島崎藤村(『家』/『春』)





1.島崎藤村『家』あれこれ  


2.島崎藤村『春』を読みながら  





1.島崎藤村『家』あれこれ

(04/06/12 up)
 


 藤村の作品については、感想を縷縷書いてきた。藤村自身についても、彼を 紹介するサイトは数多くある。今回は、読了した作品が『家』ということで、 「家」に多少、拘って簡単に触れていきたい。
 念のため、藤村の生涯を簡単に見てもらってもいい:
 http://www.horagai.com/www/who/22simaz1.htm

 小生が読んだのは、新潮文庫版で、上下巻に分ける意味を疑うほどの分量で ある。合わせて450頁なのだ。だったら、一冊に纏めてくれよと思ったりす る。その小説を小生は、二週間以上も掛けてようやく読み終えた。
 玩味しつつ読んでいたから、と云いたいところだが、実際には、私用が多か ったからに過ぎないのだから情ない。その雑用の一つは、一昨年に書いた『夜 明け前』の長文の感想文をHPにアップするなどの作業だったのだから、結構、 藤村に掛かりきりだったともいえるのである。
 一昨年に二ヶ月(!)を費やして『夜明け前』を読んだ頃から、小生は自分 が藤村に傾倒し始めているのを感じている。昨年から今年にかけて『破戒』の 三度目となる読み込みや、『春』『桜の実の熟する時』などを立て続けに読む ことが出来た。
 いつからともなく、彼をある意味で自分のやや遠い親戚かのようにさえ、感 じられて来たのである。彼の生地はともかく、彼の暮らした東京や仙台などに 小生も暮らした縁もあるし、小説の登場人物の名前など、こじつければ<縁> は幾らでもある。
 小生の家は、明治の終わり頃、父の祖父が本家から僅かな田圃と共に分家し て成ったものだ。小生自身は本家を一度も見たことが無い。葬式などでは数百 人が参集するものだったというから、それなりの旧家だったのだろう。戦国時 代には戦いに敗れて百姓になったのだと父に聞いたことがある。
 上杉家と武田家との戦いだったそうだが、我が本家の先祖がどちらの側だっ たかも分からないのだと、父は苦笑していた。
 噂話には聞いたことがあるが、一度も見たことのない本家。古いものはある 種の反発心と共に惹かれるものをも覚える小生は、いつかは本家を見てみたい。 本家では、もう、こちらを相手になどしないだろうけれど。

 さて、そんな小生は、まだ見ぬ本家の姿を島崎藤村の没落した家に嗅ぎ取ろ うとしている気味を自分に感じる。馬篭といいう地が島崎の家で、我が本家に はまるで関係のない地なのだが。その、馬篭の地にあって、島崎家は本陣、問 屋、庄屋を兼ねた旧家だった。その旧家は没落したが、なんと、そのうち、隠 居所は現存するという(藤村記念館内)。下記のサイトでは、「島崎家の窓か ら南側に見える美濃一の高峰・恵那山」の光景を見ることが出来る:
 http://www.enasan-net.ne.jp/serai/index2.html 
 このサイトによると、「幼少時に藤村は、ここで父から「孝経」や「論語」 などの素読を受けた。この建物は、明治28年の大火の類焼をまぬがれ現存する」 という。
 藤村本人の若き日の写真を見て欲しい:
 http://www.asahi-net.or.jp/~yi9e-mzn/t-syasin.htm
 白皙の、なかなかいい男ではないか。旧家の出であり、それなりの教養と学 歴がある。彼が教師をしていたとき、教え子に惚れて苦しんだというが、逆に 彼に惚れた女子生徒も少なからずいたのではないか。
 が、藤村本人は、真面目一方である。真面目だからといって恋をしないわけ でも、女性にふらつかないわけではないが、しかし、真面目であるが故に女性 に傾きっ放しというわけにもいかない。倫理的に悶々と苦しむわけである。
 が、彼の兄弟には放蕩とまではいかないにしても、家庭がありながら女に現 を抜かした者もいるのだ。
 そうかと思うと、藤村以上に家の重荷をまともに背負い、没落の一途を辿っ たとはいえ、旧家としての体面を保ちつづけようともがいた兄もいる。藤村は、 放蕩者(弟)と責任者(兄)との中間的な存在だったのかもしれない(その兄 も、やがて妻子を捨てて家を飛び出してしまう)。
 藤村は放蕩もしきれないが、家の重圧を担いきることもできず、各地を転々 と巡ることになる。そうした家の一つが小諸である。「藤村は明治32年から 7年間、小諸義塾の英語教師として城下町小諸で過ごした」のである。その家 が保存されている:
 http://www.city.saku.nagano.jp/kankou-k/miru/miru33.htm

