吉野秀雄著『良寛』/栗田勇著『良寛の読み方』の中に…




1.吉野秀雄著『良寛』  

2.栗田勇著『良寛の読み方』の中に…  






1.吉野秀雄著『良寛』

(04/10/12 up)





 良寛を巡る本を読むのは一年余りぶりである。昨年の9月だったかに、栗田 勇氏著の『良寛の読み方』(祥伝社黄金文庫刊)を読んでいる。

 今度、本書「吉野秀雄著『良寛』(アートデイズ刊)」を読むのは半分は偶 然である。神奈川近代文学館で「<収蔵コレクション展6>中島敦文庫」が開 かれているということで、久しぶりに中島敦の人柄や業績やに触れてみたいと 近代文学館に赴いたのである。
 中島敦展については既に触れたので、詳述しない。
 するとそこで「生誕100年記念展 歌びと 吉野秀雄」が併催されていたの である:
 http://www.kanabun.or.jp/yoshino.html
 小生は吉野秀雄(1902〜1967)については歌人であることくらいしか知らず、 彼の業績など知る由もなかった。念のため、小生自身のためにも、吉野秀雄に ついて簡単な紹介を:
 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/stroll/culture/yoshino.htm
 中島敦については高校時代の現代国語の教科書(「山月記」)以来、馴染み でもあるし、何冊かの文庫本のあとがきなどで多少の知識がないわけではなか ったが、吉野秀雄については全くの未知の人だった。
 それが、「生誕100年記念展」で吉野秀雄の数々の写真や墨蹟などを見て いくうちに、段々吉野秀雄に惹かれていく自分に気づいたのである。結核に苦 しみつつ、妻や子供を愛しつつも、歌に生き歌に死んだ歌人なのだ。病魔に倒 れたため、特定の歌人に直に学ぶこともできず、何処かの集団に加わることも せず(できず)、独立独歩で歌を学び自分の世界を作り上げていった。
 それはちょうど、吉野秀雄が傾倒し、勝手に師事した会津八一のようでもあ った。ここでは会津八一(1881〜1956)に深入りしないので、以下を参照のこ と。ただ、会津八一が新潟生れの人であることだけは注目していいかもしれな い(ちなみに、小生はペンネームに弥一を使うことがあるが、最後まで八一と どちらにすべきか迷った。挙げ句、会津八一に敬意を表して、小生は弥一とい う表記を選んだ):
 http://pro3.project.mnc.waseda.ac.jp/sobun/a/aa001/aa001p01.htm
 病に苦しみつつも酒を愛し、人生を愛し、歌に生きつつも、生涯の大半を療 養の床で過ごした吉野秀雄が、信奉したのは正岡子規、会津八一、良寛だった。 しかし、いずれも実際に(過去の人ゆえ)会えないか、自らの病の故に会えな い人たちでもあった。
 吉野秀雄のデビュー作は、最愛の妻・はつ子の死を巡る「短歌百余章」であ り、これは、「学生の時から将来を約束し、発病後も吉野を支え続けた妻・は つ子を、昭和19年戦時下に亡くし、この人生最大の悲しみに対する自己救済か ら妻の死の前後を歌に詠」んだ作品集だった。この歌集は、のちに有名な『寒 蝉集』に収められる。
 さて、会津八一らに師事していた吉野秀雄は、やがて良寛の世界に魅せられ てくる。良寛については、名前は有名だし、あまり知らない人でも「一休さん」 ほどではないにしろ、「良寛さん」と親しみをもって呼ばれるのを目にする機 会が、一度や二度はあったのではないか。
 幸い、小中学生向きに紹介された「良寛百態」というサイトがある。小生に も十分楽しめるないようだった:
 http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/ryoukan/ryoukan.htm
 その中の「襲われる良寛」など、逸話の数々は読んでいて実に楽しい:
 http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/ryoukan/ryoukan8.htm  あるいは年若な尼さんの貞心尼とのラブロマンス(?)は微笑ましいし、良 寛の人間味を尿実に表しているようだ。二人の出会いは、「文政九年(1826)良 寛六十九歳、貞心尼二十九歳の時のこと」だそうな:
 http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/ryoukan/ryoukan19.htm
 この二人の交流を詳しく知りたい方には、「良寛と貞心尼」なるサイトもあ る:
 http://www2.tokai.or.jp/mm/

 このサイトの素敵なのは話が分かりやすいことと(そりゃそうだ、小中学生 向きに書いたというのだから。ちなみに著者は、挿絵も含めて、本山富尚氏で ある)、どこか童話風な話の終わりに歌が添えられていることである。歌はど れも実に分かりやすいものであり、素晴らしいものばかりである。人口に膾炙 しているものもあるだろうし、膾炙してほしいものもある。
 但し、「襲われる良寛」に引用されている「遊びをせえんや生まれけん 戯 れせえんや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動(ゆる)がれる」 は、良寛の歌ではない。なのに引用元が示されていないのは、相手として小中 学生を想定しているとはいえ、ちょっと不親切なような気がする。
 但し、出典もとの「梁塵秘抄」は下記のようで、幾分、多分、良寛さん自身 によって変容されている。良寛の歌に成っているというべきなのか。うーん、 ちょっと悩ましい(もともと、本山富尚氏が何処から引用されたのかも分から ないのだが)。
 遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそゆるがるれ

 良寛さんに親しむには数々の本がある:
 http://www2.neweb.ne.jp/wc/kokodo/ryokankai/syoseki.htm
 なんと、「全国良寛会」があり、その公式ホームページもある:
 http://www2.neweb.ne.jp/wc/kokodo/ryokankai/index.htm

