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(03/03/03up) 島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(15)半蔵は静の屋とも別名観山楼とも呼ばれる別宅に住んでいる。恵那山に連なる 山々を眺められる絶好に位置にある。彼、半蔵が余生を楽しめる人間なら、風物 を友としての生活を送るにふさわしい住まいのはずである。 が、鬱々とする半蔵には檻のようなものだった。時折、何を思ったかと周囲に 訝しがられるような素行をすることもある。女房のお民にさえ、理解できないこ とも多い。 そうしたある日、長男の宗太が青山の家の整理を言い出す。本陣でも問屋でも ない青山には借財が嵩むばかりだったのだ。耕地や、宅地、山林、家財などを売 り払って弁済することにするという。 旧本陣の母屋は土蔵を含めて医者に貸すことになる。半蔵夫婦は別居を余儀な くされるし、下女にも暇を出す。宗太ら家族も裏の二階に住み込む。 それだけではなく、宗太は父子別居に際し、誓約書を半蔵に書かせる。一言で 言えば、今後一切、家のことには口を出すなという内容である。文面には酒の量 も制限されている。 せめてものつもりで遊学に出した和助から便りが届く。英学を始めたいという のである。国学に励んできた半蔵には容易に賛成のならない願いだった。最後に は願いを聞き届けたのではあるけれど。 土蔵には妻等の長持などを除けば、先代の吉左衛門と半蔵の二代に渡って集め た和漢の書籍が山となっている。青山文庫とも称すべきものである。 そうした古書が子にさえ読まれずに埃を被るのみ。しかも、その土蔵にさえ半 蔵は足を向けることはできなくなった。 その頃には「あ――だれかおれを呼ぶような声がする」などとお民に言うよう になっていた。無論、お民には聞えないものである。谷の深みにある隠宅からは 狐の声がするばかりである。そうした時には、他のものには聞えない声を半蔵は 聞くようになっていたのだ。 ある十五夜の日に半蔵は万福寺の松雲和尚から月見の客の一人として招かれた。 神葬改典(幕末から維新にかけての廃仏棄釈)以来、万福寺創建の家である青山 半蔵から縁を切るに近いような仕儀に至ったはずである。 が、和尚はそんなことは気に掛けない。松雲和尚はどんな事情があろうと、旧 (むかし)を忘れない人なのである。 半蔵は、その月見の夜、久しぶりに酒を過ごす。四方山話に花も咲いた。けれ ど、そんな折にさえ、庭の隅に怪しい影を目にする半蔵だった。逃げるようにし て一人、寺を後にした。 隠宅に帰った半蔵は「おれには敵がある」とお民に語る。 「さあ、攻めるなら攻めて来い」とも。 ある日、半蔵は馬篭の町内から万福寺へと足を向けた。その身なりの奇矯さに 見咎める者もいる。寺へ何しに出かけるのか奇妙に思うのも当然だった。半蔵の 後を追ってみると、本堂の正面にある障子の前に立って袂(たもと)からマッチ を取り出す半蔵をそこに見つけた。 「気狂い」と彼らは叫び、障子に燃え移る火を羽織を脱いで消した。放火は大事 には至らなかったが、彼らが半蔵の腕を堅く掴んで放すはずもなかった。 半蔵は座敷に取り合えず押し留められ、小用にも見張りがつくようになった。 やがて一同の相談の上、座敷牢に幽閉されることになる。 急ぎ帰ってきた娘のお粂にも、そんな寂しい姿を晒す。弟子の美濃落合の勝重 にも。医師は半蔵を眠らせる薬を出すだけである。 いつしか半蔵は、見舞いに訪れる誰をも敵と見なすようになる。自分で自分の 糞を掴んで投げてよこすのだった。 その半蔵はついに病床にてお民と宗太に見守られて息を引き取った。享年五十 六であった。五人ある子の中で最後を看取ったのは宗太のみ。お粂すら臨終には 間に合わなかった。 葬儀は間借り主の医師の行為で旧本陣宅である母屋ですることが出来たのは、 せめてもの慰めだったかもしれない。 が、埋葬の場所で一揉めする。当初、万福寺山麓の寂しい場所が予定されてい たのだ。が、弟子等の意思で改めて相談することになる。