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(03/02/22up!) 口だって穴のうち車中での休憩中に、内田春菊著の『口だって穴のうち』(角川文庫刊)を読んだ。 情ないことに、小生は彼女の漫画作品を未だ拝見したことがない。昨年だったか、 彼女の『ファザーファッカー』を読んだばかりである。 その本はまさにタイトルに惹かれて手にしたのだが、今回の本もそうなのだ。な んていうタイトルを付けるのだろう。あるいは、その前に、何てタイトルを思いつ くのだろう。 内田春菊さんは、ある男の二号である女を母に持つ。『ファザーファッカー』で、 彼女は自分が母の手によって育ての父に提供された娘である事実を描いた。 近親相姦めいているが、実際には育ての父は義父であり、母の男であるわけだか ら、近親相姦ではない。未だ、自分がその男に何をされているか分からないうちに 玩具にされたわけである。そうした女の子は、物心付いて初めて自分の惨状に気づ き腹を立てたり、傷付いてしまう。その時は、取り返しがつかないし、悔やみよう もないわけだ。 このことが彼女の感性や生き方に影響を与えなかったはずがない。 実際、彼女を適当にあしらい、漫画家になることも嫌がっていた母なのに、彼女 が漫画家として成功すると、母や彼女に頼ろうとするのである。そんな母を毛嫌い する彼女は、自分が何かあった時に財産が母の下へいかないようにと(実際、遺書 にも母へは財産を渡さないと明記してあるが、法的には無効だと弁護士に説明され ている)、『ファザーファッカー』を書くことで、何とか母に対抗しようとしたの だと彼女は説明する。 さて、男にとって女は、そして女にとっても男は不思議な動物なのに違いない。 けれど、少なくとも男は長らく女をある既成の網の中に閉じ込めておこうとしてき た。きっと、そうでもしなければ、籠から飛び立った女は何処へ舞い、どんな姿に 変身するか知れないという恐怖感が男にはあったのに違いない。 が、パンドラの函は明けられ、女は自由の翼を身に付け始めた。制約など幻に過 ぎないと知った女たちは、この先、ドンドン変身を遂げていくのだろう。 そう、口だって穴のうちなのだ。快楽も、その人が主体的に求める限り、後はそ の人のバイタリティと想像力次第である。サドは時代への反逆の故に想像力の限り を尽くして、性と肉との極限的な快楽の様を描いた。 けれど、サドの描く世界は、一見自由奔放のように見えて、読んでいる限りは何 処か禁欲的である。つまり、そこには時代や権力が常に意識されていたのである。 その相当に薄めた世界が日活のロマンポルノ的世界だったろうか。何かの物語がな いとロマンポルノを見る男は燃えなかったのだ。不倫だとか、強姦だとか、人妻を 犯すだとか、幼女への偏執だとか、時代の道義への反発だとか…。 が、ただ、楽しく刹那的に、制約を意識しないで悦楽を貪る時、男は多分、女に ついていけないだろう。ただでさえ、今の時代、女はバイタリティに溢れている。 口だって穴のうち。悦楽の淵は限りなく深く広く愉しく、夜の明けることにも気 付くことはない。 きっと近いうちにとてつもない世界が表現されるに違いないという予感がする。 それが内田春菊の手に依るのかどうかは知らないけれど。 01/08/19 23:35 内田春菊著『やられ女の言い分』の周辺別に今更ここで、新しくもない内田春菊著の『やられ女の言い分』(文春文庫刊) の書評をしようというのではない。 どういうものか、段々、小生が内田春菊のファンになりかけているので、この本 を糸口に若干、内田春菊ワールドについて触れてみたくなっただけだ。 小生が内田春菊ワールドの入り口に立ったのは、ほんの昨年のことだった。近所 の小さな書店に立ち寄って、車中の休憩時に読めるようなエッセイなどを物色して いてのことである。ふと、『ファザーファッカー』というタイトルが目に入った。 その時、彼女の名前くらいは最近は漫画を読まなくなった小生だって知っていた。 それに彼女は生演奏活動だけじゃなく、また、舞台に立つだけじゃなく、テレビ ドラマにも出ていたし、何となくスケベっぽい顔(御免なさい、春菊さん)や表情 は見たことがあった。もしかしたら、内田春菊の作品とは特に認識しないまま、彼 女の漫画も何処かで目にしていたような気もする。 が、やはり出会いは『ファザーファッカー』においてだったと思う。 小生は、正直、そのタイトルに釘付けになった。レイプものは、世に氾濫してい るけれど、ファザーファッカー? ってことは、父親にレイプされたってこと? と、全くの興味本位で手を出したのである。 パラパラと捲ると、案の定の内容のようだ。これが、車中での休憩時に読むに相 応しい本か、幾分、疑問があったが、もう、そんなことはどうでもよかった。とに かく読もう、読みたい、父親にレイプ! とんでもないことだ。けれど、実の父親 や母親に虐待される事件が次々と露見する世相である。 表に出るかどうかであって、実際には非常にそういうケースは多いのだろうとは 思う。 