大岡 信氏著の『抽象絵画への招待』
あるいはヴォルスに捧げるオマージュ(1)

付:大岡信『「忙即閑」を生きる』を読んでいて

 

                                            (03/07/19 up)






 一番好きな画家(銅版画家なども含める)は誰かと聞かれると、人それぞれに 誰彼の名前を挙げることだろう。ムンクやカスパール・ダヴィッド・フリードリ ッヒ、ホアン・ミロ、フォートリエ、ジャン・デュヴュッフェ、ジョルジュ・ラ トゥール、フェルメール、等々と上げることができる。造形も含めると、ハンス・ ベルメールなどの名もつい、口を突いて出る。
 何人も挙げていいというのなら、このようにすらすらと名前が思い浮かぶ。  しかし、答えが一人に絞られるとなると、話は違う。誰しも答えに窮するに違 いない。
 小生もパウル・クレーか、それともヴォルスかで、かなり迷う。迷って当然だ ろう。芸術の世界に序列などないし、それぞれの作家がそれぞれの作品宇宙を構 築しているわけだし、また、その作品を見る自分の感性や、作品を見る時の自分 の精神状態などにも左右される。
 それでも、どうしても一人ということになると、小生の場合はさんざん逡巡し た挙句、やはりヴォルスということになるだろう。

 彼の本名は、アルフレッド・オットー・ヴォルフガング・シュルツェ(Alfred  Otto Wolfgang  Schulze)という。その頭文字をとってWoIsヴォルス(1913 ―1951)としたわけである。
 最初にヴォルスの作品はどのようなものか、多少なりとも見ていただくのが筋 だろう:
 http://www.gallery-kawamatsu.com/wols_jp/wols_1.html
 ここにはモノクロ銅板画の作品しか示されていないが、これだけでもヴォルス の真骨頂は感じ取られるものと小生は思っている。
 まず、あるサイトで見つけたヴォルスについての簡潔な解説を引用しておく:

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 ドイツ出身の画家。アンフォルメルの代表的な画家で,その尖鋭的な抒情的 抽象表現は、すでに記号的行為主義を予告している。1913年,ベルリンに生ま れる。ワイマール共和国官僚の父親は音楽と美術を愛好する教養人で,当時ま だ評価の定まらなかった,バウハウス系画家の作品を所蔵していた。ヴォルス はデッサウのバウハウスに通いクレーに師事する。1932年,パリに移り,写真 撮影のかたわら,絵画制作も試みる。1937年,パリのレ・プレイヤード画廊で 写真展を催し,初めてヴォルスと名乗る。1939年,敵国人として各地の戦時収 容所を転々とするが,デッサンに励む。1947年,パリのドルーアン画廊で開催 した個展が評判となる。1951年,シャンピニー・シェル・マルヌにて歿。  ヴォルスのアンフォルメルについて考察する時,まず念頭に置かなければな らないのは,第二次大戦の悲劇がいかに彼の芸術を中断させ,戦後それがいか に再出発したかということであろう。混乱と荒廃の中から生まれた,戦後最初 の美術運動はアンフォルメルであったが,それは既に1930年代半ばに逼塞した 状態になっていた形象的シュルレアリスムでも,メソッドを旗印とした構成的 抽象主義を受け継いだものでもなかった。寧ろヴォルスの絵画に代表されるア ンフォルメルは,それらに反抗しながら,表現行為と同じ起源の領域に意味の 表現の問題を置き換えたものであったのだ。収容所に抑留されていた時代から, 洒に溺れ始め,戦後はアルコール中毒に侵されていたヴォルスは,「最後の呪 われた画家」としてボヘミアン的な数々の奇行による伝説を生んだが,まず行 為そのものが問題となる彼の芸術にとっては,神話は必要条件であったに違い ない。そしてヴォルスを積極的に評価したのは、サン・ジェルマンデ・プレの 実存主義哲学者たち、とりわけサルトルであったことも又頷けよう。ヴォルス にとっては何を表現するかというのではなく、体験の場全てが絵画であった。 すなわち,実存的な現実に対して断固たる警告を発する手段であったのである。
 http://www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/catalogue/ohara_20/ta.htm

