白川静『初期万葉論』/『後期万葉論』





1.白川静『初期万葉論』雑感  


2.白川静『後期万葉論』雑感  





1.白川静『初期万葉論』雑感

(03/04/14 up)





 白川静という名前を目にした方は多いと思われる。
 彼の業績の一端として、「白川静著作集(全12巻)」のタイトルを見るだけ でも、その業容の凄さが分かろうというもの:
 http://www.ritsumei.ac.jp/kic/lt/cl/shirakwa/cskshu.htm
 ま、簡単に説明すると、「白川氏は中国の甲骨文字を研究し、独自の文字学を 打ち立てた巨人。『字統』『字訓』『字通』の三部作を完成した文化功労者。」 ということになるだろうか。
 1910年に生まれ、1943年に立命館大学法文学部文学科卒業。彼は31歳にして 夜間大学に通った挙げ句の卒業なのである。研究にひたすら専心した独立独歩の 方である。
 とはいいながら、小生は彼の研究の一端どころか、著書の一冊さえ今まで読ん だことがない。今回、たまたま書店で平積みの『初期万葉論』(中公文庫刊)に 目が行き、パラパラ捲ってみたら、万葉論であると同時に、それ以上に柿本人麻 呂論の書であることに気がつき、即座に購入を決めたのだ。
 そう、白川静は万葉集の研究者でもある。しかも中国古来よりの漢詩を自家薬 籠中のものとした上での研究がなされている。
 小生は、細々ながら柿本人麻呂論に類するものを読んできた。梅原猛の『水底 の歌』(新潮文庫刊)が皮切りになった。この本以後、小生は梅原猛の諸著を渉 猟するようにもなったものだ。「隠された十字架」(新潮文庫)、「神々の流竄」 (集英社文庫)、「聖徳太子」(集英社文庫)、etc.エッセイ集も含めると20冊 ほど書棚の方々に散在している。
 同時に「水底の歌」により柿本人麻呂への関心が呼び覚まされ、吉村貞司「柿 本人麻呂」や、古田武彦「人麻呂の運命」など、雑多な人麻呂関連の本を読んで きたのである。
 正直なところ、『万葉集』を『古事記』などと併せ、多少なりとも読むように なったのは、柿本人麻呂への関心の結果だったと言って過言ではない。
 あるいは正確に言うと、柿本人麻呂の作とされる長歌や短歌の類いの、類を見 ない文業に圧倒されたということである。
 ここでは改めて柿本人麻呂の作品の紹介をするつもりはないので、関心のある 方は以下のサイトなどを御覧戴きたい:
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2.html

 実際、柿本人麻呂の歌はずば抜けている。万葉集の中でも、以後の旅人、憶良、 家持との比較の上で屹立しているだけではなく、以後の『古今集』や『新古今集』、 西行らの大きな流れを見ても、全く異質な世界を現出していると感じる。
 幸か不幸か、柿本人麻呂の世界に掴まった小生は、以後の歌の勉強も鑑賞もほ とんど手付かずのままである。
 さて、柿本の歌の世界の異質さを、例えば柿本の死の悲劇性に見出したり、そ のほか、いろいろ忖度はできないことはない。しかし、どうも、それではあまり に通俗的過ぎる気がしてならない。
 何が柿本をかのように謎めかせているのか。
 上掲のサイトで柿本の歌をどれでも詠まれる(朗詠される)と感じるだろうが、 何か言霊という言葉をつい使いたくなってしまうのである。
 それは、彼が未だ本邦において、言葉で自国の文化や世界を表現する方法や規 範が確立されていない中で、彼(ないしは彼の柿本衆と呼ばれる一群の人々)が 中国の『詩経』や、それ以後の文学を学び吸収して独自の言語表現世界を構築し ようと、想像を絶する努力を傾注したのだろうし、また柿本人麻呂という空前絶 後の天才があったればこそ、それも可能だったのだろう。
 それまでの本邦に話し言葉はあったに違いない。あるいは記録などのため、中 国語(や朝鮮語)に頼る表記も断片的には(そして散発的には)あったのに違い ない。しかし、中国文化の既に数千年に渡る文化の蓄積の前には、独自の表記も 美意識も表現する見込みなど考えられなかったのではないかと思う。
 実際、本書(『初期万葉論』)の中でも、『詩経』などに始まる漢文や漢詩の 一千年の文化世界を、天武天皇の下、一気に吸収し消化し、しかも本邦独自の世 界に咀嚼せんとした苦労が語られている。
 その中で、柿本人麻呂が、一際燦然とした輝きを放って屹立しているのだ。歌 や詩に素養も感性もない小生でも感じざるを得ないほどに凄みを感じさせるもの がある。
 柿本人麻呂が表現した世界と類似したような表現方法は、山部赤人を始め、多 くの歌人が採っているし、それなりに表現もされている。柿本が構築した長歌も、 以後の長歌は長歌にあらずなのである。長歌は人麻呂の死と共に死んだのだ。
 柿本の歌世界は、モノそのものが立つような、表現だと白川は言う。つまり、 叙景であれ抒情であれ、そのように解釈されがちな場合でも、柿本の歌は、まさ に古代的であり呪術的であると白川は言うのである。
 その挽歌に代表される柿本世界が、人麻呂の死後、僅か二十数年の間に憶良や 家持らのような相聞的な叙情性に一気に傾斜していく。これ以後の歌は、まさに、 いかにも『古今集』や『新古今集』に繋がっていきそうな、虚構性や叙情性のあ る叙景的世界に変貌・変質していくのだ。
 それはまた、天武天皇が壬申の乱を制して、律令制を導入しようとし、やがて 律令制が確立していくことと平行しているかのような、歌世界の変貌でもあるよ うだ。
 挽歌は人麻呂と共に死んだのである。