我が家が憩いの場ではなく、生ける地獄、この世の地獄だったとしたら…。この 世の何処に逃げ込める場所があろうか。 昔、小学生か中学生の頃、学校から帰らないでグズグズしている奴が、必ず何人 かいたものだった。何故、用もないのに校庭でウロチョロしてるんだろう、帰り道 で、特に楽しいことをやっているわけでもないのに、家に帰らないんだろう、と、 不思議に思ったことがある。 帰りたくなかったんだ。 でも、帰るしかない。 そこは、一応は、家庭である。多分、父と母もいる。あるいは兄弟(姉妹)だっ て。 でも、そうした奴等はトボトボと家に帰るのだ。他に行き先も見つからないから。 誰も、他に相手にしてくれないから。彼(彼女)を匿ってくれる人もいないし。 さて、内田春菊の家庭事情もそうだと小生が言っているわけではない。 それどころか、彼女の場合、自分が父親(義理の父親、というか、母親はその男 の愛人なのだった)に何をされているのか、最初は分からなかったというのである。 次第には気付いてきたのだろうが、その時は、もう、手遅れなくらいに心に深い傷 を負ってしまっていた。 彼女、内田春菊は、母親が男を繋ぎとめるための道具として提供されたのである。 実の母親に。 世の中によくある話といえば、そうなのかもしれない。が、悲しすぎる、おぞま しい現実でもある。 その後の彼女の人生も、何処か、同じようなパターンを繰り返している。レイプ された女性は、その恐怖感から、また同じ事をされるんではないか、似たような現 実が待っているんじゃないかという恐怖感から逃れるために、敢えて、自分から己 の体を擬似的レイプの状況にもっていくことがあるという。 それはレイプではあるが、しかし、形としては自分が仕組んだものであり、従っ て、最低限、自分が主体的に演出したドラマなのだ(悲惨すぎるドラマだ!)、つ まり、過去の脱出不可能だった救いのないドラマ(現実にあった、現実そのものの ドラマ)ではなく、少なくとも自分が脚本を書いて自ら演じている、自ら状況設定 はした程度には脱出可能なドラマの主役を演じる中で、彼女は、もう、これ以上、 悲惨な状況だけはありえないことを確認するのである。 限界状況を自分が設定することで、これ以上の悲惨の余地はないと、自分を安心 させようとするのだ。 が、そのことが、一層、その女を追い詰めていくのだけれど。 内田春菊も、懲りることなく、同じような形で失敗を繰り返していく。何処か隙 があって(隙があるように男には見えて)、町で声を掛けられる。すぐ、ついてい くような感じや雰囲気を彼女は自分で気がつかないうちに発しているようなのであ る。 で、男は彼女を御しようとする。少なくとも御しえると思っている。あるいは、 そういった類いの男ばかりが彼女の周辺に現れ、纏わり付く。 大概は、他人の(女性の)気持ちを思いやることのできない、もしくはしなくて も女性に持てる男の傍に、何故か女は寄っていくのである。そうした女性をどう御 したなら着いてくるか、それだけは男は知っているから。結局は似たもの同士が寄 り添ってしまうことになる。 一方、女性の側にしてみれば、こんなはずじゃなかったのに、と、どうにもなら ない状況になって初めて気づく。なんだ、こいつも結局、今までと同じ類いじゃな いか、今までと同様に身勝手で無神経な奴の一人に過ぎなかったんだ…。 後の祭りってことだろうか。 春菊さんは、大人になっても、同じことを繰り返す。信頼していた編集者にレイ プされ(クラミジアまで伝染され)、しかもその時の旦那さんは、一向に彼女の気 持ちを理解できない、しようともしない。それどころか、夫は平気で夫婦生活を求 める始末である。 彼女は、自分で気付かないが、少なくともあるタイプの男には、すぐにやれる、 やっていい女だと思われる隙があるように見えるのだろう。 しかも、別にそれでも、平気でいられる男がいる。 小生は内田春菊の漫画が好きだ。というより、特に漫画のタッチが好きだ。好奇 心旺盛で、前向きで、でも、何処か間抜けっぽくて、だから、人に(男にも女にも) 好かれる。性懲りもなく失敗を繰り返すが、傍目にはあっけらかんとしているよう に見えてしまう…。 当人は相手を嫌っていたりするんだけど、でも、相手はその子を憎からず感じて いる。いつでも何とかなる相手だというふうに見えてしまうので、つい、安心して 近づいてしまうのだ。その挙句、相手がその子をどれほど傷付けているか、いつま で経っても見えない。自分がその子を傷つけただなんて指摘されるとびっくりさえ する。悪気が男にない。生じない、生じさせないのである。 ところで「文庫あとがき」にもあるのだが、表紙は内田春菊さんのハダカである。 彼女曰く、彼女が考えた文庫の表紙のコンセプトは、「とっくに済ませちゃって もう相手は私には何の用もないのに、私一人が負け惜しみで、強姦されたやつの背 中に『今日はこのくらいで勘弁しといたるわ!』と叫んでるとこ」だそうである。 ついでに付け加えておくと、表紙の帯の文句は、「しまった、こいつもか!!」 である。この文句を誰が考えたのかは、小生は知らないが。面白すぎる! 01/10/30 21:09 |