとチョーサーによって不滅にされた登場人物への強い愛 情を共有していた」両親のもとにダイソンは育ったのである(ちなみに、ダイソ ンの父親は、チョーサーの『カンタベリー物語』のプロローグに基づいて「カン タベリー巡礼者」を作曲している)。 尤も、少年であるダイソンにしてみれば、戦争の真っ只中にあって、いつ、自 分が短い生涯を閉じる羽目になるかもしれないという焦りもあった。それは年少 の才能と野心溢れる誰しもが、普遍的に持つ焦りなのかもしれない。脳裏には、 恋に生き決闘をして命を縮めたガロアの鮮烈な生涯もあったに違いない。ガロア は、決闘の前夜、「時間がない、時間がない」とノートの欄外に書きつつ、現代 数学の一分野として今も残ることになる根幹的な数学的着想を書き綴ったのだ。 そうした姿への憧れというのは、強烈に少年の胸にはあったろう。今、出来るこ との全てを成してしまいたい、そう張り裂けんばかりに思わないわけにはいかな いのだ(☆1)。 本書には、数学者として戦時下、イギリス空軍(爆撃部隊)の中で働く中で見 た軍という巨大な官僚機構の愚かしさも、たっぷりと描かれている。これを読む と、軍という官僚組織のどうしようもない、まさに巨大になりすぎて身動きが取 れないままに死滅した恐竜を髣髴させる姿を思い知らされる。日本の軍当局だけ が愚かだったわけではないからといって、慰められるものではないのだが。 また、戦争後、ようやく日本の科学者たちの活躍ぶりが欧米にも知られるよう になり、戦時下の情報的に孤立を余儀なくされた環境の中で、朝永振一郎氏の素 粒子論が、驚きを持って受け止められたことが分かって、何となく嬉しくなって しまう。ダイソンは、「トモナガ、シュウィンガー、ファインマンの放射理論」 なる論文を書こうとするほど、朝永理論を評価していたのだ。シュウィンガーも ファインマンも、そして朝永もノーベル賞を受賞したお歴々であることは言うま でもない。 本書の少なくとも前半の鍵となる人物は、かのオッペンハイマー(とテラー) であろう。ロス・アラモス研究所所長として原爆製造を指導し、戦後、政治に深 入りし、水爆製造に反対したこともあり、共和党議員による指弾を受け、オッペ ンハイマーの政治的権威の失墜を狙った「オッペンハイマー事件」に巻き込まれ ることになる。当時は、「赤狩り」というマッカーシズム旋風の吹き荒れた時期 でもあった。 ダイソンは、ファインマンと同時にオッペンハイマーとも個人的に懇意だった。 赤狩りのため、54年に原子力委員会が機密事項に関与することを許可しない決 定をした中でも、ダイソンはオッペンハイマーとの付き合いを絶やさなかった。 そのオッペンハイマーの失脚に際し、議会での証言で決定的役割を果たしたの が、エドワード・テラーである(テラーはロス・アラモス研究所の副所長であり、 「水爆の父」と称されるようになる)。そのために、テラーは科学者仲間から裏 切り者扱いされることになるのだ。オッペンハイマーの(テラーから見れば過剰 な)政治力を殺ぐつもりで証言したはずが、オッペンハイマーを傷つけた以上に、 テラーは議会証言の故に、自らをもっと傷つけてしまったのだ。 ある日、ダイソン一家がバークレー校を見下ろす丘に借りた家に住んでいた頃、 彼ら一家は、家を空っぽにして丘へ散歩に出かけた。その散歩から戻ってくると、 ダイソンの誰もいないはずの家から、バッハの前奏曲第八番変ホ短調の演奏が流 れ来るではないか。その曲は、ダイソンにとって、幼馴染とも言える曲だった。 もともとダイソンは父のようには音楽の才能に恵まれていなとしても、「音楽 を愛するようになるずっと前から楽譜の記号の複雑さに興味をそそられ」る子供 だった。幼い頃に、バッハの「平均律ピアノのための四八の前奏曲とフーガ」の 楽譜を分析し、その楽譜の特徴から、父にさえ答えられない質問を考えつく少年 ではあった。 ダイソンの父は、よく自宅で、四八の前奏曲とフーガからの曲を弾いたのだが、 やがてダイソン自身もそのうちの幾つかは自己流で弾けるようになっていた。特 に前奏曲変ホ短調への愛好は青年になっても続いた。 ダイソンの言によると、「…音楽的に目立っている。それはまぎれもないバッ ハであり、しかもなお、ベートーベンを予感させる顕著な感情の強さをもってい る」のだという(☆2)。 