 さて、良寛さんについてもっと本格的に知りたい。肝腎の彼の歌に親しみた いという方には、以下のサイトが相応しい「良寛千人万首」:
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ryoukan.html
 これは「やまとうた」というサイトのものである:
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html
 ちなみに、上掲のサイトで紹介されている良寛の歌は、吉野秀雄校註による ものとのことである。

   小生が良寛に親しみを感じるのは、「良寛百態」に示される逸話の数々をお ぼろげながらにも聞きかじっているからだろうと思う。いつかしら親しみを覚 えてしまっているのだ。
 そして、今回、吉野秀雄氏著の『良寛』を読んで感じたことは、小生自身、 「万葉集」に親しみを感じているからだと思う。というより、小生は「万葉集」 から未だ一歩も先に進んでいない。たまに「古今集」や特に「新古今集」を齧 ると、なんとなく違和感を覚えてしまう。何か現実と乖離した技巧的な臭いを 感じ取ってしまって、親しめないし、歌の世界に無条件に浸れないのである。
 良寛自身は漢籍を初め、歌集の数々を自家薬籠中のものにしている。彼は記 憶力抜群の人なのだ。「万葉集」にしても歌の数々を覚えているというだけで なく、良寛さんの体にまで染み透っているのだ。
 だから、歌を良寛さんが歌っても、つい万葉集の歌の余韻が強烈に響いてく る。しかも、良寛さんの凄いのは、万葉集が教養・素養としてあるのではなく、 あくまで良寛さんの生活実感に即している。いわゆる歌人という時の取り澄ま したような、高尚ぶったような気味など毛頭ない。海の向こうの母の生地で ある佐渡を眺めつつ、新潟という雪深い地で生活する人間臭さのたっぷり漂う 歌が万葉集的な色彩を自然に帯びつつ謡われているのである。
 以下に示すのは決して、良寛さんの最良の歌というわけではない。いい歌は、 上掲のサイトで数多く見ることができる。こんな歌も歌ったのだという例とし て挙げるのみである。彼の生涯の持病を、これまた自然に謡っている、そんな 面も決して意外ではない、平気で謡ってしまう良寛さんだと知って欲しいだけ のことだ:

 言(こと)にいでていへばやすけしくだり腹まことその身はいや堪えがたし

02/12/11 記






2.栗田勇著『良寛の読み方』の中に…

(01/09/16 up)
 

 今、車中での待機中に栗田勇氏著の『良寛の読み方』(祥伝社黄金文庫刊)を 読んでいる。昭和60年に刊行された本の文庫版である。
 小生は四半世紀以上も昔だったか、栗田勇氏については、同氏著の『一遍上人』 を読んだことがあるだけである。近くの小さな書店で何か、車中で読むに適当な本 はないかと探していたら、昔読んだ『一遍上人』の文章が印象的だったので、久し ぶりに栗田氏に対面するかと、他の本と併せて購入したのだ。
 同氏に限らないが、一遍上人も、良寛も、いろいろ伝えられることが多いのでは あるが、しかし、実像を知るには、やはり正確なところは分からないままである。
 勢い、そうした偉人への思い入れの念を表出することに終始することになる。そ れは仕方ないことかもしれない。当方も、それを承知で読んでいるわけでもあるし。
 また、実際、文中に一遍や良寛の漢詩文などが引用されているので、筆者の読解 とは別に、自分なりの解釈も試みられないこともない。
 良寛については、少なくとも伝記的な一面は少しは知ることができる。何しろ江 戸も終わりの頃の人であるし(1757/8−1831)。
 大きな庄屋の嫡男として生れながら、後を接ぐことを拒否し、仏門に志し、道元 禅師に傾倒するも、同門の連中に失望し、また、自身、仏門に集中するには、邪念 が多く、また、もっと庶民に近く接することを求める念も強いことを彼は自覚して もいた。
 彼は長い放浪の果て、郷里である新潟の荒磯に帰る。が、家に帰ったわけではな い。家は弟が継いでいるのだが、あれこれトラブルを抱えていて、その渦中に入る ことを潔しとしないのである。
 彼は仏門の修行にも徹底できず、かといって、世俗に塗れることも、できない。 非僧非俗の境で迷いつづけるのである。僅かに、子供との交流の中に救いらしきも のを見出す。子供等との鞠をついての遊びに打ち興じるのである。
 遊びに熱中する、その喜びの中に邪念の付け入る余地のない、宗教的救いを、救 いの代替的境地を得るのだ。
 決して偉人ではなく、むしろ中途半端な己に生涯、苦しみ迷う姿。そこに多くの 人は親しみやすさ、懐かしさの念を覚え、共感する。
 ところで、この『良寛の読み方』の中で、小生も懐かしい詩の一節に再会した。 それは宮沢賢治の詩、「永訣の朝」の中の一節である。

 あめゆじゅ とてちてけんじゃ(あの雪を取ってきてください)
 Ora Ora de shitori egumo(私は私で独り死んでゆきますから)

   まだ、半分余りを読んだだけなのだが、書中に引用されていたこの詩の一節に今 ひとたび、出会えただけでも、小生には至上の恵みであった。
 妹の孤独、妹のやさしさ、兄への思いやり、死の床の静けさ、窓の外の雪明り。 あの雪を取ってきてもらう間に、私は私で独り死んでゆく…。死ぬ瞬間を兄にも見 られたくない。死に直面して、取り乱す自分を兄に見られたくなかったのだろうか。
 それとも、悲しみに沈む兄を見たくなかったのだろうか。
 雪を取ってきてくださいというのは妹の最後の我が侭。でも、それが思いやりで もあることに兄は気付かないわけにいかないのだ…。

01/09/16 記