男と女

【ダーティ】

 そもそも男と女の事は神様がくれた贈り物とでも言うようなもので、それを否定的に見なくてはいけない要素はどこにもないはずですが、何かセックスの話は後ろめたいよう扱いを受けます。

 これはどうも西洋文明による見方の様です。日本ではどちらかというと古来おおらかな自然な扱いを受けてきたのではないでしょうか。

 あれは日本書紀でしたっけ、神様が「なりなりて、なり余れる」のと「なりなりて、なり足らざる」のを足して国産みをしたのは。おおらかなもんです。

 それに比べるとアダムとイブが神様のいいつけに背いて、産みの苦しみを与えられたなんてのは悲惨なモンです。英語ではポルノの事を「ダーティピクチャー」と言うことがあります。これはやはりしてはならない事という基本認識があるのでしょう。

 その一方で、性の解放は(昔はともかく)今は欧米の方が進んでいます。押さえつける意識が大きい分、それを解き放そうという動きも大きい事の証だとも言えるでしょう。

 私はもっと自然体でとらえれば良いと思います。もっとも、そこに何の制約も無くて良いという話ではありません。でも根本の所は自己責任という事でしょう。

 性衝動と性行動にまつわる光と陰の側面を良く認識し、リスクを十分わきまえて何があっても自分で責任を取るつもりであれば、社会的犯罪にならない限り何をしようが個々人の自由でしょう。

 ただし、日本人は自己責任という事に馴染んでないのも事実です。

 私には、株や先物といった投機に対する姿勢を見て、日本人というのは自己責任というのを全然理解してないとしか思えません。まだまだ、慎重な姿勢が必要なのかもしれません。


【発情期】

 発情期なんてのは何か嫌な言い方ですが、まあともかくその発情期。人間に発情期がないのは何故でしょう。もっとも人間の場合には四六時中が発情期と行った方が正しいでしょうが。

 これは、実は人間が勝ち取った経済的地位でしょう。もしかすると、何かのテレビ番組を見ていて記憶に残っていた知識の受け売りかもしれませんが、私が思うに人間は何時子供を産んでも養っていけるだけの経済基盤を勝ち取ったから四六時中が発情期でいられるのだと思います。

 自然界では、子供を産んでも十分に食物が手に入る時期に子供が生まれるように発情期やら妊娠期間やらが決まっています。人間の場合には、食物の貯蔵やら食物の調理やらで食物の幅を広げ、たらふく食える期間を長くしたことで子供を産む時期に制約が無くなったと理解されます。

 自分たちの努力と工夫で勝ち取ったのだから、変な表現ではありますが、大手を振って四六時中の発情期を認めれば良いではないですか。無論、それをどうするかは別の話。


【男の性衝動】

 女性にはポルノ写真というのは甚だ評判が悪いのですが、男にとってはどうしても目が行ってしまうもの。これにはやはり生殖上の理由があるようです。動物界でも雌の発情は自己都合でOKです。しかし雄の場合には雌に合わせて発情しないと生殖に至りません。そこで、雌の発情を見て素早く反応するには視覚的な刺激とか嗅覚的な刺激に反応する方が合理的で、タイミングが合わせやすい。魚の繁殖をみてもそう。雌の産卵に合わせて素早く精子をかけないと雄は自分の子孫を残せません。

 だから女性は自己都合で「その気」になっていいのです。性衝動なんてものとは無縁であっても生殖上は何の不都合はないのです。真実の所は判りませんが、少なくとも「衝動」と表現するようなものは存在しないのではないでしょうか。しかし、男はすぐに「その気」にならないとチャンスを逃すわけです。しかし、どうもこの衝動のトリガーは甘めの感度で作られていて、何の関係も無いときに興奮させられたりする困った副作用がありますが。

 「だから、男はガマンできねぇんだよ〜」なんぞというどっかの自分勝手なアンちゃんの言を担ぐつもりはありません。衝動とそれをガマンするとかどうとかいう事はまた別の次元の事でしょう。しかし、性の衝動そのものを卑下する必要は全然ないと思うのです。性というものは、これは神の配慮ナンダと言うべきものでしょう。

 ちなみに言うと、性行為そのものは外敵に対してどうしようもなく無防備な状態なので、動物達のそれは大体においてあっという間です。スポーツ選手なんかの場合は一般にちと「早い」傾向にあるなんぞと雑誌に取り立てられるのはそれだけ野生に近いのでしょうか。一方、無防備な状態を長く続けられるというのは、それだけ何をしても安全な「強い」立場にあるとも言えるのかも知れませんが…。


