(04/06/24 up)
白川静氏については、既に『初期万葉論』(中公文庫刊)についての感想を書
いた際、大体のことを書いている。
ある意味で、彼の本業である「『字統』『字訓』『字通』の三部作」の中身に
触れていないので、何も語っていないに等しいが、小生の限界を超える以上は仕
方がない。誰かが彼の仕事の凄さを説明するという役目を果たしてくれるだろう。
さて、小生は、白川氏の『初期万葉論』を読んだのは、その目的の大半が柿本
人麻呂への関心に契機があったと書いた。
それゆえ、『後期万葉論』となると、もう、柿本人麻呂から離れるのだから、
関心をもてないだろうと思っていた。
ところが、本書もやはり実際に柿本人麻呂への言及がある以上に、彼の不在以
後の万葉集が、いかに寂しいものかを明確に浮き彫りにすることで、逆にまた柿
本人麻呂の凄さが際立つ結果となっているのである。
それが白川氏の意図だと言うわけではないのだけれど。
言うまでもなく、今日伝わる形での『万葉集』は、大伴家持の手になるもので
ある。彼は小生の郷里である富山(の主に高岡)に深く関係する人物ということ
で、それなりに贔屓にしている。富山の風物を歌にしてくれているので、富山が
古くより文学的土壌を持つ機縁にもなってくれた人物なのだ。
だから、小生に彼への感情移入があっても仕方がない。
けれど、覚束ないなりに歌を玩味すると、やはり柿本人麻呂の凄みばかりに関
心が向いてしまうのは仕方ないのだろう。また、彼に比べると、大伴家持の歌の
才はかなり見劣りがする。
特にそれは長歌で顕著に感じられる。柿本人麻呂の神の領域に厳しく面前し、
その垂直の高みから歌い上げる長歌は、それを口にして歌うと、言霊という、仰
々しくて小生は嫌いな言葉・表現を使わざるを得なくなってしまう。そんな呪力
のようなものを柿本人麻呂の歌世界には篭っていて、小生のような鈍感なものを
も厳粛な気分にさせるのだ。
それに引き替え大伴家持の長歌の平板さ。
が、一家の頭目として政治の煩わしさに関わらねばならない労苦もあったのだ
ろう、それゆえ、歌の感性があったにしても、世俗の厳しさと実務の煩瑣に神経
が磨り減らされてしまったのだろうと、それでも贔屓目に小生は同情するのだ。
彼が生涯のうちに作った約470首の歌のうち、その半数近くは富山でのもの
である。鄙の地への左遷に近い境遇にあって、数多くの歌を作ったのも、その頃
は彼は未だ若かったからなのだろう。
やや年を重ねると、(少なくとも記録に残る形での)作歌は乏しくなる。
それでも、白鳥の歌とでも言うのか、詩想が涸れるのことに本能的な危機感を
覚えたかのように、誰もが名歌だという歌を奏でた。鶯かひばりが喉から血を噴
きつつも歌うような思いだったのかどうかは分からないが:
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯(うぐいす)鳴くも
我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも
うらうらに照れる春日にひばりあがり情(こころ)悲しも独りし思へば
俗に言う「春愁三首」の歌である。
例えばこのうちの「うらうらに…」の歌については、白川氏も絶賛している:
「雲の中に姿を没して、身を顫(ふる)はせて啼くものは、彼自身の姿ではないか。
それは狂おしいほどの、自己投棄の歌ではないか。これほど没入的に、自己表象
をなしとげた歌は、中国にも容易に見当たらないように思う。」
大伴家持については、彼を絶賛する評論家・学者の言葉を集めたサイトがある:
「大伴家持の世界」の中の、「オマージュ」である:
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/hommage.html
さて、本書は別に大伴家持論の書ではない。彼が『万葉集』を編集したし、自
らが重要な歌人として関わっているから言及の対象になっているだけである。む
しろ、表記法を含めた、歌の成り立ちの秘密に迫ろうとした書なのだ。
やはり大本は中国の宮中にあると白川氏は見る。宮中での宴席などで歌人が漢
詩を朗々と歌う、その風習が日本に伝わっていると考える。だからこそ、歌なの
だ。
本書で強調されている見方を示唆深いと思う人も多いのではないか。あるサイ
トの説明を借りよう:
「白川氏は、「大化前から地方族長が宮廷儀礼の場で、忠誠誓約の意味をもって、
詩歌や風俗歌を奏する伝統」(土橋寛「万葉集の文学と歴史」)があった、とい
う論を引用した上で、「中国でも『詩経』などが宮廷で演奏されることがあった」
という説を展開しておられる。」
これは、「長沼節夫のチョーさん通信」というサイトの中の、「57577の
ミッシング・リンク」からの引用である:
http://mindset.jp/~shikibu/essay/essay0206.html
何故に、「57577」なのかを不思議に思った経験を誰しも持ったことがあ
るのではなかろうか。神話の上では、須佐之男命が、「八雲立つ出雲八重垣妻ご
みに八重垣作るその八重垣を」と歌ったのが短歌第一号だとされるという。
この須佐之男命というのは、「水野佑氏の『古代の出雲』によると、「新羅系
帰化人が斎き祭った神」なのである」と「金達寿著『古代朝鮮と日本文化』」の
感想文の中で述べたとおりである。
表現方法の上では、中国の文化を背負った朝鮮渡来の人々の手になるのだろう。
ただ、そこに古来からの日本的な語調や抑揚や発声法の類いが何処まで基盤とし
てあるのか、それは依然として謎のままなのである。
03/04/15 記