その曲が、今、ダイソンの誰もいないはずの借家から流れている! 「私たちは家の前に立って、その曲に耳を傾けた。誰が弾いているのであれ、全 身全霊を注いで弾いている。その調べは、地底からの嘆きの合唱のように浮き上 がってきて、あたかも地下の精霊たちがパバーヌ舞曲に合わせて踊っているかの ように聞こえた。私たちは曲が終わるまで待ってから、家の中にはいった。ピア ノの前に坐っているのは、エドワード・テラーだった」 テラーは、「自宅のパーティに私たちを招待するためにやって来たが、たまた まりっぱなピアノが弾かれるのを待っているのを見つけたのだ、と言った。私た ちはその招待を受諾し、彼は辞去した。それは、六年前にシカゴで彼に会って以 来、彼と話をした最初のときであった。私はこう断定した――歴史がこの男にど んな判決を下そうと、私には彼を敵とみなすべき理由は何もない、と」 ☆1.L.インフェルト『ガロアの生涯−神々の愛でし人』(市井三郎訳)日本評 論社(1969)を読んで興奮冷め遣らぬ若き日を送った方も、多いのではなかろうか。 ☆2.ベートーベンの音楽とシェイクスピアとウィトゲンシュタインを併せて論 じる、「シェイクスピアに抗して読む」というジョージ・スタイナーの一文は面 白い(『言葉への情熱』伊藤誓訳、法政大学出版局刊)。 02/04/29 02:47 ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』(雑感2)ダイソンが直接であれ間接であれ関わった、しかも特筆すべき科学技術は多い。 前回は、必ずしもその開発スタッフではないにしろ、原爆や水爆開発に関わるオッ ペンハイマーやテラーとのエピソードを紹介した。 本書の中では、更に興味深い、紹介したくなるテーマがあるので、そのうちの幾 つかに触れてみたい。 まず、原子力産業についてである。 「原子力産業が抱えている根本問題は、原子炉の安全性ではなく、廃棄物処理でも なく、核兵器拡散の危険でもない。これらの問題はどれも現実であるにせよである。 原子力産業の根本的問題は、もはや誰も原子炉をつくるのになんら面白味を感じな くなったことである」(p.148) 原子力産業は、特に原爆や水爆の製造に関わり、広島・長崎への投下という悲惨 な現実を見た多くの科学者にとって、原子力の平和利用ということで、当初は期待 に胸躍らせる、可能性に満ちた兆戦分野だったのである。ある時期までは。 が、ある時期からは、原子力産業は、科学者の研究開発の意欲を殺ぐものになっ てしまった。何故か。それは原子炉などの研究に莫大な投資と経費が必要になり、 政府にとっても企業にとっても、経済性・採算性という現実からして、開発される き原子炉の種類が、当初は100近くもあったものが、徐々に絞られていって、やが て今日(本書が書かれた頃)の段階では、「生き残れる望みのある型の原子力発電 装置は焼く10種類しかな」くなってしまったのである。「しかも、現在の状況の下 では、なんらかの根本的に新しい型が公平に試験されることは不可能である」 本書の中で、ダイソンは、身近な例と比較している。それはオートバイである。 オートバイは、それこそ世界中の多くの技術者がありとあらゆる工夫をして、現在 にいたった。何百どころではない技術の可能性が試されたのである。町の小さなシ ョップで試みることが可能だったのだ。だからこそ、成功を勝ち取ったし、これか も発展することが期待される。 「おそらく技術の世界でも、生物の進化と同様に、浪費が効率への鍵なのである。 どちらの領域でも、小型のものは、大型のものより容易に進化する。鳥は進化した が、鳥の従兄弟の恐竜は絶滅した」 どこかの段階で、これ以上の根本的な技術の可能性への挑戦に蓋がされてしまっ たのである。安全と経済性が至上命題になってしまった。国家的産業として、官僚 機構の中に組み込まれ、その中で技術者の創意工夫やアイデアの湧く余地など、な くなってしまったのだ。技術者が窒息してしまったのだ。 その結果、携わる研究者のモチベーションは一気に萎み、緊張感が薄れ、集中力 が欠如していった。