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二週間ほど掛けて、本間猛著『予科練の空 かかる同期の桜ありき』(光 人社NF文庫刊)を読んだ。本書は1989年に単行本として光人社より刊行さ れた本の文庫化のようだ: http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=31045755 筆者である本間猛氏は、第九期乙種飛行予科練習生の一人だった。その卒 業生191名中、戦死者167名、戦死率は87%に達する。大半はソロモ ンの海空戦に散っている。 また、生存者のうち20数名は戦傷病者となったために生存したのであっ て、筆者のように第一線で戦いつつも五体満足で生還したのは数名に過ぎな いのである。 彼は飛行艇を専修し、六分儀を使った航法測定などを受け持っている。戦 地で敵情を飛行艇などから探ったのである。幾度も戦火を掻い潜り、あるい は敵機の攻撃に見舞われ、さらには飛行機の不調で洋上に、時には整備もさ れていない滑走路に不時着した経験など、死と隣り合わせで戦ってきたので ある。 そういう意味で、本書は、タイトル通りの戦記物の本と云っていい。 しかし、小生は筆者の記憶の確かさと文筆の達者さに驚いた。単なる戦記 物に止まる本ではないのだ。実に文章が活きている。 小生は自身が小学生の頃は、漫画の本に戦争物が多く(ちばてつやの「紫 電改のタカ」など)、戦闘機や軍艦に憧れ、下手なりに夢中になって漫画の 本に掲載されている軍艦などの写真を画用紙などに写し取ってみたりもした: http://www.bii.ne.jp/~poseidon/boss/TVG/shiden.html また、高校から大学時代に掛けて、それなりに戦記物は読んだことがある。 しかし、次第に日本軍の戦略も何もない戦い振りに辟易し、中国などアジ ア各地への侵略や南京の大虐殺、さらには従軍慰安婦や強制連行などの事実 を知るに至り、戦争物にはうんざりしてしまったのである。 爾来、意図的に戦争物は避けてきた感がある。なんて愚かなことをやって しまったのだろうと思うばかりだった。しかも、これだけの悲惨な結果に終 わりながら、多くの責任を負うべき人たちは責任を回避している。アジア各 国へも口ばかりの謝罪で、これでは我が国を尊敬したくても、負い目ばかり を感じるしかなかったのだ。 基本的には事情は今も何も変わっていない。ただ、時間の経過がある。戦 争の爪あとも傷痕も風化している。戦争を知らない世代が圧倒的に成った。 過去の15年戦争などの歴史を探ることなく、責任を問う向きに対しては、 自虐史観だと喧伝する傾向さえあからさまになってきた。 自分の国が過ちを犯したとは思いたくないのだろう。日本が参戦すること で、ただただ欧米に庶民地支配されるのみで諦め切っていたアジア各国が、 結果として独立に向けて胎動した、その契機になったではないかと、日本の 植民地支配や侵略を正当化する向きもある。 そんなものは結果論なのに。 しかし、戦争から半世紀以上の時間が経過したのも、厳然たる事実である。 日本が、きちんとした謝罪をしない(ただの謝罪の意の声明で終わらせる) 姿勢は変りそうもない。 それなら、せめて自分なりにあの戦争は一体何だったのだろうと見つめて みたいのである。 本書を読む前、小生の好きな作家・中島敦の本を読んでいた。『李陵・山 月記』の再読であり、ついでは初めて読んだのだが、『南洋通信』(中公文 庫刊)である。どちらも紹介済みだが、特に後者は、中島敦が南洋の島々で 昭和16年6月から17年の終わり頃まで働いていただけに、小生の太平洋戦争 への関心を新たにしたのだ。 中島敦が赴任した約半年後に真珠湾攻撃を端緒に太平洋戦争が始まってい る。その開戦を跨ぐようにしてかの作家が南洋の海にいたのだ。中島敦自身 は、17年に職を辞し、翌18年には亡くなっている: http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19420805palao/palao.htm つまり、敗色濃厚と成った南洋の海での日本軍の惨状も、まして本土での 空襲も経験していない。 