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【アテネオリンピック・女子マラソン】

野口みずき選手が、アテネオリンピックのマラソンで優勝した。

NHKのアテネオリンピックオンラインのニュース記事によれば、レースは以下の様に推移した。

 『アテネオリンピックの陸上、女子マラソンで、野口みずき選手が金メダルを獲得しました。タイムは2時間26分20秒でした。
 日本はシドニー大会の高橋尚子選手に続き女子マラソンで2大会連続の金メダルです。オリンピック史上で最も厳しいといわれるアテネのコースに挑んだ日本の野口みずき選手と土佐礼子選手、それに坂本直子選手は、25キロ過ぎまで先頭集団でレースを進めました。野口選手は、25キロ過ぎにエチオピアのアレム選手とともに集団から抜け出すと、さらに27キロすぎにスパートをしてアレム選手を引き離し独走態勢になりました。野口選手は、終盤に去年の世界選手権で優勝したケニアのヌデレバ選手に10秒あまりの差まで迫られましたが逃げ切り、2時間26分20秒のタイムで優勝し、金メダルを獲得しました。日本はシドニー大会の高橋尚子選手に続き女子マラソンで2大会連続の金メダルです。また、土佐礼子選手は5位、坂本直子選手は7位といずれも入賞しました。銀メダルは野口選手から12秒遅れたケニアのヌデレバ選手、銅メダルはアメリカのキャスター選手でした。 』 
リンク=http://www3.nhk.or.jp/olympic/news/news_def1.html(ただし、この手のリンクは日替わりで内容が変わり、そのうちにサイトも無くなります。04/08/23-11:30am時点で現存していたリンクです。)

レース後の野口選手へのインタビューによれば、25キロでのスパートはコーチとの打合どおりであったとのこと。夜更かししてリアルタイムでテレビ中継を見ていたのだが、徐々に後続との差を広げる野口とアレムを見ながら、「こんなに早くから引き離しにかかるとは大したものだ」と思い、「あとから追い上げられないだろうか」、「後半にばてるのではないか」と思った。

野口とアレムは順調に後続を引き離し、アレムもやがて野口において行かれたところまでは、「やるもんだ」と感心し、安心して見ていた。しばらくは後続との距離を広げてきていたが、後方を写した映像で前をゆく世界記録保持者のラドクリフ(その時点で3位)をヌデレバが追い越した時点で不安が頭をもたげてきた。

差が一番開いていたとき、ヌデレバと野口の間には約40秒(200m以上)の差があったが、走りのペースは明らかにヌデレバの方が野口より良いようにみえた。特に専門家でなくてもマラソンをよくテレビでみるようになれば、走りのペースの違いは分かる。やがて、テレビ中継を担当するアナウンサーもヌデレバと野口の差が詰まり始めていることをコメントし始める。30キロ地点では差が32秒にまで縮まっていた。

36キロ地点では、優勝候補の筆頭と見られていた英国のラドクリフ選手がリタイアするという映像も挟まりし、ばらくはテレビカメラがそちらに向けられていたものの、その間も野口とヌデレバの距離は縮まり続け、やがて追い抜かれてもおかしくないように見えた。

8秒差まで縮まった差は、その後なかなか詰まらなかったのだが、ゴールのパナシナイコ・スタジアムでトラックを1周半走る間、最終コーナーを回るまでは安心してみていられなかった。早めに引き離しにかかり、後半に追い上げられるレースの展開とゴールしたときの2位の選手との距離は、4年前のシドニーの高橋選手とシモン選手とのレースを彷彿とさせるものであった。

さて、前置きが長くなったが、レース途中あるいはレース後にいろいろな思いが頭をよぎったので紹介してみたい。

まず、野口選手のスパートだが、後日談によると25キロからというのは予定どおりで、これしかないという計画だったそうだ。下りになってからの勝負では、スピードランナーが残っていたら勝てないので、登りの始まる25キロから勝負ということだったらしい。

この「予定通り」ということだが、何気なく聞いているとそんなものかとしか思わないだろうけれど、私はいつもこれに引っかかりを覚える。選手は全員がそれぞれの「予定」をもち「予定通り」に事を進めようとしていたはずだ。

また、予定通りに進んだけれど結果は予定しないものだったというケース、予定通りには進まなかったけれど結果は予定を上回るものだったというケースだってある。具体的に言えば、5キロごとのペースは予定通りだったけれど、他の選手がそれよりすばらしくて順位は予定通りにゆかないこともあれば、自分のペースは予定通りにゆかなかったけれど、他の選手もペースがあがらず結果的に優勝したというケースもあるということになる。

つまり、経過が予定通りに進むかどうかということと、結果が望むものになるかどうかということには必然的関係性はない。

予定が25キロからのスパートであっても、それを予定通りに進めることができるかどうかはかなり選手の精神構造に左右される。25キロまでが予定通りにきたとしても、残りの17キロが予定通りに推移する保証は本来のところ何もない。その「保証のなさ」に想いがゆくと、不安がよぎって予定通りのスパートができないものだ。

普通、残りの距離が少なくなればなるほどその残り分を予定通り進められるかどうかの予測制度は高くなる。(少なくとも、普通はそう思える。)つまり、大事な決断(ここではスパートの実行)を先送りにしたくなる。野口選手の場合、12キロ付近で気分が悪くなったという話を後で聞いたがそんなことがあったにも関わらず予定通りのスパートをしたことにまず賞賛を送りたい。

余談になるが、この不安に負ける人は全般的に人生の各所でおなじ先送りをすることになるし、不安を感じずに決められた事に邁進できる人は、同じく、人生の各局面で予定された行動を取るものだ。

