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(03/04/27 up) 車中で寺田寅彦著の『柿の種』(岩波文庫刊)を読んだ。読み終えてから言うの も今更だが、こんな本を慌しく車中で読むんじゃなかったと、読み終えて後悔しき りである。 小生は科学者の随筆を読むのが好きである。最新の情報を与えてくれる今、活躍 中の科学者の随筆は、勿論、目配りをしておく。 けれど、科学ものとはいっても、新しいものがいいとは限らない。古くてもいい ものはいいのである。古いほうでは岡潔や朝永振一郎、湯川秀樹といろいろいる。 が、ほとんど枕頭の書となっているのは、六巻本の寺田寅彦の随筆集(岩波書店 刊)であり、中谷宇吉郎の八巻本の随筆集(岩波書店刊)である。 彼らを特に偏愛するのは、彼らが「かたち」や「質」に拘る繊細の精神の持ち主 たちだからである。 『柿の種』の解説を担当している池内了も述べているように、近年、ようやく科 学がその触手を従来は例外や汚れや役立たないものや趣味的だとして排除してきた 世界に伸ばしつつある(池内了氏については『科学は今どうなっているの?』(晶 文社刊)が今年読んで面白かった)。 科学は「転回」の時代に入っているのである。 これらについては、敢えて、年に一冊か二冊しか読まないようにしている。それ も読むのは秋も深まってから、大概は冬の夜長に読む。 が、随筆集は単行本であり、車中には不便である。すると、たまたま近所の書店 で寺田寅彦の随筆『柿の種』があるではないか。上掲の随筆集の中にも入っていな いようだ。早速、買い求めた。 さて、寺田寅彦については(中谷宇吉郎についても)敢えて紹介するまでもなく、 多くの方が御存知であろう。 そこで、小生が下手に『柿の種』について説明するより、少し、一節を引用して みたい。 脚を切断してしまった人が、時々、なくなっている足の先のかゆみや痛み を感じることがあるそうである。 総入れ歯をした人が、どうかすると、その歯がずきずきうずくように感じ ることもあるそうである。 こういう話を聞きながら、私はふと、出家遁世の人の心を想いみた。 生命のある限り、世を捨てるということは、とてもできそうに思われない。 (大正九年十一月) 風呂桶から出て胸のあたりを流していたら左の腕に何かしら細長いものが かすかにさわるようなかゆみを感じた。女の髪の毛が一本からみついている らしい。右の手の指でつまんで棄てようとするとそれが右の腕にへばりつく。 へばりついた所が海月(くらげ)の糸にでもさわったように痛がゆくなる。 浴室の弱い電燈の光に眼鏡なしの老眼では毛筋がよく見えないだけにいっそ う始末が悪い。あせればあせるほど執念深くからだのどこかにへばりついて 離れない。そうしてそれがさわった所がみんなかゆくなる。ようやく離れた あとでもからだじゅうがかゆいような気がした。 風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい。 (昭和十年九月) 別に特に典型的なものを例示したわけではない。特に後者は、やや異質な部類に 入るだろう。でも、後を引くので、つい挙げてみたのである。ちなみに寺田寅彦は 昭和十年に亡くなっている。 最後に寺田寅彦の句を『柿の種』から紹介しておこう。 哲学も科学も寒き嚏(くさめ)哉 粟(あわ)一粒秋三界を蔵しけり 01/09/27 20:43 |