1979年3月28日に起きたスリーマイル島での原子炉の2号炉から の放射能漏れ事故は、その早い結果なのだし、日本でも1999年9月30日に茨城県東 海村にある民間の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」東海事業所で発生した放 射能漏れ事故も、緊張感の欠如が背景にあったと思われる。もう、慣れきってしま って、作業が日常的な流れ作業になってしまっていたのだ。 この放射能漏れ事故は、日本の原子力史上初の、核分裂の連鎖反応が自発的に続 く「臨界事故」なのだということは銘記しておくべきだろう: [ http://www.yomiuri.co.jp/jco/j991001_01.htm など参照] 東海村での事故の結果、例によってマニュアルが更に分厚くなったことは、言う までもないだろうが、そのことが、また、研究開発や施設の維持に携わる関係者、 特に技術者の意欲を減退させただろうことも、容易に想像がつく。マニュアルの肥 大化は、意欲の減退と相関するかのようだ。 本書の中でも、かのキューバ危機に関するダイソンの評価が興味深い。ケネディ は知ってか知らずか、フルシチョフによるキューバへのABMミサイル(システム) の配備には、異常な反応を示した。ケネディは、ダイソンによると、ソ連の当時の ミサイル技術を買いかぶっていたのである。 ダイソンの言によると「フルシチョフのABMシステムは、はったりによる国防 という、ソ連の長い伝統の最近の一例にすぎない」のだという。つまり、「軍事的 価値がおぼつかない先進兵器を、政治的および心理的な目的に利用する伝統」の現 われなのだというのである。(p.192)ソ連は(フルシチョフは)プロトタイプに過 ぎない兵器を、新しい、しかも既に大量生産された兵器であるかのようにして誇示 してみせた。「ソ連の指導者たちは、本当に嘘をつくことはせずに、強さを誇張し 弱さから目をそらさせることができたのである。ソ連国内の厳重な秘密主義が、こ のような戦術を可能かつ効果的にした」 さて、このような評価を下せるのも、彼がそうした最先端の科学技術に通暁して いるということと、同時にソビエトの技術者たちとの交流があるからなのである。 犯罪者による僅か数ポンドのプルトニウムを使っての核兵器の製造の危険性に関 しても、なかなかの逸話が詳しく載っている。 よく、ハリウッド映画などでアタッシュケースに入ったプルトニウムが国際的テ ロ組織によって盗まれる、などという設定のものが、一時、流行ったことがある。 そうした危険性を指摘し、核テロ予防に立ち上がったのは、テッド・テイラーとい う、一人のダイソンの同僚科学者だった。 ダイソンとテイラーは、「どこでどんな仕方でプルトニウムが盗まれる恐れがあ るか、どこでどんな仕方で少数の人々がプルトニウムを化学的に処理して爆弾に仕 上げる恐れがあるか、そのような爆弾は、どれほどの威力とどれほどの確実さをも つ恐れがあるか、テロリストが核爆弾による恐喝にそれをどんな仕方で利用する恐 れがあるか、これらのあらゆる恐怖を避けるために法治国は核活動をどんな仕方で 組織すればいいのか等々を議論した」 結果、「ほんのわずかな資材だけで、一人か二人の人間が個人のガレージで爆弾 を製造することを想像するのはたしかに可能である」となったのである。 しかし、すぐにテイラーが、この危険性の啓発のために立ち上がったわけではな い。 というのは、現状において、誰もが容易にプルトニウムなどに近づける状況にあ る中で、そんな知識を啓発したなら、当局が万全の体制を組む前に、一人か二人の 跳ね上がりが、一線を超えてしまう恐れが十分以上に考えられたからだ。 このジレンマを抱える中で数年が経過した。 やがて、テイラーは、貯蔵核兵器の管理に直接の責任をもつ原子力擁護局の副長 官になった。「彼の地位は、合衆国政府がプルトニウムをどのように扱っているか を知り、その管理機構のなかで盗人が最も容易に侵入できそうな弱点を見つけるの に、きわめて好都合であった」「また、原子力委員会の幹部職員や議会の重要人物 と個人的に会話をする機会が得られた」(p.223) が、彼の説得は力を当初は持たなかった。 