藤沢周平著『一茶』…/一茶『我春集』を読んで…





1.藤沢周平著『一茶』のはずが  

2.一茶『我春集』を読んでたら  

3.一茶『我春集』を読んでたら(続)  






1.藤沢周平著『一茶』のはずが

                
(04/07/21 up)







 過日、藤沢周平著の『一茶』(文春文庫刊)を読んだ。一茶とは、小林一茶の こと。
 小生は、近年、良寛とか小林一茶に関心を持ち始めて、ポツポツといった感じ で彼らの著書や彼らに関する文献を読んでいる。
 ただ、本書については、一茶についての文献というより、藤沢周平に「一茶」 の本があったんだと、二重の喜びを持って買い、読んだのである。
 そう、小生は藤沢周平の小説世界のファンなのだ。乏しい懐から、追々に藤沢 周平の全集を集めていくのが、これからの楽しみの一つである。
 藤沢周平自身、遅咲きの作家で、作家として経つに至るまで紆余曲折があり、 それなりの人生体験を積み重ねている。
 本書『一茶』の書評については、既にいかにもその世界に愛着を持っていると 感じられるものがあるので、そのサイトを紹介しておこう:
「天見文庫」「一茶」(藤沢周平):
 http://homepage2.nifty.com/s-amami/
 本書についてのまともな感触を得たい方は、ここから先は屋上屋ということに なる。

   この中で藤沢周平の作家に至る経緯と一茶の人生への藤沢周平の思い入れが簡潔に描かれている。同時にこの小説『一茶』の雰囲気や性格も感 じ取れると思う。
 とにかく、自分自身に翻って考えると、年をとるにつれ、芭蕉も西行も人麻呂 もいいし、彼らへの関心は持ちつづけると思うのだが、一方、良寛だとか一茶へ の関心が強まっているのを感じる。何処か、勝手ながら身につまされる思いで読 んでいるところがあるのだ。
 別に自分が晩年にあるわけではないが、人生の展望として少なくとも若くして 注目を浴びるということは、とっくに可能性として消えているし、老いて注目を 浴びる可能性も冷静に顧みるとないだろうと見極めている。
 それでも、これは誰しものことだと思うけれど、一度好きになった世界と縁を 切れるとは到底、思えない。というより、別に切る必要もないわけなのだ。
 自分が文筆の世界で身を立てることに限っては、難しいというだけで、自分の 好きな世界の片隅の、そのまた脇というか舞台の袖の裏で、自分なりにコツコツ やっていければいいのだと思う。
 そんなこんなを思う自分の今の感性が、良寛に親しみを持たせ、一茶の俳句の みならず彼の、かなりに土臭い人生に妙な親近感を抱かせてしまうのだ。
 数年前、例によって車中で読める本を物色していて、『一茶 父の終焉日記 お らが春 他一篇』(矢羽 勝幸:校注 岩波文庫刊)を書店で見つけ、車中で待機中 の折などにつらつら読んだことがある。この「父の終焉日記」の雰囲気をちょっ と味わってみるのもいいのかも:
 http://www.hi-ho.ne.jp/yama-wsb/issa/shuuen.htm
 などと書きながら、実は小生が良寛や一茶に一層親しみを覚える理由の半分近 くを語っていない。島崎藤村への関心も、小生が東京在住で、都内を点々とした 地域と藤村が一時的に居住した地区とが重なっていて、ああ、自分が歩き回った ところを藤村も(小生よりははるかに)方々を歩いていたんだ、と、妙な感動を した点がある(このことは縷縷、書いた)。
 良寛についても(北陸自動車道)、一茶についてもちょっとだけ似た動機があ るのだ。
 一茶の生地は長野県は信州信濃町の柏原なのだが、その脇を上信越自動車道が 走っている。小生は、昔は関越自動車道の長岡インターから北陸自動車道という ルートで帰省していたが、数年前から上信越自動車道を使っている。
 すると、たとえば、その道は藤村の故郷にも程近いし、彼に関係の深い千曲川 とも幾度となく接するし、さらに、黒姫野尻湖PAの近くに一茶の生地があると いうわけである。
 悲しいかな日程の苦しさもあり、一度もその近くにある信濃町インターを降り たことがないのだが、来年こそはと思っている。
 せっかくなので、「小林一茶の里」を見てもらいたい:
  http://www.ne.jp/asahi/zouwata/1/sunpo/0208kitasinsyu/issa/issa.htm