このように、「予定通り進める」ことは不安や雑念によって案外難しい。また、「予定通り」に進めたとしても、結果が予定通りになるかどうかわからないのは先に述べたとおりだ。けれど(というか、だからこそ)、予定通りに事を進めるということが大切になる。結果がどうであれ、である。

結果に結びつくかどうかが保証されないとしてもやはり「予定通り」に進めるということは大事なのだ。このことはよく「結果がどうであれ、過程が大事なのだ。」と言われたりする。これは一般的に、「努力することが大事なのであって結果がすべてではない。」と平板な翻訳をされてしまうけれど、ここで言おうとしていることはそれとは違う。私に言わせれば、「努力を『予定通り』すすめ、それを生かすべく計画も『予定通り』実行できるかどうかが大切で、その結果がどうなるかもやはり大切である。」となる。

さらに別の言い方をするなら、「過程(予定)をその通り進めるべく努力し、努力しきる」ことが大切だということになる。ビジネスの世界では、PDCA(Plan、Do、See、Action)のマネジメントが大切だと言われるが、その「Do」に一番の重きを置いた価値観である。

「予定通りに進めた結果」でなければ、その結果をうけて次の計画(当然、前回のものより優れた内容にならねばならない)に生かす事ができないのだ。つまり、野口選手のケースで言えば、25キロで予定通りスパートして負けていたとしても、それは、25キロでスパートをためらっても結果として勝ったケースより価値が高いのである。

Plan通りのしっかりとしたDoがなければ、その後のSee、Action、次のPlanが意味の無いものになる。つまりPDCAが回らなくなり、よしんば一回結果がよくても、長い目で見たときにPDCAを回し続ける人との間には大きなさができることになる。

競争の世界では「結果がすべて」だと言われる。世間の評価は確かにその通りだが、何度も勝ちを収める偉大な選手はやはり「予定通りに進める」力が優れているのであって、それがゆえの結果であり、それがゆえの賞賛を受けている。

過程に関係のない「結果がすべて」は結果がすべてをゆがめることにもなりかねない。結果がすべてということの意味は、ベストの「Do」を実行しても、それで結果がでなければやはり何か改善の余地があったのだと考えるということであって、つまりは、「See」を徹底的にやれということだ。そうしないと、PDCAのサイクルがうまく回らない。

私の見る限り、高橋尚子選手はこのPDCAを高いレベルで回すことのできる選手だったが、選手選考レースの一発の結果で今回のオリンピックには参加できなかった。別の意味の「結果がすべて」になったわけだが、今回のオリンピックに高橋選手も参加していたらどんなレースが展開されただろうかと想いをはせた人間は私ばかりではあるまいと思う。

さて、こうみてきたときに、ラドクリフ選手はどういう準備をしてきて、何が予定通りにゆかなかったのか、どういう体調・心境の推移があったのか、おなじくヌデレバ選手はどうだったのか。また、途中ではほとんどテレビ画面に登場しない位置にいたのに結果として3位に入ったアメリカのキャスター選手の場合はどうであったのか、あるいは土佐選手、坂本選手はどうだったのか。興味が尽きない。

こういう場合に、マスコミはややもすると野口選手の優勝への足取りというような視点、あるいは「何がラドクリフ選手におこったのか」というような単発の視点でしか番組を作らないものだが、各選手の比較をしてみるならば単なるスポーツ番組にとどまらず人生の大事なキーを教えてくれる番組になるだろうにと思う。時間がゆるすならインターネットで情報を収集して出来うる限りの比較をしてみたいものだ。

その他に興味をものとして、気温35℃、湿度31%という条件で、各所に設けられていたシャワーはどのくらい有効だったのだろう。どの位体温を下げることに効果があって、それはどのくらい長続きしたのだろうか。コンディションの再現をして実験をするこことができるならば興味深い。

さて、今回のようにラドクリフ選手が脱落したりということがあると「1年後に再チャレンジ」というようなレースが見てみたいような気がする。無論、優勝した選手は出たいとは思わないだろうし、同じ気温、湿度等の条件ではないだろう。しかし、優勝賞金をたとえば1億円くらいにすれば実現するかもしれないし、世間の注目を集めるレースになることは間違いないとおもう。

後日談

野口選手は、パナシナイコ・スタジアムに入ってきたときに日本からの応援陣がいる方向に手を振っていたが、テレビをみているほうは後ろから迫っているヌデレバ選手のことを思えば「そんなことしている場合じゃないだろう」と思ったものだ。このことでインタービューをうけて「確かにそんなことしてる場合じゃなかったと後で思った」とコメントしていたのが興味ぶかかった。スタジアムにはいるまで、誰がどれだけの距離にせまっているのかわからなかったらしい。しかし、カーブを利用してできるだけ後続の選手に姿が見えないようなコース取りを心がけたと言っていた。

申し一つ驚いたのは、風通しをよくするために、ゼッケンに四角い穴をたくさん空けていたということである(テレビ画像ではわからなかった)。上記には、野口選手の「Do」のすばらしさを述べてきたが、こういうところで「Plan」の確かさも感じる。

また、出場選手の1/3はレース後に救護室のベッドにいたらしい。タフなレースだったことを窺わせる。前回、高橋選手を追いつめたリディア・シモン選手も今回ははやばやと脱落し、暑さにつよいと思われたアフリカの選手も何人かはリタイヤしたのをみれば、日本の3選手がそろって完走し上位にいることを見れば、日本の湿度の高い夏への慣れが味方したような気もするし、給水の良否が勝敗を分けたような気もする。


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