ここ数年、島崎藤村を読み直している。
といっても、若い頃に藤村作品で読んだのは、『破戒』や『千曲川のスケッチ』、
『藤村詩集』くらいのものだった。その後、『破戒』だけは数年前に読んだが、
悲しいことに読後の印象が薄い。
それが、一昨年に永井荷風の『断腸亭日乗』を読んで、明治以降の文学への関
心がまたまた呼び覚まされ、7月8月の二ヶ月をかけて、藤村の『夜明け前』を
読んだ。暑い夏を乗り切るということで、ゆっくりじっくり読んだものだった。
その経緯は、すでに発表してある。
昭和の初期や明治・大正の文学への関心ということもあるが、同時に、江戸末
期から明治にかけての正に維新当時の動乱を日本人がどう乗り切ったかにも関心
が向いていた。更に大きくは、何故に日本が無謀な戦争へ突っ走ってしまったの
か、という疑問を解きたいという関心がある。
『夜明け前』は、そうした意味でうってつけの作品だった。主人
公として藤村の父が選ばれており、時代の波を読もうとし、先んじようとし、夜
明けへ至るを懸命に模索した。しかし、波に呑まれて発狂し牢死を遂げてしまう。
藤村は父に対し愛憎が深かったのだ。きっと強い反発もあっただろうが、同時
に彼が大人になり道を模索することの、一家を構えることの、その中で文学的研
鑚を積むことの大変さを痛感する中で、父への思いを新たにした…、そんな気持
ちが『夜明け前』を読むと実感されたのだった。
さて、『夜明け前』を読了して、小生の中で藤村のマイブーム状態が生じた。
『破戒』の三度目の読破、『桜の実の熟する時』、河盛好蔵著『藤村のパリ』と
昨年は折々に読み、ついに機会を得て、『春』を読むに至ったのだ。
今年は『新生』『家』など、一年をかけて、未読の作品に挑戦する。楽しみだ。
さて、この『春』と『桜の実の熟する時』とは、姉妹作品のようで、「藤村の
心の軌跡と藤村を取り巻く知性豊かな青春群像」と性格付けることができる。
この両作品の内容については、下記のサイトを参照するのがいい:
「島崎藤村 没後六十年」
http://www.city.chuo.tokyo.jp/koho/140815/san0815.html
そう、昨年は藤村の没後60年だったのだ。
『春』では、上掲のサイトでも分かるように教え子への許されぬ愛と教え子の
死、藤村の敬愛する先輩である青木(北村透谷)の文学的煩悶と彼の抱える結核
による非業の死(自殺)が、小説の中心である。透谷の死は、愛する教え子への
叶わぬ恋と同様に藤村には重いものだったのだ。
ところで、前にも書いたが、島崎藤村の生地である馬篭と小生が今、居住して
いる近隣の地が馬込であること、小生が以前暮らしていた高輪辺りは、明治学院
を中心に『桜の実の熟する時』の舞台に重なること、あるいは『春』で、教え子
の死、先輩の死の後、東北は仙台の東北学院に赴任していくのだが、その仙台は
小生が青春を過ごした地であることなど(細かく言えば因縁はきりがない。例え
ば、島崎というのは小生の隣の家の人の名であり親戚であること、『春』や『桜
の実の熟する時』に共通して登場する敬愛する藤村の先輩の名は、正に小生の苗
字であることなど)文学的中身にまるで関係ない次元で、小生は勝手に藤村へ思
い入れする<因縁>がある(と感じた)のだ。
そして更に勝手な思い入れの結果として、藤村の人間的文学的青春と煩悶を我
が事のように読むに至ってしまったのである。
この正月は、帰省した際、雑事以外はトーマス・マンの『魔の山』を読むこと
に専念すると決めていたが、その代わり、帰省の列車では『春』を読むことに決
めていた。
そして帰郷の列車の中で半分、そして帰京の列車の中で残りの半分を読んだ。
偶然なのか、何か頭の中で別のサイクルが巡っていて、そういった計算をしたの
かどうか分からないが、東京駅で新幹線を降り、京浜東北線に乗り換え、最寄の
駅でタクシーに乗った時、残すは藤村による「奥書」と亀井勝一郎(これまた懐
かしい。高校時代に『愛の無常について』や『大和古寺風物史』などを読み浸っ
たものだ)による解説だけになったのである。
[亀井勝一郎については、下記を参照:
http://wwwamy.hi-ho.ne.jp/k-komatsu/kamei.htm ]
ところで、この度の帰省では列車の乗り継ぎに関し、少し
ばかりトラブルがあった。
まず、帰郷の際には、東京駅で乗った上越新幹線を越後湯沢で乗り換えなけれ
ばならないのを乗り越してしまったのだ。原因は一重に小生の居眠り癖と、越後
湯沢が新幹線の終点だという思い込みにあった。
その思い込みの故に、藤村の『春』を読み疲れて、つい転寝(うたたね)をし
てしまい、気がついたら静かな車内で一人、ポツネンと居て、車内清掃の小父さ
んに「終点ですよ」と、起こされたのである。小生は慌てた。ああ、乗り継ぎの
列車に遅れる! 急いでホームに出たが様子がちとおかしい。しかし取りあえず
ホームの階段を駆け上り、改札口に向った。切符を改札のとおり口にある機械に
投入した…が、ブーである。通れない。おかしい。仕方なく、窓口に向った。
すると、ここは「塩沢ですよ。越後湯沢は一つ手前です」という冷たい一言。
戸惑っていると、「今の列車が東京へ戻りますから、その際、越後湯沢にも止ま
りますし」と、アドバイス。小生は、悄然と窓口を去り、先程駆け上がった階段
を下りてホームへ。なるほど、小生が乗ってきた列車が止まったままである。ま
だ、車内清掃の真っ最中で、中に入ることも出来ない。やむを得ず、小生は吹き
っ晒しのホームで出発を、列車に乗れる時を待つことにしたのだ。
さすがに風が冷たい。雪がチラついている。階段の下に避難して、台車らしい
ものに腰掛けた。他にすることもないし、出発の時間を確かめるのを忘れたので、
その場を去ることもできなかったのだ。台車に腰掛けてしたことは、藤村の『春』
の続きを読むこと。東京ならともかく北国では、やや薄手のジャケットを一層深
く被って、藤村の小説を読み耽った。30頁も読めたような気がする。
さて、今度は、帰郷の列車の乗り継ぎである。今度もトラブルがあった。
但し、小生の名誉のために断っておくが、今度は小生のドジではない。1月7
日に予定通り帰京の列車に乗ったのだが、富山から越後湯沢への特急がその日か
ら再び強く降り始めた雪のため、遅れてしまい、越後湯沢で乗り継ぐはずの新幹
線に乗れなくなったのだ。せっかく奮発して指定席券を買っておいたのに、エー
ンである。御蔭で越後湯沢からは立ち放しになってしまった。
ほんの数年前までは指定席券など買ったことがなく、座れないなら立つだけだ
と鷹揚に構えていられた(それどころか40歳になる前は3度ほどオートバイで
真冬に東京と富山を往復したのだ)。が、もう、そんな体力・気力はない。立ち
放しは小父さんには辛いのだ。周りで立っているのも若い人ばかり。せっかくな
のでうら若き女性の傍に立っていくことにした。せめてもの慰めである。
それでも、小生は根性を出して、藤村の『春』の続きを読み続けた。列車の連
結部(つまりトイレや化粧室、出入り口の近く)に立っていたので、灯りも頼り
ない。そんな中、薄暗い灯りを頼りに、時に車窓を流れる夜景を楽しみつつ、そ
して必殺の老眼鏡を使って、懸命に読みつづけたのだ。健気だと思わないか。
というわけで、帰郷の際、思いがけず駅のホームで30頁ほど読めたこと、さ
らに立ち放しという羽目になったにも関わらず頑張って読みつづけたこと、こう
した経緯もあって、タクシーに乗った時は、「奥書」などを残すだけという状況
を可能にしたのだ。
(03/01/27 追記)
その藤村による「奥書」の末尾の一節だけを引用しておく:
作の出来不出来ということは別として、『春』はわたしに取り最も思い出
の深い作の一つである。明治もその四十年代のはじめになって、二十年代
を振り返って見た時に生れて来た作である。自分等が若かった日のことは、
不充分ながらもここに残っている。
この一節でまた、小生は勝手ながら藤村への思い入れをタクシーの中で新たに
していた。もう、四十代の終わりに近づいているが、この期に及んで小生の仙台
時代をはじめ、あれこれ思いは巡ったのである。こんな自分になると当時は予想
もしなかったということも含めて。
03/01/27 01:04