 さて、小説『家』は、まさにモデルである島崎家という名家・旧家の没落を、 藤村をモデル(小泉)にしたと思われる人物とその兄弟の家族の人生を辿るこ とで描いている。但し、主人公はその小泉ではなく、小泉の一家でもなく、ま た、兄弟それぞれの家や家族でもない。
 彼ら兄弟に圧し掛かる没落し果てた旧家の亡霊が主人公なのである。
 小説の中に描かれるほとんどの場面に主人公である小泉は現れるのだし、彼 の言動も描かれているのだが、彼に過度に感情移入されているわけではない。 彼ら兄弟や妻たちや子供たちの姿をやや俯瞰した形で点景として描くことで、 「家」の重みを読み手に実感させてくれる、そんな構成となっているのだ。
 馬篭の地に寺を作って寄進するほどの旧家。大名の参勤交代の時は本陣とな り、問屋や庄屋をも兼ねる豪勢な家。が、時代が江戸から明治に転換すること で、その役割が薄れ、また、旧家の最期の主が自ら維新の波に飛び込むことで、 やがて志し叶わず狂気して果て、旧家の土蔵にしつらえられた牢獄に幽閉され てしまう。
 一家のものに自殺者や精神に破綻を来たすものが幾人も出る家。その重圧。 家を支えなければならない、支えたいという責任感や願望が、一方ではその意 義を確然とは見出せなくて、精神の内部から崩壊していく。
 やや突飛かもしれないが、『家』を読みながら、なんとなく太宰治の『斜陽』 などを連想していた。没落がキーワードというだけのことなのだろうけれど。

   小生自身は、故郷に家があるわけだが、別に旧家でもないし、本家と呼ばれ る家でもない。その後継ぎのはずだが、いい年をして東京で一人暮らしをして おり、将来に何の展望があるわけでもない。
 そんな自分でさえ、家の存在を考えないわけではない。が、考えてどうしよ うという考えが浮かぶわけでもない。一人、朽ち果てるしかないのかなと、ボ ンヤリ考えているだけである。
 ただ、せめて、何処かにちゃんとした家があり、暖かい(かどうかは分から ないが、確かな)家族の絆を保っていけたなら、それはそれで素晴らしいのに、 とは思う。
 家を土台にした家族という発想が崩れて久しい。家族は限りなく細分化して いる。核家族という表現さえもが古びてしまった。今は、家族とは何なんだろ う。個人の一時的な集合の時期を示すだけのものなのだろうか。単なる通過点 なのだろうか。あくまで大切なのは個人。一人一人の人生なのだ。個人が尊重 されなければならない。家に人間が縛られるなんてナンセンスだ…。
 その一つ一つは尤もだ。が、徹底して個人が単位となって、それで何が見え てきたのだろうか。今更、古臭い大家族など望むべくも無い。せいぜい、核家 族がギリギリの生活単位なのか。家族より夫婦。夫婦より恋人。恋人より自分。 となると、子どもは限りなく邪魔になるのではなかろうか。夫婦の都合で(性 格の不一致などを理由に)離婚する。残された子どもはどうなるのだろう。ど ちらかの親についていけばいいのだろうが、しかし、子どもは親の余波をまと もに背負って生きていくことになる。結局、しわ寄せは弱いところに向うしか ないのではないか。
 個人を大切にする。それはそれでいい。
 が、その先が見えないような気がしてならない。見える必要などない。ただ、 その都度の、瞬間的な事情に基づく離合集散があれば、それでいい、というこ となのかもしれないけれど。

   島崎藤村の主な作品がネットで読めます:
 「青空文庫」:
 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person158.html
03/03/11 記




2.島崎藤村『春』を読みながら

(03/01/27 up)
 


