島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(1−4)

 
                                           
   (03/03/03up)





島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(1)


 これから二ヶ月ほどかけて島崎藤村の『夜明け前』(岩波文庫刊、新潮文庫他にもあ る)を読むつもりでいる。
[ まず、タイトルの『夜明け前』について、触れておきたい。あまり、このタイトルの意味合いを忖度する人はいないようだが、それなりに思い入れ深いものが、この表題にあるように思われる。それは当然、テーマとも関わってくると思われる。
「夜明け前」、それは字義からして、幕末から維新の混迷の時代という闇夜が明ける前ということだろうが、同時に島崎藤村がクリスチャンだったことを鑑みると、やはり『聖書』から採られた言葉だと思うのが自然なのではないか。『旧約聖書』の「詩篇130:5-6」に、「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。」という言葉が出てくる。
 夜が明けるのは、間違いない。しかし、その夜が明けるまでには、長い長い時間の過ぎるのを待たなければならない。それまでは、辛い夜警の任務に耐えなければならないのだ…。
 小生は、このことに、ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』(土井治訳、岩波文庫刊)を読んでいて、文中に「夜明け待つ」という聖書の言葉が引用されているのを見て、思い至った。さて、穿ち過ぎなのだろうか。(04/04/28 追記) ]
 私は4月以来、三ヶ月ほどかけて読み続けてきた永井荷風の『断腸亭日乗』(岩波文庫版、磯田光一 氏編)を先月、読み終えたばかりである。
 実は、戦前の日本の世相を同時代に生きた作家の日記や作品を通じて少しでも実感し ようと、ゆっくりじっくり様々な文献を読んでいる。
 先月は夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読み終えたばかりだ(これは1935年に刊 行されている)。この本を読み始めた直後、例の大阪・池田市の小学校児童殺傷事件が 発生して、私は何か胸騒ぎを覚える思いで読み進めたものだった。夢野久作のこの奇怪 な小説は狂気と殺人をテーマにした作品だからだ。この小説には戦前の日本の鬱屈した 空気がリアルに感じられるようで、テーマや展開の難解さとは裏腹に、時代の風潮をひ しひしと実感させられたのである。
 どことなく今の時代に違和感のようなものを覚えてならないことが、これらの作家の 作品を読む動機の背景にあるような気がする。
 永井荷風の日記は戦前から戦中、そして戦後に至るまでの浩瀚なものだが(1917 年から死の前年である59年まで書きつづけられた。岩波文庫は上下二巻で全体の約6分の1の分 量に当る)、島崎藤村の小説『夜明け前』も大作である。扱う時代は明治維新前後で、 正に夜明け前の日本を描いている。但し、島崎藤村がこの作品を書いたのは1929年 から1935年で、雑誌『中央公論』に掲載されたものである。
 ちなみに『夜明け前』の有名な冒頭部分を少し以下に引用しておこう。

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木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる
谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
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 小説の冒頭部分の舞台は馬籠と妻籠である。この中山道の宿場については以下の一文 を参考にしてもらいたい。

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 妻籠宿は、中山道木曽11宿の1つで、美濃から、木曽路に入って2つ目の宿であ
る。妻籠の本陣は、代々島崎氏が勤めていた。島崎藤村は、南隣りの宿場町、馬籠
の島崎家で生まれ、母の里である妻籠の島崎家へも馬籠峠を越え8キロの道をいく
度も通った妻籠宿は、中山道木曽11宿の1つで、美濃から、木曽路に入って2つ目
の宿である。妻籠の本陣は、代々島崎氏が勤めていた。島崎藤村は、南隣りの宿場
町、馬籠の島崎家で生まれ、母の里である妻籠の島崎家へも馬籠峠を越え8キロの
道をいく度も通ったことであろう。“木曽路は、すべて山の中である”で始まる小
説「夜明け前」は、この地が舞台のものがたりである。

( http://www1.odn.ne.jp/cbi91850/syukuba/tumago.html を参照のこと)
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 『夜明け前は』黒船来航の噂が伝わるところから始まる。太平の世の、更に木曽の山 深い地にも時代の激震の余波は容赦なく伝わってきたのである。
 今後、折に触れ『夜明け前』を読んで感じたことなどを述べていきたい。