 ここで参照された文献は以下のとおり:
●高階秀爾「ヴォルスの場合 現代美術の解剖8」『美術手帖』177 1960.8
●大岡信訳編「ヴォルスの言葉」『みづゑ』711 1964.5
●『ヴォルス展』図録 北九州市立美術館1980
 アンフォルメル:
 http://www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/catalogue/ohara_20/informel.htm
 バウハウス:
 http://www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/catalogue/ohara_20/bauhaus.htm
 シュルレアリスム:
 http://www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/catalogue/ohara_20/surrealisme.htm

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   ヴォルスについてのより詳しい経歴などは、黒岩恭介氏の解説を御覧戴きたい:
 http://www.city.kitakyushu.jp/~k5200020/j/binomori/24/wols.html

 その名も『ヴォルス』(滝口修造・ハフトマン・サルトル・ロッシェ著、滝口 修造・粟津則雄訳、みすず書房刊)という豪華本が64年に出ている。小生とし ては再刊を望んでいるところである。
 本書の中では、ヴェルナー・ハフトマンによる「ヴォルス、その生涯と作品」 やアンリ=ピエール・ロッシェの「ヴォルスの思い出」などを読むことができる が、圧巻なのはジャン=ポール・サルトルによる「指と指ならざるもの」という ヴォルスへ捧げたオマージュだろう。
 その中の冒頭の一節と末尾近くの一節、さらに末尾の一節を引用しておこう。

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 私は1945年にヴォルスと相識った、頭は禿げ、持物と言えば酒びんに頭陀袋 だった。その頭陀袋には、世界すなわち彼の関心が入っており、びんのなかに は彼の死が詰めこまれていた。彼は以前は美しかったのだが、もうその頃はか つての面影はなかった。当時33歳だったが、そのまなざしに輝く若々しい悲し みのかげがなければ50歳と思われたことだろう。誰もが――誰よりもまず彼自 身が――とうてい長生きはできぬと思っていた。彼自身ごく何気ない口調で何 度か私にその話をしたが、それはただ自分の限界をはっきりさせておくためだ った。未来へ投げかける計画など、ほとんど何ひとつ心に抱いていなかった。 これは、瞬間のうちなる永遠として、絶えずおのれを繰返す人物だった。彼は、 つねに、一挙に、全体を語るのだ。次いで、新たにまた、全体を語る、だが今 度は別の語りかたで語るのだ。それはちょうど、

 繰返されることなく繰返される
 港のさざ波

のようなものだ。

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 指が指でないことを示さねばならなかった。ヴォルスは、指ならざるものに よって、見事にそのことを証明した。この点で彼は、彼が強い影響を受けた超 現実派と異なっている。彼らにとっては、絵画と詩とはただひとつのものだっ た。《ぐにゃぐにゃの時計》を描こうが、《とける魚》や《バターの馬》を書 こうが、結局それは同じことだった。周知のように、彼らは題名を重要視した。 彼らの最良の作品においては、われわれの夢の夢幻的世界を規定するあの語呂 あわせ的な言葉の連なりのように、キャンパスと絵具とのあいだを言葉が動き まわっている。言(ことば)が主なのだ。ヴォルスの卓越性は、彼のグワッシ ュにおいては物は名づけえぬものだという点にある。つまり、物は言語の権限 内にはおらず、描く芸術が文学から完全に解放されているという意味だ。彼の 絵の題名は、対象を示しているのではない、対象に同伴しているのだ。

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…ヴォルスが、まだ何かを物語っているかぎり、彼はわれわれを説得するため に、対象の日常身近な外観に頼っている。だがそののちは、美しいものという、 唯一の、だが不断の明証があるばかりだ。彼のグワッシュで一枚として美しく ないものはない。だが、この絶対的な目的は、彼には手段として役立っている。 と言うより、彼がひそかにそれをひとつの目的と認めているとしても、それは、 まず最初にそれを引下げて、利用しているからだ、それを、恐怖の持つ本当ら しさとしているからだ。ヴェルナー・ハフトマンがこれらのグワッシュを《ナ ポリやモンテ=カルロの水族館で(見られる)嫌悪すべき美をそなえた生物》 に比しているのはまったく正しい。ヴォルスにおいては、嫌悪こそ美であり、 それは悪の花であってけっして裏切りではない。つまりそれは、逃げ出しもし なければ、何ひとつ和らげもしない。それどころか、逆に、苦悩を深めるのだ、 なぜなら、美とは物の実体そのものであり、その種子役であり、存在の凝集力 だからだ。すなわち、諸形態の厳密な統合と、それらの甘美にして不可思議な 色彩とは、われわれの堕地獄の強化を、そのつとめとしているのだ。