本書の筆者である本間猛氏は、昭和17年2月末に戦地へ出陣している。と いうことは、あるいは、筆者は眼下に中島敦を眺め降ろしたのかもしれない し、敦も空を行く飛行艇の勇姿を眺め挙げたのかもしれない。 さて、繰り返しになるが、筆者の記憶力は素晴らしい。同時に、「まえが き」にもあるように、昭和16、7年当時は日記をつけていたこともあり、 本書の記述はまさに戦地の厳しさと戦友同士の友情と時には馬鹿騒ぎをする 軍人達の日々がきめ細かく活写されているのだ。 今が戦争中とは思えないような太平洋上の空の、あるいは島々での麗らか な日々、しかし、一寸先に待つ地獄。爆撃や機銃掃射を受けても、死ぬ人間 がいると思えば、ちょっとしたはずみで逃げ込んだ先が爆弾の投下地点から 外れて助かったり。 本書には圧巻と云える記述が随所にある。「六分儀を使った航法測定など を受け持っている」と先述したが、日本本土(房総)から数千キロも推測航 法(!)で目的地(サイパン)へ飛行艇を導くなど、素人の小生は呆気に取 られるばかりだ。 あるいは島の食糧倉庫などでの分隊同士でのハエやネズミ捕り競争などは、 目的は食糧の損失を守るためであり、疫病を防ぐためなど切実なのだが、し かし、その競争の真剣味が滑稽でもあり、感心したりと実に面白い。 これは読んでもらうしか、面白さは分からないだろう。 戦闘場面の記述は云うに及ばない。 美しいのは、飛行機が雲の上を海の上を飛ぶ眺めを描く部分である。以下 は、決して叙述の最善のものを選んだというわけではないが、推して知るべ しということで御容赦願いたい: 飛行機の下方は、雲また雲である。雲の山もあれば谷もあり、 原もあれば森もある。千変万化の雲海だ。雲の大海原である。 どうかすると、この大海原に虹がかかる。飛行機の虹は、。 地上で眺める、あの架け橋の虹ではなく、七色の天輪である。 雲の大海原に七色の天輪が輝くのだ。その大輪の中心に、自 分の機の影が映り、それが雲の原を高速で走る。その機影を 中心として、七色の虹の輪が、どこまでもどこまでも追いか けてくる。 (p.49) なんといっても悲惨なのは、戦局がいよいよ敗色濃厚と成る辺りからだろ う。筆者は幾度も訓練を受けたばかりの若者が二度と帰ることのない特攻へ と飛び立つ機会に遭遇している。天皇陛下万歳だったり、靖国で会おうが合 言葉だったりして、若者たちが次々と「散華」していくのだ。 小生には、しかし、この「散華」だけには、最後まで馴染めなかった。死 を美化しているように感じられてならないのだ。なるほどお国のために死地 に赴いたのだから、その魂を癒したいと思う気持は熱いものがあるのだろう。 けれど、それでは実際には戦略もなければ戦術もない戦いで死ぬという日 本軍の愚挙(筆者自身、幾度も軍部の戦略のなさを嘆いている)をも美化し てしまうことになるのではないか。 日本の国のために尊い命を投げ出していった若者たち。その命と残された 家族らのことを思うと、犠牲になられた方々の冥福は、「散華」とか「玉砕」 (これなど、日本軍当局の無策ぶりの典型ではないのか)といった表現を採 るのでは、むしろ魂が安らがないのではないかと思えてならないのだ。 最後に余談だが、筆者の紹介が文庫のカバーに簡潔に記されているのだが、 その記述の最後は「戦後、横浜市役所に勤務。昭和55年8月、同市副主幹 で退職」となっている。 どうやら、単行本を刊行した際の紹介文が、そのまま流用されているよう である。筆者はその後、どうなったのか。今でも御存命なのかどうかが、さ っぱり分からない。筆者の「まえがき」はあるが、後書きも解説も何もない ので、本書の周辺や筆者の詳細を知りたくても何も分からないのだ。 あまりにも不親切なのではないか。安易に過ぎるのではないか。せっかく の素晴らしい本なのに。 いずれにしても、本書の御一読を勧めるものである。 02/12/15 |