                                           01/07/04 01:52




島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(2)


 一昨年、精緻で浩瀚な評論活動を展開していた篠田一士氏が亡くなった。
 別にそれを切っ掛けにというわけでもないのだが、昨年、彼の著の『二十世紀の十大 小説』(新潮文庫刊)を読んでみた。
 その時、ちょっと小さな衝撃を受けたのは、日本から彼が挙げているのが島崎藤村の 『夜明け前』だったのである。念を押す形になるが、別に二十世紀の日本の十大小説で はない。世界の中での二十世紀の十大小説に篠田一士氏は、日本から『夜明け前』を挙 げていたのである。
 ちなみにその十大小説の他の作品は、『失われてた時を求めて』(プルースト)や『 城』(カフカ)『ユリシーズ』(ジョイス)『特性のない男』(ムジール)『百年の孤 独』(ガルシア=マルケス)『伝奇集』(ボルヘス)『子夜』(茅盾)『U・S・A』 (ドス・パソス)『アブサロム、アブサロム』(フォークナー)などである。
 そうした作品の中に篠田氏は島崎藤村の『夜明け前』を挙げている。別に敢えて無理 して彼は日本から誰もが必ずしも選ぶとは限らない作品を選択することで、奇矯さを衒 っているわけではない。
 また、少なからぬ日本の名作群の中で迷った挙句の選択だったわけでもない。大真面 目に彼は『夜明け前』を選んでいるのだ。その訳は…、上記の篠田氏の著を読んでいた だきたい。たかだか数十頁だし。
 実を言うと、それを読んだ昨年は未だ、藤村のこの『夜明け前』を読んではいなかっ たのである。だから、篠田氏の評論を読みながら、それなりに納得しながらも、実際に 読んでもいない作品に関して、いくら立派な噂話をされても得心するわけにはいかなか った。
 そして胸の奥にずっと蟠っていたのである。
 ようやく遅まきながら読む機会を今、迎えている。
 尤も、藤村の作品は藤村詩集を初め『破戒』くらいは読んでいる。が、肝腎の作品に は大作ということもあり(二部構成で、それぞれが上・下になっていて、4冊合計で約 1,300頁以上)、敢えて手が出せずにいたのである。
 島崎藤村は1872年生れで1943年に71歳で亡くなっている。この小説は前回 も記したように、1929年から35年にかけて書かれている。ほぼ晩年の作と言って いいだろう。
 時代は明治維新前後であり、主人公の青山半蔵は藤村の父親をモデルにしているので ある。舞台は藤村(の父親)の生地である木曽の山奥である馬籠と妻籠を中心に描かれ ている。
 大まかなことはやはり前回、既に説明している。ここでは藤村記念館の存在をネット で確かめてもらうことにしておく。
http://www.ne.jp/asahi/gaku/gaku99/CHIHEI/HTMLS/TOUSON.html
 小説の第一部は主人公の青山半蔵の願いでもあった王政復古がなり、彼が感激に咽ぶ ところで終わっているらしいが、あまり先走るのもつまらない。何しろ、小生は、二ヶ 月を費やしてゆっくり読むつもりなのである。
 仮に一緒に読み始めた人がいるとしたら、さっさと先に読み進んでしまうだろうけれ ど、何、構わない。永井荷風の日記と同様、小生は等身大の速さで進むつもりなのだか ら。
 彼は、つまり青山半蔵は父に許されて上京し、平田篤胤の弟子の塾に入門を願ったば かりである。儒学ではなく、古学の世界に一層、のめりこもうとし始めている(古学に ついては後日、触れることがあるだろう)。
 また、彼は黒船の頻々とやってくる江戸や三浦半島にも江戸を回ったついでに足を伸 ばしている。三浦には彼の先祖が木曽の山奥に根付いたのだが、その先祖が分家した本 家筋の家がある。その家の主人に彼は黒船来航の事情を詳しく聞くのである。彼は未だ 若い。時代が刻々と動いていることを里の人に接することで肌にひしひしと感じ始めた ばかりである。