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                                            02/03/24 06:53





ヴォルスに捧げるオマージュ(2)






 さて、小生がヴォルスを知ったのは、そんなに古いことではない。多分、大岡 信氏著の『抽象絵画への招待』(岩波文庫刊、1985年)を通じてのことだったは ずだ。その前にヴォルスの名に接したことがあるかどうか、記憶に定かではない。 仮にあっても、印象には残らなかったことは間違いない。
 恐らくは上掲書を読んだ頃、小生はようやくにしてポロックなどの抽象表現主 義に惹かれ始め、あるいはデ・クーニングやハンス・アルトゥングや、フォート リエ、デュヴュッフェ、A・タピエス、堂本尚郎、元永定正、麻生三郎、加納光 於、難波田龍起らの世界に親しみ始めたように思われる。
 それまでもアンフォルメルの世界は知っていたはずだが、今一つ、感覚的にピ ンと来ることがなかった。むしろ幻想性の高いもの、あるいはムンクやギュスタ ーブ・モロー、クリムト、エゴン・シーレなどのように何処か病的な感性を感じ させる作家たちで関心は満たされていた。
 それが何故、80年代の半ば頃、急に抽象作品やアンフォルメルの世界に浸り始 めたのだろうか。そうした世界に自分が親和するように感じられてならなかった のは、何故なのか、自分でも分からない。
 ただ、何か世界の中で自分が孤立している、そんな不安感が強まった時期であ ることだけは言えるかもしれない。80年頃から、サラリーマンの世界に自足して いたし、自分はそれで世界は閉じられている、その中で安閑とまではいかなくて も、不安の念が萌したり、まして世界に亀裂を見たり、世界の中でモノどもがこ の私より遥かに自己主張してくるだろうなどとは予想だにしなかった。
 自分が会社の中で窓際族になるとは夢にも思わなかった。
 というより、あるいは自分の中の世界への違和感が、結果として己の孤立を招 いたのかも知れない...。
 自分が融けていく。というより、固い殻に自分が守られているはずだったのが、 気が付いたら殻が裂けてしまっており、その中の身たる己が、ドロドロの粘液以 外の何ものでもなく、その液体が外界へと漏れ出し始め、逆に外界の浮遊塵が殻 の中の肺腑に浸透し、世界は輪郭を失ってしまったのだった。ちょうど砂嵐状態 のテレビ画像の人影のように。
 私は、その頃から、他者と区別する形も、他者と境界を画する敷居も見失い、 私は道端にだらしなく転がる古びた自転車か、それともブロック塀の脇に投げ捨 てられた空き瓶になった。否、空き瓶から剥がれ落ちそうな薄汚れたラベルなの だと気付いたのかもしれない。
 世界の中のあらゆるものがとんがり始めた。この私だけが私を確証してくれる はずだったのに、突然、世界という大海にやっとのことで浮いている私は、海の 水と掻き混ぜられて形を失う一方の透明な海月に成り果てているのだった。
 私だけが丸くなり、やがて形を失ったのだ。
 ならば、一体、この私の存在を確かなものとしてくれるのは、何なのか。そも そも何かあるのだろうか。私は裏返しになってしまい、途端に消えてしまったの である。
 残ったのは、影でさえない。
 あるのは吹きすぎる風。湖面の細波。車に噴き上げられる塵埃。落ちることを 忘れた黄砂。消しきることの出来ない半導体のバグ。磨きたてられた壁面の微細 な傷。白いペンキで消し去られたトイレの落書き。どこに私がいるのだろう。そ れとも、そのいずれにも私がいるのだろうか。
 ヴォルスの抽象的で、それでいて生々しい線刻の乱舞。それは生への嫌悪であ ると同時に生への恐怖。確かにサルトルの言う通りなのかもしれない。
 けれど、嫌悪とは、依然として一種の自己主張の名残なのではなかったのか。 嫌悪の裏側には、ある種の望みなき救いへの祈り、悲鳴という名の肉声の形に凝 縮された祈りが隠れ潜んでいるのではないのか。
 私はヴォルスの多次元なまでに舞い狂う線描の突端へと駆け寄りたいのである。 いつの日か寄り添いえた暁には、パウル・クレーとは違った意味での、心と体の 慰撫という幻視がありえるかもしれないのだ。


                                            02/03/24 07:14






大岡信『「忙即閑」を生きる』を読んでいて


                                        (03/08/25 up)