一つは、「責任ある官僚は、自分の部下の専門家たちから、誰も自家製原爆をテ ッドが思っているほど容易につくることはできないと」聞いていたこと、二つは、 プルトニウムの保護のためには、克服すべき管轄権上の障害があったことである。 結局、テイラーは警告を与えることに失敗した。 やがて、彼は、国際原子力機関(IAEA)という国際的レベルの説得を試みた。 その中の、少なくとも各国にわたる技術部門の人々は、IAEAの基準に抜け穴が 多くあることを知っていたのである。それでも、上層部の説得には、やはり失敗し、 ダイソンもテイラーも失意のどん底に陥ったのだった。やはり、人間は、失敗から 学ぶしかないのか...。 しかし、テッド(テイラー)は、諦めなかった。今度はフォード財団からの支援 を受け、だいそんと一時は同僚でもあった弁護士のメイソン・ウィルリッチとコン ビを組み、核物理学の知識だけではなく、軍備管理には不可欠な法律上の専門知識 を埋め合わせるのだ。そうした努力は、『核盗み――危険と警備』という本として 結実し、74年に出版された。 実は、この時点で初めて、テッドは、自分の知識を大衆に広めようと決意したの である。 これは、ひょんなことからマスコミ(ジョン・マクフィーという著述家)が採り 上げることになった。大衆を煽る格好の材料だと判断したのだ。事実、マクフィー の著した本を読んだ大衆はショックを受けたのである。また、「政府が核拡散につ いてとる考え方を変えさせた」のだった。ここに至るに10年の歳月を要している。 さて、この物語には後日談がある。騒ぎは、もっと拡大したのである。 ある、マクフィーの本とテイラーらの書いた本をテキストにした講座を受講した ジョン・フィリップという名の学生が、学園を飛び出し、機密解除になった書類を 入手し、本物の爆弾部品をつくる工場の爆薬部門の主任を呼び出したりして、情報 の提供を受けたのである。 ジョンは、危ない論文を書いた。それは、「彼が手に入れた情報と、それを入手 した方法との要約」さらに、「爆弾の設計の大まかな略図と、その装置がどのよう に作動するかの説明」から成る論文だったのである。 やがてこの論文はマスコミの知るところとなり、ジョンはマスコミの寵児となっ た。同時に、核テロの危険に対するテッド・テイラーの警告は...世界中に誰でも理 解できる言葉で広がってしまった」のである。 政府の核拡散に関する姿勢は確かに変わった。しかし、危険性が蔓延していると いう現実は、変わっていないのである。 02/05/01 21:02 ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』(雑感3)ダイソンによれば、「オルダス・ハックスリの『すばらしい新世界』の背景に用 いた生物学的発明の大部分は、生物学者(生理学者・遺伝学者。1892-1964)であ るホールデンの『ダイダロス』から無断借用したもの」(p.236-7)だそうである。 ホールデンは、「大衆の不妊化、試験官ベビー、心理改造薬剤の自由使用などによ る未来社会空想」を示し、それをハックスリは劇作化したというわけだ。 上記した『ダイダロス、または科学と未来』は、ダイソンによれば、「生物学の 進歩が人類にもたらす帰結について今まで書かれたなかの最良の書物」だという。 余談だが、人体改造そして人類の肉体の改造について、以下のサイトでホールデ ンやバナールに絡めて語られている: http://nova.earth.s.kobe-u.ac.jp/~matsuda/seifu/seifu4.html ちなみに、ハックスリの『すばらしい新世界』では、「世界支配者の慈悲深い独 裁が確立する前に九年戦争っで炭素病菌爆弾によって人類が絶滅された」のである。 何だか、予言的ではある。 なお、ダイダロスとは「ギリシャ神話に出てくるたぶいまれなる名工」のことで、 迷宮(ラビリントス)をつくったり、人工の翼を作って息子のイカロスと共に迷宮 から逃れようとした(イカロスは、父の戒めを守らなかったため、海に落ちてしま うが、ダイダロスは逃れる)。 また、「伝説によればダイダロスは、婦人と雄牛をうまく交配させてミノタウル スをつくるのを監督した」とも。 『宇宙を…』の中でダイソンは、『ダイダロス』のなかから、わざわざ長い引用を している。ここでは、その一部だけを再引用させてもらう。 