02/10/20 記




                                           

2.白川静『後期万葉論』雑感

(04/06/24 up)





 白川静氏については、既に『初期万葉論』(中公文庫刊)についての感想を書 いた際、大体のことを書いている。
 ある意味で、彼の本業である「『字統』『字訓』『字通』の三部作」の中身に 触れていないので、何も語っていないに等しいが、小生の限界を超える以上は仕 方がない。誰かが彼の仕事の凄さを説明するという役目を果たしてくれるだろう。
 さて、小生は、白川氏の『初期万葉論』を読んだのは、その目的の大半が柿本 人麻呂への関心に契機があったと書いた。
 それゆえ、『後期万葉論』となると、もう、柿本人麻呂から離れるのだから、 関心をもてないだろうと思っていた。
 ところが、本書もやはり実際に柿本人麻呂への言及がある以上に、彼の不在以 後の万葉集が、いかに寂しいものかを明確に浮き彫りにすることで、逆にまた柿 本人麻呂の凄さが際立つ結果となっているのである。
 それが白川氏の意図だと言うわけではないのだけれど。
 言うまでもなく、今日伝わる形での『万葉集』は、大伴家持の手になるもので ある。彼は小生の郷里である富山(の主に高岡)に深く関係する人物ということ で、それなりに贔屓にしている。富山の風物を歌にしてくれているので、富山が 古くより文学的土壌を持つ機縁にもなってくれた人物なのだ。
 だから、小生に彼への感情移入があっても仕方がない。
 けれど、覚束ないなりに歌を玩味すると、やはり柿本人麻呂の凄みばかりに関 心が向いてしまうのは仕方ないのだろう。また、彼に比べると、大伴家持の歌の 才はかなり見劣りがする。
 特にそれは長歌で顕著に感じられる。柿本人麻呂の神の領域に厳しく面前し、 その垂直の高みから歌い上げる長歌は、それを口にして歌うと、言霊という、仰 々しくて小生は嫌いな言葉・表現を使わざるを得なくなってしまう。そんな呪力 のようなものを柿本人麻呂の歌世界には篭っていて、小生のような鈍感なものを も厳粛な気分にさせるのだ。
 それに引き替え大伴家持の長歌の平板さ。
 が、一家の頭目として政治の煩わしさに関わらねばならない労苦もあったのだ ろう、それゆえ、歌の感性があったにしても、世俗の厳しさと実務の煩瑣に神経 が磨り減らされてしまったのだろうと、それでも贔屓目に小生は同情するのだ。  彼が生涯のうちに作った約470首の歌のうち、その半数近くは富山でのもの である。鄙の地への左遷に近い境遇にあって、数多くの歌を作ったのも、その頃 は彼は未だ若かったからなのだろう。
 やや年を重ねると、(少なくとも記録に残る形での)作歌は乏しくなる。
 それでも、白鳥の歌とでも言うのか、詩想が涸れるのことに本能的な危機感を 覚えたかのように、誰もが名歌だという歌を奏でた。鶯かひばりが喉から血を噴 きつつも歌うような思いだったのかどうかは分からないが:

 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯(うぐいす)鳴くも
 我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも
 うらうらに照れる春日にひばりあがり情(こころ)悲しも独りし思へば

   俗に言う「春愁三首」の歌である。
 例えばこのうちの「うらうらに…」の歌については、白川氏も絶賛している:
「雲の中に姿を没して、身を顫(ふる)はせて啼くものは、彼自身の姿ではないか。 それは狂おしいほどの、自己投棄の歌ではないか。これほど没入的に、自己表象 をなしとげた歌は、中国にも容易に見当たらないように思う。」
 大伴家持については、彼を絶賛する評論家・学者の言葉を集めたサイトがある:
「大伴家持の世界」の中の、「オマージュ」である:
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/hommage.html

 さて、本書は別に大伴家持論の書ではない。彼が『万葉集』を編集したし、自 らが重要な歌人として関わっているから言及の対象になっているだけである。む しろ、表記法を含めた、歌の成り立ちの秘密に迫ろうとした書なのだ。
 やはり大本は中国の宮中にあると白川氏は見る。宮中での宴席などで歌人が漢 詩を朗々と歌う、その風習が日本に伝わっていると考える。だからこそ、歌なの だ。
 本書で強調されている見方を示唆深いと思う人も多いのではないか。あるサイ トの説明を借りよう:
「白川氏は、「大化前から地方族長が宮廷儀礼の場で、忠誠誓約の意味をもって、 詩歌や風俗歌を奏する伝統」(土橋寛「万葉集の文学と歴史」)があった、とい う論を引用した上で、「中国でも『詩経』などが宮廷で演奏されることがあった」 という説を展開しておられる。」
 これは、「長沼節夫のチョーさん通信」というサイトの中の、「57577の ミッシング・リンク」からの引用である:
 http://mindset.jp/~shikibu/essay/essay0206.html
 何故に、「57577」なのかを不思議に思った経験を誰しも持ったことがあ るのではなかろうか。神話の上では、須佐之男命が、「八雲立つ出雲八重垣妻ご みに八重垣作るその八重垣を」と歌ったのが短歌第一号だとされるという。
 この須佐之男命というのは、「水野佑氏の『古代の出雲』によると、「新羅系 帰化人が斎き祭った神」なのである」と「金達寿著『古代朝鮮と日本文化』」の 感想文の中で述べたとおりである。
 表現方法の上では、中国の文化を背負った朝鮮渡来の人々の手になるのだろう。 ただ、そこに古来からの日本的な語調や抑揚や発声法の類いが何処まで基盤とし てあるのか、それは依然として謎のままなのである。

03/04/15 記