 ここ数年、島崎藤村を読み直している。
 といっても、若い頃に藤村作品で読んだのは、『破戒』や『千曲川のスケッチ』、 『藤村詩集』くらいのものだった。その後、『破戒』だけは数年前に読んだが、 悲しいことに読後の印象が薄い。
 それが、一昨年に永井荷風の『断腸亭日乗』を読んで、明治以降の文学への関 心がまたまた呼び覚まされ、7月8月の二ヶ月をかけて、藤村の『夜明け前』を 読んだ。暑い夏を乗り切るということで、ゆっくりじっくり読んだものだった。 その経緯は、すでに発表してある。
 昭和の初期や明治・大正の文学への関心ということもあるが、同時に、江戸末 期から明治にかけての正に維新当時の動乱を日本人がどう乗り切ったかにも関心 が向いていた。更に大きくは、何故に日本が無謀な戦争へ突っ走ってしまったの か、という疑問を解きたいという関心がある。
『夜明け前』は、そうした意味でうってつけの作品だった。主人 公として藤村の父が選ばれており、時代の波を読もうとし、先んじようとし、夜 明けへ至るを懸命に模索した。しかし、波に呑まれて発狂し牢死を遂げてしまう。
 藤村は父に対し愛憎が深かったのだ。きっと強い反発もあっただろうが、同時 に彼が大人になり道を模索することの、一家を構えることの、その中で文学的研 鑚を積むことの大変さを痛感する中で、父への思いを新たにした…、そんな気持 ちが『夜明け前』を読むと実感されたのだった。
 さて、『夜明け前』を読了して、小生の中で藤村のマイブーム状態が生じた。 『破戒』の三度目の読破、『桜の実の熟する時』、河盛好蔵著『藤村のパリ』と 昨年は折々に読み、ついに機会を得て、『春』を読むに至ったのだ。
 今年は『新生』『家』など、一年をかけて、未読の作品に挑戦する。楽しみだ。

   さて、この『春』と『桜の実の熟する時』とは、姉妹作品のようで、「藤村の 心の軌跡と藤村を取り巻く知性豊かな青春群像」と性格付けることができる。
 この両作品の内容については、下記のサイトを参照するのがいい:
 「島崎藤村 没後六十年」
 http://www.city.chuo.tokyo.jp/koho/140815/san0815.html
 そう、昨年は藤村の没後60年だったのだ。
 『春』では、上掲のサイトでも分かるように教え子への許されぬ愛と教え子の 死、藤村の敬愛する先輩である青木(北村透谷)の文学的煩悶と彼の抱える結核 による非業の死(自殺)が、小説の中心である。透谷の死は、愛する教え子への 叶わぬ恋と同様に藤村には重いものだったのだ。

   ところで、前にも書いたが、島崎藤村の生地である馬篭と小生が今、居住して いる近隣の地が馬込であること、小生が以前暮らしていた高輪辺りは、明治学院 を中心に『桜の実の熟する時』の舞台に重なること、あるいは『春』で、教え子 の死、先輩の死の後、東北は仙台の東北学院に赴任していくのだが、その仙台は 小生が青春を過ごした地であることなど(細かく言えば因縁はきりがない。例え ば、島崎というのは小生の隣の家の人の名であり親戚であること、『春』や『桜 の実の熟する時』に共通して登場する敬愛する藤村の先輩の名は、正に小生の苗 字であることなど)文学的中身にまるで関係ない次元で、小生は勝手に藤村へ思 い入れする<因縁>がある(と感じた)のだ。
 そして更に勝手な思い入れの結果として、藤村の人間的文学的青春と煩悶を我 が事のように読むに至ってしまったのである。

 この正月は、帰省した際、雑事以外はトーマス・マンの『魔の山』を読むこと に専念すると決めていたが、その代わり、帰省の列車では『春』を読むことに決 めていた。
 そして帰郷の列車の中で半分、そして帰京の列車の中で残りの半分を読んだ。 偶然なのか、何か頭の中で別のサイクルが巡っていて、そういった計算をしたの かどうか分からないが、東京駅で新幹線を降り、京浜東北線に乗り換え、最寄の 駅でタクシーに乗った時、残すは藤村による「奥書」と亀井勝一郎(これまた懐 かしい。高校時代に『愛の無常について』や『大和古寺風物史』などを読み浸っ たものだ)による解説だけになったのである。
[亀井勝一郎については、下記を参照:
 http://wwwamy.hi-ho.ne.jp/k-komatsu/kamei.htm ]