                                           01/07/09 01:13




「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む」 滝野氏のコメント

      (このコメントは滝野信一氏の好意により掲載させて戴くものです。03/03/03記)


 こんにちは、弥一さん。篠田一士氏が亡くなっていたとは知りませんで
した。遅ればせながら、篠田氏のご冥福をお祈り申しあげます。
 篠田氏の『二十世紀の十大小説』ですが、まだ手に入れていないので、早速
買おうと思います。藤村の『夜明け前』も読んでいないので時間ができしだい
読もうと思っています。
 さて、サマセット・モームは時代を区切らずに『世界の十大小説』(岩波文
庫)を書いています。公刊は1954年ですから、もう半世紀が過ぎようかという
ところです。モームは何を選んだのでしょうか。以下にあげていきたいと思い
ます。
 フィールディング『トム・ジョーンズ』(1749)
 オースティン『高慢と偏見』(1813)
 スタンダール『赤と黒』(1830)
 バルザック『ゴリオ爺さん』(1835)
 ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』(1849-50)
 フローベール『ボヴァリー夫人』(1856)
 メルヴィル『白鯨』(1851)
 E・ブロンテ『嵐が丘』(1847)
 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(1879-80)
 トルストイ『戦争と平和』(1865-69)
 以上のように現代から見ても正典として認知されている作品ばかりです。刊
行年からもわかるように、モームの『世界の十大小説』は十九世紀をあつかっ
ています。十七世紀から十八世紀にかけて小説というジャンルが生まれ、それ
が近代小説として花開いた十九世紀の作品からモームは十大小説を選んだ、と
いえるのではないでしょうか。
 それに対して、篠田一士氏の『二十世紀の十大小説』はジョイス、プルース
ト、カフカといった近代小説からの脱皮をはかった作家の作品を多く選んでい
るように思います。選ばれた他の作家たちもみんなそうではないでしょうか。
いいかえれば、十九世紀近代小説の超克というものが二十世紀の作家たちの
テーマだった。
 当たりまえのことしかいっていないような気もしますが、これにて閉幕。考
えてみると、英米文学研究者の間でポリティカル・コレクトと正典をめぐって
一時期もめていましたが、正典をめぐる問題で当たりまえの答えが出るという
ことは、選者の見識を表しているのではないでしょうか。
 では、また。



島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(3)


滝野 信一さん、コメントをありがとう。
 滝野さんの挙げられたサマセット・モームの『世界の十大小説』については、篠田一 士氏の評論『二十世紀』の前書き[多元化する世界文学のなかで]の中でも相当の頁を 割いて言及しております。
 なんといってもサマセット・モームの『世界の十大小説』は一頃の文学案内の定番で したものね。
 前書きにもあるように、モームのそれは原題を直訳すれば、『十冊の小説とその作者 たち』となるそうで、あくまで自身が素晴らしい作家であるモームの「好きな」作家( 作品)を読み返し賞味しようという意図のもとに書かれた文学上の信念の吐露みたいな 評論なのですね。
 篠田氏が『二十世紀』を書かれたのは、御自身の説明によれば、「二十世紀小説が、 いちばん身近というか、もっとも生々しい鮮度、つまり、現在、そして、世界のなかの 、この日本に生きているという感触を、もっとも鮮烈に感じさせてくれる文学だから」 のようです。
 逆に言うと、滝野さんのおっしゃられるように、あの素晴らしかった十九世紀の近代 小説の超克というテーマの中で苦闘する同時代の作家たちへのシンパシーが篠田氏をし て『二十世紀』を書かしめたと言えるのかもしれません。
 それより、そうした中で日本から敢えて島崎藤村の『夜明け前』を挙げたことの意味 を、ちょっと考えてみたいなと思っている次第です。
 篠田氏の、この評論の中で島崎藤村(の『夜明け前』)について触れた一文は、『夜 明け前』という作品の現代性を改めて考えさせるとともに、この小説が実は現代日本人 論ともなっていることを指摘しているのです。
 では。

                                           01/07/13 01:53




 

島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(4)