【「いかがわしい」という事】

 性行為に対して発せられる「いかがわしい」という形容詞は主に権威を守るためのものでしょう。性行為そのものをとった時に、他のほ乳類とそう違いはないのでまず人間というものの権威が失墜する。また、お偉いさん方と庶民の間でもやることに差はないから、これもその権威の失墜になる。

 家庭でも、いばったお父さんなんかは性教育なんてのは考えようもないでしょう。はかない権威に立脚しているものほど、その権威を脅かすものには厳しい立場で当たるものです。

 もっと、性を自然体で受け入れる事のできる社会の方がバランスのとれた良い社会になるのではないでしょうか。私には、南洋の自然に恵まれた地方では権威が競争に根ざしたものでなく自然発生的で、その分権威が性を否定しない文化をもっているというイメージがあるのですが、実際はどうなのでしょう。酋長が初夜権を持っていたりするのは、まあいろいろな議論が出るでしょうが権威が自然体である事の一つの証であるような気もします。

 ちょっと、話がそれてきたのでこれはここまで…。


【クリントンとルインスキー】

 政治家に女好きが多いというのは良く雑誌にも取り上げられて来たことだ。かのケネディ大統領もホワイトハウスでとかくの噂もあったらしい。若い頃にそれを聞いて幻滅を禁じ得なかったものだ。

 いっぽう、女性というのは権力に惹かれるらしい。無論、すべての女性がそうだというつもりはないが、やはり政治家やらシャチョウやらはもてるようだ。動物と並べて論じると顰蹙を買いそうではあるが、動物の場合にも雌が選ぶのは群の内の実力者であるケースが多いようだ。雌にとっては相手の雄が権力を持っている方が子孫の守られる確率が高くなるというのがその「生物学的選択」理由らしい。動物の世界では、力の有るモノのみが子孫を残せるのである。

 さて、私は政治家の最大の罪は汚職と私腹を肥やすこと無能だと思うが、国民を失望させる事もその次に上げられるだろう。国のリーダーが国民の信頼を失うというのは実に怖いことである。世の中が乱れてくる元だ。

 今回の大統領弾劾裁判で問題にされているのは「偽証」という事だが、その問題意識は上で述べた国民の信頼を失わせる行動の重大さにあると思われる。神の前での宣誓に対する欺きという事の罪という趣もあるのかもしれないが、あれだけFワードの氾濫する文化になってしまった国でいまさら「神の前で…」という事でもあるまい。無論、法律として問題に出きる一番クリアなモノが「偽証」という争点だという点は上げられる上げられるだろう。

 今のところ、リーダーとしての実績(必ずしも「能力」という意味ではない)の前に、少々の問題は不問にしようという雰囲気だ私は理解している。普通の会社のリーダーならばそれでもいいのだろうが、政治家としては「政治に対する信頼を失わせた」という罪がもっと深刻に問われるべきだと思う。もっとも、日本を含め政治家というものは「国民の信頼」という事に対するセンサーの感度が恐ろしく低い連中が多いので、誰にすげ替えても同じかもしれない。

 一方で、「見つかりゃしない」と高をくくっていたのではあろうがそれでも思わず一国の大統領が分別を忘れた事をしてしまう程、オスにとってセックスの誘惑は抗しがたいものだと証明されたのが今回の事件だ。この事実を男も女もしっかり認識して置くことは幸せな人生を構築してゆく上では案外大事な事だとおもう。もっとも、社会的道議感というものが邪魔をしてせっかくの教えを活かせない人も随分といるだろうけれど。

 ルインスキーの方は単に大統領に魅力を感じてした事なのだろうが、それが公にされてしまってお気の毒という他はない。今後の長い人生にとっては重い荷物を背負ったかっこうだ。こんな事をいうとまたまた女性には顰蹙を買うかもしれないが、彼女をたれ込んだ女性の行動は「嫉妬」に近いモノがあるのかもしれない。浮気をした亭主を見つけたときには女は大体相手の女を責めるそうである。ま、これはちょっと飛躍のし過ぎかもしれないが…。

 今回のバタバタで、ヒラリーが「女を上げ」たのだそうだが、カミさんにはともかくとして娘のチェルシーはオヤジの事をどう思ったのだろう。クリントンはどんな顔をして娘と接してるのだろう。

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