筆者の出身高校はその名もズバリ「埼玉県立川越高等学校」。 1899年に埼玉県立第三中学校(旧制)として開校した地元ではそれなりの伝統校。 普段は「川高(かわたか・かわこう)」と略して呼ばれる。 しかし、公立高校のくせにいまだに男子校。 文化祭はなぜか異様に盛り上がり、男子シンクロナイズドスイミング(映画「ウォーターボーイズ」制作のきっかけとなった) などの目玉企画が目白押しで毎年1万人以上人が来る(2001年は約1万7000人)凄まじさ。 しかし、普段の川越高校の実態はあまりよく知られていない。 それを初めて法則としてまとめ上げたのが、「川越高校の法則」である。 (ちなみに三重県にも同じような名前の高校があるが、直接的な関連はない)
「川越高校の法則」は、筆者がまだ翔蒼院鞍乃丞(しょうそういん・くらのすけ)を名乗っていた時代に執筆したものである。
最初のシリーズである「川越高校の法則」は1995年3月に発行された生徒会報第46号に掲載された。
タイトルからしてわかるように、明らかに「マーフィーの法則」(日本語版はアスキー出版から発売)のパクリである。
ちなみにこのコーナーはあくまでも一個人からの寄稿という形式を取っているものであり、
決して生徒会報編集委員会による公式な企画ではないことを強調しておく。
ネット上にいくつか書いてあった「川越高校の法則」に関する記述を見ると、
その点を勘違いしている人がほとんどだったので、改めて筆者自ら主張しておく。
もっとも、筆者自身、生徒会報編集委員を兼ねていたため、
一般生徒からはそのように取られても仕方のない面はあったと思う。
もともと、寄稿のページは全校生徒から広く文学作品を募るコーナーなのだが、
この年は宣伝が悪かったのか寄稿してくれる人が非常に少なく、
予算消化のために編集委員の有志何人かで、本来全校生徒のために割くはずだった
寄稿のページの一部を私物化したというのが事の真実である(笑)。
そんなわけで、生徒会報の余剰ページの穴埋めとして書き始めた川越高校の法則だが、
実際に会報が完成して全校生徒の手に渡ってみると、どうやらこれが一番ウケが良かったらしい。
毎週のように会議を開き、特集記事の執筆に力を入れてきた編集委員の立場としては、
オマケで書いたようなもののほうが人気が出るということにちょっと複雑な心境であった。
そして第1弾が好評だったため、高校卒業間際に「川越高校の法則」の続編として再び寄稿した
「川越高校の法則・2」は1996年3月発行の生徒会報第47号に掲載された。
この時のあとがきで、「もし面白いと思った方は続編を!」と書いて締めたのだが、
その意志を受け継ぐ人はついに2年後に現れる。アイムアドリーマーと名乗る後輩によって
「川越高校の法則・3」が新たに執筆され、1998年3月発行の生徒会報第49号に掲載された。
1998年9月に行われた第51回くすのき祭(文化祭)で、
生徒会百周年事業準備委員会の展示発表「川越高校のきのうとあした〜川越高校百年間の軌跡〜」が行われていた。
この企画は、翌1999年に迎えることになる開校100周年に向け、川越高校の歴史を紹介したものである。
その中に生徒会報の歴史についても述べられていたが、この「川越高校の法則」が、
「最近の寄稿」として紹介されており、わざわざ拡大コピーまで置いてあったことには驚いてしまった。
この時、すでに第1弾執筆から4年近い歳月が流れていたが、これは法則の完成度の高さを示す1つのエピソードともなった。
そして2001年、秋に公開された映画「ウォーターボーイズ」効果で川越高校の地位はかなり向上したと思われるが(?)、
さらに川越高校の良さ、面白さ、そして男子校のスレた雰囲気をみんなに楽しんでもらおう、というわけで、
原著者自ら、現在でも通じる特に優れた法則を全3作の中から厳選し、
「川越高校の法則・ベストセレクション」として紹介したいと思う。
なお、全部読みたいという方もあると思うので、合わせて川越高校の法則1・2を掲載したリンクを張り、
また、川越高校の法則3の全文を別ファイルにして参照できるようにした。
」の1コーナーです。