 車中の閑の徒然に、読みやすいエッセイをということで、近所の書店で見つけた 大岡信著の『「忙即閑」を生きる』(角川文庫刊)を読んだ。
 大岡信については、特にファンでもないし、彼の著書も数冊も読んだかどうかだ。 ただ、以前、朝日新聞の第一面左下に長く掲載されていた「折々のうた」は、必ず 目を通していた。
 もう、十年近く前になるかもしれないが、「折々のうた」にちなむ講演会が開催 された時も、わざわざ足を運んだのだから、やはり少しは彼に惹かれていたという べきなのかもしれない(そういえば、もう使わなくなったとかで、講演の終了後、 会場の出口で配布していた二百字詰めの原稿用紙を未だ所蔵している)。
 この一文を綴り出して思い出したのだが、彼の著した『抽象絵画への招待』(岩 波新書刊)は、1985年に出るとすぐに買い、少なくとも三度は通読している。 そうだ、小生には大岡信は、詩人である前に抽象絵画の世界への水先案内人だった のである。
 絵画の世界には中学の頃に銅版画を刻む魅力を覚えて以来、関心は抱いていた。 高校時代には美術の先生の影響なのか、シュールレアリズム風の絵画(キリコやダ リとか)に興味を覚えたものだった。そういえば、同級生の中に後年、絵画の研究 者になった奴もいたな…。
 もしかしたら彼の独特な風貌と、美術の授業で彼の描く奇妙な絵画に一層、刺激 を受けていたのかもしれないと、今にして思う。
 やがてエゴン・シーレやムンクやギュスターブ・モロー、フリードリッヒやミロ やと、坂崎乙郎(『夜の画家たち』講談社現代新書など。彼は早世に近い亡くなり 方をされた。実に惜しい)や澁澤龍彦やマリオ・プラーツ(『肉体と死と悪魔』国 書刊行会)らに導かれて、ややデカダンに渡る文学を含めて、更に絵画世界を渉猟 していったものだった。
 それでも、既に学生時代当時は流行はとっくに終わっていたはずの抽象表現主義 や生の芸術(アール・ブリュ)には開眼しきれていなかった。フォートリエとかデ ュヴュッフェ、ヴォルス、サム・フランシス、フランシス・ベーコン(かの哲学者 フランシス・ベーコンの末裔である)、ポロック、堂本尚郎、元永定正、など等に 惹かれるようになったのは、やはり上記の大岡信の著書を契機にだったような気が する。
 むしろ、だから朝日新聞の「折々のうた」も欠かさず読むようにしていたのかも しれない。それなのに小生は、全く、彼の本業である詩には手を出さなかった。ど うも、やはり小生は心底、詩とは無縁な輩なのかもしれない。
 それどころか、今、ふと思い出したのだが、そういえば、図書館で何かの詩の本 を繙いたことがあったような気がする。にもかかわらず何の印象も残っていないこ とからして、小生の鈍感な感性には、彼の詩の世界は触れ得ないものとして終始し てしまったと断じるしかない。
 むしろ、小生のような文学や芸術を聞きかじり、食いかじりしている人間には、 詩をきっちり勉強し究める彼は、眩しく遠い存在だということかもしれない。
 たとえば、小生は辻邦生のエッセイが好きである。彼の小説は『夏の砦』や『西 行花伝』などを読んでいて、それなりに感心はしたが、どうしても浸りきることは できなかった。どうにも感受しきれない美意識があって、小生は受け付けることが できなかったのである。
 にも関わらず辻邦生のエッセイを折々に読むのは、彼が文学を大学の先生として、 これまたきっちりと勉強しておられるからである。この系統だった研究姿勢という のは、小生には一番無縁な、鬱陶しいものなのだ。けれど、文学や芸術を好きとい うのなら、一度はどっぷりと研究する時期を経験すべきなのではという、何処か卑 屈な、けれど、殊勝な気持ちがあるからなのに違いない。だから、そうした一方で は学者的に体系だって素養を収めておられる方には、敵わないなという気がするの だ。
 今に至るも小生は詩にはトンと縁がない。僅かに宮沢賢治やら前田夕暮などを齧 り読みするくらいのものだ。小生の頭は何処までも散文系に出来ているんだなと、 つくづく思う。それとも注意散漫系と言うべきか。
 おっと、大岡信の短文集から随分、脇道に逸れてしまった。まるで小生の人生の ようだよ。


                                        01/12/01 23:59