   さて、苦い人生への共感と書きながら、一方では最近、チェーホフやモーパッ サンを読み直している。チェーホフ文学の一見すると大陸的大らかさの孕む毒に ついていは、別の機会に譲るとして、モーパッサンも文学の毒っ気に当てられて いる。
 彼の作品には学生時代、圧倒されていた。高飛車な文学論も深い人生への反省 も彼の文学作品には見つけ難い。というより、彼にはそんな暇などなかったのだ ろう。若い日に従軍し経験した戦争体験も大きかったのだろうし、神経病から受 ける切迫感も強烈なものがあったのだろう。とにかく彼は書きまくったのだ。
 気が付いたら、とっくの昔に小生はモーパッサンの没した時の年齢を越えてい る:
 http://www.tabiken.com/history/doc/S/S157L100.HTM
 彼は自殺して果てている。上掲のサイトにあるように、「モーパッサンの本領 は,やはり短篇にあるといえる。それらにおいては,農民・下級官吏・兵隊・娼 婦などの生態が描かれており,ありふれた生活のなかに予期せぬ出来事がおこり, 悲惨な結末にむかうものが多く,ほとんどの作品に一種のペシミスムが漂ってい る。その創作態度は客観的・写実的で,ありのままの現実を簡潔明快な文章で表 現している」
 小生には彼の文学など到底、真似などできないが、ただ、唯一、ほんの少し共 感めいて感じるのはある種の切迫感だけだ。週に最低、一つは掌編を書かないと その週は何もしなかったように感じられてならないのである。
 だから、とにかく画面に向う。何を書くという当てなど、ない。あっても、そ の目論見が叶ったことなどない。まっさらの画面に向って、あるはずもない知恵 を絞って無理矢理に一行目を書き下ろす。すると、あとは、その一行目に引き摺 られるように書き進めていく。
 苦しいのは、一行目を書くまでだ。その一行というのは、ある種の錘のような もので、その沈められた海域が、ほのぼのとした恋愛風景だったり、子供の頃の 思い出風だったり、何かの悪夢がとぐろを巻く魔の領域だったりする。
 但し、必ずしもその海域は選べないのだ。選んだつもりになっても、一行目と 二行目の繋がり方次第で、つまり、海の表面の一見すると穏やかなはずの表情が、 ちょっと深く潜ると違う表情を見せる、その変化次第でどんな世界になるかが決 まる。潜ってみたら、グランブルーの世界かもしれないけれど、サメの待つ恐怖 の世界だったりするかもしれないわけだ。
 そうした世界には、自分には全く想像できない、場合によっては想像したくも ない世界が広がっている。
 そう、小生は虚構作品を書く場合、自分の経験や記憶などを一切、描かない。 思い出風、体験風の話であっても、あくまで風であって、描くのは虚構、つまり ある種の心の真実の風景だ。例えば、昨年の6月頃から、このサイトで80編ほ どの掌編を載せてきたが、実体験に基づくものは、二つあるかどうかだろう(そ の場合でも、一場面に差し挟んであるだけ)。
 というより、実体験に絡むものはエッセイで描く。自分の体験は、自分にとっ ては熱いもの、切実なものであっても、他人から見たらつまらない、淡白なもの に過ぎなかったりする。あるいは逆に切迫したものはエッセイでは書ききれない。
 で、掌編(虚構)において、その感情の面だけを抽出して、衣装は適当に誂え て描いていく。
 なんだ、じゃ、描かれている感情は、実体験に由来するんじゃないかというこ とになりそうだが、そこがまた違う。感情も、虚構された空間に見合った形で描 きながら自分の中の仮想の情念空間にバーチャルに仮構されるわけである。
 自分でも、一体、何を描いているのか分からない。だから、人に分かるはずも ないのかもしれない。何か感じるものがあればいいとは思うけれど、今はひたす ら書き殴る。文章の推敲をする余裕も何もない。推敲するくらいだったら、次の 作品世界に飛び込んでいく。

   一体、自分の本当の傾向というのは、良寛や一茶の人生や作品世界に憧れ共感 するものと、チェーホフやモーパッサンの毒っ気に当てられているほうとの、ど ちらが本当なのだろう。
 どちらも本当、というのが無難な言い方なのだろうけれど、その点の分析も、 文章の推敲と事情は同じで、いつか心のゆとりが出来たら、じっくり腰を据えて 試みてみたい、ということで後回しにしている。
 表題とまるで違う文章を綴ってしまった。しかし、これが嘘偽りのない実態な のだから、仕方がないということか。


03/09/21 記





2.一茶『我春集』を読んでたら

(03/10/27 up)






 日曜日の雨模様の長い午後、雨だれの音を聞きながら、退屈の徒然に小林一茶の 『我春集』を読むともなく眺めていた。
 すると、ある一句(「臼歌のわか松様もねたましや」一茶)の脚注に"「目出度目 出度の若松さまよ、枝も栄える葉もしげる。」(山家鳥虫歌)。"とあった。
 え、この有名な一節って、江戸時代のものなのと、素っ頓狂な驚きを覚えたので ある。
 で、早速、ネットで「山家鳥虫歌」を検索してみた。恥ずかしながら小生はこの 「歌」は全く知らなかったのである。
 相当に多くの関連事項が検索の網に引っ掛かった。例えば以下などである。