化学あるいは物理の発明者は、つねにプロメテウスである。火の発明から 飛行の発明まで、なんらかの神を侮辱したとして非難されなかった大発明は 一つもない。しかし、もしあらゆる物理的および化学的な発明が神の冒涜で あるなら、あらゆる生物学的発明は神の誤用である。……私の思うに、プロ メテウスにまるわる感傷的な関心が、それよりはるかに興味深い人物である ダイダロスにわれわれが目を向けるのを不当にそらしているようだ。ダイダ ロスは、科学労働者は神とは関わらないことを示した最初の男である。ミノ スの科学のかすかな伝統をこのすばらしい人物で象徴させた初期のギリシア 人は、意識の底でおそらくこの事実に気づいたいたのだろう。人間のあらゆ る伝説のなかで最も奇怪で不自然なこの行為は、現世でも、来世界でも罰せ られなかった。ソクラテスは彼の子孫であることを主張するのを誇りにして いた……。(p.237-8) 科学者、それとも知を究めようとする人間というのは、時に人知の、少なくとも 常識(良識)と思われる矩を越えてしまうことになる。ゲーテの『ファウスト』で は、世界の仕組みの奥の奥を統べるものを知ろうと、ファウストは悪魔に魂まで売 ってしまう。人間には、そうした知の欲求が食や性の欲求に劣らず根底に染み込ん でいるのだ。生物学の世界でも例外ではないわけである。 こうした人類改造という空想は、その中に伏在する「矛盾の深刻さ」については、 すでに19世紀において、H・G・ウェルズによって『ダイム・マシン』『ドクタ ー・モローの島』ではじめて示されている。ウェルズは、「天才的な作家で、たま たまりっぱな生物学者にもなった人」なのだ。 ダイソンによれば、「(上掲の両書は)どちらの物語も、当時世にひろがってい たビクトリア朝後期の楽観主義の風潮とは深く対立するものであった。後になって、 悲観主義が世に流行するようになったときはじめて、彼は楽観主義者になった。彼 はつねに世の潮流に逆らって泳ぐのを好んだ」そうである。 『ドクター・モローの島』は、「気が狂った生理学者の手術によって人間に似た姿 に変えられた獣たちの島の物語」であり、「科学恐怖文学のなかでも、最も長続き する悪夢の一つであろう」(p.233) 余談だが、『ドクター・モローの島』を原作として、「D.N.A.」(日本版 のタイトル)という映画が数年前制作上映(既にテレビでも放映)されたことがあ る。 19世紀にはダーウィンの思想が登場している。ダーウィンの進化論の持つイン パクトというのは、今後、ますます衝撃の度合いを増すだろう。まだまだ、その思 想は理解されていない。小生は、ダニエル・デネットの『ダーウィンの危険な思想』 の紹介を試みたことがあるが、この世の自然の、まさに自然の営みの渦中に生物が あるのであり生命の発生から生物の創生に至るさなかに見えざる神の手などの関わ る必要はないのだということ。 だからこそ、遺伝子操作が可能なのであり、クローン技術も現実のものとなるの であり、男女の産み分けが可能なのであり、「少数のDNA分子が、未分化の卵細 胞が分裂して一個の人間へ成長する仕方を制御することを可能にしている機構の仕 組みを完全に理解できるであろう」と予想されるのだ。 さて、生物学者は、(人類の)肉体の改造に止まらず、時に生物学兵器の開発に も携わることがなかったわけではない。しかし、結果的には「生物学者たちは、生 物学兵器計画を本気で開始した国々の政府に、その計画を廃棄して、貯蔵した兵器 を破壊するよう説得した」(p.241) 次回は、生物学兵器を世界から除去することに個人として他の誰より大きく貢献 した生物学者を本書のダイソンを通して紹介したい。 02/05/12 01:42 ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』(雑感4)ダイソンはウェルズとホールデンを通して二つのことを学んだという。「第一に、 人間は神の役割をすれば正気ではいられない。第二に、生物学の進歩は神の役割を 演じる力を人間の手に不可避的に渡しつつある」 このことで「われわれには希望がないという結論はでてこない」むしろ、つまり 決して「実験と探査を禁止すること」ではなく、「知識の応用を公共の管理下にお く厳格な法律を制定すること」を通じて、「われわれはまだ自分たちの運命の支配 者となる道を選ぶことができると、ダイソンは言うのである。