そうした中、雨の葬儀、 通夜となった。明治十九年十一月二十九日の夜は更けていったのである。 それにしても半蔵が何故、寺を焼こうとしたのか、誰にも訳が分からない。埋 葬の場所を確認に万福寺行った勝重ら弟子に松雲和尚は語る。寺を半蔵は学校に しようとした中に松雲和尚は寺の全くの廃仏の意思を読み取っていたというので ある。寺を焼くというのは、半端に終わった維新の復古にやり場のない憤懣を覚 えた半蔵の実直すぎる衝動の結果だったというのである。 和尚はつくづく無常を思い知ったとも語った。そして七十という齢(よわい) を期して、長途の旅に登る決心をも半蔵の弟子等に示すのだった。 「さあ、もう一息だ」 墓掘り男たちの声である。弟子等の見守る中、寝棺を横たえる深い穴を掘る鍬 (くわ)の音だけが響くのだった。 (『夜明け前』第二部 終) 01/09/06 20:12 島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(16)小生は島崎藤村の『夜明け前』を日本を代表する傑作大河小説であることを今回、 時間を掛けて通読してみて強く感じた。 が、だからといって、何も問題がないというわけではない。 その問題点が別にこの小説の欠陥ということを意味しないかもしれないとしても、 指摘だけはしておきたい。 まず、感じることは、これは作家である島崎藤村が敢えて踏み込まなかったのか どうかは分からないが、幕末から明治維新に掛けての激動の時代において、歴史に おいては幕府だ薩長だ、将軍だ、老中だ、などが云々される。 それは当然といえば、当然だろう。彼らが歴史を動かしていたのかどうかは別と して、歴史の変化の相貌が彼らの変化の相貌に平行して描きうる点は少なからずあ るのだろうから。政治の中枢、権力の中枢が幕府から薩長(天皇を担ぎ出した勢力) へと移行したわけで、そこに叙述の焦点を合わせて描いていくのは、むしろ必然で もある。 けれど、しかし、幕府の強烈な支配構造が根底から崩れていく中で、一時的とは いえ、歴史の底辺に追いやられていた、常に影か籠を担ぐ人々以下の存在であった 人々が時代の変化の兆しを本能的にか感じ、桎梏を逃れうる可能性をほんの徴候と してであろうけれど、感じたのである。 この小説の中でも、ほんの触りではあるが、百姓の反乱(一揆)の形で描かれて はいる。小説の主人公であり、島崎藤村の父がモデルだとされている半蔵が、それ まで本人としてはあれほど目に掛け気に掛けてきたのに、その百姓らが反乱を起こ し、半蔵らに従わないこと、更に半蔵らに本心を欠片も明かさないことに愕然とす るわけである。 そこに、歴史の闇の深さをほんの微かにではあるが、予感はさせる。 さらに、ええじゃないかの奇妙な踊り狂い。それこそ、歴史の、圧制の、身分制 の頚木(くびき)に苦しんだ人々の爆発的で狂熱的な自由への叫びを感じないでは いられない。 しかし、そうした自由の実現の可能性は明治維新になってほんの数年で一気に潰 え去る。全くの幻想に過ぎなかったのである。 考えてみれば、明治維新は、あくまで政権構造の移行であり、権力が幕府から薩 長や諸藩の手へと移りはしたが、それは先進的で強大な軍事力・経済力などを持つ 諸外国の圧力の中で、統治をより合理化するためのもの、意思決定を少しでも早く 徹底したものにするためのもので、決して庶民の生活をよくするためでも、圧制に 苦しむ庶民を救おうという意図の基に為されたものでも全くなかったわけである。 庶民が自由を夢みたとしても、それは庶民が勝ってに夢みたに過ぎず、夢が破れ ても、それは明治政府の預かり知らぬところなのだ。 さて、やはり幕末から明治維新に掛けて、一時的に自由と、能力の発揮の可能性 を夢みた巨大な集団がある。それは女性たちであった。 江戸時代は封建の世であり、女性が表に出ることは基本的に許されなかった。が、 時代が変われば、そうした桎梏も溶けて、女性が社会に進出することも可能かもし れないと一瞬は思ったわけである。が、それもやはり夢に過ぎなかった。