 攘夷を叫ぶ京の都の意志、それに反し、異国への開放はやむをえない選択だという幕 閣の一部の現実的認識。その両者が強烈に綱引きを演じている。一体、どちらへ楫を切 ればいいのか誰にも正解は分からない。
 あくまで現実を冷静に認識したものが、目先の利害に囚われず更には国賊という批難 を甘受しつつ、選択をするのである。どっちを選ぶべきか。
 ペリー来航という国難の時、老中安部正弘は部屋住(一番下っ端の役人)の岩瀬忠震 (いわせただなり=1818-1861)を抜擢し、1854年のペリー再来航の時に は岩瀬を目付けに任じ、海防・外交の一線に立たせた。
 岩瀬は開国政策を進言し、また推進した。「1856年、アメリカ使節ハリスの来日 にあたっては、開港・通商のやみがたきを説き、下田奉行の井上清直とともに全権に任 じられて日米修好通商条約の締結に尽力した」。
 が、堀田正睦(まさよし)と共に上洛したが、条約の勅許が得られず、ついに勅許を 待たずに58年に井伊直弼によって調印に至るのである。彼はオランダ、ロシア、イギ リス、フランスとの間にも童謡の条約を結んでいる。
 将軍の継嗣問題で大老の井伊直弼に疎まれ、蟄居を命じられる。彼は勝海舟らの人材 を登用してもいる。尚、蟄居の際も、井伊直弼は岩瀬の功績は認めていた、その証拠に 上記したように井伊大老も勅許を待たずに条約に調印せざるをえなかったのだから。
 条約を締結しなかったなら、諸外国は幕府を飛び越えて諸藩と勝手に通商しただろう し、やがては国家が分裂して、欧米列強の植民地となっていたことが十分に考えられる 。 
 が、それは後知恵であって、天皇の意に反して外国に門を開くとは言語道断の所業と 攘夷派の連中には映ったに違いない。実際、大老井伊直弼は桜田門外にて斬殺されてい る。
 ところで、『夜明け前』の中の青山半蔵も平田篤胤の門弟として、断固夷狄(いてき )の排除を主義としている。木曽の山深くに住んでいて、異人が浪人によって殺害され た事件など旅の人から近況を断片的に耳にする半蔵は気が気でない。それでいて半蔵は 旧家の人間であり、本陣の長男として跡取なのである。勝手に家を開けるわけにはいか ないのだ。
 まずは目の前にある仕事を処理していかなくてはならない。例えば、宮中より孝明天 皇の妹和宮親子(ちかこ)内親王の徳川家への降嫁である。これは勅許を経ない日米就 航条約の調印や将軍継嗣問題などでの朝廷と幕府との関係の悪化を修復するため、「公 武合体」の象徴として画策されたものである。
 ところで、その和宮内親王が木曽街道を通って江戸へ下るというのである。当然、陣 屋の主である(父は既に腰を引き気味になっている)半蔵は、多くの人手を集めたり、 様々な資材の準備(馬の手配)など、とにかく膨大な雑務に忙殺されるわけである。
 実際、多くの人足が過酷な労働に倒れていったし、既に徳川の威信が地に落ち始めて いる昨今では、徳川のためとはいえ、無条件に働く意志も萎え始めているのである。
 が、本陣の主人としては遺漏なきよう図るより他に半蔵には為すすべがないのである 。
 ところでそうした煩雑な労務を果たし、ほっとしている最中、半蔵は知り合いから役 人にたんまり賄賂を要求されたと聞く。役得とはいえ、絞られるのは半蔵とて憤懣やり かたない。  が、そうした一切を含めてが道中の本陣を預かるものの役目なのだった 。
 やがて大きな勤めも終えた頃、ついに先代の父がお役御免をようやく許されることに なった。つまり半蔵が正式に本陣の主となったわけである。多くの人に祝福される中、 そうはいっても、半蔵は素直には喜べない。彼には本懐があるのだから。
 その一方で、参勤交代の制度が実質的に廃止され、井伊大老などが処分を受け、二度 に渡る江戸城の大火による出費の中、新しい幕府の布陣によるオランダ留学生の派遣の 噂が聞こえてくる。世の急激な変化は凄まじいものがある。

                                           01/07/16 16:49