 ところで、この度の帰省では列車の乗り継ぎに関し、少し ばかりトラブルがあった。
 まず、帰郷の際には、東京駅で乗った上越新幹線を越後湯沢で乗り換えなけれ ばならないのを乗り越してしまったのだ。原因は一重に小生の居眠り癖と、越後 湯沢が新幹線の終点だという思い込みにあった。
 その思い込みの故に、藤村の『春』を読み疲れて、つい転寝(うたたね)をし てしまい、気がついたら静かな車内で一人、ポツネンと居て、車内清掃の小父さ んに「終点ですよ」と、起こされたのである。小生は慌てた。ああ、乗り継ぎの 列車に遅れる! 急いでホームに出たが様子がちとおかしい。しかし取りあえず ホームの階段を駆け上り、改札口に向った。切符を改札のとおり口にある機械に 投入した…が、ブーである。通れない。おかしい。仕方なく、窓口に向った。
 すると、ここは「塩沢ですよ。越後湯沢は一つ手前です」という冷たい一言。 戸惑っていると、「今の列車が東京へ戻りますから、その際、越後湯沢にも止ま りますし」と、アドバイス。小生は、悄然と窓口を去り、先程駆け上がった階段 を下りてホームへ。なるほど、小生が乗ってきた列車が止まったままである。ま だ、車内清掃の真っ最中で、中に入ることも出来ない。やむを得ず、小生は吹き っ晒しのホームで出発を、列車に乗れる時を待つことにしたのだ。
 さすがに風が冷たい。雪がチラついている。階段の下に避難して、台車らしい ものに腰掛けた。他にすることもないし、出発の時間を確かめるのを忘れたので、 その場を去ることもできなかったのだ。台車に腰掛けてしたことは、藤村の『春』 の続きを読むこと。東京ならともかく北国では、やや薄手のジャケットを一層深 く被って、藤村の小説を読み耽った。30頁も読めたような気がする。
 さて、今度は、帰郷の列車の乗り継ぎである。今度もトラブルがあった。
 但し、小生の名誉のために断っておくが、今度は小生のドジではない。1月7 日に予定通り帰京の列車に乗ったのだが、富山から越後湯沢への特急がその日か ら再び強く降り始めた雪のため、遅れてしまい、越後湯沢で乗り継ぐはずの新幹 線に乗れなくなったのだ。せっかく奮発して指定席券を買っておいたのに、エー ンである。御蔭で越後湯沢からは立ち放しになってしまった。
 ほんの数年前までは指定席券など買ったことがなく、座れないなら立つだけだ と鷹揚に構えていられた(それどころか40歳になる前は3度ほどオートバイで 真冬に東京と富山を往復したのだ)。が、もう、そんな体力・気力はない。立ち 放しは小父さんには辛いのだ。周りで立っているのも若い人ばかり。せっかくな のでうら若き女性の傍に立っていくことにした。せめてもの慰めである。
 それでも、小生は根性を出して、藤村の『春』の続きを読み続けた。列車の連 結部(つまりトイレや化粧室、出入り口の近く)に立っていたので、灯りも頼り ない。そんな中、薄暗い灯りを頼りに、時に車窓を流れる夜景を楽しみつつ、そ して必殺の老眼鏡を使って、懸命に読みつづけたのだ。健気だと思わないか。
 というわけで、帰郷の際、思いがけず駅のホームで30頁ほど読めたこと、さ らに立ち放しという羽目になったにも関わらず頑張って読みつづけたこと、こう した経緯もあって、タクシーに乗った時は、「奥書」などを残すだけという状況 を可能にしたのだ。
                                         (03/01/27 追記)


 その藤村による「奥書」の末尾の一節だけを引用しておく:

 作の出来不出来ということは別として、『春』はわたしに取り最も思い出  の深い作の一つである。明治もその四十年代のはじめになって、二十年代  を振り返って見た時に生れて来た作である。自分等が若かった日のことは、  不充分ながらもここに残っている。


 この一節でまた、小生は勝手ながら藤村への思い入れをタクシーの中で新たに していた。もう、四十代の終わりに近づいているが、この期に及んで小生の仙台 時代をはじめ、あれこれ思いは巡ったのである。こんな自分になると当時は予想 もしなかったということも含めて。

                                           03/01/27 01:04