(p.240) 物理学者は「最初に核兵器の推進を断り、後に政府に貯蔵核兵器を破壊するよう に説得していたなら、今日世界はどうなっていたであろうか」が、実際には、核の 現実は周知のように、かくの如しである。 しかし、生物学者は、物理学者と違って、歴史の法廷の最初の裁判では手を汚さ なかった」 さて、「生物学兵器を世界から除去することに個人として他の誰より大きく貢献 したのは、ハーバードの生物学教授マシュー・メセルソンである」 メセルソンはダイソンと同様に、一九六三年の夏、軍備管理軍縮局(ACDA) にやってきた。当初は、生物学兵器に疎かったメセルソンだが、ACDAを通じて、 「生物学物質とその散布方法の世界を自由に動き回った」 メセルソンが衝撃を受けたのは、生物学兵器を戦闘部隊に教育するためのマニュ アルが存在し、しかも、その教則本は機密扱いになっていないことだった。その冊 子には「アメリカは生物学戦争のための装備と準備をしていること、近代的陸軍は こういう仕方で訓練されるべきであること、どんな国でも隣国と張り合ってゆきた いなら、生物学物質とそれを散布する爆弾を持たねばならない」旨の記述があった。 メセルソンは、この政策が馬鹿げていると考えた。「第一に、生物学兵器は、貧 しい小国に、いやテロリストの集団にさえ、アメリカのような大国に重大かつ広範 囲の被害を与える機会を提供する点で、他に類のない危険をもっている。第二に、 他の国々が生物学兵器を獲得し使用する危険を増大させるおもな要因は、わが国自 身によるその開発と、(冊子に)示されているわが国自身の宣伝とである。第三に、 生物学兵器は、他に類がないほど信頼度が低く、それゆえ、アメリカがそれを使お うとしているかもしれないどんな合理的軍事作戦にも、たとえわが国の国民が生物 学兵器による攻撃を受けた場合に報復する作戦にさえも、生物学兵器は不適当であ る」と主張した。(p.241-2) 軍と政府の指導者を説得する上でメセルソンの主張を同意させるのに、第三の点 に特に困難があった。つまり、「アメリカが生物学兵器をもつことには、なんらか の現実的な軍事的必要があるのか?」(p.242) 「生物学戦争担当将軍は、他国が生 物学兵器を使うのを報復の威嚇によって抑止するために、わが国は生物学兵器を必 要とすると本気で信じていた」メセルソンは、「それらの人々の考えが幻想に基づ くものであることを証明しなければならなかった」のである。 議会の委員会での討論の機会を得たとき、メセルソンは彼ら必要と信じる者たち に礼儀正しく尋ねた。 「将軍、私どもがおうかがいしたいのは、もしかりに合衆国が生物学兵器で攻撃を 受けて、大統領が報復の命令を下した場合、あなたはいったい何をなさるのかとい うことです。どこで、どんな仕方で、誰に対して、われわれの兵器をお使いになる のですか。」 「この質問に答えは存在しなかった」報復作戦には、核兵器を含めた代替兵器を使 うほうが有効だと将軍も、この論議を聞いていた議員たちも納得したのである。 さらに話は続く。実は、当時、ヘンリー・キッシンジャーがハーバードの教授を つとめ、メセルソンの運動に注目していたのである。一九六八年にキッシンジャー はニクソン大統領の右腕となった。メセルソンは、キッシンジャーをせきたてた。 この生物学兵器の分野は、アメリカの一方的な行為で軍備競争を停止できる一分野 であり、議会も支持することは確実だった。 「一九六九年十一月、就任以来一年足らずに、ニクソンは、アメリカは生物学兵器 のあらゆる開発の一方的な廃止と、この種の兵器の貯蔵の廃棄と、わが国の生物学 戦争研究諸施設を医学研究の公開諸計画へ転換させることを発表した」(p.244) ウォーターゲートの影が覆い始める前に、この行為は完了した。 無論、政府の関係者の中には、ロシア人との交渉を通じて、相手方の同意の上で 廃棄するべきだと考える者もいた。が、メセルソンは、一方的行動が先だと主張し ていたのだ。交渉からニクソンが始めたら、何の合意も得ることは出来なかったろ う。 