岩倉具視 の遣欧使節に津田梅らが同行したが、帰国した頃には明治の世には何処にも活躍の 場がなかったのである。だからこそ、彼女は自ら学校を作ったわけである。 さて、島崎藤村の『夜明け前』の中でも女性はあくまで脇役である。 それだけではない。 むしろ、意識的に背景に追いやっているのではないかと思われる節もある。有名 な話であるが、藤村は自らがクリスチャンであった明治学院の教師時代に、教え子 に惚れて苦しみ、学校を辞めたという経緯がある。 また、藤村の父である正樹も近親の娘と相姦の関係に一時あったとされる。藤村 はそうした生々しい関係の中に父子(おやこ)の血筋を見る思いがしただろう。 ところが、『夜明け前』の中には正樹(半蔵)のそうしたスキャンダルは一切触 れられていない。半蔵は、純粋に平田篤胤の門徒として、明治の王政復古に夢を掛 け、しかし、いざ維新の世になってみると、夢はひたすら敗れ去る現実をのみ見、 幻滅したとされるのみである。 その夢破れた半蔵がやがて牢座敷で狂死するわけであるが、その狂死に至る大き な原因に彼、半蔵(正樹)の人間としての矛盾が大きく左右していなかったのか。 つまり、自らは平田篤胤の門弟として神ながらの道、純粋な王政復古の夢を追い ながら、実際には、いたいけな近親の娘を姦淫してしまったという拭い去れない現 実。そこに強烈な矛盾を覚えなければ嘘だろう。 が、小説では一切、そこは避けている。 更に、半蔵の娘、お粂も義母が決めた結婚に苦しみ自殺騒ぎを起こしている。そ の自殺を敢行する際に娘がどんな強烈な迷いと苦しみを抱いたかは、決して描かな い。あくまで外から行状を描くのみである。 そのお粂は次に決められた結婚相手とは、承知し結婚するのだが、しかし、その 際にどれほどの思いを飲み込んで結婚したかは、一切、描かれない。今度は若気の 至りの自殺騒ぎを起こさずに済んで助かっているのみである。 時代の底を這い、担う人々がいる。歴史の叙述の上では群衆であり、大衆であり、 名のある人々の支えであるのみの人々。別に差別されている人々のみが苦しんでき たわけではないし、歴史の闇に沈んできたわけでもない。女性も含めて声なき声の 人々の沈黙の叫びが闇の世界に木霊してきたのである。 この優れた大河小説にしても、描ききれない闇の世界は果て知れないのだ…。 01/09/11 00:55 島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(17)二ヶ月というゆったりとした時間を掛けて、島崎藤村著の大河小説『夜明け前』 を今日、読み終えた(岩波文庫版にて)。 二ヶ月という時間をこの小説に費やすことは、当初よりの予定通りだった。小生 は、この書を木曽路を徒歩で旅するつもりで、ゆっくりのんびり読むつもりでいた のである。 そのような読み方が、また最適な小説でもあると今、読了して深く感じている。 昨年だったか、篠田一士著の『二十世紀の十大小説』(新潮文庫刊)を読んで、 『失われてた時を求めて』(プルースト)や『城』(カフカ)『ユリシーズ』(ジ ョイス)『特性のない男』(ムジール)『百年の孤独』(ガルシア=マルケス) 『伝奇集』(ボルヘス)『子夜』(茅盾)『U・S・A』(ドス・パソス)『アブ サロム、アブサロム』(フォークナー)などと並べて篠田氏が、この『夜明け前』 を挙げていることに、やや驚いた。 何か評論上の思惑なり仕掛けがあって、この書を選んだのではと勝手に思ったり していた。 しかし篠田氏の『二十世紀の十大小説』を読む限り、篠田氏は心底、島崎の『夜 明け前』が二十世紀の十大小説の一つだと見なしていることは、認めざるを得なか った。 けれど、その篠田氏の評論を読んだ当初は、島崎藤村と言えば、『破戒』や詩集 などを読んだことがあるくらいで、肝腎の大作は敬して近寄らずにいたのだから、 自分なりの判断は留保せざるを得なかったのである。 さて、この短くもない歳月を掛けて大河小説を読み終えてみて、深く静かな感動 を覚えている。静かではあるが、熱い情が沸き立っていることも事実である。 