「詠むということ、謡うということ------------都々逸 2000「開放区」

 その一文に「都々逸→「山家鳥虫歌」→民謡→歌謡曲→(今や瀕死状態の)演歌 という系譜」という件(くだり)があった。知る人には常識なのだろうが、日本語 の歌を大切に思う人には、教養の底にしっかり抱かれている素養なのだろう。
 ちなみに、上記の一文に紹介されている都々逸を一つ、更に、明和年間に制作さ れたという「山家鳥虫歌」からも一つ紹介しておこう。

 夢になりとも 情はよいが 人のつらさを きくもいや

  咲いた桜に なぜ駒繋ぐ 駒が勇めば 花が散る

 幕末に活躍した高杉晋作が歌ったことで有名な歌「三千世界の 鴉を殺し 主と 朝寝が してみたい」も都々逸崩れだという。
 更に上記の「開放区」には、木遣りくずしも紹介されている。それが「目出度…」 の歌なのである。そうか、木遣り歌だったんだと、無知な小生は密かに納得し得心 が行った。
「開放区」には、梁塵秘抄も紹介されている。歌の遠い淵源に梁塵秘抄があるわけ だ。
 その梁塵秘抄については、以下のサイトを参考にしてもいいかな。

「[梁塵秘抄口伝集巻第十(その一)]

 なぜ、上記を参照するかというと、昔、小生が梁塵秘抄を初めて読んだ時、有名 な今謡の一つである、以下の歌が梁塵秘抄の中にあると知ったのだが、その歌が上 記のサイトにあったからである。

   遊びをせんとや生まれけん
   たわむれせんとや生まれけん
   遊ぶ子供の声聞けば
   我が身さえこそ揺るがるれ

   十年近くも昔、梁塵秘抄を初めて読み、それが後白河法皇の手によって編纂され たものということで、後白河法皇について、ちょっと調べてみたことがあった。が、 すぐに手を引いた。
 後白河法皇という日本の歴史の中でも怪物的存在は、あまりに巨大すぎて全貌な ど、小生の窮屈な視野にはとても入りきるものではないと、痛感したのである。法 皇の息子の娘、つまり自分の孫娘を己の閨(ねや)に入れて愛玩するなど、世間的 常識にどっぷり漬かった小生の神経にはとても堪えられる話ではない。
 昔は、そんなことは当たり前のことだったのだろうか。
 余談が過ぎた。
 近頃の若い人の歌にはとてもついて行けない小生である。歌謡曲や演歌全盛の頃 に思春期を迎えていたこともある。が、そうした歌も、作った人たちは、きっと前 代の財産を背負っていたのだろうと、思ったりする。
 とにもかくにも文学の伝統、そして歴史の奥行きの深さの一端を知る切っ掛けを 『我春集』は与えてくれたのだった。


01/09/30 記





3.一茶『我春集』を読んでたら(続)

(03/10/27 up)









 一茶の『我春集』を読んでいたら「頑固な老婆」という一節があった。
 上総の国の百首(ももくび=千葉県富津市竹岡の辺り)は場所柄、防人(さきも り=沿岸警備兵)の地として適しているということで、そこに幕府の陣屋(文化三 年、松平定信が江戸湾防備の目的で砲台を築き、陣屋を置いたのである)を築くこ とになった。
 そのために縄張り(縄を張って城の配置を決めること)をするのだが、生憎、縄 張りの一角の畠に邪魔になる家がある。
 主は老婆で、一人暮らしである。奉行は、その老婆に話し掛ける。
「汝は子供があるのか」
 すると老婆は「男の子が一人いる。けれど、故郷を捨てて、今は江戸の本所で髪 結いのまねをやっていると、風の便りに聞いている」と涙ながらに答える。
 奉行は言う。
「その男の子を呼び戻してはどうだ。何処か他の場所に二人で住める家を与えよう。 男の子には髪結いの正式なゆるし文も与えようじゃないか。どうだ、この場所を移 らないか。せっかくの天が与えたチャンスじゃないか」
「何を言うか。この土地は先祖より何代にも渡って住んできた土地じゃぞ。たとえ 大金を積まれても、命を断たれても他所へ移るものか」
 奉行は老婆の剣幕に押され「あとで泣くぞ」と言い残して去る。
 縄張りはその家を避けてなされた。

 その話を聞いた一茶は、愚か者は奉行のほうだと怒っている。一茶は元々農民な のである。
 その時、一茶がひねった一句が以下である。

 月さへもそしられ給ふ夕涼み

 この<月>というのは、奉行の比喩である。
 月日が流れて、千葉県の三里塚は政府の強権で一方的に土地を収奪され、今の成 田国際空港になった。それが今、また、羽田を国際空港にということで、揺れてい る。
 思えば、江戸の役人は横暴だったかもしれないが、現代の役人に比べれば、まだ ましということかもしれない。


01/10/01 記