ソ連(当時)の政治指導者たちも、ニクソンの一方的廃棄という行動によって、 「自分たちの生物学兵器もアメリカのものと同様に役に立たず危険であると明らか に確信した」のである。 メセルソンは、化学兵器についても、非合法化を目指したが、こちらのほうは、 勝利を得るに至っていない。生物学兵器についても、大国はともかく、多くの国で 製造が試みられていることも事実だろう。昨年の同時多発テロ直後のアメリカでの、 炭疽菌騒ぎを見ても、生物兵器の脅威が消えたわけではない。 それでも、メセルソンのこの生物学兵器の廃棄についての勝利は教訓と示唆に満 ちている。 つまり、核兵器の問題である。一体、核兵器を使用することは可能なのか。過去 に広島・長崎の悲惨な悲劇という現実があるにしても、今後、その現実の国家によ る再現はありえるのだろうか。 軍事担当者には、兵器が残虐であるとか非人道的であるとかいった主張は説得力 を持たない。彼らには冷厳な軍事的・現実的効果の有無の観点から、核兵器の使用 の無意味さを説く必要がある。 生物学兵器で、その使用の無意味さをメセルソンが説き明かしたような、軍備担 当者を納得させうる論理を誰か構築できないのだろうか。 ところで、生物学には、今、われわれがひしひしとその見えざる脅威に脅かされ ているように、決して軍事に渡る問題ではないのだが、それだけに解決も、そもそ もその以前に問題の性質の理解自体が困難な問題がある。 なんといっても、DNA(遺伝子)組替え食品の問題である。ダイソンの書の中 では、組替え実験とされているが、すでに今のわれわれには現実のものとなってい る。実験的に無害だとしても、何代にも渡って人間(や他の動物)が口にして、健 康への影響はないと言い切れるわけではない。 にもかかわらず、DNA組替え実験が、今や、人間自身を含めた全生物の遺伝形 質を設計する知識を生物学者に与えることになった事実はある(ダイソンの時代で は、単なる知識の誤用への恐れに過ぎなかった)。しかも、海外(アメリカ)など からの輸入で、既に遺伝子組み替え食品を我々日本人も口にしている。日本の当局 や食品メーカーなどのモラルの低さからして、この流入を水際で止めることは不可 能となっている。 「DNA組替えをしてもしなくても、生物学の進歩は続くだろう。世界地図にはな いドクター・モローの島の浮かぶ大洋へわれわれを急速につれてゆきつつあるのは、 生物学そのものであって、何か特別の技術ではない」のだ。(p.248) 生物学そのものをもっと広く科学全般と拡張してもいいだろう。個々の際限もな く細分化された枝の先の、そのまた先の科学研究と実験の最先端で、どんなプロメ テウスの火が見出され、それがやがて人類や生物や地球環境やに影響を与えないと も限らないのである。まさにカオス的な、想像を超えた現実の相貌の変容が急速に 示されているのではなかろうか。 そして、このことは、宗教や民族の対立の激化をもたらすことは火を見るより明 らかなように小生は考える。あまりに急激で(過激な)技術の、つまりは文化の変 更への圧力は、ほんの一部の保守的文化維持層だけではなく、圧倒的大多数の人間 にとって、脅威なのである。日毎の技術の変転に、すでに人間はついていけなくな っているのではないか。 そもそもどんな技術や、その成果も、大小の差はあれ、旧来の技術や伝統や文化・ 慣習との軋轢を生む。車は人力車を放逐し、電話は手紙の存在(あるいは実際に会 うこと)の影や必要性を薄くする。電子媒体の増大は、紙媒体(本など)を消し去 りはしないとしても、凡そ知識の存在自体を軽くする。科学知識の発展という現実 は、宗教的伝統や年配者の知恵を無能にする。星占いでは、遠い隕石の到来を予知 できるわけもない。 お婆ちゃんの時代にはなかったハウスダストや花粉症などのアレルギーの症状に は、祖父母の経験は生かしようもないのだ。それよりテレビや雑誌や若い人同士の 口コミのほうが遥かに有効だったりするのだ。 あるいは人の生きた経験から得た知恵というもの一般を形骸化させてしまうかも しれない。 小生は、技術の進展にブレーキをかけるというのではなく、技術の成果の現実の 適用の段階での、徹底した人間や自然理解の哲学的ろ過装置が今こそ肝要だと痛切 に感じている。 02/05/12 14:23 (この稿終了) |