島崎藤村の父親である正樹をモデルにしたこの小説ではあるが、幕末から明治維 新を経た、その時代の混乱と不安と、そして何より、維新に(王政復古)に掛けた 半蔵(正樹の小説上の名前)の純粋な期待の念と、その熱い期待であるが故の失望 の深さが、大きなスケールの中で実によく描かれている。 所謂自然主義の作家と文学史的には位置付けられることの多い藤村ではあるが、 とてもとてもそんな枠組みに収まる作家でも小説でもないのである。 よくこの小説を低く評価する人は、あまりに歴史的細部の叙述や引用が多すぎる ことを挙げる。が、実は、むしろ、その歴史の細部の数知れない事実の錯綜の中に 半蔵が、あるいは一人一人の人間がいたのであり、その骨太の構成にこの小説の命 があるのだと思う。 時代など、一人の人間に見通せるわけもない。木を見て森を見ないのは愚かとい うが、では一体何処の誰が全体を見通せるというのか。 きっと、多くの人がそれぞれに彼らなりの森を見んとするのだ。それを他者が、 あるいは後世の人が、森ではなく木を見ているに過ぎなかったと冷笑するのは容易 い。 主人公である半蔵も幕末の動きを、今こそ平田派の思いの叶う時、仏教や儒教な ど渡来の蕃たる思想や宗教ではなく、神ながらの道の成る時と信じ、夢の実現を願 ったのである。 しかし、いざ、維新になってみると、それは個人の思惑など吹き飛んでしまい、 神道さえも脇に追いやられ、一方、彼自身、家督を息子に譲ってまで宮司になった りしてみたが、何一つ夢は叶うことはなかったのである(やがて国家神道というま がい物の神道が幅を効かすことになるが、それはまた別の話)。 それどころか、彼、半蔵は村では居場所さえ見出せない人間になっていた。天皇 の行幸が西南戦争の後にあり、彼の旧本陣が天皇の休み場所になった時も、半蔵は 遠ざけられる始末だったのである。彼は問題の人とされてしまっていたのだ。 世界が、特に西洋を中心にナショナリズムが勃興し、産業革命が進行し、世界進 出がイギリス、フランスなどを中心に激しく成る中、日本も江戸の半ば頃より、荷 田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らを中心にナショナリズムの動きが思想・ 文学研究の形で盛んになる。 それまで脇にあった『万葉集』や『古事記』などがにわかに注目を浴びるのであ る。何か渡来のものでない、日本古来のものが捜し求められたのである。 世界が相互に交流し合う。が、当面はどうみても欧米からの文化・思想・経済・ 政治の輸入しか予感できない。いずれ世界の急激な社会・経済構造の変革の波に呑 まれるのは避けられない。 では、その中で日本の日本たる所以はいずれにあるのか。何処までも深く激しく、 危機感を持って心あるものは誰しも人に、自らに問うたのだ。 が、明治の世は、維新直後の熱気と初心とは裏腹に、役人の跋扈する、純粋な思 想など付けこむ余地のない社会に成り果ててしまう。そんな世を半蔵は目にし、自 分の夢は破れ、居場所を失い、やがては座敷牢に入れられ狂死して果てるのだ。 今、幕末から明治維新、敗戦直後の混乱期などに匹敵する時代の変貌期に日本も、 恐らく世界もある。変化の渦中に、不安の只中にいるわけである。変化の果てが誰 にも予見できないでいる。構造改革というが、それは単に古いシステムが今の変革 期に用を成さなくなったというだけではなく、もっと世界規模の、グローバルな大 変貌が今、起きつつあるのだと小生は思う。 何といってもきついのは、変化の速度があまりに速いことである。人の等身大の 速度ではないのである。明日が誰にも見えない。だから、今、ナショナリズムの勃 興が新たに生じているのだろう。 とはいっても、今の時代にナショナリズムの名に値する思想を提供する人物は一 人もいない。ただ、明治の昔か、戦前に使い古されたメタファーを持ち出すだけな のだ。 どうせナショナリズムを喧伝するなら論じるに値する思想を示して欲しい。 余談が過ぎた。 今の時代の全貌を描くことは、きっと将来の誰かの課題になるのだろう。その時、 一体、どのような相貌が描かれることになるのだろうか。 01/09/02 19:25 |